救済
それから一日、街中の人々は、教会に集まっていた。
前には神父、ログレス王、その軍の数人が縛られて座っている。
大規模な転移魔法を使い、この街へと連れてきたのだ。
外にいる人々にも聞こえるように僕たちが魔法を発動させ、全ての準備が整ったところで、神父としてケントさんが口を開く。
「皆よ、耳を傾けてください。
皆の大地を焼き、村を踏み荒らし、多くの命を奪った王。
その罪は、砂粒ほどに数え切れぬほど重く、涙と血によって刻まれている。 怒りを抱くのは当然でしょう。恨みを叫ぶのも当然でしょう。
傷ついた者は報いを求める。それも当然でしょう。
しかし━━━━我らが信ずる御方は、罪人に罰を与えるより先に、その魂の深みに救いを差し伸べられる。 王がどれほど悪に染まろうと、その心の奥に、人としての光が完全に消え去ったと誰が言えるでしょうか。
わたしは、この王を赦してやりたいと思う。 王の手が血に濡れているからこそ、赦しを与えるべきではないかと思う。 王が滅ぼした村の叫びを胸に刻みながら、なお「赦す」と告げることこそ、我らが信仰の道であるのではないでしょうか。
人は弱く、間違いを犯す。
しかし、間違いを赦される時にのみ、新たな歩みを始めることができる。 この王が赦しを受け入れるならば、次は血に染まらぬ道を選べるでしょう。
われらは怒りに飲み込まれてはならない。 われらは憎しみに縛られてはならない。
わたしは赦しをもって、王を、そして自らの心をも救いたいと思います。」
集まっている人々を見回すが、その顔は曇っている。
ケントさんが言っていたように、この街にいる人も、本気で神を信仰している人はそこまで多いわけじゃない。
王への怒りや憎しみの果てに、神を信じることで現実から逃れようとした者。団結をするために信仰を利用している者。いつかは王に報復をしたいと思っていた者。
そんな考えを持っている人々の方が多いだろう。
だからこそ、この決断はケントさんの人生を、そして、この場にいる人々の人生も、兵士としてこの街に向かってきた人々の人生も、さらにはその家族の人生すら左右する。
ケントさんの言葉から1分と少し、教会の中から一つの言葉が飛び出す。
「赦せるものか!
そいつのせいで俺の家族は死んだのだ!」
その一声につられるように、教会の内外からケントさんに反対する声が高まっていく。
声の大きさに一歩退くも、ケントさんは歯を食いしばって前に進み、最前列に座る老婆の前に歩み寄った。 その老婆は、滅ぼされた村から逃げ延びてきた生き残りであり、家族を王に奪われた人であった。 ケントさんは声を震わせながら問いかける。 「あなたの息子を奪ったこの王を……わたしは赦したいと宣言した。
しかし、それは正しいのでしょうか?
