第2話

「素晴らしいシステムだ」


 後日やってきたジャゼル辺境伯はアゼルの父親グリーデ侯爵よりずいぶんと逞しかった。さすがは辺境伯と言えばいいのかもしれないが、グリーデ侯爵はクロヒョウの獣人で宰相である。逆にジャゼル辺境伯は草食系の牛の獣人だと聞いている。獣の姿を考えれば確かに牛の方が大きいかもしれないが、それにしたってずいぶんと逞しい体つきをしていた。


「ああ、驚かせてしまったか」


 目を見開いて自分を見上げるアゼルにジャゼル辺境伯は眉尻を下げた。グリーデ侯爵から息子について聞いてはいたが、思っていたより小柄なことに驚いている様子だった。


「ええと、確か君は今年15になったと聞いているのだが」


 肉食獣の獣人で、先祖返りが強く出ていると聞いていたからそれなりにしっかりとした体つきなのだと想像していただけに、見るからに小柄で少年にしか見えないアゼルをジャゼル辺境伯はまじまじと見つめた。


「間違いありませんよ。父から聞いているでしょう?僕は先祖返りが強く出ているんですよ?ジャゼル辺境伯は牛の獣人とお聞きしていますが、護衛もつけずに僕に会いに来たのですか?」


 そう言ってアゼルは当たりを見渡したが、見えるのは放牧され草をはむ茶色い牛たちだけだ。その中に獣化して紛れ込んで入りというのなら、それはそれで大したもではあるのだが。


「こう見えても力に自信はあるんでね。君が急に獣化して私を襲ってきたとしても対処できる自信はある」

「そうでしたか」


 確かに、ジャゼル辺境伯の腰には剣が下げられていた。


「牛飼いだけでは日々の食事に困ります。仕事をいただきたいのです」


 アゼルはおそらく父が話しているであろう事を口にした。バツとして辺境の地こんなところに一人で暮らさなくてはならなくなったが、王都育ちの侯爵子息、つまりはお坊ちゃまだ。粗末な食事では牛飼いなんて力仕事、いくらクロヒョウの獣人とはいえこなせるわけがない。


「御父上からは聞いている。君は魔道具造りが趣味だそうだね。修理もできるのかな?」

「もちろん。それには材料が必要ですが」


 こうしてアゼルとジャゼル辺境伯の商談がまとまり、アゼルはまとまった通貨を手に入れることに成功したのであった。だが、仕事の話をするために街まで降りるのは時間がかかる。そのためにアゼルが考えた手段は乳しぼりのために修道院にむかう牛だった。すべての牛に魔道具の首輪をつけ管理をし、修道院に向かう牛の背に依頼品を乗せる仕組みを作った。鍵はジャゼル辺境伯とアゼルが一つずつ持つ。必要な材料はリストを書いておけば牛が届けてくれるシステムだ。支払いは仕事の報酬から引いてもらうことにした。


「誰もいなくていいな」


 夜になり、牛たちが小屋に入って大人しくなった後。牛小屋は魔道具によってしっかりと施錠された。力任せに扉を壊そうとしても、魔道具の強力な加護で破壊されることはない。時折やってくる嵐に小屋が破壊されないように強力な魔道具を牛小屋に組み込んだのだ。

 アゼルは牛小屋が静かになっていることを確認して、天窓から屋根に上った。その姿はしなやかな若い肉食獣の姿であり、月明かりがあったとしても見つけにくいほど夜の闇に溶け込んでいた。屋根の上で鼻をひくひくと動かし、周辺の匂いをかぎ分け、生き物の気配を耳をそばだてて聞き取る。牛小屋の周辺には生き物はいない。修道院とは逆側に下っていけば小さな森になっていて、そこにある程度の生態系ができていることぐらいアゼルにはわかっていた。

 先祖返りが強く出ているアゼルは、抑えきれない本能があった。

 狩猟である。

 己の爪と牙で狩りをして、獲物を食らう。

 その欲求が抑えきれなくて、ある日自分をバカにしてきた同級生をその牙の餌食にしてしまったのだ。先祖がえりをバカにされ、半端な獣人姿の同級生を獣の姿となって襲った。本能の赴くままに相手の喉に食らいつき、その血をすすった。同級生はその耳と尻尾から犬系の獣人だった。同じ肉食獣であったとしても、獣人と獣化とでは早さも力も比べ物にならなかった。あっという間に勝負がついて、周りからは悲鳴が上がった。宰相である父親が権力をかざしたのと、相手が格下の伯爵家の子息だったこともありお咎めはなかった。だが、肉食獣の先祖返りが制御の利かない恐ろしい存在であると知られてしまったため、アゼルは王都から追放されることとなってしまったのだ。


「…………」


 無言で屋根の上から地上に音もなく降り立つと、アゼルは静かに森の中に入っていった。わずかな水音と、微かな鳴き声が聞こえたからだ。夏草は程よくアゼルの足音を消すことに協力的で、夜の闇の中、アゼルは気配を消したまま獲物のすぐそばまで来ていた。風のない夜だから、月も雲に隠されてはいないが、低い木立の陰に隠れたアゼルの身体は鳥たちには見つけにくかった。水鳥が夜に水の中にいるのは防衛のため。この小さな森に、夜の池に飛び込んでまで狩りをするような獣はいなかった。そう、昨日までは。


 バシャ


 大きな水音がした後、鳥たちが飛び立った。その後、池の中から鳥を咥えた一匹の獣が現れた。陸に上がり体から水滴を振るい落とすと、まっすぐにねぐらへと帰っていった。


「お腹がいっぱいだとよく寝れるな」


 すっかり日が高くなったころ、アゼルはふかふかの布団からようやく起き上がった。魔道具のおかげで朝の7時を迎えればチリ一つない清潔な部屋になる。久しぶりに満腹で、ぐっすりと眠ったアゼルはご機嫌だ。魔道具を使って湯を沸かし、貴族らしく紅茶をいれたが、この部屋には背もたれのない椅子しかないためカップをもって再び寝台へと戻る。羽枕を背もたれにしながらゆっくりと紅茶を味わう姿は正しく気品があった。


「冬が来る前に椅子ぐらい買おう。魔石のいいのを探して暖房を準備しないとな」


 灰の一粒もない暖炉を眺めながらアゼルはそんなことを呟くのだった。

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