第2話

最初の客と「1杯の水」の価格

 店を構えてから三時間。

 俺の読み通り、最初の『カモ』……じゃなくて、お客様御一行がやってきた。

 街道の彼方から砂煙を上げて現れたのは、四人組のパーティーだ。

 革鎧の剣士、軽装の斥候、杖を持った魔術師、そして神官。

 装備の汚れ具合と、疲労の色が濃い歩き方からして、ランクはCかDといったところか。

「おい……あれ見ろよ。マジであるぞ」

「うげぇ、なんだあの禍々しい門は。聞いてた話よりヤバそうじゃねぇか」

 彼らはダンジョンの前で足を止め、その圧倒的な威圧感に気圧されているようだった。

 無理もない。キュルリンが作ったこのダンジョンからは、直視するだけでSAN値が削れそうな瘴気が立ち上っている。

 彼らが恐怖で帰ってしまう前に、俺は声を張り上げた。

「いらっしゃいませ! ようこそ、『レンの店』へ!」

 俺の声に、四人がギョッとしてこちらを向く。

 ダンジョンの真正面、死の領域の入り口から徒歩五メートル。

 そこに、手作り感満載の木の屋台と、エプロン姿の男が立っているのだから驚くのも無理はない。

「は? 店……?」

「おいおい、正気かよ兄ちゃん。こんな場所で何してんだ?」

 リーダー格らしき剣士が、呆れ半分で近づいてくる。

 喉が鳴る音が聞こえた。彼らの唇は乾ききっている。

 ここに来るまでの道のりは、日陰のない荒野だ。水筒の中身なんてとっくに空だろう。

「見ての通り、軽食と飲料を提供しております。ダンジョン攻略前の腹ごしらえに、キンキンに冷えたお水はいかがですか?」

 俺はカウンターに置いた木樽を軽く叩いた。

 中には、生活魔法で作った氷と、村長に汲んできてもらった湧き水が入っている。

 外気との温度差で、木樽の表面にはじっとりと水滴が浮かんでいた。

 それを見た瞬間、剣士の目が釘付けになる。

「み、水か……。悪くねぇな。一杯もらおうか」

「はい、ありがとうございます」

 俺は木製のジョッキに水をなみなみと注ぐ。氷がカラン、と涼やかな音を立てた。

 剣士が手を伸ばす。

 俺はその手を遮るように、空いている掌を差し出した。

「お代は先払いです。一杯、銀貨一枚(千円)になります」

 その場の空気が凍りついた。

「……あ?」

 剣士の顔から笑みが消え、代わりにドス黒い怒気が浮かび上がる。

 後ろにいた仲間たちも騒めき出した。

「ふざけんな! たかが水一杯だぞ!? 街の酒場なら銅貨一枚(百円)もしねぇぞ!」

「足元見てんじゃねぇぞコラァ!」

 剣士がカウンターをバンッと叩く。

 普通の村人ならここでビビって謝るところだろう。

 だが、俺は営業スマイルを崩さない。これは予想通りの反応だ。

「お客様、仰ることはもっともです。ですが、ここは街の酒場ではありません」

 俺は周囲の荒野を指差した。

「ここは最寄りの街から馬車で三日かかる辺境です。ここまで水を運び、冷たい状態を維持するための『氷魔法石(代用品)』のコスト、そして私がここで命懸けで店を開く『危険手当』……それらを含めた適正価格が、銀貨一枚なのです」

 嘘である。

 水は裏山からタダで汲んできたし、氷は俺の魔力(0円)で作った。

 だが、彼らにそれを知る術はない。

「それに」と俺は畳み掛ける。

「もし高いと思われるなら、買わなくても結構ですよ? ただ、このダンジョンの中に入れば、水場がある保証はありません。脱水症状でパフォーマンスが落ちれば、命に関わりますが……その命の値段と、銀貨一枚。どちらがお安いですか?」

