STAGE:Ⅳ 楽園の崩壊
1
三日目からはアリスたちと組んで、様々な種目を攻略していった。タカキやガリュウに一泡吹かせることもやった。
その一方で、座学による思想の刷りこみが……生徒たちに浸透しつつあった。
八咫烏への反感を高め、クラヴマガの授業やゲームを通し、戦闘技術を学んでいく。
不穏な空気が作られていた。それでも、ここはたしかに『楽園』といえる。
エージェントや掃除屋が、普通の高校生になり――――純粋に楽しめる場所だったのだ。
だが、永遠に続く楽園なんて存在しない。かならず現実に戻る時間がやってくる。
潜入は、今日で十日目。明日がゴールデンウイーク最終日。
そして、教団の合宿イベントも解散となり……選出された者のみが、教祖と対面する日でもある。
朝の午前十時、銀四郎は体育館にいた。
ブレザーの制服を着て、靴は茂木がくれたローファーを履いている。
足元には荷物を入れたボストンバッグ。返されたスマホと貴重品の財布はズボンのポケットにある。
つまり、いざという時はバッグを置いて動くことができる。
まだ他の人は来ていない。とはいえ、すぐに全員が集まるだろう。
しばらくして、二人目が体育館に入ってきた。
自分と同じブレザー制服。ツーブロックの茂木はこちらを見た途端、目を丸くする。
「おいおい、武器はどうした?」
「お前のプレゼントはいちおう装備しておいたよ。そもそも俺たちの目的は戦闘じゃない。何かを仕込む方が、どうかしている」
彼が持っているのはボストンバッグ一つだけ、ではない。
制服の袖に隠れた右の前腕……そこに違和感があり、薬指にも怪しげなリングがある。
茂木はしかたがなさそうに肩をすくめた。
「用意しておくことに越したことはないだろ。そっちだって俺の靴を履いてるわけだし」
「こんなのは子供だましだ。けど、お前たちの発想は火力が高すぎる」
「貞乃と揉めた件か……まあ、すべては向こうの出方しだいだ。こっちから仕掛けることはしないさ」
――――アリスたちと取り交わした、約束は二つ。
教祖と対面する際……まず銀四郎と話をさせること。その間、いっさい手を出さないこと。
ただし交渉に失敗するか、拒絶された場合――――強硬手段に踏み切る。
明らかに分の悪い賭けだ。それでも、『あの人』を見捨てることはできない。
やがて、最後の舞台に役者がそろっていく。
次に入ってきたのは姫子、貞乃、江野。彼女たちもブレザー制服を着て、ボストンバッグを持っている。
女性陣も妙な物を用意していた。剣道部の生徒がよく使う、竹刀袋を肩にかけているのだ。
姫子はフフ、と柔らかく微笑み……懐から扇子を取り出し、優雅にあおぎ始めた。
貞乃は不満げな表情を浮かべ、こちらをじっと睨んでいる。
そんな先輩に江野がこっそり近づき、背後から――むんずと胸をわしづかみした。
大きさがそこそこの少女は顔を真っ赤にして激怒、後輩エージェントを追い回す。
空気が弛緩しかけたところに、赤い少女が入ってきた。
アリスだ。部活動の主将を思わせる風格に、貞乃と江野もぴたりと止まる。
ワインレッドのブレザー制服を着た彼女も、ボストンバッグと竹刀袋を所持している。
ふと、目が合った。アリスは口元をほころばせ……声を出さずに一言。
『頑張れ』
不思議と、勇気がわいてくる応援をもらった。
胸が熱くなる。銀四郎は力強くうなずき、体育館のステージを見据えた。
――――自分を含めたこの六人が、教団に選出されたメンバー。
他の生徒は帰りのバスで待機している。銀四郎たちも乗りこむ予定だ
勝ち残れたことは奇跡である。監視役の吹雪も陰ながら、支えてくれていた。
諦めない限り、奇跡は何度でも起こせる。そう信じて挑むしかない。
かつん、かつん……と、ハイヒールが床を鳴らす音。
わざとらしい演出だが、聞く者を不快にさせない穏やかな気遣いが感じ取れる。
その女性――――
「……お久しぶりです、副來さん」
「もう、私を『先生』と呼んでくれないのね……銀四郎くん」
副來はいつもと変わらない姿のまま、悲しげに目を伏せる。
艶やかなセミロングの黒髪に絶世の美貌、白衣に包まれた完璧なプロポーション。
聡明な頭脳と観察力を誇り、優しい心を持ち、自分を導いてくれた恩人。
だが、彼女の本性は――――カルト教団『千理の瞳』の教祖。
「…………」
言いたいことが山ほどあるのに、口が動いてくれない。
銀四郎が固まっているうちに副來がペースを握った。
「しばらく見ない間にまたずいぶん傷を負ったわね……首のソレはどうしたの?」
「い、いや、これは――――」
あまり指摘されたくない部分を突かれ、うろたえてしまう。
手当てと『紅桜』の隠ぺいのため、今は首から右腕まで包帯を巻いている。
それで十分だった。ところが、なぜか首輪の黒革ベルトもつけている。
そんな銀四郎を見かねたのか、アリスが助け舟を出した。
「これは我々に対して、欺瞞を働いたペナルティーだ。彼は紅桜の悪化とキサマらの醜いビジネス……二つの報告を怠った」
舟どころか容赦なく海に沈められた。副來が鋭い眼で、赤い少女を威圧する。
「すぐに外しなさい。無許可で、人の犬に首輪をつけるのは許せないわ」
「断る。シロウはこちらの軍門に降った。もはや飼い犬も同然だ」
「い、いぬ……」
双方のひどい言い分に打ちのめされ、がくりと肩を落とす。
――――発端は二日目の夜、ミーティング後のことだった。
アリスが別の用件について話し合いたい、というわけで銀四郎は女子部屋に招かれた。
しかし、そこで待っていたのは……トラウマになるレベルの尋問。
紅桜のことはもちろん、一日目の夜の真実も洗いざらい吐かされた。
甘い香りが漂う中、アリスが力尽きた銀四郎を見下ろし、冷たく言い放った。
『レディへの気遣いには賞賛を送るが、私情は任務の邪魔になる。これからはナシだぞ。そして、今後は誓いの証をつけてもらう』
吹雪の存在だけはかろうじて守り通したのだった。
回想に震える間に、副來とアリスのやり取りがヒートアップしていく。
「銀四郎くんを悪の道に誘惑する、血なまぐさいカラス……なんて汚らわしい!」
「ふん、キサマは化粧を厚塗りした女狐だろう」
「うふふ、小娘にしては面白いこと言うじゃない」
このままだと脱線する。ごほんっ! とせき払いして、流れを断ち切った。
「二人とも、そこまでだ。そろそろ本題に入らせてくれ」
「むっ、そうだったな。私としたことがつい熱くなってしまった」
「ごめんなさい、大人げないところを見せちゃったわね」
二人はしぶしぶ引いてくれた。
なかなかに口汚い争いだったとはいえ、おかげで肩の力がすっかり抜けた。
「副來さん。単刀直入に聞きたい」
「構わないわ」
承諾を得られたことにほっとして、ふう……と深呼吸を一つ。
「春祭りの夜、教団がばら撒こうとしたウイルスは――――『紅桜』だった。もちろん、空気感染するように改良してある……」
効果も凶悪なもの。感染すれば脳に悪影響を与え、自らの正義のままに暴走してしまう。
銀四郎の担当医を務め、データを収集できる彼女なら――手を加えることも可能だろう。
「しかもあの頃は、大気中を測定する『紅桜カウンター』が流行っていた。刑事の高崎さんも使うほどに」
「風が吹けば桶屋が儲かる、の理屈ね。ウイルスが広がったらカウンターも売れる。だけど、せっかくのビジネスも水の泡」
「……びじ、ねす?」
限界だった。堪えていた感情が一気にあふれ出す。
「どうして他人ごとみたいに語っていられるんだ⁉ 関係ない人たちがクソ親父のように暴走するところだった! 俺は、ずっとあんたを信じてたのに!」
「銀四郎くん……『
「たしか――――あれ?」
すでに聞いていたはずだ。明治の日本を騒がせた、超能力の実験。
八咫烏はエージェントに大事な器具を盗ませ、世間の非難も煽り、追い詰めていった。
