《百合》私は貴方の、異端
藤宮美鈴
プロローグ
誰もが「正しい」と呼ぶ道が、私にはいつも、まるでガラスの破片が敷き詰められた迷路に見える。
私は藤原美優。毎日、息を吸うのも一苦労だ。
幼い頃から、私は二つの分厚い壁の中で生きてきた。一つは、厳格な教義を持つ教団の壁。もう一つは、私自身の内側にある、名前をつけられていない壁だ。
教団は、世界の全てを「清い」と「穢れ」に分ける。生き方、食べるもの、着るもの、そして感情まで。彼らが用意してくれたレールの上を歩けば、私は「正しい人間」として承認される。
だが、そのレールはひどく細く、少しでも外れると、心臓が握りつぶされるような恐怖と罪悪感が襲いかかる。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と、私はすぐに口に出す。
謝らなければ、私の居場所は、私が存在する権利さえ、消えてしまう気がするから。
私にとって、世界はノイズで満ちている。特定の音、匂い、予想外の出来事。どれもが強烈すぎて、五感が悲鳴を上げる。
そんな時、教団の定型的な祈りや、決められたルーティンだけが、私に一時的な安堵をもたらす。
皮肉なことに、私のこの生きづらさは、彼らにとって「真面目な信仰心」と解釈される。
私は誰にも理解されない。 教団の信者たちは、私が「清く正しく」あろうとする姿しか見ていない。
教団の外の、所謂「普通」の人たちは、私がなぜこんなにも不器用で、なぜいつもビクビクしているのか、見当もつかない。
私は、どこにも居場所がない。ただひっそりと、この「正しい」世界から逸脱しないよう、息を潜めて生きている。
唯一、私の孤独が少しだけ薄れる場所がある。それは、深夜のスマートフォンの中、誰にも見えないSNSの裏アカウントだ。
画面の向こうには、私がひどく心を惹かれるアニメの世界が広がっている。教団が「世俗の誘惑」として禁じる、鮮やかで自由な物語たち。
そんな秘密の場所で、私は一人のユーザーと出会った。
ハンドルネームはアユ。
私とは違い、迷いなく、鮮やかな言葉を使う人。特に、私たちが熱狂するマイナーなSFアニメの考察について、彼女の意見はいつも的を射ていて、力強かった。
ある日、私が上げた、そのアニメの
「少しおかしい」と感じた設定についての、おずおずとした投稿。すぐに通知が届いた。
アユ: 「それ、おかしいよね。私もずっとそう思ってた。でも、おかしいことはおかしいって言っていいんだよ。設定ミスって認めても、作品への愛は減らないから。」
その簡潔で、力強い一文を読んだ瞬間、私の心に、これまで教団の教義と自己嫌悪で固く閉ざされていた、ある扉がわずかに軋む音がした。
「おかしいことはおかしいと言っていい」。
私にとってそれは、神の教えに背く、異端の言葉だった。
この出会いが、私をどこへ連れて行くのか。私はまだ知る由もなかった。
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