第2話 胃袋を潰す聖女
イヌカフェ・ネコカフェの騒動以来、真衣とは顔を合わせていなかった。
あの時のドジっ子ぶりと、必死に仲裁しようとする真面目さが妙に印象に残っていて、俺の中では“真面目なのにどこかズレてる娘”というイメージが強い。
ある日の午後。母に頼まれてスーパーへ買い物に出た帰り、本屋の前で真衣に出くわした。
「……あ、タダシくん?」
驚いたように目を丸くする真衣。
「久しぶりだな。イヌカフェ以来か」
「うん、あの時は……大変だったね」
実は今日、俺の家でハロウィンパーティーがあり、セコが真衣を招待していた。
「そういえば、セコから連絡来てたろ?今日、うちでパーティーやるって」
「うん……でも、タダシくんがいるって聞いて、ちょっと安心した」
(安心?──あ、なるほど。付き合いの長い俺がいることが“安心材料”になってるのか)
歩きながら、俺は真衣の袋に目をやった。
「それ、参考書?」
「うん。教師になりたいから、少しずつ勉強してるの」
意外な答えに俺は足を止めた。
「教師か……すごいな」
真衣はうつむきながら語る。
「私、小学生の頃ね。テストの点が悪くて、クラスメイトから“頭悪いよね”って陰口を言われたことがあるの……」
「……それはきついな」
「うん、すごく悔しかった。私の家が母子家庭で、お母さん夜遅くまで働いてて……。
だから私が家事や末っ子の面倒を見てたの。
だけど、ある年の担任の先生がそんな私を察してくれて──“私は悪くない、努力は必ず報われる”って励ましてくれたんだ」
「先生、いい人だな……」
「その言葉が心に灯みたいに残って……だから私も、子ども一人ひとりに寄り添える教師になりたいって思ったの。お母さんを早く楽させたいから」
「……真衣、すごいよ。家のことも将来も。
俺なんか進路も決められてないのに、夢をちゃんと持ってるんだな」
「ありがとう。でもこれは二人だけの秘密ね」
「なあ、真衣?公務員試験とか大丈夫か?」
「うん、先生がワンツーマンで教えてくれてから自信がついたの」
「“ワンツーマン”じゃなくて“マンツーマン”な。先生、犬にされちゃってるぞ」
「えへ♪ そうだね」
俺たちは笑い合った。
「ところで、教師になりたいって……結婚した後も続けたい夢なのか?」
「ん……それは、秘密♪」
「秘密ってなんだよ」
「ねえ、ここから家まで競争しよ?」
「あ、ちょっと待てって……真衣ー!」
*
家に着くと、セコとににが待ち構えていた。
「タダシくん、遅いわよ!清楚スマイルの魔女姿で待ってたのに!」
「主張するのは清楚か魔女か、頼むからどっちかにしてくれ」
「兄貴!見ろ、このゾンビメイク!」
真衣は吹き出した。
「二人とも……すごいねー!
特にににちゃんの血糊、ケチャップだよね?それに──マネヨーズも使ってない?」
場の空気が一瞬で凍りつく。
(いやいや真衣、一番すごいのは、その規格外な言葉のチョイスだから……)
それから──俺は買い物袋を置いた。
「さあ、ハロウィンパーティーの始まりだな」
そして俺が腰を下ろした瞬間──ボフッ!
白い粉が舞い上がり、俺は真っ白に。
「うわぁぁぁ!ゲホゲホ!」
「兄貴がゾンビより進化して雪男になった!」
真衣はタオルを差し出しながら笑いをこらえる。
セコは清楚スマイルで「ハロウィンは変身の夜だから♪」と得意げ。
「くそっ……座っただけで雪男扱いかよ……」
そして、乾杯の後。
「セコ担当のジュースがこれかよ……」
「あら、何かご不満? 健康的でいいじゃ無い♪」
セコは得意気に言う。
「はぁ、お前に期待した俺が馬鹿だったわ」
そう言って俺は『野彩生活』を一口。
「よし、気を取り直して──」
口の中が真っ赤に染まった。
「うわっ!? 血!?」
「兄貴、吸血鬼にジョブチェンジか!」
次の瞬間、舌に激烈な刺激。
「ぐわぁっ!これ……ハバネロじゃねぇか!口から火が出るぅ!」
「兄貴、雪男から吸血鬼通り越してドラゴンに!」
ににはそう言ってスマホを構える。
真衣は慌てて水を差し出すが、肩を震わせて笑っていた。
そして、セコは清楚スマイルで得意気に言う。
「タダシ? あんたのだけ、セコ特製激辛トマトジュースよ♪」
場は爆笑に包まれ、夜は笑い声が絶えなかった。
けれど俺の心の奥には、今日真衣と二人だけで共有したあの“秘密”が静かに灯り続けていた。
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