すべては非科学的な超能力を否定し、科学的な発展を促すために……。
「八咫烏が、千理眼事件の黒幕⁉」
「ええ。馬鹿馬鹿しい話でしょうけど、当時の日本は外国に追いつこうと必死だった。国の偉い誰かさんが依頼したのよ。現実的な研究を優先させろと」
「じゃあ、副來さんは本当に――――」
事件の被害者、
だが、彼女はゆっくりと頭を振った。
「違うわ。博士の養子が私のおばあ様、ただそれだけの関係に過ぎなかった」
「なら、どうして?」
「彼女は事件の裏に気づいていたの。養父の人生をめちゃくちゃにした連中が許せない、なのに無力な自分は何もできない……ずっと矛盾に苦しんできた」
そして、副來の母にも引き継がれてしまう。
「でも、私は大丈夫だった。祖母や母が破綻していようと、私は私。割り切ろうとした時――――ふと思ったの」
他にも、八咫烏の被害者がいるのかもしれない。
彼ら彼女らも、忘れられた事件を引きずり……現在も逃れられずに苦しみ続ける。
「八咫烏は何の責任も取らずに、今もどこかで誰かの人生を歪める。そう考えると、やるせない気持ちになってきたわ」
病院でぽつりとこぼした、副來のつぶやきを思い出す。
『そうね、私はずっと怒っているのかもしれない――――『あの時』から』
なぜ、見過ごしてしまったのか。
完璧な人間が内側まで同じとは限らないと、諭してくれたのも先生だというのに。
頼れる『先生』としてふるまってほしい、そう無意識に願った。
甘えてばかりで、
それこそが銀四郎の罪。そこに先生の罪も重なることで、この戦いは動きだしたのだ。
後はすでにわかりきっている。八咫烏は銀四郎を利用して、副來を揺さぶった。
彼女にとっては人質に見えるだろう。エージェントへの攻撃も封じられる。
卑劣な手段だが、こうして会えた以上……文句はない。
やらなくてはならないことをやる時が来たのだ。
「――――自首しよう、副來さん。俺も一緒に行く」
「銀四郎くん……私はもう引き返せない。今回の計画が最後のチャンスなのよ」
「まだ何かするつもりか? こんな戦いを続けたって――――」
「焦点はそこじゃない。私はただ、思い出してほしいだけ……今の平和は過去の痛みと引き換えにして、もたらされているのだと」
会話に生じたズレに、戸惑いを覚える。
彼女は熱に浮かされたようにしゃべりだした。
「人は時間とともに過去の事件や戦争を忘れていく。覚えていても他人ごと扱いで、痛みをこれっぽっちも知ろうとしない。誰かが警鐘を鳴らさなくてはならないのよ」
「……千理眼事件のことか?」
「他にもあるわ。カルト教団への恐怖も薄れている。事件を知らない若い子たちが次々と勧誘されているの。千理の瞳もそうやって大きくなった」
「警鐘を鳴らす側が悪党になってどうする? 本末転倒じゃないか」
「いいえ『必要悪』よ。私は世界を回す歯車の一つ、システムなのよ」
「――――え?」
一瞬、目の前にいる人間がわからなくなった。
それは、この場にいない『彼』の言葉だったはず。
問いただそうとした時、副來はいきなり突飛な行動に出た。
ばさっ、と羽織っていた白衣を床に落とし……ブラウスのボタンを一つずつ外していく。
誰もが呆気に取られる中、彼女は剝き出しになった背を向ける。
それを視認して……愕然とした。
「は?」
ゾッとするほど白い肌に――――『紅色の桜吹雪』が浮き上がっていた。
「綺麗でしょ? もちろん入れ墨じゃない。銀四郎くんと同じ『紅桜』よ。私は私自身を被検体にして、感染型を作りだしたの」
「……あんたは、俺から抜き取った『紅桜』を感染させたっていうのか?」
「少し違うわ。銀四郎くんはデータ収集用のサンプル。私が使った『紅桜』は ――――『あの人』から採取した、オリジナル」
彼女は自らの肩を愛おしげに抱き締める。
そして、ああっ! と不可解な嬌声をあげた。
「あなたのおかげよ、銀四郎くん! ついに私はあの人……鉄矢さんと一つになれた!」
「な、何言ってんだよ⁉」
マッドサイエンティストの恍惚に満ちた顔は、まったく理解できなかった。
いや、脳そのものが受け入れることを拒んでいた。
いよいよ事態が混迷してきた時――――ぱちぱちぱち、と手を叩く音。
続いて舞台袖から……青ジャージ姿の男性が、拍手をしながら現れた。
「なかなかに面白い『茶番』だったよ。でも、そろそろ終わりにしようか」
教団のイベントでおなじみの中年である。
副來は彼を歓迎していなかった。白衣を着直し、忌々しげに睨みつける。
「なぜ出てきたの、マーガ。銀四郎くんは私が説得する。それまで待機していろと命じたはずだけど?」
マーガと呼ばれた男はおどけるように肩をすくめた。
「もう十分でしょう。大人は子供より忙しいんだ。さっさと幕を閉じるに限る」
彼は無造作に、銀四郎と副來の間に割りこんだ。
邪魔をしないでほしい、と文句を言う前に先手を打たれた。
「君はどうして我々の教祖にこだわる?」
「……聞いてなかったのか? 俺は副來さんの本心に気づけなかった。知らなかったじゃ済まされない。俺も同罪だ」
「らしくないな。君の本質は、紅桜を抑えるために人助けする偽善だろう。君はドロドロの執着を隠したいあまりに――――ガチガチの理屈で固めている」
中年の言葉は一歩ずつ、銀四郎の核心へと近づいていく。
「たしか銀四郎くんの母親は、出産時に亡くなっているよね? つまり母親からの愛情を受け取らずに育ったわけだ」
「…………」
「そこに『先生』という拠り所が現れた。彼女の優しさを母親の愛情なのだと、本能的に錯覚したとしてもおかしくない」
「……やめろ」
「やめない。断言すると君は――――マザコンだ。ママと離れたくない、と駄々をこねるガキそのものだ」
思春期の少年にとっては、恥ずべき衝動。
しかし、誰が責められるだろうか。母はおらず、父の歪んだ教育のみを受けてきた。
副來だけが本物の優しさをくれたのだ。いつしか、愚かな願いを抱いていた。
『ああ……この人が自分の母親だったら、よかったのに……』
消えてしまいたくなる。副來には迷惑でしかないだろう。
立ち尽くす銀四郎を庇って、アリスが前に出た。
「シロウは間違ってない。子が親の愛情を求めることは、当然のことだろう」
「別に否定するつもりはないよ」
「では副來智菜、キサマはどうだ。ここまで頑張ってきたシロウの想いを、無下にしようというのか?」
しん、と体育館が静まり返る。
そして副來は――――あはははっ! と笑いだした。
「答えはとっくに出ているじゃない! あの人の存在が証明しているわ」
「鉄矢さん、と言っていたな。やはりキサマは……」
アリスが苦々しげに顔をしかめる。辛い現実を覆せないと悟ってしまったのだ。
「そうよ! 私は遠山鉄矢さんを愛している。彼は教えてくれたの……平和に毒された世の中に警鐘を鳴らす、『必要悪』が私の役割だと!」
「シロウが使っていた形見のグロックも、キサマの身に宿った『紅桜』も……」
「担当医になった理由も、すべて鉄矢さんのため! 銀四郎くんを第二の鉄矢さんにすることが私の目的だった」
だから彼女は『先生』として、銀四郎に愛を注いだ。
問題は二人に、決定的なすれ違いがあったこと。
副來が血走った眼でこちらを睨み、苛立たしげに吐き捨てる。
「バッカみたい、血のつながりもない他人を母親って! 私との間にはできなかったのに、他の女と平気で作って……代わりに育ててやった結果がコレ⁉」
ヒステリックに叫ぶ姿はマッドサイエンティストとも違う。
どうしようもない現実に憤る、一人の女だった。
「――――あ」
ぴしり……と、心にひびが入る。さらに意識がぐらりと揺れた。
体もふらつき、地面に倒れる寸前――アリスが支えてくれた。
「シロウ⁉」
「あ、熱い…………」
