第3話 時系列1

 友人の彼女がいなくなった日のことを、順番に書いておこうと思います。


 正確に言えば、「いなくなった日」だけじゃなく、その少し前から。いつもより会う機会が増えていき、その度に話す内容も変わっていきました。

 あとから振り返ると、どこが境目だったのか、いまでもはっきりしません。


 登場人物は三人。

 私、美穂。

 幼なじみの英二。

 そして、行方不明になった英二の彼女、春香。


 プライバシー保護のため、名前は全部偽名にしてあります。


 ──ここから先は、思い出せる範囲での記録です。

────────


 きっかけになった会話は、ほんとうに他愛もないものだった。


「英二は彼女と結婚とか考えてるの?」

「んー、とりあえずないかなって思ってる」


 コンビニの駐車場に車を停めて、休憩中の英二を待っていたときだ。

 夏の日差しがボンネットに溜まって、フロントガラス越しの空気が少し白くゆがんで見えた。


「だって春香は将来獣医になって、この街からいなくなる人だしさ。それより美穂は彼氏作らないのかよ」


「今は彼氏より小説家になりたいっていう夢を追いかけていたいかな」

「それ、いつも言ってるけど、ちゃんとした作品作ったことないじゃん」


 図星だった。

 スマホのメモ帳には書きかけのプロットがいくつもあるのに、完成したものは一本もない。


「今、考えてるやつがあるの」

「へえ?」


「モキュメンタリーホラーってやつなんだけど、わかる?」

「ドキュメンタリーみたいなやつだろ」


 英二はタバコの箱を指先でくるくる回した。

 吸うわけじゃない。

 この癖は高校のときから変わらない。


「今度映画化されるホラーも、そのモキュメンタリーってやつなんだろ?」

「そうそう。ハマればバズるのはわかってるんだけど、作るのが難しくてさ」


「全部を架空でやろうとするから難しくなるんだろ」

「どういうこと?」


「実際あるやつを素材として使ったら、簡単にできるんじゃねぇの?」

「実際あるやつ……」


 言われてみれば、それはそうだった。

 青森には変な話や、名前だけは有名な場所がいくつもある。

 八甲田山の雪中行軍。

 恐山。

 都市伝説みたいに扱われる杉沢村の噂。


「……じゃあ、それでちょっと考えてみるね」

「おう。だけどあまり変なとこに首突っ込むなよ」


 英二はそう言って笑っていた。



 私の暮らしは単調だ。

 十和田市で事務職の正社員として働きながら、休日や夜に少しずつ小説を書いている。

 英二は近所のコンビニでバイト暮らし。

 春香は、十和田市内にある大学の学生。


 それぞれ生活のリズムは違うけれど、三人でご飯を食べたり、映画を観たりすることは、月に一度くらいはあった。



 七月末。

 春香が夏休みに入ったという連絡を、グループラインで受け取った。


『試験終わりました!やっと夏休みです!』

『おつかれー』

『おつ。じゃあなんかしようぜ』

『私、バーベキューやりたい』


 そんなやりとりの後で、私はカミサマの話を切り出した。


『そういえばモキュメンタリーの題材決まったよ』

『お、何にしたの?』

『青森県に伝わるカミサマにしようと思ってる』


 既読が二つついて、少し間が空いた。


『カミサマって、カタカナの?』

『そうそう。お祓いとかやるやつ』


 先に返信してきたのは春香だった。

 さすがに医療系の学部だけあって、民間信仰にも興味があるらしい。


『あんまり突っ込みすぎた題材だとヤバいことが起こるんじゃねぇの』


 英二からの返信は、画面越しでも声音が想像できるような絵文字付きだった。


『大丈夫でしょ。それに、もし何かあったらカミサマにお祓いしてもらうからさ』

『雑だな』

『発想がだいぶ本末転倒ですね笑』


 今読み返しても、冗談の範囲だ。

 このメッセージがきっかけだったと、今なら言えるけれど。



 映画を観に行こうと決めたのは、その少し後のこと。

 盆休みに合わせて、話題のモキュメンタリーホラーが朝から上映されると聞いて、三人で行くことになった。


 当日の朝。

 まだ六時を少し回っただけの時間帯に、私は車で英二を迎えに行った。


「おーっす」

「おはよう。眠そうだね」


 Tシャツにジーンズ姿の英二が、アパートの階段をスニーカーの音を鳴らしながら降りてきた。

 夏の朝の空気は思ったよりも涼しくて、窓を開けた車内に、土と草のにおいが少しだけ流れ込んでくる。


「コンビニって、こんな時間でもうシフト終わりなんだっけ?」

「ん、あー……うん」


 返事が曖昧だったので、私はエンジンをかけたまま少し黙った。


「え、もしかして」

「ん、うん」


「辞めたの?」

「うん」


 英二は、シートベルトを締めながら窓の外を見た。

 視線はどこにも止まらない。


「いつ?」

「先月末くらい」


「春香さんには?」

「まだ」


「……言った方がいいよ」

「今日、映画のあとに言おうと思ってた」


 その言い方が少しだけ心配で、私はハンドルを握り直した。


「正社員の仕事が決まったから、なんだよね?」

「おう。そこは大丈夫」


「そこは先に言いなよ」

「悪い悪い」


 会話はそこでいったん途切れた。

 信号待ちのあいだ、ラジオから流れてくる天気予報が、十和田湖の最高気温のことを淡々と読み上げていた。



 春香のアパートは大学の近くにある。

 敷地の前で車を停めると、もう玄関のところに春香が立っていた。


「英二、おはよう。美穂さん、おはようございます」

「おはようございます」

「おはよ」


 白いシャツにデニムのスカートという、見慣れた服装だった。

 肩にかけたトートバッグが少し膨らんでいるのは、ノートや本をよく持ち歩いているからだと思う。


「朝から付き合わせて悪いな」

「私も見たかった映画なので、むしろありがたいです」


 春香が助手席のシートをつかみながら、後部座席に乗り込む。

 バックミラー越しに目が合うと、彼女は少しだけ笑った。


 映画館までは車で30分ほど。

 まだ道路は空いていて、街の中も、盆休み前の静けさが残っている。


「英二さん、シフト大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫」


 英二は、窓の外に視線を向けたまま答えた。

 春香がそれ以上聞かなかったので、私も口を挟まなかった。


(このときちゃんと聞いておけば)


