蛍火の行き着く先に

刈穂結希

第1話

 六月のある日、学校で変な話を聞いてしまった。

 なんでも「異世界に渡れる方法」なるものがあるらしい。クラスの何人かに聞いたのを簡単にまとめるとこうだ。この田舎町のどこかで、真夜中の決まった時間に道路を走って渡ると、渡りきったところで一瞬衝撃を感じる。そして気が付くと見たこともない場所にいるらしい。よくある噂に聞こえるけど、この話が実に怪しいのだ。


 まず、言いだしっぺが誰か分からない。原田君は一組の石川先生だと言うし、高橋さんは自分のお父さんだと言う。この二人にとどまらず、みんながみんな違う人の名前を挙げるので困ってしまう。

 それだけじゃない。その場所がいったいどこなのかも、「真夜中の決まった時間」というのが何時何分何秒なのかも人によってバラバラなのだ。どれぐらいの速さで走れば良いのかに至っては、誰も何も答えてはくれない。


 しかも、この噂が流れ始めたのはつい最近なのに、一週間もしないうちに学校での話題はそればかりになってしまった。いくらなんでも広がるのが速すぎると思う。それに、こんな怪しさだらけの話なのに、なぜかみんな本当のことだと信じている。隣のクラスの荒川君は何回か失敗したあと、昨日ついに親の目をすり抜けることができたそうだけど、結局異世界へ行くことはできず、家で待ち構えていたお父さんにこっぴどく叱られたらしい。当たり前だ。それでもみんなは、場所が違う、とか時間が違う、とか色んなことを言って、どうしても「異世界に渡れる方法」の存在を信じたがった。僕には理解ができなかった。


 でも、噂が流れだして初めて、僕の心を動かす出来事があった。近所に住んでいる山口君が「栄太にだけ本当のことを伝えてやる」と「異世界に渡れる方法」について教えてくれたのだ。山口君はクラスでもおとなしい人で、噂話が大嫌い。この話についても僕と同じで、最初はまったく興味なさそうだった。そんな人が、噂も広がってしばらくした日の放課後、突然目をキラキラさせながら話をし始めたのだからびっくりしてしまった。


 山口君の言う異世界への渡り方は他の人より細かく決まっていた。どうやるかというと、まず月の出ていない日の真夜中二時二十二分に、「ある場所」に立ち、道路の反対側に向かって一度頭を下げる。そして、助走をつけて道路を走って渡る。この時、道路は必ず四歩で渡りきらなければならない。そうすると次の瞬間、目の前には見たこともない異世界が広がっている、らしい。

 「じゃあ『ある場所』ってどこなの」と聞くと、山口君は待ってましたとばかりに、さらに目のキラキラを強めた。あまりにもキラキラしているので思わず目を反らしたくなった。山口君のことは幼稚園に入る前から知っているが、こんな目をしてるのは見たことがない。なんだか山口君が僕の知ってる山口君じゃなくなっているような気がして、ちょっと怖くなってしまった。


 山口君は言った。


「それはな、栄太。お前の家の近くにある道だよ」

「なんだって?」

「栄太の家から小学校の方に十五歩か二十歩ぐらい歩くと、左に細い道があるだろ。ちょっとのぼりになってる道。そこを歩いていくと、向こう側のガードレールが一ヶ所だけ途切れてるところがあるんだ。そこが、『ある場所』だよ」


 道のことは知っていたが、まさかそこが噂の場所だとは驚いた。そこは恐ろしい雰囲気があるところで、お父さんとお母さんから行っちゃダメってよく言われている場所なのだ。

 もし山口君の話が本当だとしても、この時点で行く気はもうない。というか、行ってはいけない。荒川君みたいに怒られるのは勘弁だ。なのに、今日の山口君はなんだかしつこかった。


「一回、行ってみろって。栄太なら、絶対に異世界に渡れるはずだよ」

「嫌だよ。なんで異世界なんて行かなきゃいけないのさ。行くなら山口君が行けば良いじゃん」

「俺はダメなんだよ」

「なんで?」

「俺は渡れないから」

「どうして山口君が渡れないのに、僕が渡れるんだよ。適当なこと言わないでよ」

「この話、ばあちゃんが教えてくれたんだ。栄太なら渡れるけど、俺や他の人は渡れないって。急に言い始めたから怖かったけど、本当のことを言ってると思う」

「僕は今の山口君の方が怖いよ。もうその話はしないで」


 そう言って、僕はぷいっとそっぽを向いて家に帰ってしまった。


 ただどうしてか、山口君の話はやけに頭に残って、なかなか出ていってはくれなかった。

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