あなたの痛みを無視してまで、赦しを口にするわたしは……神に仕える前に、人として間違ってはいないのでしょうか?」
普通ならば、自分の発言に責任を持てと言われるだろう。
赦したいと言いながら、赦そうと言ったことは正しいのかどうかという疑問を投げかけているこの状況を批判してもおかしくはない。
しかし、そんな言葉は誰からも放たれない。
皆、ケントさんがどれだけの覚悟で先ほどの言葉を放ったのか、そしてその覚悟の裏にどれだけの悩み、迷いがあったのかを直感的に感じ取っているからだ。
老婆は何も答えず、ただ涙に濡れた目で彼を見返した。
その視線に、僕の心臓は針で突かれるような痛みを覚える。
ケントさんは次に、すぐそばにいた兵士に顔を向ける。
王と、王を守っていた兵士たち数人を見渡すようにして、ケントさんは口を開く。
「あなたに問おう。
罪を犯した者が赦される道を閉ざされたなら、人は再び立ち上がることができるのか。あるいは……償いとは、赦しを与えられることで初めて始まるのか。どちらだと思いますか?」
兵士は拳を握りしめ、しばらく黙していた。やがて、低い声で短く答えた。 「……赦しがなければ、俺たちはただ、呪いの中で朽ちていくだけだろう。」
神父は目を閉じ、天井、いやもっと遠くの遥か先を見て両手を組み合わせた。 「赦しは、ただ王のためではない。
痛みに沈む民の心をも、呪縛から解き放つものなのだろうか……」
神父の声は震えていた。 「だが、主よ……わたしの胸はまだ迷っている。
この王を許すべきか、それとも罰するべきか……。
どうか、答えをお示しください……」
堂の中に、また沈黙が満ちた。 その沈黙の中で、赦しの重さを、人々と神父とが共に背負う時間が流れていく。
「………神の使いよ。あなたたちはどう思われますか?」
その一言で、教会中の視線が僕たちに集まる。
「それは、僕たちが決めることではないのでは?」
一歩進み出て、僕は問い返す。
「いいえ、あなた方がお力を貸してくださらなければ、この街も焼け、多くの命が失われていたでしょう。
あなた方なら、どうするべきかお分かりなのではないですか?」
まっすぐな視線を投げかけてくるケントさんに心を痛めながら、僕はそれでも答える。
「それは、僕たちが決めることではありません。
この街にいる人が、王に大切なものを奪われた人が、自分たちの意思で決断するべきことです。」
「そう………ですね。
ただでさえ助けていただいたのに、私のすべきことまで投げ出そうとしてしまい、申し訳ありません………」
頭を下げた震えるその身体は、今のケントさんの立場の重さを感じさせる。
『ログレン王のこと、どうするのがいいと思いますか?』
つい先日の夜、僕はルーベルナさんに聞いた。
『私自身は、その明確な答えを出すことができません。
ですが、この街に住む人々は250年後、あれだけの街を作り出して平穏に暮らしています。
教会と王城。その二つが同じ場所にあり、その場が王都となっていくつもの人間の生活を支えていました。
あそこで見た未来に進む道を考えるのは、私たちじゃありません。この世界に生きる彼らなのではないでしょうか。』
“今を生きる人たちに任せる”
簡単なようで、簡単じゃない言葉。
それでも、僕たちは見守るしかない。
この時代に生きる人々の強さと、その勇気を。
「俺は、赦さないほうがいいと思う。」
沈黙を破り、そう言ったのはネーバスさんだった。
最前列の1番右の席に、人々の視線が向けられる。
「確かに、人間にはそれぞれ行動理念ってものがあって、相手を叩き潰すことを考えることもそいつなりの理念と言えるだろう。
神父の言う通り、神の使いがこなければ俺たちは皆死んでいた。
しかし今、その人たちは俺たちに決定権を与えると言ったんだ。
だとしたら、何を迷うことがある?」
視線を上げたネーバスさんに、誰も何も返さない。
同意も反対も、どちらもない。
再び静寂が訪れようとしていたところで、ネーバスさんは口を開く。
「これが答えなんじゃないか?神父。」
そう言って向けられた視線に、ケントさんは意味を理解する。
そしてそれを決定づけるように、ネーバスさんが立ち上がり、周りを見渡して言う。
「今この場で、ログレン王を殺してしまえばいいと思う人は立ってみてくれ。
そいつに、手を下す権利を渡すことも考えよう。」
…………………………………
「結局、誰でも人の命を手にかけるのは嫌だと言うことだ。