首の『紅桜』が、ズキズキと疼く。今まで一番強い発作だった。
副來がニヤリと、悪意に満ちた笑みを浮かべる。
「やっぱり及第点ね。病院であなたに注射していたのはワクチンじゃない。紅桜の活動を促進させる薬よ。悪化の時期が、八咫烏との衝突と重なってくれて助かったわ」
「くそ……」
「あなたも鉄矢さんと同じ『機械』の役割に目覚める。でも、今のタイミングは理想的じゃない。そこで取引よ、銀四郎くん――――私につけば本物のワクチンが手に入る」
「な、に?」
「ずっと一緒にいたいんでしょ? あなたが私の鉄矢さんになってくれるなら、ママのお乳を飲ませてあげる」
「ふざけんな!」
それは絶対に違う。銀四郎は『掃除屋』として、副來を説得しようとした。
どんな思惑があっても二人で始めたことに変わりはない。
最後の時も、二人で終わらせたかったのだ。
だが想いは届かなかった。彼女は冷めきった無表情で、宣言する。
「じゃあ交渉は決裂ね。さようなら、銀四郎くん……あなたはもういらない」
この瞬間――――場の空気が変わった。
まずは黒髪のエージェント、貞乃がアリスと銀四郎の前に立つ。
「二人とも下がって。さっさと片づける」
止めたのは銀四郎ではなく、アリスだった。
「待て、まだ話は――――」
「わかったでしょ。結局こうなる、大人は子供の努力を理解してくれない」
情を切り捨てた後ろ姿は、凛とした背中でありながら……どこか寂しげだ。
他のエージェントたちも、それぞれ諦めたように竹刀袋や懐に手を入れ、右腕を伸ばしている。
ようやく任務に集中できるのに、エージェントたちの顔色はよくない。自分を支えるアリスも悲しげに目を伏せている。
ふと、彼女の言葉が脳裏をよぎった。
『家がマフィアの時点で、普通の人生を歩めない。暴力の世界に生きることを余儀なく運命づけられる』
八咫烏には、そういう事情のエージェントが大勢いると聞いた。
カルト教団よりひどい組織だ。そんな連中が、銀四郎と副來が和解するハッピーエンドを望むとは思えない。
しかし、アリスたちは違った。自分の説得を回りくどいやり方で許可してくれた。
それはなぜだ。疑問を抱いたところで、ステージの中年マーガが声を張り上げる。
「赤いお嬢さんの言う通り、まだ話は終わっていない」
貞乃は敵意を剥きだしにしていた。
「この期に及んで、まだシロウくんを苦しめるつもり?」
「彼のことは気の毒に思っている。だから、今度は君たちに苦しんでもらう」
「ながったらしい解決編はもううんざり。カルト教祖の
「はあ⁉」
マーガはかっとなった副來を手で押さえつつ、冷静に切り返した。
「そっちこそ、いつまで正義の味方を気取っている? 本来の任務を果たさなくていいのかい」
「これでしょ。いつもと変わらないゴミ掃除」
「嘘だな。銀四郎くんに――――
ぴくりと、貞乃が反応する。
中年はその一瞬を見逃さなかった。
「恐ろしい、八咫烏のしきたりさ。子供に犯罪者の親を殺させることが、エージェントになるための通過儀礼。そうやって組織の結束を維持してきた……」
八咫烏は『犯罪者の親』を
「だけど、君たちは疲れていた。同じ十字架を背負わせ、仲間を増やす……そんな連鎖に耐えられなくなっていた」
そこで教祖の暗殺を狙う……悪役としてふるまうことにした。
銀四郎に真実を握らせて、彼の行動を見守った。いや、期待していたんだろう
銀四郎が副來を殺さずに済む、温かくて優しい結末を……。
その儚い希望を奪ったのは誰だ。結局こうなると――――突きつけてしまったのは誰だ。
「お、俺のせいだ……」
がくん、と膝をつく。
視界が――涙でぼんやりとかすむ。
「俺がうまくできなかったせいで、アリスたちの
「ち、違う、シロウは悪くない!」
アリスが泣きじゃくりながら、抱き着いてくる。
「私が弱かった! 殺してから、もっといい結末があったのではと、ずっと思っていた! シロウにすべてを背負わせてしまった! すまない、本当にすまない!」
自責の念に囚われる少年と少女。茂木や姫子、江野が慌てて駆け寄ってくる。
異様な状況に、江野は困惑していた。
「あのシロウ先輩とアリス先輩が……な、何ですかコレ? ひょっとして、夢?」
姫子がゆっくりと首を横に振る。
「現実、ですわ。優しい人ほど自分を責めがちになりますの。しかも二人の繋がりは特に強固でした」
茂木が悔しげにつぶやいた。
「どっちかが崩れれば、芋づる式に共倒れって寸法か。まったく、相性がいいんだか悪いんだか……」
主力の二人が折れたことにより、こちらの士気は大きく低下した。
貞乃の背中も、怒りで強張っていた。
「狙ったわね」
「ごめんよ、これが大人のやり方なんだ。ところで黒いお嬢さん、君は銀四郎くんにこう言っていたはずだ――――『安っぽい同情なんて、しないでね』と」
「それが?」
「実に滑稽だったよ。そう言っておきながら君たちは……銀四郎くんに同情し、期待し、失望したんだから。『茶番』に付き合わされた彼が不憫でならないよ」
「――――決めた、もう殺す」
少女の殺気が極限まで膨れ上がる。
しかし、今度は茂木が止めようとした。
「ダメだ咲谷、いったん退こう!」
「私たちは組織に逆らい過ぎた。この機を逃せば、処分の決定は避けられない」
「どうにも嫌な予感がする。下手に仕掛けるのはまずい!」
「責任はすべて私が取る。自分の罪をなかったことにはしない。だから下がって……」
マーガも両腕を広げ、挑発してきた。
「そうだ! 己の本性を思い出せ! 甘ったれた理想は捨てろ! 暴力で何もかも黒く塗りつぶすことが、血なまぐさいカラスの使命なんだよ!」
「言われなくたって!」
茂木たちが銀四郎とアリスを連れて下がると、貞乃はブレザーの懐に手を入れる。
取り出したのはテニスボール一つ。中指と人差し指の間に挟み、ステージに投げ放つ
数秒後――――ボンッ! と、火薬による爆発が起きた。
保健室のニトログリセリンを調整し、ボールの中に仕込んでおいたに違いない。
耳を揺さぶる爆音と、全身を叩く熱風に……銀四郎とアリスの意識も切り替わった。
「くそっ、落ちこんでいる暇はないな――――って、ア、アリス⁉」
「ああ、今はとにかく――――って、わ、私は何を⁉」
さきほどまで自分に泣きついていたアリスが、こちらを見上げてあわあわする。
かわいい仕草と押しつけられた胸にくらくらしていると、貞乃から叱咤される。
「そこ、いちゃつかない!」
はっと我に返り、アリスと離れ、現状を確認する。
ステージは一変していた。真っ黒に焼け焦げており、幕やスクリーンに飛び火している。
マーガと副來はいない。うまく逃れたのだろう。
その時、館内の放送からマーガの声が流れてきた。
『見たか君たち! これが八咫烏だ! 掟のためなら親すら殺し、火薬の使用も辞さない、高校生の皮をかぶった悪魔どもだ!』
扇動するような内容が体育館に響き渡る。
『しかも、隣にいるのは――――あの遠山鉄矢の息子! 奴らは手を組み、裏から社会を支配していくつもりなんだ!』
これは、どこに向けた言葉なのか。
『さあ、最後のゲームの始まりだ! 武器を手に取り、邪悪なガラスどもを退治しろ! 捕虜にした奴はどう扱おうと構わない。戸籍も家族もないんだからな!』
「――――六時の方向だ、茂木」
「っ!」
彼が後ろに右腕を突きつける。
制服の袖に隠れていたのは、黒色の籠手。薬指のリングと紐で繋がっている。
茂木がリングを操作した途端、ジャキンッ! とブレードが発射された。
籠手はプラスチック製、腕時計のベルトを通して腕に固定。
射出バネには自転車の補修に使われる強力な虫ゴム。ブレードは調理場からくすねた包丁の刃を投擲用に削り上げたものだった。
即席のスペツナズナイフが――――カメラ付きドローンを貫いた。
