代償
『浄』
空が光った。
ドガァァン
ゴミが散乱した中梁層の路地裏、耳をつん裂くように稲妻が落ちる。転がって潰れた空き缶の中までも照らすほどの閃光。妖気が消滅した。陽光が差したような暖かさが、リョウに沁み込んで行く。
「うわ、不快ぃ。」
「自分が穢れてるって証拠や。」
妖気が消え去り自分に不利になった空間の中、真水に浸された貝のように自分が侵されているのが分かる。
「穢れてるって酷いな
ジャリッ ガッ
瞬間、スニーカーが錆びた地面に擦れる音が響く。海里が逃げ出した。
【直れ】
相手の動きを封じる言霊。清浄な空気の中、これを放ったリョウの喉がひりつく。応戦は無理。逃げに専念するべきだと、狐らしくズル賢い脳は弾き出した。安倍晴夜、湿禍暗を牛耳るだけの権力を手に入れた陰陽師。出会った瞬間に全滅していないのが奇跡だった。
「何突っ立ってんだ!逃げろ!!」
下駄の歯が欠けるのも構わず、振り返ったリョウの視界に映る人影。未だ棒立ちしている千樹に怒号が飛ぶ。
「逃げ…?」
戸惑ったように途切れた声。咄嗟の判断が極端に苦手な、世間知らずの龍族。戸惑ったように、助けを求めるようにリョウを見上げる。
「っ、」
済んでのところで飲み込んだ舌打ち。青色の着物を掴んだリョウの腕に血管が浮かぶ。
「ちょっと! 何するんですか!」
「逃げろって、──!?」
スパッと、自分よりも長身の龍族を投げ飛ばした瞬間、飛んでった手首。どっかの酔っ払いの吐瀉物にべちゃりと落ちた。痛みを知覚する前に噴き出る血。流れ出る一滴一滴がスローモーションで流れる中、千樹が泣きそうな顔で走り去るのが見えた。
「…うっそでしょ」
らしくもなく揺らぐ己の声。本能が拒む中、無理矢理振り返った先。趣味の悪いスーツに身を包んだ安倍晴夜の殺気がリョウを刺した。吸った空気が嫌に冷たい。
「軽口に混ぜて言霊を使うたな。」
「…ご名答ぅって言いたいとこだけど、そんなに早く解けちゃう感じ?」
「アホなこと言うなや。ハナから何ともあらへん。」
「はいはい俺は格下ですよってね。ムカつく人間だこと。」
言霊は、実力差があり過ぎれば効果を発揮しない。
「いつまでそんな軽口叩いてられるか楽しみやわ。」
『浮紙』
無数の紙人形が現れ、羽虫のように飛び回る。避けようにも、一塊になったそれは生き物のように捩れ動き、リョウを覆った。
「すぐ楽にしてやるからな、無駄なこと考えるんちゃうで。」
紙が纏わりつき、締め付けられる感触。耳から尾まで隙間なく突き刺さる、全身の毛を一度に抜かれるような痛み。抵抗すれば、手足が捻じ切れるとわかる。
『断』
一瞬の間。直後に熱くなる全身。身体中が捩れる音なんて、初めて聞いた。
海里は逃げ出した。リョウが会話に混ぜて言霊を使ったと気付いた時には足が勝手に動いていた。呼吸も、心臓も、思考さえ乱れる。足がもつれ何度も転ぶ。
「ひひっ」
海里は興奮が抑えられなかった。子育て中の母熊のように、出会えば死ぬと言われる存在。
リョウとかいう妖狐を犠牲にして。千樹などというふざけた龍族を置き去りにして。罪悪感など無い。自分の身は自分で守れという鉄則。死にたきゃ死ねばいい。誰かを庇いたいのなら庇って死ねばいい。自分の知ったことではない。
「は、はは。ははは!」
佳代を見つけた通り。夏祭りの後片付けも終わり、人通りが減った場所で海里は全身を芯から震わす。ここまで来ればあの男も追ってこない。ここは管理局の拠点近く。いくら最強といえど迂闊に近寄れまい。生きている、心臓が動いている。最高だ! 海里が叫ぼうとした時、無線機が震えた。
「ぁんだ?」
今、最高にいい気分なのだ。仕事なんかやってられない。無線機を乱暴に掴み、投げようと振り上げる──
「投げるな。」
「!?」
無線機から聞こえた声。海里の耳は、それが武下のものだとすぐに気付く。興奮が一瞬で覚める。冷水を被ったように。
「報告。」
たった二文字。それでも有無を言わせない圧。何があったか報告しろと。管理局はすでに何か起こったと気付いているらしい。
「…あいつ、安倍が出たんだよ」
無線機の向こう、武下が黙る。僅かに聞こえてくる硬い音が、何か書いていることを知らせる。
「二人は。」
「俺だけ逃げ、」
言い終わらぬうちに、ブツと切れた無線。
「クソ…」
冷めてしまった興奮に、何となく手持ち無沙汰な感覚。投げかけた無線機をポケットに戻し、海里はどこに行くでもなく歩き出した。丁度良いゴミ箱があれば、蹴飛ばすのも忘れずに。
「痛くしないでって言ったよねぇ?」
霞む視界の中、呼吸の度に痛む肋。焦げ臭さ漂う中、リョウは目の前の男を睨みつけた。詐欺師のような風貌の陰陽師。ちゃり、と揺れるピアスが憎たらしい。
