タイムループする悪役令嬢ですが、もう恋愛はいいです!

Novaria

第1話「127回目の朝」


 また、あの天井だ。


 天蓋付きベッドの白いレースカーテン越しに、朝の光が差し込んでいる。柔らかな羽毛布団の感触。遠くから聞こえる鳥のさえずり。窓の外を流れる風の音。


 全部知っている。何もかも。


「はあ……」


 私――エリシア・ヴァンフォード――は、深く、深くため息をついた。


 127回目だ。これで127回目の朝を迎えた。


 15歳の体。公爵令嬢の立場。そして今日は、魔法学園の入学式。もう台詞まで全部覚えている。学園長の挨拶は3分47秒。新入生代表の王子殿下は「輝かしい未来への第一歩」と述べる。そして休憩時間、あの王子が私に近づいてきて——


「お嬢様! お嬢様!」


 バタバタと慌ただしい足音とともに、ドアが勢いよく開いた。


 案の定だ。


「大変です! 今日は入学式の日ですよ! 早く起きてください!」


 メイドのマリアが、いつものように真っ赤な顔で飛び込んでくる。金髪のお下げ髪を揺らして、本当に心配そうな表情。彼女は良い子だ。127回見てきたからよく知っている。


「ああ、わかっているわ、マリア」


 私はゆっくりと体を起こした。


「お、お嬢様? いつもなら『あと5分』とおっしゃるのに……体調が悪いのですか?」


「いいえ、絶好調よ」


 絶好調かどうかは微妙だけれど。精神的には完全に疲弊している。でも、もう決めたのだ。


 今回で終わりにする。


 127回目のループ。これを最後にしてみせる。


 ---


 魔法学園フェリクス・アカデミア。王国随一の名門校。貴族の子弟が集い、魔法と学問を修める場所。


 私はこの学園に、127回入学した。


 大講堂に新入生が集まる。華やかな制服に身を包んだ少年少女たち。みんな緊張した面持ち。新しい生活への期待と不安。初々しい。


 私だけが、退屈そうにあくびを噛み殺していた。


「エリシア様、行儀が……」


 隣に座る同じ公爵家の令嬢が、小声で注意してくる。ああ、彼女の名前はシャルロッテだったか。この後、彼女は優等生コースを歩み、3年後には学園首席で卒業する。そして貴族と結婚して、幸せな家庭を築く。


