陰陽
「お、当たり?」
そこにいたのは妖狐だった。
ニヒルな笑みを浮かべ、気怠げに立っている。
黄色い着物に勾玉円紋の羽織、
ふさりとした尾が揺れる。
「予想はしてたけど、案の定だねぇ。」
殆ど食べ終えた綿飴をくるくると回し、やれやれと首を振る。
その動作一つ一つが、カオスを薄めていく。
海里の荒くなった息も収まっていく。
「リョウさん...」
千樹が罰が悪そうに呟く。
「まったく、初任務で俺の仕事を増やすとはやるねぇ。」
まぁ無表情君に押し付けるから良いんだけど、と
目を細めながらこちらに近づいてきた。
「申し訳ありません。」
「ホント。」
千樹の謝罪に溜め息をつくように返し、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
「局員同士言い争ってるって通報があった時の無表情くん怖かったよ。
後で絞られても知らないからね。」
顎を上げて放たれたその言葉に、海里の背筋が凍った。
「わたあめ...」
海里が冷や汗を流す一方、
佳代はリョウの手に握られた綿飴に釘付けになっていた。
口からよだれを垂らし、目は輝き、
一口だけ串に残ったそれを映している。
ごくり。
「わわ、危ないよ。」
千樹の制止も聞かず手をのばす。
綿飴まであと数センチ。
「あ...」
もう少し、あとちょっとで届くというところで
綿飴がリョウの口へ消えてしまった。
「じゃ、行こうか。」
「行くってどこにですか?」
「母親探し。」
優しいから手伝ってあげる、と歩きだした背中に
わざとだろうな、と幼心に思う佳代だった。
「おぃ全然見つかんねぇじゃねーか。てめぇの鼻は飾りかよ!」
「慌てなーい慌てない。はぁーあ...短命種は短気で困っちゃうね。」
「あぁ!?」
店じまいをする屋台がちらほらと出てきた通り。
海里の怒鳴り声が響く。
先頭を歩くリョウは時折鼻をならし、軽い足取りで進んで行く。
その度に揺れる尾が、とてもふさふさで──
「わんちゃん、さわらせて!
ねーえ、ねーってば!」
──佳代がはしゃいでいた。
千樹の腕から転げ落ちそうなほど手を伸ばし、前を歩くリョウの尾に触れようとする。
「〜♪」
リョウは鼻歌を歌い、まともに相手をしない。
振り返りもせず煙管を片手に歩く。
目を瞑り、煙を一度飲み込むようにして吐く後ろ姿は不安になるほど本心が掴めない。
「うーん...わかんなくなちゃった!」
中梁層の通り、人気のなくなった通りの一角。
壁が迫る圧迫感の中、リョウは突然声を上げた。
「え?」
見開かれた千樹の目。
リョウはそれを見て、間抜け面、と笑いそうになる。
自分を抱える腕から力が抜けたのだろうか、佳代は慌てて着物にしがみいていた。
「はぁ!?じゃあ今までの時間、何だったんだよ!!」。
「あー、無駄ってやつ?」
苛立った怒鳴り声。
にぱっと笑みを浮かべてやれば、ぎり、と聞こえてきた音。
それは歯が擦れたものか、爪が皮膚に食い込んだものか。
「はは、めちゃキレ。」
この短気な人間は、揶揄えば揶揄うほど顔を赤くするだろう。
リョウの悪戯心をここまで満たすとは、武下とは大違いだ。
「ふざけないでください。」
「俺だって悔しいよ?でもどうしようもないねぇ。」
リョウの手が佳代に伸びる。
千樹は咄嗟に避けた。たたらを踏む足がカランカンと音を立てる。
「何をするつもりですか...」
「ちょっとね。」
「答えてください。何をするつもりですか。」
「ひみつ。」
煙管をとんとんと掌で叩けば、ぱらぱらと灰が落ちる。
下を向いたことで伏せ目がちになった顔からは何も読み取れない。
千樹は佳代を抱く手に力を込めた。
「秘密、じゃなくてちゃんと言ってくれなきゃ分からないです。」
正直な世界で生きてきたからこその発言。
言い終わると同時に煙管が懐に仕舞われた。リョウの口が横に広がる。
千樹の心臓が波打った。
『狐火──『龍水!』
佳代に迫る炎に咄嗟に被せた術。
その顔が熱さに歪む直前、己の水渦が炎を飲み込んだ。
ジャっ、と術がぶつかり合う。
胸が痛むほどに血が昇る。口がわななく。
確実に殺すつもりだっただろう。こんな幼い人の子を...。
「なんの真似ですか!!」
怒鳴るのに慣れない喉が締まる。
「こわいぃ...やだぁ...」
「大丈夫だよ。」
咳き込みそうになるが、佳代を不安にさせないよう必死に押さえ込んだ。
「まぁだ分かんないの?」
水蒸気で余計に湿っぽくなった空気の中
呆れたような声と共に、リョウは人差し指を顔の前で立てた。
読めない行動に、千樹の喉が音を立てる。
「まず、俺の綿飴を取ろうとした。ちゃんと躾を受けてる閑黄朝出身の子とは考えにくいでしょ。」
それがどうしたと疑問を持つ前に、指が二本に増える。
「次に、俺のことをわんちゃんって言ったね。中梁層出身なら、妖狐を知らないとは考えにくい。」
確かに、中梁層を歩けば必ず妖狐を見かける。
三本目の指が立つ。
「じゃあ蛾骸下層?まさかまさか、そんなわけないよねぇ。身なりも肉付きも良すぎる。」
「それがどういう──
「湿禍暗の連中ってことかよ。」
海里が割り込んだ。その顔には警戒が滲む。
「そうそう!ご名答ぅ」
「流石やなぁ。消去法でバレてしもうた。」
突然、よく通る、高めの男の声。
「っ!」
聞き慣れないそれに、海里は背後を取られたことを察した。
振り返らずとも伝わる、圧倒的強者の気配。
詰み。
武下をも凌駕する圧迫感に、そんな諦観が浮かぶ。
自分越しに背後の存在と向き合うリョウの顔から、一瞬で余裕が消えた。
「どちら様ですか?すみませんが今取り込み中で」
唯一状況を理解していない千樹が、苛立つほどもどかしい。
これだから金持ちは──
「そないにカッカせんと。」
「...!」
とん、と肩に置かれた手。ただ添えられただけで、刃物を突きつけられたかのような緊張感。
下手に動けば確実に首が消える。
「鼻息が荒くなっとりまっせ。リョウはん、こんな新人でよろしいんでっか?」
「あれ、初めましてだよねぇ?俺のこと知ってるんだ。ストーカーってやつ?」
リョウの口角は再び上がっていた。だが、目は笑っていない。
「そうそう。毎日同じところで待ち伏せしてな、って阿保か。
有名でっせ?あの武下くんと仲良うしてる妖狐がいるって。」
「武下教官のご友人なんですか?」
──はぁ?
