《生活魔法・改》を操る男、健康オタクなので辺境を「完全無菌室(サナトリウム)」に魔改造する 〜「ただの掃除です」と禁呪を連発していたら、いつの間にか人類最後の砦になっていました〜
いぬがみとうま
第1章:追放という名の「転地療養」編
第1話:断罪の日は「有給休暇」の始まり
王宮の大広間に、王太子ルシアン殿下の金切り声が響き渡った。
「ヴィゴ・フォン・オーベニール! 貴様の悪逆非道な振る舞いは、もはや看過できん! よって、今この時をもって貴様を公爵家から廃嫡し、辺境『エリュシオン』への追放を命ずる!」
学園の卒業パーティー。煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちの視線が、会場の中央に立つ私――ヴィゴに突き刺さる。
侮蔑、嘲笑、そして憐憫。
四方八方から降り注ぐ悪意の視線。
だが、私の胸中を占めていたのは、震えるほどの歓喜だった。
(き、きたぁぁぁぁぁッ!!)
私は内心でガッツポーズをした。
叫び出したい衝動を、奥歯を噛み締めて必死に堪える。
待っていた。この瞬間を、前世で過労死してから十七年間、一日千秋の思いで待ちわびていたのだ!
公爵家の嫡男としての責務? 知るか。
派閥争いの根回し? クソ食らえだ。
毎晩毎晩、書類の山と社交ダンスの練習に忙殺され、私の平均睡眠時間は四時間を切っている。鏡を見るたびに増えている目の下のクマは、もはやコンシーラーでも隠せないレベルだ。
だが、追放されれば話は別だ。
辺境。なんて甘美な響きだろう。
そこには、うるさい貴族も、終わらない書類仕事もない。あるのは手付かずの大自然と、静寂だけ。
私はそこで、死ぬまで泥のように眠り、体にいい有機野菜を育て、健康的な生活を送るのだ。
これは「罰」ではない。「無期限の有給休暇」だ。
「……何か言いたいことはあるか、ヴィゴ」
ルシアン殿下が、勝ち誇った顔で私を見下ろす。
私はこみ上げる笑いを必死に噛み殺し、演技が露見しないよう、うつむき加減で口を開いた。
「……謹んで、お受けいたします」
声が震えたのは、嬉しさのあまりだ。
だが、周囲にはそれが「絶望による震え」として伝わったらしい。
「見ろ、あの『氷の貴公子』ヴィゴが震えているぞ……」
「無理もない。エリュシオンといえば、瘴気が漂い魔物が跋扈する死の土地だ。行けば三日で骨になる」
「ふん、いい気味だ。常にすました顔で我々を見下していた報いだ」
外野の声が聞こえてくる。
ふふ、三日で骨になる?
甘いな。私は前世の知識(現代衛生学)と、独自に編み出した生活魔法がある。
魔物がいるなら駆除すればいい。土地が痩せているなら改良すればいい。
快適な睡眠のためなら、私はエベレストだって更地にする覚悟がある。
私はゆっくりと顔を上げた。
表情筋を総動員して「無念」の顔を作る。
肌が青白いのは寝不足のせいだが、今は「絶望で血の気が引いた」ように見えるだろう。完璧だ。
「殿下のご判断、身に余る光栄です。王都の繁栄を、遠き地より祈っております」
(訳:せいぜいあくせく働いて過労死しろ、バーカ!)
私が恭しく一礼すると、ルシアン殿下は鼻を鳴らした。
「ふん、最後まで気取った奴だ。……おい、誰かこいつを摘み出せ! 目に障る!」
衛兵たちが槍を構えて近づいてくる。
私は踵を返した。
その時だ。殿下の唾が、私の漆黒のコートの裾に飛んだのが見えた。
(……汚いな)
潔癖症の私は、眉をひそめた。
他人の唾液など、病原菌の温床だ。すぐに消毒しなければ。
私は無意識に指を鳴らし、生活魔法の
――カッ!!
その瞬間、大広間が閃光に包まれた。
私の独自解釈による
眩い光と共に、コートの裾どころか、周囲の床の埃、空気中の雑菌までもが瞬時に浄化され、神聖なまでの清浄な空気が広がった。
「な、なんだ今の光は……!?」
「魔法陣もなしに、これほどの光魔法を……!?」
「まさか、自らの魔力を暴走させて、心中する気か!?」
会場がパニックになる。
いや、ただの染み抜きだ。大袈裟だな。
私は溜息をつき、騒ぐ彼らを背に歩き出した。
◇
(会場の貴族視点)
「……なんと」
一人の老貴族が、震える声で呟いた。
ヴィゴ・フォン・オーベニール。
彼は去り際に、凄まじい魔力を放った。だが、それは誰かを傷つけるためのものではなかった。
光が収まった後、そこには一点の曇りもない、清浄な空間が残されていたのだ。
澱んだ空気は澄み渡り、床は磨き上げられた鏡のように輝いている。
「あれは……高位の浄化魔法【ピュリフィケーション】……いや、それ以上か」
誰かが息を呑む。
冤罪を着せられ、泥を塗られたというのに、彼はその泥を払うどころか、会場ごと浄化して去っていったのだ。
「『王都の繁栄を祈る』……あれは、本心だったというのか」
「我々は、とんでもない傑物を追放してしまったのではないか……?」
王太子ルシアンだけが、顔を真っ赤にして叫んでいる。
だが、多くの貴族たちは、ヴィゴの痩せた背中に、言い知れぬ畏怖と喪失感を抱いていた。
彼が放った光は、まるで「この国の未来には、もはや光などない」という、無言の予言のようにも見えたからだ。
◇
(ヴィゴ視点)
やれやれ、やっと外に出られる。
出口へ向かう私の足を、不意に誰かが掴んだ。
「お待ちください、ヴィゴ様!」