手遅れだ……森のゲームでも監視を務めた、余計な羽音を立てない高性能タイプ。
行き場のない悔しさがこみ上げる。青年のペースに乗せられ、警戒を怠っていた。
くつくつと、不快な笑い声が聞こえてきた。
『お察しの通り、ドローンの中継を見ていたのは――――君たちと汗を流し、同じ釜の飯を食った、かけがえのない仲間たちだ』
ばたばたと、こちらにやってくる複数の足音を耳にした。
やがて、それらが重なり……ドンッ、ドンッ、ドンッ、と巨人のように大きくなる。
思想の元に統一された、大勢の敵意をひしひしと感じた。
『かわいそうに……任務に失敗した以上、八咫烏も味方になってくれないだろう。君たちは孤立無援の状態になったわけだ』
2
絶望している余裕はなかった。
体育館にいては包囲される。この展開を見越していた副來たちを追っても無駄だ。
目指すは物資の搬入を行う拠点の裏。まずは本館の玄関から外に出る必要がある。
アリスがリーダーのポイントマンを務め、チームの先陣を切ることになった。
体育館の扉を開けた途端、待ち伏せていた少年が拳銃を突きつける。
「この悪魔ども――――」
アリスが発勁で吹き飛ばした。落ちた拳銃はグロック。
まだ武器を持っていない、銀四郎の手に渡った。
話したいことは山ほどあるが、ここで死んでしまっては元も子もない。
グロックを握り、調子をたしかめる。その間に少女が指示を下す。
「遠距離の担当は私、姫子、江野、シロウ。近距離は貞乃と茂木。相手は教団に付け込まれた不良とはいえ一般人だ。殺しはナシ、爆弾や飛びナイフなどの使用も控えてくれ」
「……了解」
「ちぇ、もっと使いたかったなあ……」
しぶしぶ了承する物騒な二人。
実はハッピーエンドを望んでいたと知ってからは、子供っぽく見える。
貞乃が目ざとく気づき、じっと睨んできた。
「なによ?」
「あ、いや……茂木のナイフ装置、どうやって作ったのかなって」
「奇遇ね。私も参考にしたいと思ってた。茂木くん、教えてもらえる?」
「今晩のオカズをくれるなら、考えてやってもいいぜ」
「じゃあマグロで。あなたにぴったりでしょ」
「なぜ俺の陰口を知っている?」
微妙なラインの会話に、張り詰めていた空気が緩む。
アリスは意外とむっつりなのか、赤面したまま――こほん、とせき払いする。
「場所は狭い廊下だ。配置はサーペンタイン。私、姫子、江野が前方。貞乃と茂木は中間、シロウは後方を警戒してもらう」
「わかった」
「合宿のゲームで使われた銃器はハンドガンが主流だった。これもゲームだとすれば、同じ可能性が高い。だが何も出てこないとは限らない。死にたくなければ、絶対に気を抜くな」
全員が一様にうなずく。大人に見放されたとしても、諦めるのは早すぎる。
サーペンタインとは、狭い廊下を複数人でカバーするテクニック。
前方は一番手のアリスが先頭に立ち、その背後の左右を……二番手の姫子と三番手の江野がフォロー。
さらにエージェントの女性陣は、肩の竹刀袋から即席の武器を取り出している。
アリスは突っ張り棒をベースにした吹き矢。発射用のダートはクリアファイルやアルミ缶をカットしてコーン状に丸め、先端に釘を付けたもの。
姫子はライフル型の強力ゴム銃。銃床は木材、銃身はアルミ製の角材。ステンレス材のフックとバネを内蔵し、太輪ゴムの束を張った出力で弾を発射。
江野は二人とは違い、ブレザーの懐から取り出していた。
ピーラーをベースにした、ハイパワー仕様のスリングショット。刃と突起を外し、虫ゴムを通し、弾を押さえるホールド部分は犬の首輪を使っている。
姫子と江野の弾のベースは、過去のゲームでくすねたペイント弾。鎮圧用に改良してある。
後方は四番手の銀四郎が警戒。三人と距離を開けることで、余裕のある射撃を可能にする。
中間の茂木と貞乃は邪魔にならない位置に立ちつつ、奇襲に備える。
茂木は素手、貞乃は竹刀袋からホッケーのスティックを取り出している。
バランスが良いというよりは、でこぼこな布陣で進軍を開始した。
時刻はすでに正午。
陽射しが差しこんだ廊下は戦場と化していた。
アリスたちは隊列を維持しつつ、本館へのルートを進んでいく。
怒号と共に押し寄せる、制服姿の生徒たちを吹き矢で牽制し、スリングショットや強力ゴム銃で仕留める。
拳銃を持つ者を真っ先に狙い、近づいてきたらアリスの八極拳で黙らせる。
合宿の教育を受けたとはいえ、実戦を潜り抜けてきたエージェントにはまだまだ及ばない。
しかし、敵は後ろからもやってくる。銀四郎の担当だった。
こちらは数に物を言わせる戦法ではなく、少人数による慎重な戦法を取っていた。
今も女子高生が落ち着いた姿勢で、ハンドガンの銃口を向ける。
銀四郎は逸早く、グロックのトリガーを引いた。パァンッ! と銃声が響く。
狙いは少女の足元。バチッ! と被弾させて重心を崩し、ぺたんと尻もちをつかせる。
できれば弾き飛ばしたかったが、毎回そううまくはいかない。
その様子を見た茂木が話しかけてくる。
「すげえじゃん。アンクルブレイク、完全にマスターしたのか?」
「経験の浅いアマチュアなら無条件でいける」
「スカートの中も見放題だな」
「うう……女性陣の視線が痛い……」
軽口を叩けるほどの余裕があった。つまり、状況は安定してきている。
だというのに、銀四郎は貞乃の様子に違和感を覚えた。
彼女は黙りこんだまま、ぴりぴりと鋭い殺気を放っている。
「大丈夫か、貞乃?」
「――――来る」
ようやく本館にたどり着いた。
二階への階段が見えた。ここを回りこめば玄関に入れる。
あと少しのところで……ドスンッ! ドスンッ! と地響きを思わせる足音。
後ろを担当する銀四郎が見たのは、重戦車のように突進してくるブレザー姿の巨漢。
「ガリュウ⁉」
「まだまだこれからだろうが!」
彼は周りの生徒を容赦なく蹴散らしながら、あっという間に距離を詰めた。
撃つべきか迷った一瞬に、巨漢が両手を振り上げる。
ガリュウはホッケーのスティックを握っていた。
「あ」
やられる、最悪の結末を覚悟した瞬間――――目の前に黒い影が躍り出る。
バシッ! と凶悪な一撃を同じスティックで受ける少女。
「貞乃……」
「下がって、こいつの相手は私がやる」
「そうこなくちゃなあ!」
バシンッ! バシンッ! と強烈な打ち合いが繰り広げられる。
さらに前からも敵の群れが押し寄せ、アリスたちが対応を余儀なくされる。
手が空いている銀四郎と茂木も、見守ることしかできなかった。
二人の戦いはまさしく台風の目。誰にも介入できない暴力と暴力の激突。
しかし、この均衡は明らかにおかしい。
「おい、茂木」
「ああ、たぶん俺も同じこと考えてる」
「ガリュウって――――あんなに強かったか?」
あの頃は貞乃に圧倒されてばかりだったが、今は完全についていけている。
いくらなんでも、この成長スピードは尋常じゃない。
バチンッ! と、鍔迫り合い(つばぜりあい)に移行する。いや、正確には移行させられたのだ。
ガリュウは少女の巧みな技術を破り、自分が得意とする力勝負に持ちこんだ。
貞乃が窓際に押しだされ、苦しげに喘ぐ。
「はあっ、はあっ! ど、どうして……」
「お前に負けてから、俺が何もしてねえとでも思ったか! 咲谷貞乃(さきたにさだの)、お前をぶっ壊すことだけを考えて努力してたんだよ!」
「そのエネルギー、もっとマシなことに向けてよ……」
「うるせえ!」
ガンッ! とガリュウが体ごと圧力をかけ、華奢な少女に覆いかぶさる。
「ぐっ⁉」
貞乃が窓際に固定されてしまう。両者が密着している以上、射撃も飛びナイフも使えない。
もう我慢できない。銀四郎が飛び出そうとした時、ガリュウが声を張り上げた。
「来るんじゃねえ! もし妙な真似をすれば――――」
彼は片手でスティックを維持しつつ、貞乃のブレザーの懐をまさぐる。
