第7章 警備チーム


 第24世界の移動室は最初に来た時と同じ雰囲気の部屋だった。ただ移動装置が二つ並んでいる以外何もない。係員もいない。移動装置の横づけになっている台に出るときに持ってきた手荷物が並んでいた。もう一つの移動装置にはすでに優愛が到着していた。

 緑川は手荷物を確認し、装置から降り、優愛が降りてくるのを待った。

「大丈夫ですか?」

「問題ないと思います」

「出かけるときに持っていたものはすべてありますか?」

「バッグもあるし、全部ありますわ」

 部屋から出るドアは一つしかない。ここはどこかをスマホのマップで調べると、最初来たところに近い海岸通り駅から北の山の中だ。

「それでは出ましょう。いろいろお手伝いありがとうございました。優愛さんがいなかったら、僕は死んでいました」

「いいえ、それはこちらの言葉です。緑川さんがこの世界を救ったんです。もうお会いすることはないかもしれませんが、怖いけど楽しい時間でした。ありがとうございます」

「僕もすごく怖かったけど少し楽しんでいる部分もありました。ではお元気で」

 扉を出ると、お互いに知らない人同士のように別々に歩き出した。


 緑川は家に向かって帰る途中スマホで優子に今から帰るとメールしたが、しばらくして、「おかえりなさい。けど、ごめんなさい、今日夜まで仕事。何か食べるものを買って帰ります」と返事が来た。緑川は家に帰り、玄関の鍵を開け、久しぶりに我が家に入った。3週間ほどの留守だったので、家の中は何も変化はなかった。

 日が暮れるころ、優子が帰ってきた。

「おかえりなさい。少し長い出張だったのね。ご苦労様でした。食べ物を買ってきました」

 優子の右手には晩御飯になるものの袋が、左手にはケーキらしきものの袋が握られていた。

 緑川は優子の両手の袋を取り、左手の袋を食卓テーブルの上に、右手の袋を電子レンジの前に置いた。

「少し待ってね。すぐ着替えるから」

「ゆっくりでいいよ。温めておく」

 夕ご飯らしきものはいくつかの袋に分かれており、冷凍されて真っ白なので外から何かはわからない。緑川はその一つをレンジにかけた。おおステーキだ。残りの袋もレンジにかけた。チャーハン、ステーキ、サラダだった。緑川はそれらをテーブルに運んだ。冷蔵庫からスパークリングワインを出した。

 優子が室内着に着替えてやってきた。「温めてくれてありがとう。スープを作るから少し待ってね」

 まもなくテーブルの上に豪華食品が並んだ。

「おまたせ。さあ、いただきましょう」

 食事中、優子は出張のことを聞いてきたが、緑川は、具体的な事を話せないので、’西の方の大都市の役所で新しい技術を学んできた’など適当に流した。優子も仕事内容についてはあまり詳しくは聞かなかった。

 食事が終わり、ケーキを食べながら緑川は言った。

「豪華な食事をありがとう。もうおなかいっぱいで動けないよ」

 緑川は優子の食欲がいつもより若干少ないことに違和感を持った。優子はいつもはよく食べるし、よく飲む。今日は食べるペースがいつもより若干遅い気がした。ワインにも手を付けていない。スパークリングワインは好きなのに。

「ダイエットしてる?」

「出張の前に言うべきだったけど、その時はまだはっきりしていなかったの。妊娠してるの」

 予想もしていなかったことなので、緑川は非常に驚き、少し遅れて感動がやってきた。

「わわわお。ありがとう。すごくうれしいよ。つわりがひどい?仕事は大丈夫?」

「つわりは少し。今働いている病院の産科で見てもらっている。順調なので、仕事は続けても大丈夫だって」

「それは良かった。少しでも調子悪いときは僕に言ってね」

 確か、仮想世界では妊娠は起こらないと聞いたような気がするが、起こったんだ!緑川は心底喜びを感じた。

 自分の世界の平和を守ることができ、また妻の妊娠を知って、緑川は非常な幸福を感じていた。

 翌日職場に復帰したが、皆に単に「おかえりなさい。ご苦労様でした」と言われただけで、出張に関しては特になにも聞かれず、何事もなかったような態度だ。優愛のところもそうなんだろうな、と思った。

