災害妖精が裏庭に即死ダンジョンを作った。迷惑なので屋台を出して冒険者から搾り取ってたら、3柱や竜王まで常連になりました
月神世一
第1話
裏庭が地獄になった日
スローライフなんて言葉は、前世の辞書にも、このマンルシア大陸の辞書にも存在しないのかもしれない。
俺、レン・キサラギ(22歳)は、自宅の裏庭にぽっかりと口を開けた『それ』を見上げて、手にしたジョウロを取り落とした。
「……嘘だろ」
ついさっきまで、そこは家庭菜園だった。
俺が丹精込めて育てたトマトと、そろそろ収穫時期を迎えるナスが植わっていたはずの場所だ。
だが今は、どす黒い霧が渦を巻き、まるで異界の巨人が口を開けたような禍々しい《門(ゲート)》が鎮座している。
その門の頂点に、犯人がいた。
手のひらサイズの、虹色の羽を持つ少女。
災害妖精(ディザスター・フェアリー)、キュルリン。
「にしし! レンのおうちは何もなくてつまんないね! だからキュルリンが『もっとすごく』してあげたよ!」
キラキラと鱗粉――実際には高濃度の魔素汚染物質――を撒き散らしながら、彼女は無邪気に笑う。
「おい、ちょっと待て。これを消せ。今すぐ消せ。俺のトマトを返せ」
「えー? これ自信作なのに! 『深淵の絶望・改』だよ? 入ったら即死! すっごくドキドキするよ!」
「俺が求めているドキドキは、収穫の喜びだけだ!」
「じゃあねー! また遊びにくるねー!」
キュルリンは俺の抗議など聞く耳を持たず、キランッ! という効果音を残して空の彼方へ飛び去っていった。
残されたのは、絶望的に顔色の悪い俺と、絶望そのものみたいなダンジョンだけ。
ゴゴゴゴゴ……と、地面が震える。
門の中から、この世のものとは思えない咆哮が聞こえてきた。
「お、おいレン! なんだありゃあ!!」
騒ぎを聞きつけた村長が、鍬(くわ)を持って走ってくる。その後ろには、顔面蒼白の村人たち。
ここは大陸の辺境、名もなき開拓村だ。
平和だけが取り柄だったこの村に、突如として『超高難易度ダンジョン』が出現したのだ。
「む、村長! 逃げましょう! あんなもんから魔物が溢れてきたら、村なんて一瞬で壊滅ですべ!」
「そ、そうだな! 総員退避だ! 着の身着のまま逃げろぉ!」
パニックになる村人たち。当然の反応だ。
だが、俺は冷静に――いや、一周回って冷めきった頭で計算をしていた。
(逃げる? どこへ?)
最寄りの街までは馬車で三日。
着の身着のままで逃げ出せば、途中で野盗か野良魔獣の餌食になるか、運良くたどり着いても難民としてスラム行きが確定する。
この世界に、セーフティネットなんて親切なものはない。
財産を捨てて逃げること、それは緩やかな死を意味する。
俺は視線をダンジョンに戻した。
鑑定スキルなんて持っていないが、溢れ出る魔素の濃さでわかる。あれは間違いなくSランク以上。
あんなものができれば、数日も経たずに噂は広まるだろう。
――そして、来る。
『冒険者』という名の、金と名誉に飢えた命知らずたちが。
彼らはダンジョンがあれば、火に飛び込む虫のように集まってくる。
そして、この村には宿屋もなければ、武器屋もない。飯屋はおろか、まともな井戸さえ少ない。
需要(ダンジョン)はあるのに、供給(インフラ)が絶望的に足りていないのだ。
「……チャンスか?」
俺の脳内で、そろばんに似た計算式が弾ける。
このダンジョンは消せない。キュルリンが作ったものは、コアを破壊して踏破しない限り消滅しないルールだ。
なら、共存するしかない。
俺は「逃げろ」と叫ぶ村長の肩を掴んだ。
「村長、待ってください」
「レン! お前も早く逃げる準備を……!」
「逃げたら死にますよ。それより、商売(ビジネス)をしましょう」
「は、はぁ!? お前、気が狂ったのか!?」
俺はニヤリと笑った。たぶん、悪徳商人みたいな顔をしていたと思う。
「いいですか。じきに国中から冒険者が押し寄せます。奴らは腹を空かせ、喉を乾かしてやってくる。でも、この辺りにコンビニ……雑貨屋はありません」
「そ、それがどうした!」
「俺たちがやるべきは、逃げることじゃない。奴らから搾り取ることです」
俺は家に入ると、愛用の鉄鍋と、備蓄していた食材、そしてマジックバッグ(容量小・中古品)を引っ張り出した。
幸い、俺には前世の知識と、少しばかりの生活魔法、そして「料理」のスキルがある。
ダンジョン攻略?
そんな命の安いことは、英雄気取りの馬鹿にやらせておけばいい。
俺がやるのは、一番安全で、一番儲かるポジションの確保だ。
「村長、俺は屋台を出します。とりあえず、湧き水を汲んできてください」
「み、水か? そんなもんで何になる!」
「冷えた水一杯、銀貨一枚(千円)で売ります」
「馬鹿な! そんなボッタクリ、誰が買うか!」
「買いますよ」
俺はダンジョンの入り口、その真正面の一等地に杭を打ち込みながら答えた。
「砂漠で遭難した人間は、全財産をはたいてでもコップ一杯の水を欲しがるんです。ここは今日から、地獄への入り口であり……俺たちの『金山』になるんですから」
こうして。
大陸で最も凶悪なダンジョンの目の前に、大陸で最も強気な屋台『レンの店』がオープンした。
最初の客――身の程知らずのCランク冒険者パーティーがやってくるまで、あと三時間。
俺はまだ、この店が後に「世界最強のセーフティエリア」と呼ばれることを知らない。
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