第3話 雨宿りだけでも

 外では、屋根を叩く雨がリズムを刻んでいた。

 しとしと、ではなく、ぽつりぽつりと気まぐれな音。

 ミルは棚の上で丸くなりながら、その変なリズムに耳を動かしていた。


 戸がそっと開き、湿った空気と一緒に青年が入ってきた。

 傘も差さず、前髪から雫がぽとりと落ちる。


「……雨宿り、だけでもいいですか」

 彼は恐縮するように頭を下げた。


 ミルはぴょんと跳ねてカウンターへ移り、

 前足で空いている椅子をちょいちょい、とつついた。

 「すわるにゃ。びしょびしょは風邪のもとにゃ。」


青年は少し笑って腰を下ろした。


 服についた雨粒が光っていて、夜の照明に淡く揺れる。


「……実は今日、会社で初めて怒鳴られました。

 たいしたミスじゃなかったのに、全部僕のせいになって。反論したら空気がもっと悪くなって……

 もう、どこにもいたくなくて。」


 ミルはそっと近づき、

 濡れた袖をくん、と嗅いでから、青年の手の上に前足を置いた。


 爪を立てない、ふわっとした触れ方。

 ただ、そこに味方がいると知らせるみたいに。


「にんげんはにゃ、

 追いつめられると『自分のせいだ』を背負いすぎるにゃ。

 でもにゃ、雨の全部がひとつの雲のせいじゃないのと同じにゃ。」


 青年は目を伏せ、息をゆっくり吐いた。

 強がっていた壁が、少しだけほどけていく。


「……そう考えたこと、なかった。

 全部抱え込むクセ、あるかもしれません。」


 ミルは尻尾をふにゃりと曲げて、

 青年の腕にふわりと触れさせながら続けた。


「雨宿りはにゃ、弱いからするんじゃないにゃ。

 歩きつかれた足を、すこし休めるための時間にゃ。」


 青年の喉から、小さく笑いがこぼれた。


「……雨が止んだら、帰れそうです。

 ちょっとだけ、気が軽くなりました。」


 ミルは満足げに目を細め、

 カウンターの上から 魚型クッキーをころん、と転がした。

 ひび割れのあるクッキーだったが、甘い香りがふんわり広がる。


〈急がなくてもいいにゃ。雨は、止むときはちゃんと止むにゃ〉

 そんなメッセージを添えるように。


 立ち上がる頃には、外の雨音は心なしか優しくなっていた。

 青年が扉を開けると、街灯の光の中で雨粒がほろほろとほどけていく。


 ミルは棚の上に戻り、

 丸くなった背中がゆっくりとひと呼吸、沈んでまた浮かんだ。

 まるで「よかったにゃ」と静かに言っているように。

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