人混みをかき分けて飛び出してきたのは、一人の少女だった。
亜麻色の髪を振り乱し、メイド服の裾が汚れるのも構わず、床に膝をついている。
私の専属メイド、セレスだ。
彼女は衛兵の制止をものともせず、私の足元にすがりついた。
「セレス……」
彼女の家は代々、我が公爵家に仕える奉公人の家系だ。
そして彼女自身、私の乳母の娘として、幼い頃から私の世話を焼いてきた。
私の偏食(添加物嫌い)や、睡眠環境への異常なこだわり(枕の高さはミリ単位で調整)を完璧に理解している唯一の人間。
「私も! 私もお連れください! ヴィゴ様がお一人で、あのような魔境へ……耐えられるはずがありません!」
彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「……セレス。辺境は過酷だぞ。お前の肌が荒れるかもしれない」
「構いません! 地獄の果てまで、私は貴方様のお世話をいたします!」
その瞳には、尋常ではない覚悟――というか、どこか狂気じみた光が宿っていた。
……困ったな。
正直、スローライフは一人の方が気楽なのだが。
しかし、セレスには「美味しいハーブティーを淹れる」という特級技能がある。
彼女の淹れるカモミールティーがないと、私の入眠効率が三割は低下するデータが出ているのだ。
それに、辺境での洗濯や掃除を一人でやるのは、腰に負担がかかる。
(……まあ、労働力はあって困ることはないか)
「分かった。……来るがいい」
「あぁ……ヴィゴ様……!」
私が許可すると、セレスは感極まったようにその場に崩れ落ち、私の靴に額を擦り付けた。
いや、そこまでしなくていいから。早く立ってくれ。みんな見てるし。
◇
(セレス視点)
ヴィゴ様が、追放される。
その事実を知った時、私は目の前が真っ暗になった。
ヴィゴ様は、誰よりも優しく、そして儚い御方だ。
ご覧になって、あの痛々しいお姿を。
透き通るような白い肌は、不健康なまでに青白い。目の下には濃い隈ができている。
少し歩いただけで「空気が悪い」と咳き込み、強い日差しを浴びれば「目眩がする」と顔を覆う。
それなのに、公爵家の激務を一人で背負い込み、文句一つ言わずに耐えてこられた。
あの冷徹な態度は、硝子細工のように脆いご自身を守るための、精一杯の鎧なのだ。
断罪の瞬間、ヴィゴ様は震えておられた。
恐怖に震えながらも、王太子の決定を「謹んで受ける」とおっしゃった。
そして去り際、王太子殿下からの無礼な振る舞い(唾吐き)に対し、ヴィゴ様はなんと、会場全体を浄化するほどの光魔法で応えられた。
復讐ではなく、浄化。
……なんて、高潔なのだろう。
ご自身を追放する国に対してさえ、最後に祝福を残して行かれるなんて。
私の問いかけに、ヴィゴ様はこうおっしゃった。
『お前の肌が荒れるかもしれない』と。
ご自身が死地に赴くというのに、一介のメイドである私の肌のことなど……!
どこまで慈悲深いのか。どこまで自己犠牲の塊なのか。
(許さない……)
王太子も、貴族たちも、この国そのものも。
ヴィゴ様の尊さを理解せず、あまつさえ魔境へ追いやった愚か者たち。
(私が守らなくては。あのような不衛生で野蛮な辺境で、ヴィゴ様のような清らかな方が一日たりとも生きていけるはずがない)
私が、ヴィゴ様の剣となり盾となろう。
もしヴィゴ様の安らかな眠りを妨げる者がいれば、それが魔物だろうが人間だろうが、私が残らず処理してみせる。
スカートの裏に隠した暗器の冷たい感触を確かめながら、私は誓った。
愛しい主の背中は、あまりにも無防備で、抱きしめたくなるほど小さく見えた。
この背中を狙う者は、神であろうと私が殺す。
◇
(ヴィゴ視点)
こうして、私の――いや、私たちの旅は始まった。
王宮の外には、護送用の馬車が待機していた。
鉄格子がはめられ、塗装の剥げたボロ馬車だ。
「……これに乗れと?」
私は絶句した。
サスペンションもなさそうな木の車輪。座席は硬い木の板。
こんなものに乗って辺境までの砂利道を数週間も揺られれば、私の腰椎は粉砕され、椎間板ヘルニアになることは確定だ。
健康のためのスローライフなのに、移動で健康を損ねては本末転倒だ。
「さあ、乗れ! 罪人にクッションなどあると思うなよ!」
御者が嘲笑うように言った。
私は静かにキレた。
王太子の罵倒は許せる。だが、安眠と腰の健康を脅かすことだけは、断じて許容できない。
「……セレス」
「はい、ヴィゴ様」
「しっかりと掴まっていろ。少し、揺れを止める」
私は馬車に乗り込むと、即座に魔力を練り上げた。
風属性魔法【
イメージするのは、前世の高級セダンの乗り心地。いや、リニアモーターカーの静寂だ。
ゴゴゴゴ……ッ!
馬車が軋みを上げ、ふわりと地面から浮き上がった。
「な、なんだ!? 馬車が……浮いている!?」
「おい、馬が驚いているぞ! どうなっている!」
御者と護衛の騎士たちが騒いでいるが、無視だ。
私は座席に風の膜を張り、ふかふかのクッションを作り出した。
うん、これなら眠れる。
「出発だ。……起こすなよ」
私はアイマスクを取り出し、深い眠りへと落ちていった。
私の新たな人生は、こうして快適な睡眠と共に幕を開けたのだ。
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