 そう思うことはあるけれど、これはあとからの感想でしかない。


 映画の内容について、ここで細かく書く必要はないと思う。

 モキュメンタリーホラーとして話題になっていたその作品は、カクヨムで掲載されていた小説の印象通り終わる映画だった。


 上映前に買ったパンフレット。

 暗転するスクリーン。

 朝早い客席はまばらで、ときどき誰かの咳ばらいが聞こえる。


 英二は怖がりのくせに、ちゃんと最後まで前を見ていた。

 春香は、ところどころで驚きながらも、どこか物足りなさそうにもしていた。

 私は、照明が少し上がったラスト近くのシーンで、自分の書きたいものの輪郭をぼんやりと考えていた。


 上映が終わり、館内が明るくなった。


「思ったより静かな映画だったね」

「うん。もっと派手に驚かせてくるのかと思ってました」


 ロビーに出ると、外の光がガラス越しに床に伸びていた。

 まだ午前九時前で、外は完全な昼にはなっていない。


「俺は、けっこう怖かったけどな」

「英二、ずっと前見てたじゃん」

「見てたけどさ」


 英二は、自動販売機で買ったペットボトルの水を一口飲んだ。


 そこで、春香が少しだけ間を置いてから言った。


「じゃあ、次は私の番でもいいですか」


「番?」

「はい。行きたいところがあるんです」


 春香は、トートバッグからスマホを取り出した。

 画面を私に向ける。


「新郷村に、『キリストの墓』ってあるんですよね」

「あー、聞いたことある」


 日本に来たキリストが眠っているという、あの場所だ。

 話としては知っていたけれど、実際に行ったことはなかった。


「せっかく三人とも休みが合ってますし、行ってみませんか」

「いいけど……ここからだと、ちょっと距離あるよ?」


「今日一日、空いてます」

「俺も平気」


 英二があっさりと言うので、私も頷くことにした。


「じゃあ、行ってみよっか」

「ありがとうございます」


 春香の声は、いつも通り落ち着いていた。



 新郷村までの道のりは、ナビに従って進めば迷うことはない。

 窓の外には、夏の田んぼと林と、小さな集落が順番に現れては過ぎていく。


 車内の会話は、さっき観た映画の話が中心だった。

 どこが現実で、どこからが演出なのか。

 あの素材を小説でやるならどうするか。


 英二は横から適当に茶々を入れて、春香は真面目に答えていた。


 キリストの墓の駐車場に着くころには、日も高くなっていた。


「本当に、こういう場所なんですね」

「想像してたより、ちゃんとしてる」


 資料館の中は、思ったよりも涼しかった。

 パネル展示と、再現された古文書のようなもの。

 ガラスケースの中には、地元で使われていた道具や写真も並んでいる。


 どこから読めばいいのか少し迷って、私は正面にあった説明文から目を通した。


 キリストが日本に渡ってきたという伝承のこと。

 この地で暮らし、亡くなったとされること。

 その途中で、「八戸に着いたとき、キリストは『八戸太郎大天空』と名乗った」という一文があった。


「八戸太郎大天空……」


 思わず声に出して読んでしまうと、隣にいた春香がその部分に目をやった。


「変わった名前ですね」

「ね。肩書きが長い」


 英二は、少し離れたところで別のパネルを読んでいた。


「こっちに、ナニャドヤラのことも書いてるよ」


 英二が指さした先の説明板には、この地域と周辺に残る民謡についての項目があった。

 都市伝説ではナニャドヤラはヘブライ語読みすると意味がある言葉になるそうだ。


「ナニャドヤラって、全然日本語っぽくねぇよな」

「そうだね」


 英二が合流して、三人で一通り展示を見て回る。

 どれも観光パンフレットに載っていてもおかしくない内容だ。


 それでも、春香はさっきの一文にもう一度目を戻した。


「さっきの名前、ちょっと気になります」


「八戸太郎大天空?」

