ep.2-2 iARTS
あれから1週間が経った。
ひっきりなしに続いていたロボット関連のニュースもようやく落ち着き、東京に少しずつ日常が戻りはじめていた。通い慣れた駅に人の流れが戻り、私の高校も再開された。
葵の願い通りテストは延期されたが、教室内にそれを喜ぶ雰囲気はなかった。
「田中くんがさぁ、ロボットの姿を見たんだって」
「彼女、新宿で命を落としたらしいよ……可哀想に」
「あのロボ、また来るんじゃね?」
休み時間の雑談は、どれも現実味のない怪談じみた話題ばかりだ。机を合わせて弁当をつつく私と葵の耳にも、自然と会話が入ってくる。
「でさ、そのアイアーツ?っていうの、帰っちゃったんだ?」
「うん。私が少し考えたいって言ったら部屋から出てったよ」
「そういうのってもっとしつこく来るのが相場なんだけどねぇ」
「そうなの?」
そうそう、と葵は物知りのように首を縦に振る。
「いつまでも部屋に居座ったり、強制的に車に連れ込んだり……」
「それ誘拐じゃない?」
「そう、誘拐だよ。そうならなくてよかったなって」
冗談めかして言う葵の声に、私の背筋はひやりと冷えた。もしかしたら弟と離れ離れに……なんて未来もあったかもしれない。
「それで、杏子はどうすんの?アイアーツ」
「うん……まだ考え中」
葵はだし巻き卵を箸で掴んだまま、私を凝視する。
「参加したら、またあのロボットに乗るんだよね?」
「多分……そう」
「私、乗ってほしくないなぁ」
え?なんで?と問い直す前に、葵の視線が鋭くなる。言いたいことは分かるよね?とでも言いたげな表情だ。
「だって、杏子に死んでほしくないもん」
「私に?」
「当たり前じゃん、私たち親友だよ?」
私と葵は小学校以来の親友だ。死んでほしくないというのも心からの願いだろう。
でも——窓の外に目を向ける。遠い新宿のビル群が、残酷なほど静かに光っていた。
この平和は、いつまで続くんだろう。
「……新宿、行きたいな」
ぽつりと漏れた私の言葉に、葵はしばらく口を閉ざし、そして短く言った。
「……分かった、行こ」
次の日曜日、私たちはまた新宿に足を運んだ。
倒壊したビルの解体工事は遅々として進んでおらず、現場は無機質な仮囲いで囲まれている。隙間から覗く瓦礫の山やむき出しの柱は、生々しくあの日の記憶を呼び起こした。
「あれ……」
私は思わず足を止め、ひとつのビルを指差した。
「あのビルがどうしたの?」
「……私の白龍が、叩きつけられたビル」
破壊された外壁の形状は、白龍が激突したときの形そのままだった。胸の奥がひやりとする。
「あの“奇跡の一棟”が?」
「奇跡の……?」
葵がスマホを取り出し、数秒で記事を見つけて見せてくる。
『唯一、死者ゼロだった“奇跡の一棟”——その理由とは?』
「ロボットの直撃を受けたのに、犠牲者ゼロ。今ネットですっごい話題」
「……初めて聞いた」
白龍に乗っていたとき、“民間人への被害は発生しない”と誰かに告げられた記憶が、かすかに蘇る。
——あれも、iARTSの技術だったのか。
「すごいよね、あの組織。世界線とか言ってたんでしょ?」
「うん……」
どうして彼らは私を選んだのだろう。
どうして、白龍は“私の手”に反応したのだろう。
そんな考えが胸を渦巻く中、歩道の先に色鮮やかな花束の山が見えた。
献花だ。
「……こんなに亡くなった人がいるんだね」
奇跡の一棟とは対照的に、他の場所では多くの命が失われていた。倒壊したビルの中にいた人、ビルから地面に落下した人、ロボットに踏み潰された人……。
喉の奥が苦しくなる。
もしも、私が光る勾玉にもっと早く気づいていれば?
もしも、黒い物体を見つけた時に警告していたら?
もしも。
もしも。
もしも。
ありとあらゆる仮定が頭の中を埋め尽くす。どうしたら、どうすればよかったのだろうか?
「大丈夫、大丈夫だから」
葵がそっと私を抱きしめる。その腕の温度が、胸に刺さる痛みを少しだけ和らげた。
「杏子は悪くない。悪いのはロボットだよ」
「でも……」
「でもじゃないよ」
葵には全部分かっていた。私がまた白龍に乗ろうとしていることも。
献花の前で手を合わせる。
どうか、もう二度と——そんな想いを込めて。
けれど、その願いは儚く破られた。
スマホがけたたましく震えた。画面には、一度だけ見た番号が表示されている。
——iARTS 中津川。
「橘杏子さん? 中津川です」
「……何の用ですか」
「新たな機体が八丈島近海に出現。現在、東京都心へ時速300kmで接近中です」
「……」
世界がまた、動き出した。
「白龍の整備は完了しています。現在どちらに?」
「……新宿三丁目」
「その地点なら、すぐに転送可能です。——搭乗しますか?」
答えられず、私は葵を見た。
葵はすでに察していた。なんの電話かは、葵も分かっていた。
「ロボット、また出たんでしょ?」
「……うん」
「戦うの?」
「……」
「戦いたいんでしょ?」
「……うん」
私はかすかに頷いた。
「守りたいんだ……この街を、この日々を、みんなを」
「私のことも?」
「それは!……もちろん」
葵はしょうがなさそうに私を見つめる。ため息が聞こえる。
「じゃあ、約束して」
「約束?」
「絶対、ぜったいに、生きて帰ってくるって」
その一言が胸に刺さり、涙が溢れた。頬を伝う涙が地面に落ち、濡れた跡をつける。
「嘘ついたら針千本飲ませるからね?」
「なにそれ……古いよ」
「古くない!」
葵の笑顔には無理があった。それが余計に胸を締めつける。
「……うん。針千本でも何でも飲む」
「よし、それでこそ杏子」
葵は両手を腰に当て、
「いってらっしゃい、杏子」
静かに、けれど確かに言った。
私は葵に背を向け、走りだした。
逃げるんじゃない。向かうんだ。
「——白龍。転送、お願いします」
電話の向こうへ、静かに告げた。
戦うという覚悟を、決意を、意志を。
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