 その後3か月ほどは何事もなく、平和に過ぎた。

 以前勤めていた所も役所だが、今と違って仕事は忙しく、人間関係もややこしく、ストレスがかなり多かった。辞めたときには本当にほっとした。それに反して今の仕事は、単調で、時間通りに仕事は終わり、仕事上のストレスはない。人間関係も、同僚と時に一緒に飲みに行く程度だが、まあうまくやれている。ストレスがないのは嬉しいが、やりがいという点では少し物足りなさを感じている。ただ、緑川は私生活にかなり幸福感及び充実感を感じていたので、今の生活には十分満足していた。

 優子のつわりはすでにおさまり、食欲は増え、優子は元気に職場にも通っていた。優子のお腹も少し目立ち始めていた。自分もおなかの赤ちゃんもすべてICチップ上の電気的状況なのだとはわかっていたが、緑川は生まれてくる赤ちゃんに非常に愛着を感じた。実社会での最初の子誕生の時もとても感動的な気持ちを感じていた、という記憶はあるが、仕事のストレスが強く、家庭のこと、子育ての事は一切妻に任せるようになっていった。子供がいつ学校に入り、卒業し、就職したかについては、はっきりした記憶がない。今度はそんなことにならないよう、しっかり子育てしようと思っている。

 ある日、SL本社の渡辺からメールが来た。

『緑川様 お元気でお過ごしのことと存じます。こちらは、完全に機能回復し、スタッフも以前以上に充実しています。第22世界のAiについては、その後2つのAiに機能分担させることに成功し、一つのAiが野心を持つことは不可能になっています。他の世界でもそのようなシステムに即座に切り替え可能となるよう準備をしております。間もなく、当社の記憶装置の拡充が終わりますので、貴世界においても拡張が可能となります。その節にはまたお知らせします』

 緑川は一安心した。これからも平和が続く、と。

 それから4か月ほど、何事もなく平和な日々が続き、とうとう優子の出産の日が近づいてきた。優子は元気で、しばしば二人で赤ちゃんの物を買いにデパートに出掛けた。服、おもちゃ、ベッドなどすべて揃えたころ、陣痛がやってきた。

 緑川にとっては初めての経験ではなかったが、すごく心配になり、優子が「まだいい」というのを聞かず、病院に連れて行った。病院では一通りの診察を受けた後、入院となった。子宮口が開大し始めているとのことだった。早く連れてきて良かった。 

 緑川は仕事を休み、優子に付き添った。

「まだ切迫していないし、外に出かけてもいいわよ」

「子宮口開大しているて言ってたよ」

「少しだけね」

 緑川は毎朝近くのカフェで朝食を取った後病院に行き。昼はコンビニでランチを買って来て、病室で優子と一緒に食べた。面会時間が終わる6時頃には、病院を去り、近くのレストランで夕食を摂り帰宅するという毎日を過ごした。

 陣痛は徐々に強くなり、間隔も短くなり、一週間ほど過ぎたころ、看護師が、「分娩室に行きます」と言って、優子を連れて行った。

「この病院では家族は分娩室に入れませんので、この部屋でお待ちください。分娩後はすぐお連れしますので」

 2時間後、優子と新生児は部屋に戻ってきた。

 優子は元気そうに見えた。布にくるまれた新生児を抱いていた。

「何も問題なく健康だそうよ」

「頑張ったね。痛かったろう?」

「痛かったけど、みんな経験することだもんね」

 女の子であることはわかっていたので、名前は優香と決めていた。

 緑川は娘に顔を近づけて、「優香ちゃん。無事に出てきてくれてありがとう」とささやくように言った。


 3か月がたったころ、優香の首も座り、新生児検診も異常を指摘されず、外へ連れて行けるようになった。お互いの休みの時には、しばしば近くの公園の芝生の上でランチを摂った。時には少し遠くまで一家でドライブに出かけた。緑川は初めての子供を授かったかのように優香をかわいがった。

 娘が6か月になった頃。顔に表情が現れ、好き、嫌いの意志も少しずつ現れるようになり、緑川にとっては可愛盛りだった。職場では地位が少し上がり、主任という肩書になった。仕事自体に大きな変化はなかったが、個室が与えられ、給料が少し上がった。

 ある日家に帰ると、家のPCにSL本社の渡辺からメールが入っていた。

『緑川様。ご健勝のことと思います。つきましてはご相談がありますので、一度SL本社までお越し願えないでしょうか?時間は取らせません。この間来ていただいた喫茶店「エスエル」に来ていただけましたら、そこから移動していただけます』