「ぐっ……お、お前……!」

 剣士は言葉に詰まった。

 喉の渇きという生理的欲求と、死への恐怖。

 その二つを天秤にかけられれば、答えは一つしかない。

「……クソッ! わかったよ! 出せ!」

 剣士は忌々しげに銀貨を叩きつけた。

 チャリン、という小気味良い音。

 俺はすぐさまジョッキを渡す。

 剣士はそれをひったくり、一気に煽った。

「ぐ、ごくっ、ごくっ……ぷはぁっ!!」

 空になったジョッキを置いた剣士の顔は、さっきまでの怒りが嘘のように緩んでいた。

 炎天下で飲む、氷入りの冷水。

 その暴力的なまでの美味さは、何物にも代えがたい。

「……う、美味ぇ」

「リーダー、ズルイよ! 私にも!」

「俺もだ!」

 リーダーの反応を見て、他の三人も次々と銀貨を出してくる。

 俺は手早く水を注ぎ、売上を回収する。

 原価ほぼゼロの水が、わずか数分で銀貨四枚(四千円)に変わった。

 農作業をしていた頃の日当の数倍だ。

(……ちょろい。これだから独占市場はやめられない)

 俺は内心でほくそ笑んだ。

 水分補給を終え、人心地ついた彼らは、意気揚々とダンジョンへ突入していった。

 「見てろよ、お宝持ち帰ってやるからな!」と捨て台詞を残して。

 ◇

 ――数十分後。

「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」

「死ぬ! 死ぬぅぅぅ!」

 先ほどの四人組が、文字通り転がり出てきた。

 鎧はボロボロ、神官は腰を抜かし、剣士は剣が折れている。

 命からがら逃げ帰ってきた、という表現がぴったりだ。

「ぜ、ぜぇ、はぁ……なんだあそこ……入り口のコウモリすら強すぎる……!」

 彼らは入り口付近のザコ敵――といってもBランク相当の魔獣だ――に遭遇し、一瞬で心を折られたらしい。

 だが、彼らの手には戦利品が握られていた。

 入り口付近に落ちていたと思われる、魔獣の牙や、何かの鉱石だ。

 俺はすかさず声をかける。

「お疲れ様でした。……そのお荷物、重そうですね?」

 彼らはビクッとした。

 心身ともに限界の彼らにとって、重い素材を持って三日かけて街へ帰るのは苦行だ。かといって捨てるのも惜しい。

「よろしければ、当店で買い取りますよ? 街の相場よりは『少し』安くなりますが、ここで荷物を軽くして帰れるならお得かと」

 俺の提案に、剣士は縋るような目で頷いた。

「頼む! 買ってくれ! もう一歩も歩けねぇんだ!」

 俺は彼らが命懸けで拾ってきた『魔鉄鉱の原石(相場:金貨一枚)』を、『銅貨十枚(千円)』で買い叩いた。

 彼らは「ありがとう!」と感謝して去っていった。

 夕暮れ時。

 俺は手に入れた素材と、売上の銀貨を並べてニヤニヤしていた。

「水売って、素材を安く買い叩く。……完璧だ」

 だが、俺はまだ知らなかった。

 次の客が、小銭稼ぎなんてレベルじゃない、とんでもない『大物』であることを。

 ズシン、と空気が揺れるような足音が聞こえた。

 冒険者じゃない。

 もっと野生的で、強大な何かの気配。

「……おい。いい匂いがするじゃねぇか」

 屋台の前に立ったのは、半裸にジャケットを羽織り、銀色の髪を逆立てた、目つきの悪い青年だった。

 その首には、鎖のようなジャラジャラとしたアクセサリー。

 そして瞳は、獲物を狙う獣のように金色に輝いている。

 俺の本能が警鐘を鳴らす。こいつはヤバい、と。

 だが、俺の商人魂はこう叫んでいた。

 ――こいつ、金持ってそうだな、と。

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