第2話
車が一台通るのがやっとの小さな橋は、僕の家がすぐそこだという目印だった。橋の下を流れる川は水がきれいで、夕方になるとよく蛍が飛んでいるけれど、明るい今は何をしているのだろう。間違って踏むと大変だから、足元に気を付けて歩いた。
家に帰ってただいまと手洗いうがいをしたあとには、やることがある。
それは、おばあちゃんにご飯をあげることだ。
あげるといっても、本当に食べさせてあげるわけじゃない。お仏壇の前に、ご飯をお供えするのだ。
実は、おばあちゃんと話したことは一度もない。僕が生まれる何日か前に亡くなってしまったからだ。血が繋がってるお母さんなんかは僕のことをおばあちゃんの生まれ変わりと言っていたらしいけど、そんなわけがない。僕は僕で、おばあちゃんはおばあちゃんだ。顔がちょっと似ていると言われたところで、中身が一緒なはずもないのだ。一方で、おじいちゃんは今も生きているが心臓が悪くて、ここから離れた大きな町にある病院からしばらく出られていない。
そういえば、今日の話で山口君のおばあちゃんが出てきたけど、この人は僕のおじいちゃんやおばあちゃんとも関わりのある人で、名前はトメさんという。この三人は同い年で、ずっと同じ町で育ってきた幼なじみだったらしい。だけど、おばあちゃんは先に天国へ行ってしまったし、そのあとにおじいちゃんも違う町の病院へ入院した。置いてけぼりになってしまったトメさんはかわいそうだけど、今も元気に山口君の家で暮らしている。
ちょっとだけ、山口君をうらやましく思うこともある。僕みたいに、家に帰っても一人でいるなんてことはないんだから。
「栄太みたいに自分の家の鍵を持ってる子を『鍵っ子』って言うのよ。ちょっとかわいいでしょ?」ってお母さんは言ってたが、かわいいとかかわいくないとかはまったくどうでも良い。僕は家に一人でいるこの時間がたまらなく寂しかった。近くにある山口君の家に行ければ良いのだけど、あの家にはものすごく恐ろしい番犬がいて、僕にはとても入る勇気が出ない。お父さんもお母さんも家のために頑張っているのは分かっているので、文句は絶対に言わないけれど、この寂しさはどうしようもない。その分、お父さんやお母さんが帰ってきた時は嬉しい。
今日の夜ご飯はハヤシライスだった。この家では一番よくでてくるメニューだ。お父さんはあまり好きではないみたいだけど、僕の好物だから我慢してくれているらしい。ハヤシライスは好きだから嬉しいけど、そんなことはしなくて良いと思う。
ご飯の時はお父さんとお母さんに学校であったことを話すことになっている。
「今日、体育の授業で長距離走があったんだけど、前田君がぶっちぎりで一位だったよ」
「そう。栄太は何番目だったの?」
「下から三番目。しょせん僕は運動オンチだよ」
「マラソン大会の時より一つ順位が上がったじゃないか。十分進歩してるよ」
「今回はマラソン大会より距離短かったし」
「まあまあ、そんなの些細なことじゃない。細かいことにこだわる男はモテない、って誰かも言ってたわよ」
そう言って、お母さんはけたけたと笑う。分かってない。今回の長距離走は1キロで、マラソン大会は2キロで全然違うし、別にモテたいわけじゃない。それにあの噂のような、誰が言ったか分からない話をされても困る。
それ以外にも色々話した。給食のメニューだとか、算数のテストが返ってきただとか。だけど、あの噂のことはひとことも話さなかった。
ご飯を食べて、お風呂から上がってきて、宿題をやったらすぐ寝なさいと言われる。見たいテレビがあったり、やりたいゲームがあったりするが、夜九時以降は「大人の時間」らしく、子どもは起きてちゃダメなのだ。一つの部屋に仲良く並んだ三つの布団のうち、入口に一番近いところでおとなしく寝て、よっぽどのことがない限り部屋から出てはいけない。これが僕の家のルールで、いつも守って生きてきた。
だけど、今日は変な時間に目が覚めてしまった。暗くて何時か分からないけど、隣からお父さんやお母さんの寝息が聞こえてくるので、もうだいぶ遅い時間だということは分かる。
もう一度寝ようとしたんだけど、どうしてか寝つけなかった。トイレに行きたいわけでもない。いったいどうしてしまったんだろう。いつもはこんなことはないのに。
困った。このまま寝れないと、僕は悪い子になってしまう。この町には誰でも知っている言い伝えがある。家の決まりを守らない悪い子のところには恐ろしい妖怪が来て、地獄に連れ去ってしまうというのだ。まだ小学生なのに、悪いことをして死んだ人の行く地獄に連れていかれるなんて、絶対に嫌だ。
真っ暗な中、ただじっとして眠くなるのを待っていた。だけど、僕の布団のすぐ近くにあるドアから、その妖怪が入ってくるかもしれないと思うと、怖くて仕方がない。前にお母さんが言っていた。妖怪は人間にはない不思議な力をもっているので、暗いところで起きている子どもを見つけたり、ドアや壁をすり抜けてきてもおかしくないんだ、って。そう考えると、余計に眠れなくなってまいってしまう。
どうしようもなくなった僕は、ちょっとだけ歩くことにした。もちろん家の中だ。少しは気分が落ち着くかなと思った。僕は枕元に置いてある懐中電灯を握りしめ、お父さんとお母さんを起こさないように静かにドアを開け、静かに閉めた。昔、お父さんが言っていた。トイレとかでどうしても夜に部屋を出ないといけない時は、懐中電灯を持っていれば妖怪にも会わない、と。そういうわけで、僕の枕元には懐中電灯がいつも置いてあるのだ。
廊下の電気をつけるスイッチはすぐ左にある。夜、トイレに行きたくなった時のために、スイッチの場所は覚えていた。
僕は記憶だけを信じてスイッチを押そうとした。
その時。
――目の前を、光が通った気がした。
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