そして、テニスボール爆弾を取り出した。
「こいつを床に落とす」
「しょ、正気か⁉」
「俺だって使いたくはねえよ。けど復讐を邪魔するなら話は別だ!」
「くそっ」
火力の高さが仇になった。仮に落とすつもりがなかったとしても、何かのはずみで落ちれば大変なことになる。
ガリュウはボールをポケットに入れ、スティックの両手持ちに戻ると、貞乃の頬に顔を近づけた。
「お前、まだ実力を隠してるだろ?」
「……まずは臭い口を遠ざけてくれない?」
ふひひ、と巨漢は下品に笑い……少女の汗ばんだ、白いうなじをべろりと舐める。
貞乃が嫌悪感をあらわにして、顔を歪めた。
「もっと殺す気でこいよ。じゃねえと、次はさらに痛い目を見るぜ」
「期待させて申し訳ないけど、これが全力」
「だったら、この場で負けを認めろ。俺の強さを受け入れるんだ」
彼はスティックの先端で、貞乃の頬をぐりぐりとなぶる。
ひどい。負の感情で勝利を掴み、敗者を辱める外道の在り方。
掃除屋の頃にも、ここまでの悪党はいなかった。
「あいつ……」
人に黒々とした殺意を抱くのは初めてだ。
しかし、疑問もある。ガリュウはこれを復讐だと言った。
爆弾をちらつかせ、戦いを強要する姿は悪そのものだが……執念は本物。
何が彼を駆り立てるのか。ただ負けたという事実を糧にして、到達できる強さではない。
いったん、思考を中断した。背中をちょんちょんとつつかれたからだ。
振り返ると、後輩エージェントの江野がいた。声を潜めてささやいてくる。
「シロウ先輩、気持ちはわかりますが……殺気を抑えてください。ガリュウの警戒が緩まない限り、貞乃センパイを助けられません」
「え、あ、悪い……」
どうやら無意識に発していたらしい。
隣の茂木が眉をひそめる。
「自分でも気づいてなかったのか?」
「まあ、な」
調子は悪くない。むしろ良くなっている。
『掃除屋』という療法が意味を失い、『紅桜』による正義への集中が進んでいるのだ。
完全に発症すれば、暴走した鉄矢や『必要悪』の副來と同じ末路を辿る。
だとしても、できる限りのことをしたい。呼吸をシステマのブリージングに切り替える。
「フーッ、フーッ、フーッ――――」
鼻から吸って口から吐き、荒ぶる殺気を静めていく。
やっと落ち着いてきた。それを確認した江野が本題に入る。
「今、前衛はアリス先輩と姫子センパイがしのいでくれています。でも、すぐに戻らなくちゃいけません。というわけで茂木センパイ、これ」
「あん?」
彼女はスリングショットを茂木に手渡した。
「じゃあ、行ってきます!」
呼び止める間もなかった。
いきなり江野が飛び出したのだ。小柄な少女はするりと、ガリュウの背後に忍び寄った。
貞乃がバスケで見せた動きだ。そして、肩の竹刀袋から……ホッケーのスティックを抜く。
「先輩をいじめていいのは――――ウチだけだ!」
バコーンッ! と渾身の一撃が、巨漢の後頭部を叩く。
「ぐあっ⁉」
貞乃の方に倒れかかろうとして、今度は彼女の蹴りが股を直撃した。
主に男子の肝を冷やす恐ろしい連携。ポケットから落ちたボールも貞乃がキャッチ。
ガリュウは仰向けになったまま動かない。二人が笑顔で歩み寄ろうとする。
決着はついた、誰もが確信した瞬間――――がばっ、と巨漢は起き上がる。
全員が凍りつく。急所をやられて、なぜ立っていられるのか。
ガリュウは額を血で濡らして……ニタリ、と邪悪な笑みを浮かべた。
「これでわかっただろ? 俺の誇りは、とっくに潰れてる」
彼は深く身を沈めて、タックルで前進。
狙いは貞乃――――ではなく江野。異様な展開についていける者はいなかった。
ドンッ! と重戦車が、小柄な少女に激突する。
「あ」
テレビでよく見る、交通事故のワンシーンのようだった。
江野があっけなく吹き飛び、銀四郎たちの横を抜ける。
アリスたちのすぐ後ろに、ばたんっ! と背中を打ちつけられた。
前を向いていた彼女たちが、反射的に振り向き、呆然とつぶやいた。
「――――江野?」
この瞬間、全員の硬直が解ける。
最初に動いたのは銀四郎。ためらいなく左の拳で、システマのストライクをガリュウに打ちこんだ。
続いて茂木がナイフを発射して脇腹に撃ちこみ、貞乃がスティックを股に叩きつける。
なのに、止まらない。
「がああああっ!」
怪物めいた咆哮を上げ、巨漢が駆けだす。
姫子のゴム銃の弾、アリスの発勁を食らっても……止まらない。
彼は江野を肩に担ぎあげ、そのまま生徒たちの方に突撃していく。
「どけっ!」
有無を言わせぬ迫力で道を作らせ、階段を上る。
踊り場のところで振り返り、立ち尽くす貞乃を睨む。
「ここは邪魔が多すぎる。二人きりになれる場所で決着をつけようぜ」
「……だったら、江野を離して。関係ないでしょ」
「あるさ。こいつは俺を妨害した。そのツケをきちんと、身体で払ってもらわないとなあ」
ぱちんっと江野の臀部を見せつけるように叩く。気を失っているのか、反応がない。
貞乃の表情が辛そうに歪む。
「やめてよ。憎いのが私なら、江野と交換――――」
「ダメだ、それだとお前が本気になってくれない。早く来いよ、貞乃。こいつが壊れちまう前に……な」
そう言い残して、ガリュウは二階に消えた。
「江野!」
貞乃が走りだす。周りが目に入っていない、危うい動きだ。
またしても止められなかった。彼女はアリスと姫子の横を抜け、階段を阻む生徒たちをスティックで蹴散らす。
今、追わないと絶対に後悔する。銀四郎も踏みだした。
茂木の声が聞こえたが、無視した。そして、前衛の二人とすれ違う。
彼女たちは何も言わない。銀四郎も黙りこんでいた。チームより貞乃と江野を優先すると、行動で語ってしまっている。
貞乃はすでに突破していた。そこに再び生徒たちが群がり、立ちはだかる。
構わない、自分の『正義』を押し通す。攻撃しようとした時――――後ろから吹き矢のダート、ゴム銃とスリングショットの弾が降り注ぐ。
援護だった。相手の勢いが削がれ、楽々と階段にたどり着けた。
どんな合図よりも明確なサインを受け取った。この依頼(ねがい)に応えたい。
両手でグロックを握り、手すりから離れる。壁際に寄り、敵に備えて銃口を向けながら……上っていく。
これで周囲が見える。待ち伏せがないことを確認しつつ、踊り場で体を回して進む。
襲撃はなかった。『銃眼』も反応しない。
妙な静けさが支配していた。やがて階段が終わると――――
「え?」
まさしく、嵐が通り過ぎた後の光景だった。
両側に戸が並ぶ、広い廊下のあちこちに生徒たちが倒れ伏している。
二つのパターンがあった。一つはガリュウと貞乃の戦いに巻きこまれたのか、全身や制服がひどく汚れているパターン。
もう一つは、ほぼ無傷で失神しているパターン。こんな芸当ができる者は一人しかいない。
とにかく手がかりが欲しい。グロックを構えたまま移動を開始。
戸が閉じている廊下は、真ん中の位置に着いて、左右の観察を可能にする。
開いた戸は距離を取りながら通過、室内もチェックしていくジグザク移動でカバー。
やはり敵はいない。調査を続けていると、銀色の光を捉える。
銃眼が働いた。教室の中に一人分の光がある。とはいえ、銃を持たない仲間がいる可能性も考慮しなければならない。
戸は閉まっている。ゆえに、迅速な処理を求められる。
ただちに戸を開け放ち、後退。伏兵の有無をたしかめて突入、光の位置に銃口を向けた。
イスと机が後方にまとめてある。澄みきった風が、開いた窓から吹きこんでいる。
中にいたのは二人のみ。周辺視野も証明している。どちらもよく知った顔だった。
「何やってんだよ――――タカキ」
「っ⁉」
目つきの悪いオールバックの不良少年が、こちらに気づいてぎょっとした。
甘いマスクは見る影もなく、憔悴しきっている。彼はもう一人の上に覆いかぶさっていた。