 どうでもいい。


「失礼」


 私は口元を手で覆った。


 壇上では学園長が演説を始めている。


「……皆さんの未来は、無限の可能性に満ちています。ここで学ぶ3年間は、かけがえのない——」


 はいはい、知ってる。この後「宝物となるでしょう」と続く。その次は「魔法とは心の力」という話。そして「切磋琢磨」で締める。


 私の心の中での同時音読がぴったり合う。


 何度聞いたと思っているの。


 学園長の演説が終わり、新入生代表の挨拶。


 壇上に上がるのは、アレクシス・フォン・エルネスティア。第一王子。金髪碧眼、完璧な容姿。優等生。そして——私の元婚約者。


 いや、正確には「これから婚約破棄する予定の相手」だ。


「新入生の皆さん」


 アレクシスの声が響く。朗々とした、美しい声。


「私たちは今日、輝かしい未来への第一歩を踏み出しました」


 ほら、言った。完璧に予想通り。


 私は内心で「3、2、1」とカウントダウンを始めた。


「この学園で、私たちは多くを学び——」


 次は「成長」。


「——成長し——」


 ビンゴ。


「——そして真の友情を育むでしょう」


 はあ。もういい。


 演説が終わり、拍手が沸き起こる。私も義務的に手を叩いた。


 そして、運命の休憩時間。

 127回目の口説き文句が聞こえてくるのだろう。


 ---


 大講堂の外、中庭での休憩時間。


 新入生たちは緊張をほぐし、あちこちで会話が始まっている。グループができ、笑い声が響く。


 私は一人、噴水のそばに立っていた。


 来る。3、2、1——


「やあ」


 予想通りのタイミングで、声がかかった。


 振り返ると、アレクシスが立っている。柔らかな微笑みを浮かべて。この角度、この表情、全部知っている。


「アレクシス様」


 私は淑女らしく会釈した。完璧な動作。100回以上練習したからね。


「君は……ヴァンフォード公爵家の令嬢だね」


「はい。エリシアと申します」


「エリシア……美しい名前だ」


 来た。次は「瞳」の話。


「君の瞳は……」


 はい、どうぞ。


「朝露に濡れた青薔薇のように美しい」


 127回目の青薔薇。もうお腹いっぱい。


「ありがとうございます」


 私は棒読みで返した。


 アレクシスが少し戸惑ったような表情を見せる。そうでしょうね、普通なら顔を赤らめて喜ぶところだもの。過去126回の私は、そうしていた。


「あの……」


「はい?」


「よければ、この後お茶でも……」


 お茶に誘ってくる。3、2、1で誘ってくる。


 もう無理だ。


「申し訳ございません」


 私ははっきりと断った。


「今日は予定がありますので」


「え……あ、そうか」


 アレクシスは明らかに驚いている。そりゃそうだ。ゲームのシナリオでは、ヒロインは絶対に王子の誘いを受けるのだから。


 でも私は、もう「ヒロイン」じゃない。


 いや、最初から違った。私は「悪役令嬢」。ゲーム「恋の魔法学園~運命の5つの薔薇~」における、破滅する役。


 でもそんなの、もううんざりだ。


「それでは失礼します」


 私は背を向けて歩き出した。


 後ろから、アレクシスの困惑した視線を感じる。


 ごめんなさい、王子様。でも今回は、あなたのヒロインにはなりません。誰のヒロインにもならない。


 私は私の道を行く。


 ---


 自室に戻り、扉を閉める。


 ようやく一人になれた。


 私はベッドに腰を下ろし、机の引き出しを開けた。そこには、何度も書き直したノートがある。


 表紙には「127回目の計画」と書かれている。


 ページをめくる。びっしりと書き込まれた文字。前世の記憶——日本で商社OLをしていた時の経済知識。そして、126回のループで得た、この世界の情報。


 小麦の相場。貴族たちの弱み。未来に起こる出来事。ミスリル鉱山の場所。新航路の発見時期。


 全部、全部知っている。


 最初の頃は必死だった。破滅を回避しようと、恋愛ルートを攻略した。アレクシスと、レオンハルトと、ユリウスと、カイルと、フィンと。5人全員とハッピーエンドを迎えた。


 50回目あたりまでは楽しかった。


 100回を超えた頃には、もう何も感じなくなった。


 恋愛? ロマンス? 胸のときめき?


 そんなもの、127回も繰り返せば消え失せる。


「今回は違う」


 私は独り言を呟いた。


「恋愛なんてしない。誰とも結ばれない」


 代わりに、何をする?