 緑川は何事かあったのかと心配になった。とりあえず行ってみるだけ行ってみるかと思った。

 翌日朝、職場には「今日は休みます」の一報を入れたが、優子には何も言わず、いつもの出勤のように家を出た。今日は話を聞くだけ。

 隣の駅で降りて、喫茶「エスエル」に向かった。あれからかなり経っていたが、道は難しくなく、すぐに到着できた。扉の前に立つと、まるで待っていたかのように扉が開いた。

 中にいる人が、「移動室に案内します」と言って、誘導した。

「今日はまたここに戻りますので、荷物はそこに置いておいて下さい。では移動装置にお乗りください」

 移動装置に乗って、一瞬廻りが暗くなったと思ったらすぐに明るくなり、もうそこはSL本社だった。移動室の正面の扉からから出て、向かいのセクション4に入った。以前の顔見知りの人たちも何人かいたが、知らない人たちがたくさんいた。

 渡辺が近づいてきた。

「どうもようこそいらっしました。ご足労頂きありがとうございます」

「何かまずいことがあったんですか?」

「いいえ。ただ、今後は以前のような不測のことが起こっても対処できるように、体制を組みたいと思っています」

「僕にもメンバーになって欲しいということですか?」

「いいえ。リーダーになって欲しいんです」

「あの時は他に誰もいなくてやむを得ずやりましたが、今は有能な人を選べるんじゃないですか?僕は戦闘には素人ですよ」

「いいえ。あの時の戦闘を再現、検討したところ、緑川さんの作戦がたいへん的確だったということになりまして。あの時緑川さんがおられなければ我々は完全に敗北していた可能性が高いという結論になっています。ここにいる全員が緑川さんに是非リーダーになっていただきたいと思っています」

「でも僕には家庭も別に仕事も.....」

「現職場にはこちらで対処します。出向ということに。いつでも元の仕事に戻れます。ご家庭には影響がないと思います。役所と同じように毎日通っていただければ、大丈夫です。何事もないときには自由に休みを取っていただいて結構です。給料はもちろん上がります。こちらに来られている間は外に出ることも可能です」

「外とは実社会に戻るということですか?」

「そうです。もちろん見回りとして、一時的にですが」

「スタッフは?」

「外から10名ほど、中から5名ほど、を考えています」

「外から?」

「ご存じかもしれませんが、わが社と同じようなサービスを提供する会社がいくつかあります。それらはまだ小規模でわが社のようなきめ細かいサービスを提供できていません。そのうちの一つがわが社の技術とデータを盗もうとしているとの情報がありました。もうひとつは、生きている人の意識を記憶装置に移転するという考えに反対の人達がたくさんいて、だんだん抗議活動が過激になってきていることです。今は中からの問題よりも、これらの外からの問題の方が脅威に感じています」

「人の意識を記憶装置に移すことは10年ほど前に法律で認可されましたよね?」

「反対する人たちはその頃からいましたが、徐々に過激なってきています。殺人だ!とね。最近では本社前まで来てデモをしています」

「外から雇う人は生身の人間ですか?」

「そうです。一応、元警察官や警備関係の仕事をしてた人達を中心に雇っています。中の人は、北山さん、優愛さん、吉田さん、あと2-3人に声をかける予定です」

「吉田さん?」

「緑川さんが指導者と言っていた人です」

「彼は助かったんですか?」

「緑川さんが倒した人はみんな助かって、ここでしばらく観察した後、もう心配ないということで、元の世界に帰っています。吉田さんは、ここを守る仕事があれば罪の償いにぜひ参加したい、と帰る前に言っていましたので参加されると思います」

「今僕には6か月の娘がいて、もう他に何事もいらないくらい幸せです。子供もまだもう一人や二人は欲しいと思っています。危険な仕事には付きたくないという気持ちが強いです」