黒髪の少女、咲谷貞乃。彼女の姿は変わり果てている。
目を閉じて、気を失っていた。制服はボロボロになり、体の至るところに痛々しい痕跡が存在し、頭から赤い液体も流れている。
「今すぐ貞乃を離せ。銃も捨てるんだ」
「やだね。この女はオレのもんだ」
彼は引きつった笑みを浮かべ、貞乃を盾にして立ち上がった。
床に置いていた拳銃を手に取り、少女のこめかみに押しつける。
「別にいいだろ? こいつは自分の親も殺して、爆弾まで扱うような最悪の殺し屋だ」
「だからどうした」
銀四郎は一言で切り捨てた。
「それが――――傷ついた女の子に手を出していい理由になるって?」
「だ、黙れ! こっちの指示に従え! 戸を閉めて、マガジンを抜いて、拳銃をこっちによこせ! あと近づくなよ……クラヴマガもナシだ」
彼の足はぶるぶると病的に震えている。この状況に参ってしまったのだろう。
うっかりでトリガーを引きかねない。ここは要求を呑むしかない。
後ろ手に戸を閉め、グロックのマガジンを抜き、床に置く。
スライド部分を握って、グリップを相手に向けた。
人差し指は枠のトリガーガードの下に添える。はさみの渡し方と似ている。
「よし、それで……」
タカキが拳銃を貞乃から離した瞬間――――人差し指を枠にかけた。
そこを軸に、銃をくるりと反転。そのままグリップを手前に回転させ、握り直した。
マガジンを抜いても、藥室に弾が一つ残る。すかさずトリガーを引く。
パァンッ! と銃声が響き、バチンッ! とがら空きのグリップ部分に命中。
「なっ⁉」
拳銃が弾かれ、開いた窓に吸いこまれていった。
「トリックシュート。お前のラフプレーと同じ、小手先のテクニックだ」
「…………」
「もうやめよう、タカキ。これはルールに管理されたスポーツじゃない。暴力が支配する、ろくでもない戦いなんだ。引き返してくれ、戻れなくなる前に――――」
「う、うるさい!」
タカキは、貞乃をこちらに押しつけた。
華奢な体を全身で受け止め、傍らにそっと横たえる。
空の拳銃も床に置いた。その間、タカキは何もしなかった。
素手の少年が二人。仲は最悪、言葉で和解できる器用さは持ち合わせていない。
踏みこんだのは同時だった。タカキは何の小細工にも頼らない、大振りの右パンチ。
銀四郎は左の前腕を拳の手首に当てて防御、さらに内側を掴んだ。
懐に移り、右腕を相手の右脇に入れ、前腕で押さえる。タカキに背を向けた。
「受け身、ちゃんと取れよ」
「お、おい、まさか……」
腰をかがめ、相手の腕と肩を引き、自分に乗せ――――
「歯ぁ食いしばれ!」
タカキを裏返しにして、叩きつけた。
クラヴマガ、ワンアーム・ショルダースロー。柔道で言う『一本背負い』である。
もちろん手加減しておいた。本人もちゃっかり受け身を取っている。
タカキは遊び疲れた子供のようにまぶたを閉じ、眠った。
「……さて」
倒れたままの貞乃に視線を向ける。
「いつまで、狸寝入りしているつもりだ?」
「あら、目覚めのキスをしてくれないなんて……冷たい王子様ね」
黒髪の少女はむくり、と起き上がった。赤い液体は偽装だったのだ。
「でも、傷は本物だろ。大丈夫か?」
「手当てはしてある。二階の敵が多くて、ちょっともたついちゃったの。勝手に仲間割れして、自滅したようだけど」
吹雪が動いてくれたのだろう。そして消耗した貞乃は、死んだふりで休むことにした。
ガリュウとの戦いに備えるためだ。そこにタカキがやってきてしまった。
「なあ、もし俺が来てなかったら――――」
「殺してた」
「うわ」
「済んだ話は置いといて、江野を探しましょう」
彼女は掃除用具入れのロッカーに近づき、入っていた竹刀袋を肩にかける。
次にスマホを取り出し、操作しようとした時――――はっと息を呑む。
「どうした?」
「これ……」
画面を覗くと、江野からメッセージが届いていた。
『クラフト室に来てください』
すぐに貞乃が教室を飛び出した。
「あ、おい!」
慌ててグロックを拾い、マガジンを装填して追いかける。
罠だろうと構わないつもりなのか。いずれにせよ放っておけない。
廊下に動ける敵は現れず、クラフト室までは簡単にたどり着いた。
貞乃が引き戸を開け放ち、後退。待ち伏せがないことを確認して、二人は突入した。
クラフトを連想させる木製の床と壁。おなじみの作業台は両端に寄せてある。
空いたスペースの中心に、いた。包帯をぐるぐる巻きにした、半裸姿のガリュウ。
「待ちくたびれたぜ」
スティックを片手に、好戦的な笑みを浮かべる手負いの獣。
貞乃も同じ得物を抜きつつ、尋ねる。
「江野は?」
巨漢はわずかに体の位置をずらす。
それまで見えなかった、奥の壁際が明らかになった。
床にぐったりと横たわる、変わり果てた小柄な少女。制服はボロボロ、体中は擦り傷だらけでトレードマークのサイドテールが解けてしまっている。
気を失っているようだった。巨漢が意気揚々と語りだす。
「これでも大変だったんだぜ。起きた途端、噛みついたり引っかいたりで……ケツを何度も叩いてやったら、ようやくおとなしくなった」
目を凝らすと、彼女の顔には泣き腫らした跡があった。メッセージの送信も強要したに違いない。
「股も蹴ってきやがったな。アレは貞乃、お前の仕込みだろ。ゾクゾクしちまったよ」
「……本当に、それだけ?」
「あん? ああ、そっちの話か――――ご想像にお任せするよ」
「もう殺す」
少女の冷え切った、絶対零度の殺気が解放される。
落ち着け、の一言すら出せない。
「シロウくん、下がって。これは私の戦い」
「さ、貞乃――――」
彼女はすでに踏みこんでいた。
疾駆する黒い死神を、半裸の巨漢が全力で迎え撃つ。
バシンッ! バシンッ! と、剣戟のごとき打ち合いが始まってしまった。
もう止められない。今の貞乃は本気でガリュウを殺すつもりだ。
しかし……それでいいのか。なにか、大事なことを見落としている。
「ん?」
足元の床に妙な物が落ちていた。錠剤が入ったシートで、薬名はシルデナフィル。
ふと、一つの可能性が頭をよぎる。もし正しければ、ガリュウは江野に手を出していない。
とはいえ、すべてが許されるわけではない。決めるのは貞乃だ。
「よし」
この戦いを中止させる。端の作業台に近づき、グロックを置く。
様々な物があった。電気街でも売られているレーザーモジュール、DVDドライブのジャンク、小型の可変抵抗とスイッチ、二本の乾電池にゲーム用エアガンの拳銃。
他にもいろいろな道具がある。エージェントたちもここで武器を作っていたのだろう。
ドライブから赤LDを取り出し、モジュールのLDと入れ替える。出力を可変抵抗で調整。
次にエアガンを分解。
マガジンに乾電池、トリガーにスイッチ、スライドに可変抵抗、銃身にモジュールを組み込んでいく。
新たに再配列したエアガンを構える。二人はちょうど、互いに下がっていた。
銀四郎は巨漢に銃口を向け、叫んだ。
「ガリュウ!」
彼がぎょろりとした目で睨んできた瞬間、トリガーを引く。
銃声はない。代わりに、赤いレーザー光がまたたき――――ガリュウの手の甲を焼いた。
「ぐっ、ぎゃああっ⁉」
物理的な打撃とは違う苦痛に、さすがの巨漢も怯み……スティックを取り落とす。
DVDレーザー銃。ドライブのレーザーダイオードを使った、改造ポインターである。
手を押さえるガリュウに、黒い暴力が容赦なく襲いかかった。
「助かったわ、シロウくん」
「おう」
「私の戦いに横やりを入れた罰は、後で受けてもらうとして――――」
さらりとおぞましい宣告を残し、少女は床に転がった捕虜に目をやる。
ガリュウは結束バンドでがんじがらめに拘束され、ふて腐れた表情をして黙りこんでいる。
一方、江野はきちんと手当てを受けて……座りこんだ貞乃に膝枕されていた。