海里はすんでのところで怒鳴り声を飲み込んだ。
この阿保龍族の脳みそはどうなっている。どうしたらそんな呑気な発想になる。
「んなわけあるかいな。」
肩に置かれた手が離れる。男との距離が開いた。
無意識に止めていた呼吸を再開する。急に入ってきた空気に、肺が痛んだ。
「佳代、」
男は海里を通り過ぎ、千樹に近付いた。
糸のように細められた目、ピアスだらけの耳、葡萄酒で染めたようなスーツ。
その項から覗く炎のような刺青を見て、海里は後退った。こいつに敵うわけが無い。
阿部晴夜、十龍城砦最強と謳われる陰陽師。
湿禍暗にいた頃、何があってもアイツにだけは逆らうなと囁かれていた存在。
どんな大物も、阿部晴夜の指先一つで態度を変えた。
「こっち来なはれ。そないなとこにおったら穢れてまう。」
涙目のまま、佳代は動かない。
千樹の胸に隠れるように顔を埋めてしまった。
その間も消えることのない殺気。
海里の頭に、いっそ阿部に媚びを売ってしまおうかと言う考えが浮かぶ。
だが、武下の殺気がしたような気がしてすぐに振り払った。
「佳代ちゃん、パパが呼んでるよ。」
「やだ。」
平和ボケしたお坊ちゃんは呑気に佳代を説得する。
男と正面から向かい合う千樹には頸の刺青が見えないから仕様がない、と海里は自分に言い聞かせる。
見えたところで篝火だと気付くか怪しいが。
「何か怖いことされてるのかな?」
どうしてこの状況でそんなことを聞く。男を刺激したらどうする。
今すぐに角をへし折られたって不思議じゃない。
「され、て...」
「佳代。」
男の声が一音下がった。
「いつまで汚い連中に引っ付いとんねん。虫唾が走るわ。」
佳代は恐る恐る顔を出し、男を見つめる。
「あの、一応毎日水浴びしてるので汚くは...」
「自分さっきからピーチクパーチク五月蝿いねん。舌引っこ抜かれたなかったら黙っとけ。
佳代、ええ子やから。はよこっち来い、な。」
これ以上は許さない、と冷酷さを孕んだ声。
佳代は俯き、口を固く結んで千樹の腕から降りた。
流石に状況を理解したようで、千樹も何も言わない。
ただ助けを求めるように海里を見つめてくる。
こっち見んな。気色悪い。
佳代が一歩一歩男に近付く。
「ちょっと待った。」
それまで静観していたリョウが、佳代の腕を掴んだ。
「汚い手でその子に触るなや。」
「ひどいこと言うねぇ。俺傷ついちゃった。」
「噂通りのやかましさやな。」
男は溜め息をついた。
「はよその手を離せ。」
「お断りぃ。この子を渡したら俺たち死んじゃうでしょ?」
「よう言うわ。自分かて佳代を殺そう思うとったくせに。」
「危ない芽は摘んでおかないとねぇ。」
「武下くんおらんくなってから余計慎重になりやがって。」
「反環の術だっけ?趣味悪いよねぇ。想定外ってやつ。
自慢の箱子を殺されちゃったからね、上層部も面子がないよ。」
「面倒くさ。いてこますんやなくて弱体化ぐらいにしとくんやったわ。」
「はは、後悔先に立たずな感じ?」
「うっさいわ。」
男は札を取り出した。指で挟んだそれに何かを唱えれば、墨で書いた文字が浮かび上がった。
「なぁに、それ。」
「安心せぇ。今すぐ相棒に会わせてやるから泣いて喜ぶんやで。」
「そりゃどうも」
リョウも胸の前で印を結ぶ。
カタ、と音を立て鼠が逃げ出した。
「痛くしないでよ?」
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十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。管理局に貢献するためだけに育てられる。
リョウ 200〜300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から軽い男と評されているが、他人に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが、まともにやってない。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層〜湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。勘がいい。
千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身のお坊ちゃん。訓練生から仮入局の身になって数十年。
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