 私はノートの最後のページを開いた。


 そこには、大きな文字で書かれている。


『この世界の経済を制覇する』


 そう。今回は商人になる。ヴァンフォード商会を設立し、王国最大の商会に育て上げる。


 前世の経済知識。126回のループで得た未来予知。この二つを武器に、誰も成し遂げたことのない偉業を達成する。


 悪役令嬢? 結構。


 破滅フラグ? 笑わせる。


 経済的に自立すれば、そんなものは関係ない。


「さあ、始めましょう」


 私は窓の外を見た。


 夕陽が王都を照らしている。美しい光景。でも、私は127回この景色を見てきた。


 次は、違う景色を見たい。


 自分の力で切り開いた、新しい未来を。


 ---


 翌日の授業。


 魔法理論の初回講義。新入生たちは真剣にノートを取っている。


 私は教科書を読みながら、別のノートに商売のプランを書き込んでいた。


 最初の投資先。没落商人ロバート・ハリスの商館。彼は来月、借金で首が回らなくなる。そこを救済し、味方につける。


 次に、小麦の先物買い。3ヶ月後、隣国の凶作で価格が3倍になる。今のうちに倉庫を借りて備蓄を——


「ヴァンフォード嬢」


 突然、名前を呼ばれた。


 顔を上げると、教壇に立つ教師がこちらを見ている。


 ユリウス・レイヴン。25歳の若き天才魔法学者。そして——攻略対象の一人。


「この魔法陣の展開式を答えなさい」


 問題が黒板に書かれている。第三魔法陣の基礎展開。


 私はノートから顔を上げ、黒板を一瞥した。


「答えはΔE=mλ²/3πです」


 即答。


「……正解だ」


 ユリウスは少し驚いたような表情を見せた。


「だが、君はノートを見ていなかったようだが」


「ええ。でも答えはわかります」


 127回も同じ授業を受けていれば、全部頭に入っているのだ。


「ほう……」


 ユリウスは興味深そうに私を見た。


 ああ、これはまずい。注目を集めすぎた。


 でも、もういいか。どうせ今回は、恋愛フラグなんて立てない。


 私は再びノートに視線を戻した。


 次の計画。父への説得方法。商会設立の許可を得るには——


「ヴァンフォード嬢、授業中は授業に集中しなさい」


「はい、失礼しました」


 口ではそう言いながら、私は計画を練り続ける。

 授業が終わり、生徒たちが帰り支度を始める。


 私は一人、教室に残っていた。ノートに最後の書き込みをしている。


「エリシア・ヴァンフォード」


 また名前を呼ばれた。


 振り返ると、アレクシスが立っている。真剣な表情で。


「話がある」


「何でしょうか、アレクシス様」


「君は……変わったな」


「変わった?」


「ああ。昨日の君と、今日の君は、まるで別人のようだ」


 そりゃそうでしょう。126回繰り返した後の私と、新鮮な気持ちの私では、全然違う。


「そんなことはありませんわ」


「いや、明らかに違う。君は……何を考えている?」


 アレクシスは一歩近づいてきた。


「何を企んでいる?」


 企んでいる? 失礼な。私はただ、自分の人生を生きようとしているだけだ。


「別に何も」


「嘘だ。君の目を見ればわかる」


 アレクシスは私の目を見つめた。


「その目は……何かを決意した者の目だ」


 さすが王子様。観察眼が鋭い。


 私は微笑んだ。


「そうですね。決意はしました」


「何を?」


「私の人生を、私自身で決めると」


 アレクシスは黙って私を見つめている。


「これから私は、色々と驚くことをすると思います」


「驚くこと?」


「ええ。婚約破棄もその一つです」


「婚約破棄!?」


 アレクシスの目が見開かれた。


 ああ、しまった。言うのが早すぎた。本当は明日、正式に申し入れるつもりだったのに。


 でも、もういい。


「アレクシス様。あなたは素晴らしい方です。でも、私とあなたは合わない」


「エリシア……」


「私には、やりたいことがある。あなたの妃として生きるより、もっと大切なことが」


「それは……何だ?」


 私は窓の外を見た。


 王都の街並み。商業区の建物が見える。あそこに、私の未来がある。


「商人になります」


「商人……?」


「はい。ヴァンフォード商会を設立します。そして、王国一の商会に育て上げる」


 アレクシスは完全に言葉を失っている。


 無理もない。公爵令嬢が商人になるなんて、前代未聞だ。


「あなたは良い王になれます。でも、それは私がいなくても」


 私は彼に向き直った。


「私は私の道を行きます。ごきげんよう、アレクシス様」


 私は教室を出た。


 後ろから、アレクシスの呆然とした視線を感じる。


 ごめんなさい。でも、これが私の答え。


 廊下を歩きながら、私は心の中で呟いた。


「さて、まずは婚約破棄から始めましょうか」


 127回目のループ。


 今度こそ、違う結末を迎えてみせる。


 悪役令嬢エリシア・ヴァンフォードの、新しい物語が始まる。


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