「緑川さんはリーダーなので、先頭に立って立ち向かう必要はありません。あくまで作戦と指揮を執る立場です。必要ならメンバーをもっと増やすこともできます」

 役所の仕事は楽だけどやりがいには少し欠ける。ここの仕事は面白そうだし、たまに外にも行ける。しかし、危険がないわけではない。緑川はすぐに判断ができなかった。

「2-3日考えさせてもらえますか?」

「わかりました。決まったら私にメールください」

 緑川はSL本社を後にした。帰りは来た時と同じ、隣駅の喫茶店の移動室についた。朝来た時の荷物を回収し、帰途に就いた。

 翌日、翌々日はいつもと同じように役所に通勤した。一日中どうすべきか考えていた。確かに、今の単調な仕事に比べて警備チームはやりがいがあり面白そう。時には実社会に戻れることも魅力だ。でも、この前のような危険な行動はとりたくない。この前の戦いで死ななかったのは単に運が良かったからだ。この世界を守るためには、自分よりもっと適した人がいるはずだ。優子には何も相談しなかった。

 短期間ならやってみてもいいか、という気になり、その翌日、仕事から帰宅後、緑川は渡辺にメールした。「一応3か月間ほどやってみます。その後続けるかどうかは、その間に決めます」

 しばらくして、渡辺から返事が来た。「了解しました。2日後にここに同じ時間に来てください。役所は明日から出向扱いで、出勤する必要はありません。そう手配しておきます」

 翌日は一日休みになり、家族3人でドライブに行った。東の方に少し行ったところに海が見えるきれいな公園があったので、そこで昼食を取り、ゆったりと一日を過ごした。

 翌日朝、緑川はいつものように家を出た。優子にはまだ何も言ってなかった。出勤、帰宅時間は変わらないので、落ち着いてから話そうと思っていた。


 緑川は第4セクションの会議エリアに時間通りに着いた。

渡辺が近づいて来て、言った。「おいでいただいてありがとうございます。今日は今決まっているメンバーが全員集まっていますので、紹介させていただきます。まずAチームです。優愛さん、吉田さん、北山さんはご存じですよね。あと、山本さん、青井さんです。二人はそれぞれ第12世界と45世界からの志願者です」

「よろしくお願いします」と緑川は挨拶した。

「こちらこそ」「どうぞよろしく」「....お願いします」「よろしくお願いします」

 渡辺が続けた。「次はBチームです。Bチームは外から参加していただいている方々です。一番左の方がリーダーの木山さん。元警察の機動隊におられた方です」

 Bチームは全部で10人。一人づつ紹介を受けた。彼らはアンドロイドと同じ防弾性のスーツを着ていたが、力は人間と同じなので、取っ組み合いになるとアンドロイドに勝てない。

「私がBチームを率いる木山です。SL社の警備チームのサブリーダーになります。緑川さんがリーダーです。いろいろな情報はまず私のところに入り、その後緑川さんに相談に参りますので、指示をお願いすることになります。よろしくお願いいたします」

「僕の方こそよろしくお願いいたします。僕はこういうことに慣れていなくて、それこそ木山さんの判断を仰がないといけないと思いますので、よろしくお願いいたします」 


 緑川は優愛や北山、吉田の方に近づき、挨拶した。

「優愛さん、こんにちは久しぶり。お元気でした?」

「私は元気ですよ。緑川さん、娘さんがお生まれになったんですってね」

「そうなんですよ。それが、今回の参加を渋っていた大きな原因です。もう死ぬ思いしたくないですからね」

「我々が緑川さんを危険な目に合わせませんよ」北山が言った。

「俺に勝ったんだから、あんたは無敵だよ」吉田が言った。

「指導者さんは吉田さんっていうんですね。あれは僕が勝ったとは言えません。優愛さんと二人いてやっと相打ちです。一人だったら死んでいた。今度戦闘があったら、吉田さんの後ろで戦うから」

「いいですよ。あんたは盾戦法得意だから、俺が盾になりますよ。一度命を助けてもらっているから」

 緑川はあとの二人、山本、青井とも話した。いい仲間になれそうだと思った。


 その日自宅に帰り、優子に言った。

「また転勤になった。今度は別会社に出向だそうだ。でも、朝出て夜帰るのはこれまでと一緒。休みもこれまで通り取れる。給料は少しだけ増える、らしい」

「きつい仕事?」

「それは行ってみないと判らない。問題あれば3か月で辞めると言ってあるんだ。その場合は元の職場に戻れる。家庭のことは全然変わらないので、心配しなくていいよ」

「あなたが、いいなら、わたしはいいわ」

 緑川は仕事の内容は優子に説明しなかった。変な心配をさせてもいけないので、しばらく様子を見てから説明しようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る