どぶの中の楽園

鈴華圭

第1話 どぶの中の楽園






 何かを睨んでいるような鋭い目。

 折れてしまいそうなほどに細い手足。

 やけに真っ直ぐ伸びた背筋。

 その全てを、愛おしく思う。

 彼に向いたこの想いの名前を、私には見つけられないけれど。

 ただ、そこにいてくれる彼に、手を伸ばす。






 朝。

 布団から這い出ると、すでに隼人さんが朝食を用意していた。トースト、ウインナー、サラダが食卓に並び、その匂いが鼻腔を刺激して脳の覚醒を促す。


「んほー、いい匂い」

「んほーじゃねえ。お前それで本当に女子高生か」


 隼人はやとさんは呆れたように私を見るけれど、女子高生である自覚なんて今の私にはないし。そもそも、人と会う機会なんてそうそうないのだから、品もマナーも私には不要だ。

 マヨネーズを手に取って、トーストにかける。


「隼人さんもいる?」

「いらん。やめろ」


 マヨトーストの魅力が分からない隼人さんは汚物でも見るような目で私を見る。今日も今日とて失敬な男だ。こんな美少女なのに。

 隼人さんは手を洗ってから食卓へ。一方の私は、顔も洗わず寝起きのままの姿で椅子に座り、トーストを口へ運んだ。彼もこの光景は見慣れていて、何も言うことはない。目だけは何かを訴えているように感じるが。


「隼人さん。今何時?」


 時計は後ろにあるのだが、首を回すのが面倒で隼人さんに尋ねる。


「10時」

「あれれ、今日仕事は?」

「ない。今日も明日も明後日も」


 その答えはこれまで何度も聞いたものだったけれど、ときおり彼で遊ぶために尋ねていた。


「30にもなって無職だなんて、あたしゃ情けないよ」

「そういえば、お前が買ったゲーム、届いてたぞ」

「え、やった。隼人さん、あとで一緒にやろ」

「少しだけな」

「引きこもり最高」




 昼。

 ゲームをテレビにつなぎ、互いの肩が触れ合う距離に座って宣言する。


「今日こそは隼人さんに勝ってみせる。新しいソフトだから実力は互角のはず!」

「そうか、頑張れ」


 隼人さんは私の意気込みなど意に介さない。2人で対戦をして、私は勝ったことがない。私がゲーム欲しいと言い出すまでこの家にその類いのものは一切なかったから、隼人さんもさほど経験があるわけではないと思うのだけれど。


「私が勝ったら今夜は隼人さんの布団で一緒に寝る」

「断る」

「いけず。こんなかわいい女子高生と一緒に寝て、おっぱいだって触れちゃう犯罪的なチャンスをみすみす逃すなんて」

「的じゃねえ。それは犯罪だ」




 夜。


「あー寒い寒い」


 手をさすりながら、隼人さんの部屋へ。本を読む彼の温もりを求めて、懐に入り込む。


「おい、邪魔だ」

「寒いんだもの。まさを」

「だものじゃねえ。寒いならさっさと布団に入れ。もうすぐ日を跨ぐぞ」

「えー、もっと隼人さんと一緒にいたい」

「それなら朗報だ。俺は明日も明後日も無職だ。だから今日はもう寝ろ」

「はあい」




 毎日毎日、こんなことを繰り返す。

 私たちはいわゆるダメ人間で。ダメな二人が暮らすそこは世界の最底辺みたいな場所。

 私はそんな場所でも大好きで、楽園のようだとさえ感じていたのだけれど。

 だけどやっぱりそこは、どぶの中みたいな場所だった。





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