自分の手で人を殺すことが、どれだけ怖いか。
だったら、この王たちを赦して共に生きていく道を選ぶというのはどうだろうか。」
「そ、それはっ━━━━━━」
ネーバスさんと
同じくらいの歳の若者が立ち上がり、しかし口ごもる。
「言いたいことがあるなら言えばいい。時間はたっぷり残されている。」少し細められた優しい瞳を向けられ、その若者は意を決したように続けた。
「僕は……その王に友人を殺されました。
もう何年も前ではありますが、その友人は頭が良かった。
村からは神童だ天才だと言われるような、尊敬する友人でした。
それを、王は無理やり王都に連れて行こうとした。
彼が僕と一緒にいると言ったら、王は兵士に彼を殺させました。」
唇を震わせながら、その若者は言った。
多くの人は、彼の過去を知らないかもしれない。
しかし、唇、身体、瞳、拳から、誰もが彼の味わった苦痛の重さを感じ取れる。
「つまり、王を殺すことに賛成ということか?」
問いかけたネーバスさんに、その若者は口を閉じる。
「神父は、自分がどうしたいかをはっきりと宣言した。
望む未来があるなら、自分の選択をはっきりと言え。
自分の望む未来は、足踏みしていてはいつまでも来ないぞ。」
その言葉を聞きながら、しかし再び口を開くことはできず、若者はゆっくりと椅子に座る。
「俺も、多くのものを奪われた。
だが、過去に縛られるのではなく、未来に向かう一歩を踏み出した方がいいんじゃないかと今では思う。
過去を払拭するのではなく、受け入れて前へ進む。
正直、これから先どれだけの苦難が待ち受けているかもわからなければ、やはりあの時に殺しておけば良かったと思うときがくる可能性だってある。
それでも俺は、人は変われると信じたい。」
視線を動かしながら、ネーバスさんは言葉を紡ぐ。
「人生に絶望し、何をするでもなく彷徨い歩いていた俺に、大切なものを思い出させてくれた人がいた。」
周りを見渡すようにしながらも、その視線は一瞬、確かにセルフィスさんに向けられていた。
「俺は、その人のおかげで過去の因縁を断ち切り、変わることができた。
さっきはこの場にいる人間の意思を知りたいと思って真逆のことを言ったが、俺はログレンたちを赦してもいいんじゃないかと思う。」
ネーバスさんが口を閉じて座ると、周りの静けさが異様なまでに際立つ。
「私からも、お願いいたします。」
頭を下げた神父様の姿を、人々は歯を食いしばりながら見る。
「俺は………ケントさんに助けられた。なんも言えねぇよ………」
「私も………」
「僕もだ。」
一つ、また一つと声が大きくなっていく。
いつの間にか、座っていた人たち全員が立ち上がり、拍手を送っていた。
ログレン王を見ると、その目からはキラリと輝く一粒の涙が溢れた。
その瞬間だった。
なんの実感も無いように、川に浮かんだ笹舟が進んでいくような静けさの中、ログレン王が目を閉じて倒れ込む。そして、彼に続くように周りの兵士たちも倒れていく。
それを直視できる位置にいる人々が口を閉ざし、周りもその異変に気づいて言葉を発さなくなる。
目を見開き、何が起きているのかわからず僕はすぐに聞く。
「ルーベルナさん、あれは━━━━━」
顔を上げた先には、何も言わずにただ一点を見続けている2人の姿があった。
「セルフィスさんも………どうしたんですか?」
その問いに、誰も答えてはくれない。
背中を、嫌な感覚がひと撫でする。
やっと状況を飲み込んだ数人の人たちがログレン王に駆け寄り、安否を確認する。
「死んでいる………」
誰かの呟きが、聞こえてくる。
いや、まだだ。
魔法が使える僕たちなら、なんとかできる可能性も━━━━━━
一歩踏み出した僕の肩に、微かな感覚が生まれる。
振り返ると、肩を掴んだルーベルナさんが小さく首を横に振っていた。
「な、なんでですか!?
今ならまだ間に合うかもしれない!何が原因でこうなったのかを突き止めれば、対処できることだって………」
「私たちでは、どうすることもできません。」
僕はこの顔を知っている。
僕がお母さんみたいだと言った時のルーベルナさんの顔。
強い思いを持って話さなければならない時の顔だ。
「場所を変えましょう。」
ざわめきが消えない中、僕たち3人はひっそりとその場を後にした。
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