「しぶとく生きようとしやんかったら痛なかったのに。狐火なんか使いよって。」
「はは、まぁ、確かに?」
半笑いで返してやる。本気で出した狐火でも紙人形を全ては燃やせなかった。灰になりきらなかった人形が、鬱陶しくリョウに纏わりつく。
「それ、わろてるつもりか? ヘッタクソやなぁ。なんか辛いことでもあったん?」
「誰かさんに乱暴にされちゃったもんでね。」
「そらかわいそうにな。」
こっちは満身創痍だというのに、髪を弄りながら返してくるのが何とも気に入らない。
「可哀想やから早めに終わらせたるわ。今度はちゃあんとな。」
パチン、とこちらに向けられた指。糸で縛られたように、体が動かなくなる。堪らず、膝をついた。
「死ぬ前にこれだけ教えてくれや。武下律はどこにおる? ほんまは生きてるやろ。」
安倍の糸目がこちらを捉えた。リョウは首を傾げる。
「いぃや? 反環の術であっけなく逝っちゃったよ。」
「あの男がそないに簡単に死ぬとは思えへんが」
「ね。俺もびっくり。」
「…ま、相棒がこないに痛めつけられてるのに一向に姿を見せへんってことは本当みたいやな。睡眠も食事もろくに取らされへんかった上層部の失態や。」
「同感。」
「そろそろ黙り。」
「やぁだね。」
「はぁ…」
ため息。
『呑妖』
安倍が呪文を唱えた。血が抜けた身体から、妖気が抜けていく。溢れていく。集中し、妖気を体内で循環させたところで、割れた水槽から流れ出る水のように、止まるわけもなく。
やがて、ふわりと軽くなるような、それでいて倒れ込みそうになる感覚。酷く酔った時のようだが、案外悪く無い。リョウの瞼が、ゆっくりと落ちた。
『リョウ!』
随分と懐かしい声がする。遠のく意識の中、こちらに微笑む人間。あれから何年経ったのか。人間なら、玄孫が生まれてもおかしく無い年月。
『待ちくたびれたよ。』
不貞腐れたように口を膨らませる仕草が懐かしい。愛おしい。
『妖狐の割には早かったでしょ?』
『人間にとっては長かったですぅ。』
『退屈だった?』
『秘密。』
『ははっ。』
お待たせ、と彼女に触れかけ、やめた。
『リョウ?』
己の名を呼ぶ彼女から、一歩、距離を取った。
──まだ死ぬなと引き止められた気がして。
「やっぱりまだ生きとったな。」
安倍が言い放つ。意識をなくし、目を閉じたリョウの首を乱暴に持ち上げる手に開いた穴。赤いスーツから赤が垂れる。
「油断させようてか。狡い手をつこたな。」
見上げる先には、銃を構えた武下がいた。ネオンぎらつく看板の上、彼が向ける銃口からは煙が上っている。黒いスーツに黒ジャンパー。遠くからでもわかる痩せた体躯。鮮やかに照らされた顔は、いつも通り無表情を浮かべている。
「だんまりか。」
安倍は痛む腕を撫でる。次の瞬間には、血が止まっていた。撫でた方の手に、何かが握られている。
「お返しや。」
握られた何かを空中に投げた。眉間に狙いを定め飛ぶそれは、弾丸。
キン
武下はそれを難なく銃の持ち手で跳ねた。落ちた弾は錆びた地面と火花を散らす。
「なるほどな、そうなるんや。」
武下は何も言わない。何も言わずに看板から飛び降りた。安倍を捉える、黒く何も写さない目。
風で揺れる伸びた髪が、唯一の生命らしさだった。
ダンッ
武下の足と、安倍の腕がぶつかり合う。
「噂通りの能面ぶりやな、自分。」
安倍が笑いかけても、武下の表情はピクリともしない。
「気味悪いな。」
安倍が腕を振れば、武下は飛び退いた。直後、そこに斬撃が走る。転がっていた弾が二つに割れた。武下がもう一発撃とうと、安倍に狙いを定める。
「させへんよ。」
ドカ、と鈍い音。安倍が武下の手を蹴り上げた。
弾かれた手から、カランと音を立て銃が溢れ落ちる。
「危ないわ。」
次の瞬間には
「何気に、箱子とやり合うんは初めてやな。」
安倍はリョウを捨てるように投げた。ぐしゃ、と湿度の高い音。ポイ捨てされたゴミのように叩きつけられ、だらんと垂れた耳。橙色の着物は、とっくにグロテスクに染まっている。
「初めまして、武下くん。優秀な箱子とやり合えて光栄や。」
「…」
「なんか言うたらどうや。」
そう溢しながら、取り出したハンカチで手を拭う。その隙を武下は見逃さない。即座には反応しにくい足元目掛け、距離を詰める。低い姿勢で、足払いを仕掛けた。
「やめろ。」
ドッ、と重い音。振り上げられた影に踏み抜かれる。とっさに庇った腕ごと、上から潰された脇腹。左腕が不自然に曲がり、内臓がひしゃげた。
それでも、人形のように眉ひとつ動かさない。
「ほんまに胃空っぽなんか。普通吐くもんやぞ。」
胃を押し潰されても嘔吐することなく、武下は立ち上がった。
バン! バンバンバンバン!