「はい」


 春香は、パネルのその部分を指でなぞるようにしてから、少し考える顔をした。


「“八戸太郎”って言葉だけ、どこかで聞いたことがある気がして」


「昔話とか?」

「かもしれません。すぐは出てこないですけど」


 そのときは、それ以上の会話にはならなかった。



 資料館を出ると、日差しはさっきよりも強くなっていた。

 空はよく晴れていて、駐車場のアスファルトからは、ゆらゆらと陽炎のようなものが立ち上がっている。


「次、どこか行きたいところある?」


 車に戻る前にそう聞くと、春香は少しだけ考えてから答えた。


「十和田湖、どうですか」

「お、いいな」


 英二が即答する。


「十和田湖のほうに、神社ありますよね」

「十和田神社?」

「はい。あそこも、伝説が多かったはずなので」


 私はスマホで地図を開き、ルートを確認した。

 時間的にも、まだ余裕はある。


「じゃあ、行ってみよっか」

「お願いします」



 新郷村から十和田湖へ向かう道は、ところどころでカーブが続く。

 山に近づくにつれて、ラジオの電波が少し不安定になる。

 それでも、車内は静かすぎるというほどではなく、三人で他愛のない話を続けた。


 十和田湖畔に着くころには、時計の針は正午を少し回っていた。

 観光客の車も増え、駐車場には県外ナンバーが並んでいる。


「久しぶりだな、ここ」

「私もです」


 湖面は穏やかで、遊覧船の白い船体が、ゆっくりと移動していくのが見えた。


 十和田神社へ続く参道は、木立の中を抜けていく。

 石段を上るたびに、温度が少しずつ下がっていくような気がした。


 鳥居をくぐり、本殿の前でそれぞれ手を合わせる。


 参拝を終えたあと、境内の端にある案内板を三人で読んだ。

 三湖伝説のこと。

 八郎太郎と南祖坊の話。

 湖の成り立ち。


 春香は、その文字をじっと追っていた。


「……あ」


 小さく漏れた声に、私は横目を向ける。


「どうしたの?」

「さっきの名前のことを思い出しました」


 春香は案内板の一行を指さす。


「ここに“八郎太郎”ってありますよね」

「ああ、うん」


「まんが日本昔ばなしにもなっている話なんですけど、この八郎太郎って旅の方との間に生まれた子どもなんです」

「そうなんだ」


「もし、八戸太郎大天空の子どもが三湖伝説の八郎太郎だったら……」


 春香は、それだけ言うと、小さく笑った。


 八郎太郎と八戸太郎大天空。

 確かに妙にどこか引っかかる響きだ。


「もちろん、たまたまだと思うんですけど」

「名前って、土地ごとに似たの多いもんね」

「はい。そういう重なり方をするの、面白いなって」


 英二は、少し離れたところでおみくじの器を覗き込んでいた。


「どこでどう繋がるのか、わからないもんだよね、伝承や昔話って」

「そうですね」


 春香は、案内板から視線を離して、木々の間から見える湖のほうを見た。


 湖面は、さっきと同じように穏やかだった。


「よし、そろそろ帰るとするか」

「そうだね」

「明日はテント張って、バーベキューだからな」


 英二の心の中は、すでに明日のキャンプのことでいっぱいみたい。


「あのさ、七戸町のキャンプ場の方へ行くなら、もう一箇所行きたいところがあるの」


 春香は申し訳なさそうに言い出した。


「どこだよ?」

「そこから車で、すぐのところなんだけど、日本中央の碑がある場所」

「あー、あそこも都市伝説的には有名な場所だからね」

「春香って都市伝説好きだよな。あそこだったら、いいよ」

「いいよって運転するの美穂さんでしょ」

「気にしなくていいよ。私、お酒飲めないから。運転手でいたら飲めないお酒勧められないから、気楽なんだよね」


 そんなやり取りが終わったのが、ことの始まりでした。

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