悪役令息は好い夢をみる

ひよっと丸 / 久乃り

第1話

「当面の間、お前はここで一人で生活をするのだ。自分の罪と向き合いなさい」


 緩やかな傾斜に辺り一面の牧草、茶色の牛たちが草を食んでいるのが見える。吹く風は穏やかで、遠くに見える森は濃い緑をしていた。牛小屋に張り付くように居住スペースがあるだけの、小屋のような建物の前には似つかわしくない立派な馬車が止められていて、その中にはどこからどう見ても上位貴族にしか見えない親子が乗っていた。


「わかりました。父上」


 感情のない声で返事をしたのは黒髪に黒曜石のような瞳をした少年のような男で、爪の先までよく手入れされた指先で自分の髪を弄びながら返事をしていた。


「ジャゼル辺境伯のご厚意だ。修道院ではなくこちらを使っていいとのことだ」

「ご厚意ね」


 そう言いながら見つめる先にあるのは、どこからどう見ても木造建築の立派な牛小屋だ。


「中に入ってもよろしいのでしょう?」


 そう言って一人で馬車を降り、扉に手をかける。


「待ちなさい。アゼル」


 息子の名を呼び、父親が慌てて馬車から降りてきた。


「父上、鍵がかかっていません」


 そんな返事をしつつ、アゼルは小屋の中に入っていった。


「これはまた」


 埃っぽい。と言って片付けるにはあんまりなほど生活感のない空間だった。粗末な木のテーブルに、背もたれのない椅子が二脚。その奥に寝具のない寝台が見えた。反対側はおそらく水場だろう。庶民の家に風呂がないとは聞いたことがあるから、そこは期待しないでおこう。


「仕方がない」


 ふぅっとため息をついてアゼルは部屋の中のほこりを払う。とはいっても、ほうきを使ったりするのではなく、ポケットから取り出した魔道具だ。浄化の機能の魔道具を発動させて、部屋の内部を空気まで綺麗にしたら、馬車から自分で荷物を下ろし、配置していく。魔道具のカバンの中から取り出したのはふかふかの布団だ。粗末な木枠だけの寝台に高級な布団を置き、羽枕を並べれば、そこだけは貴族の寝室のようにはなった。そして衝立で仕切りを作り、粗末な木のテーブルの上に道具箱を置いた。水場は予想通り粗末な作りの台所で、薪を使う調理場が併設されていた。


「こんなの使って料理なんかできる気がしない」


 造りを丸っと無視して魔道具のオーブンを置き、猫足のバスタブを置いた。


「風呂は重要」


 アゼルは自分に必要な物だけを置いていく。


「仕上げはこの時計、時刻は朝の6,いや7時でいいかな」


 アゼルは時刻を設定すると、時計を壁に取り付けた。真ん中に魔石をはめ込めば完了だ。魔力が通り部屋一面が一瞬明るくなった。


「これで良し」


 満足そうに部屋を見渡すアゼルに父親が声をかける。


「アゼル、お前の仕事はこちらだ」

「はい、父上」


 わかってはいるが、一応聞いておかなくてはならない。アゼルは一応しかめっ面をして父親の後をついていく。


「ここは牛小屋だ。お前の仕事は牛飼いだ。とはいっても、牛たちはふもとの修道院で作るチーズのための乳を出す。放牧すれば勝手に草をはみ修道院に降りていく」

「わかってますよ。牛小屋の掃除をすればいいのでしょう。冬場の餌の準備もしますよ。ちゃんと調べてきています。そのための魔道具も作りましたから」


 アゼルはめんどくさそうにそう言い放つと、牛小屋から少し離れたところに魔道具を設置した。


「こいつをこうして……時間は、9時でいいか。牛は朝から放牧だし。で、扉にもしかければ……」


 アゼルは牛小屋に魔道具設置して牛飼いの仕事をするようだった。掃除も放牧も、すべて魔道具で管理ができるとは驚きだ。


「アゼルよ。父がお前にもう一つ課したいことは、わかるな?」

「…………牛を死なせないこと……ですね」


 アゼルはそう答えると、ポケットから手帳を取り出し確認を始めた。


「冬のための餌を夏の間に備蓄か」


 そういって、あたりを見渡してみるが、そんなことができそうな設備が見当たらない。おそらくだが、ここの牛小屋は夏の間しか使われていなかったのだろう。しかし、これからはここにアゼルが暮らすことになる。つまり牛たちは一年中この牛小屋で暮らすことになるのだ。死なせないためには餌を備蓄しておかなくてはならない。アゼルは王都にいた時に調べたメモを一つずつ実行していくようだった。


「アゼル、父はジャゼル辺境伯と話をしなくてはならない」

「ええ、わかりました。ごきげんよう父上」


 アゼルは綺麗なお辞儀をして父親を乗せた馬車が走り去るのを見送った。ようやく一人になって、アゼルは大きなため息をついた。


「食事なんか作るわけがない。狩った方が早い」


 アゼルのつぶやきは風にかき消され誰の耳にも届かなかった。

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