次の瞬間、銃声。弾き飛ばされた銃が、右手に戻っていた。装填されている限りを一気に放つ。肉弾戦は無謀。銃も、一発二発では何にもならない。看板から撃った時だって、間違いなく頭を狙っていた。それなのに、安倍に当たる直前で軌道がズレた。
まさに、規格外。
ガァン
突然、衝撃と共に空中に放り出された身。武下の体は劣化し歪んだ鉄骨に激突した。
「げぁ...」
肺が潰れ、意思に反して漏れる声。腰のあたり、何かが駄目になる感触。
逆さになった視界。その先にあるブレた光景安倍晴夜は傷一つ負っていない。確かに命中するはずだった弾は、その全てが届くことなく落ち、歪んでいた。
次の瞬間、衝撃。振動。激痛。頭から落ちた。受け身すら取れずに。ぐねん、と首が曲がる感触。辛うじて、折れなかった。
視線を動かせば、汚れた着物が目に入る。辿っていけば、リョウの顔がある。ベタつき乱れた髪に隠れた目、下半分しか見えない顔。いつもの上げられたそれと違い、下がり、半開きになった口。
普段やかましく何か言ってくるそれが、止まっている。何か感じるわけではない。ただ、慣れなかった。
「終いや。」
指輪の汚れを拭いながら、こちらに近づく気配。カツカツと歩く度、振動が響く。悟られないよう、リョウの方を向いたまま神経を研ぎ澄ませる。
何も、無策に飛び込んできたわけではない。勝算がなければここに来ていない。武下は最後の札に手をかけた。するり、と袖から引き出したものを握り込む。
チャンスは一度きり。
まだ、まだ。
もう少し。
あと三歩、
二歩、
一歩。
止まった。勘付かれたか。いや、そんなわけがない。
カツ、と最後の足音。それが鼓膜に届いた瞬間、武下は動いた。右手を安倍晴夜に叩き込む。捻挫した足も、凹んだ骨盤も、折られた左腕さえもこの一瞬のために酷使する。腱が千切れようと知ったことではない。
「悪足掻きする体力が残っとったんか。」
呆気なく、左手で止められた右手。ボキボキと細かな音を立て、握りつぶされる。叩き込むことさえ許されず、唯一無傷だった右手までも壊された。
だが、それで良い。
「…自分、何握っとる。」
離された手。
ぱさり
潰され、握ることができなくなったそれから、一枚の紙が落ちる。掌ほどの面積に、両面びっしりと書かれた文字。
反環の術、その術式。
「やりよったな。」
安倍は、落ちた紙をグシャリと踏み躙る。されど、もう遅い。
安倍が己の手を不愉快そうに遠ざけた
その刹那──
──左手が爆ぜた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。管理局に貢献するためだけに育てられる。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。身体能力や術への耐性が異様に高く、戦闘能力に長ける。
教官として局員養成も行なっている(鬼教官)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた箱子。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から軽い男と評されているが、他人に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが、まともにやってない。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。勘がいい。
千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身のお坊ちゃん。訓練生から仮入局の身になって数十年。
安倍晴夜 33歳 161cm 人間
糸目、黒い長髪
人類最強。激しい人類至上主義。妖の血を含む存在も、妖の肩を持つ存在も嫌い。
大阪弁。アクセサリー沢山。
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