気を失ったままだが、すやすやと穏やかな寝息をたてている。
「あんなことをした理由を聞かせてもらえる?」
「冷静、なんだな」
「あなたの立場をはっきりさせたいの。賛成? 反対?」
「俺は貞乃の意思を尊重する。でも、判決を下す前に――――重要な物証を提示させてもらう。公平を期すために、な」
銀四郎はさきほど見つけた、錠剤入りのシートを拾い上げる。
「これはお前の薬だな、ガリュウ」
「……ああ」
彼は気まずそうに答える。貞乃が訝しげに首を傾げた。
「なにそれ?」
「シルデナフィル」
「シル、デナ……いかがわしい響きね」
「はっきり言うぞ。男のアレの機能不全を治療する薬だ」
「はあっ⁉」
彼女は顔を真っ赤にして、わなわな震える。
「……シロウくん、ふざけてるの?」
「俺は至って真面目だよ。じゃあガリュウはなぜ、そんな薬を飲む羽目になった?」
彼が開き直ったようにまくしたてる。
「タカキに勧められたんだよ……けど効かなかった! 貞乃、お前のせいだ! あの試合で、俺は男としての誇りを潰された!」
黒髪の少女が冷ややかに切り返す。
「ラフプレーを仕掛けてきたのは、そっちでしょ。しかも手を出していないにせよ、あなたは江野を傷つけて……楽しんでいた」
巨漢がぎくりとして、うろたえる。
「そ、それは、正当防衛ってやつだ! そいつは俺を殺す気だった!」
「力で無理やりねじ伏せといて? 呆れた。今のあなたは牙が抜けた獣と同じ――――殺す価値もない」
獲物に興味を失ったエージェントは、江野を抱きかかえて立ち上がる。
「行きましょう、シロウくん。次はあなたの罪について話し合うわよ」
「罪状は?」
「私の戦いを邪魔したこと、私に汚い知識を覚えさせたこと」
「は、はい……」
貞乃は呆然としたままのガリュウに背を向け、クラフト室を出た。
銀四郎もグロックと江野の竹刀袋を回収し、その後を追う。
こうして復讐劇は……意外な結末で幕を閉じた。
静まり返った廊下を歩いているうちに、江野が目を覚ました。
さっそく銀四郎の横に立ち、動きだす。貞乃が二人の先頭を担当する。
江野のケガは軽傷で済んでいた。受け身でダメージを抑えていたのだ。
ガリュウのタックルも、銀四郎のシステマを真似して……しのいだらしい。
「すごいな。でも、どうやったんだ? 見せた覚えはないぞ」
「アリス先輩や姫子センパイから聞いていたので、大体こんな感じかなあ……って再現してみました」
「うわ」
「もちろん不完全ですよ。そのせいで失神しちゃって、二人に迷惑を――――」
「気にしなくていいの。私とシロウくんが勝手にやったことだし、そもそも助けてもらったのはこっち」
貞乃は振り返らず、無愛想に遮るが……明らかに照れ隠しである。
江野はくすりと笑い、続いてこちらをじっと見つめる。
「シロウ先輩も、ありがとうございます」
「お、俺は貞乃についていっただけだよ」
「そんなことありません。先輩の技が、ウチを守ってくれたんです」
ぎゅっと腕に絡みついてきた。子犬のような温もりに、どぎまぎさせられる。
「え、江野?」
「やっぱり、お兄ちゃんになってほしい」
思わず頭をなでそうになったところで……こほん、と貞乃のせき払いが割りこむ。
「そこ、いちゃつかない。ここはまだ戦場よ」
むう、と茶髪の少女がむくれて離れる。
「貞乃センパイも、シロウ先輩にお尻ぺんぺんされちゃえばいいんだ」
「なんで彼の名前が出てくるのよ……けど、逆ならいいかも」
「おい」
「シロウくん、あなたへの罰が決まったわ」
「勘弁してください!」
他愛のないやり取りをしているが、これでも三人の消耗は激しい。
銀四郎は『紅桜』の進行と残酷な真実によるショック。
貞乃も度重なる連戦で疲れ果てており、江野も茶化しているとはいえ……ガリュウに打ちのめされた心と体は癒えきっていない。
弱い本音をこぼせば二度と立ち上がれなくなる。体にムチ打って戦いに没頭するしかない。
銀四郎はグロック、江野もスティックと竹刀袋を持ち直し、貞乃とともに警戒を強める。
しかし、最後の敵は堂々と――――目の前に現れた。
「……吹雪」
銀髪のシステマ使い、監視役のエージェント。
ボロボロのブレザー制服をまとい、不敵に笑う姿は……夜叉そのもの。
貞乃と江野はすでに飛び出していた。おそらく本能的な動きだ。
そして、あっけなく返り討ちにされた。
「あ」
「二人ともとっくにヘトヘトじゃねえか。レディには気を遣えよ、シロウ」
貞乃たちが同時にストライクを食らい、ばたりと眠るように倒れ伏す。
やはり強い。銀四郎は拳銃を構えずに、話しかけた。
「一撃で意識を失わせる……ここの生徒もお前がやったのか」
「ああ。貞乃は爆弾ぬきで戦ってたからな。かわいそうだったんで、少し手を貸した。江野のメッセージもあたしが偽装したんだ」
「アレも?」
たしかにガリュウは、メッセージについての言及をしていなかった。
「江野は貞乃の反骨精神を継いでいる。ガリュウ相手にも引かなかった。度胸は尊敬したけど、暴力はエスカレートする一方。手遅れになる前にお前らを呼んだ」
「どうして、そこまでやる? 俺とアリスたちはもう――――」
「好きなんだよ、このチームが」
吹雪は悲しげに目を伏せ、ぽつりとつぶやいた。
「いろんなチームを見てきた。でも、どいつもこいつも諦めた顔してやがる。嫌になってきた時に、アリスたちに出会った」
「だから、今回の件も……陰で支えていたんだな」
「といっても、さすがにこれ以上のリスクはおかせない。あたしの役割は終了、お前との共犯関係も……」
吹雪がこちらに歩いてくる。ちょうど、銀四郎の横で止まった。
彼女は懐から、何らかのスイッチを取り出す。
「一日目の夜、覚えてるか? ぶっ倒れたお前を運んだ後、あたしは後片付けをした」
「懐かしいな」
「もちろんスクリーンの裏側、お前が開けっぱなしにしていた倉庫にも入った」
「え?」
「アレに、とっておきの仕込みをしておいた。教団のアホどもも『商品』を置いて逃げることはしない。下衆な根性が仇になるとも知らずに、な」
カチッとスイッチを押した瞬間――――ドォンッ! と、どこかで爆音が轟いた。
「じゃあな、シロウ」
吹雪は背を向けて、今度こそ去ろうとする。
銀四郎は振り返り、想いを吐露した。
「吹雪、ありがとう。お前のことは……絶対に忘れない」
銀髪の少女は軽く右手を上げて、応じてくれた。
「あいつらのこと……頼んだぜ、シロウ」
目覚めた貞乃は開口一番、こう言った。
「何があったかは聞かないでおく」
「いいのか?」
「好奇心、猫を殺す。エージェントの鉄則よ」
江野も追及しなかった。空元気とは異なる、本当の明るさを取り戻して歩きだす。
「ストライク、だっけ? 気合のこもった一撃でしたね――――雪子センパイを思い出しました」
貞乃も余裕のある足取りで進みだした。
「あのシステマオタクとは、最後まで仲良くできなかった」
「全身にシステマ式マッサージの快感を刻まれたくせに?」
「や、やめなさい。雪子は一人で無茶な任務に挑んで、命を落とした。今さら掘り返してもしょうがないでしょ」
二人の状態はさきほどよりも、リラックスしている。
ストライクは非破壊の打撃術。吹雪ほどの達人であれば、相手をいっさい傷つけずに……体の力みを取り除くことも可能だろう。
銀四郎は二人を追いかける。肩の力も自然と抜けていた。
まだ、すべてに見放されたわけではない。吹雪から託された依頼(ねがい)が残っている。
銀四郎たちは階段を下り、一階に戻った。しかし、こちらも静まり返っていた。
あちこちに無力化された生徒が転がっている。赤い少女たちが駆け寄ってくる。
やはり、制服はボロボロで……ところどころに痛々しい擦り傷があった。
アリスは感情を押し殺した、真剣なまなざしで状況を語る。
「残念だが、無事を喜ぶのは後だ。教団の逃走車両が自爆した。原因が何であれ、これはチャンス。ケリをつけるぞ」
全員が一様にうなずき、倒れている生徒の拳銃やマガジンを奪っていく。
ここから先は、本物の武器が必要だ。
いよいよ、やらなければならないのか。マガジンを補充しつつ葛藤していると、アリスが近づいてきた。
「シロウ。お前はいつも通りでいい」
「え?」
「すべて殺してしまっては情報を聞き出せない。敵を生かすことも重要な役割だ。頼んだぞ」
「わ、わかった」
彼女は一瞬だけ、優しく微笑んで……再びリーダーの顔に切り替わり、他のエージェントと言葉を交わす。
銀四郎の悩みを見抜いてくれていたのだ。今なら、吹雪の気持ちも理解できる。
「俺も、好きになっちゃいそうだな」
ぴくりと、女性陣が反応したことに気づかないまま……マガジンをポケットに入れる。
やがて、準備が整った。アリスを先頭に昇降口を出る。もちろん、前方に遮蔽物の大型バンがあることを確認した上での選択だ。
敷地内の四方を囲む、五メートルほどの壁。三台の送迎バスが一列になり、正面ゲートを通過しようとしたところで、立ち往生していた。
それらは止まっており、黒煙を上げて燃えている。
元々は生徒たちが乗っていたのだろう。銀四郎たちにぶつけて、教団はまんまと逃げるつもりだった。
どこまでも子供を利用する卑劣な計略。そして、この程度で終わる連中ではない。
一番後ろのバスが強引に動きだし、二台を庇うように側面を向ける。反対側の降車口が開く音もした。
同時に銀四郎たちも散らばり、駐車場に点在するバンの陰に隠れる。銀四郎とアリスは前方の車をバリケードにし、しゃがみこんだ。
ジャージ姿の信者たちも拳銃を握り、遠慮なく撃ってきた。
パァンッ! パァンッ! と銃声が響き、バチンッ! と車体に火花が走る。
現実の世界で弾丸が燃料タンクを貫いても、都合よく爆発したりはしない。銀四郎たちもバリケード射撃を開始した。
遮蔽物の右サイドから撃つ場合……右手で拳銃を握り、左サイドは左手にスイッチング。
射撃の際に乗り出す、体の面積を少しでも減らすためだ。もし左サイドから無理やり右で撃とうとしたら、丸見えになってしまう。
教団の粘りもなかなかのものだった。しびれを切らした貞乃が、声を張り上げる。
「らちが明かない、テニスボールを使わせて!」
「し、しかし……」
アリスはちらりと、こちらに目をやる。銀四郎への影響を考えているのだろう。
爆弾というストレスは、間違いなく『紅桜』を悪化させる。
とはいえ、この機を逃せば終わりだ。背に腹は代えられない。
「俺は大丈夫だ。副來が言っていた、ワクチンさえ手に入れば何とかなる」
「……すまない」
彼女は唇を噛み、爆弾を解禁した。
さっそく貞乃のテニスボールが投げこまれ、時には車体の下を転がっていき――――ボンッ! ボンッ! と、容赦なく爆風が吹き荒れる。
何も、感じない。むしろ楽だと思ってしまった。火薬に反対していた自分が崩れている。
目的を達成したくて手段を正当化する。鉄矢と同じ『機械』の正義に染まりつつあった。
副來とワクチンはどこだろう。わずかに身を乗り出して、鎮圧された戦場を眺める。
巻きこまれた信者たちが転がり、バスも横倒しになっている。他の二台はすでに逃げだしていた。
その時、銀四郎は見た――――動かない仲間を持ち上げ、走りだす三つの影を。
「マーガ!」
例の中年に、ガリュウの父と思われる荒々しい巨漢。そして全体的に痩せこけた、根暗な老人。彼らは施設の横を通り、裏側に逃げこもうとしている。
すかさずアリスたちが発砲するが、マーガたちは信者を盾にして銃撃をしのぐ。
助けるつもりなんてなかったのだ。アリスがすばやく指示を下す。
「二手に分かれよう。シロウと貞乃は私と来てくれ。姫子、茂木と江野を任せたぞ」
「了解しましたわ」
アリスたちは左から、姫子たちは右から挟む形で回りこんでいく。
裏側に彼らの姿はなかった。どうやら、森の中に潜んだようだ。
罠だとしても行くしかない。二つのグループになったまま、決戦の地に突入した。
芝生の地面を踏みしめながら、気配を探るが……誰も見つからない。
下調べはしてある。仮に何かを仕掛けていても必ず察知できる。
だというのに、不安を拭いきれない。木々はざわざわと揺れて音を隠し、風がびゅうびゅうと吹きつけて匂いを消す。
うっそうとした森林は陽射しを遮り、プレッシャーと疲労が第六感すらもかき乱す。
いつの間にか、姫子たちとはぐれていた。自分たちがどの位置にいるのかも、わからなくなっている。
気づけばアリス、貞乃と背中をくっつけていた。
狙われている。やっと勘が働いた瞬間――――ヒュン、と風を切る音。
それは鎖だった。先端に分銅がついている。
蛇のようにうごめく
「あ」
ばたりと仰向けに倒れる。沈黙したまま、赤い血を流している。
「アリ――――」
「ダメ、シロウくん!」
貞乃の一言で我に返るが、もう遅い。
母指球を使った鋭い蹴りが胸を突く。
マーガが動揺に付け入って、奇襲を仕掛けてきたのだ。
「がっ⁉」
クラヴマガ、オフェンシヴフロントキック。
倒れそうになったところをロールで転がり、立て直したものの……まだじんじんと痛む。グロックも落としてしまった。
さらにガリュウの父も妙な武装をして現れ、貞乃との間合いを詰めてくる。
彼は左手に丸みを帯びた亀甲の盾を持ち、右手に改造スタンガンを握っていた。
コンデンサの容量をいじり、先端の電極をステンレス製のトゲトゲに変更している。
貞乃が反射的に拳銃を向けると、巨漢は盾の表面を銃口にぶつけ、右に滑らせる。
つまり逸らしたのだ。カウンターでスタンガンの突きを放つ。
トゲの電極に触れたら終わり。黒髪の少女は拳銃で強引にガードする。
ざくん、とスライドが串刺しにされ……放り捨てられる。そして貞乃は竹刀袋からスティックを抜き、左の胴を狙う。
しかし、ガリュウの父は盾を振るって……それすらも逸らした。
琉球古武術ティンベーの技だった。
がら空きの脇腹にスタンガンが迫る。トゲの電極が制服を破り、白い肌に到達。
「っ⁉」
ビクンッ! と彼女は体を痙攣させ、仰向けに倒れる。
巨漢は下品に涎を垂らし、無力化された少女に覆いかぶさった。
「やめろ!」
助けに行こうとする自分の前に、中年のマーガが立ちはだかり、邪悪な笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。テベル……彼はすぐに手を付けたりはしない。教師の頃も、そういう趣向に救われていたらしい。まず舌で――――」
聞いていられなかった。左ストレート、右、左フックのコンビネーションを打つ。
すべてディフェンスされた。構わず、あらゆるコンバティヴを織り交ぜる。
「どけっ!」
「どかない。ほら、早くしないと赤いお嬢さんも……」
さきほどの根暗な老人が鼻息を荒げ、アリスを見下ろしている。右手に銀色のツメをつけていた。材料はステンレス製の棒と板、真鍮の塊、パラシュートコード。
まだ目覚めない少女は分銅つきの鎖で、手足を拘束されている。老人はワインレッドのブレザー制服にツメを立て、ゆっくり引き裂いていく。
マーガは涼しげに銀四郎の猛攻を捌きながら、説明を始める。
「あの老公……スージルも変わり者でね。ここの『
スージルは目を爛々と輝かせて、アリスの制服を剥ぎ、じっくりと検分する。
「すばらしい肉体だよ……現代の暗殺組織が造り上げた、本物の輝きがある。ぜひとも標本にして私のコレクションに――――」
「やめろって言ってんだろ!」
力任せに蹴りを繰りだすと、ストップキックで止められた。
いったん後ろに下がった。マーガは追撃せずにニヤニヤするのみ。
悔しいが、姫子たちを待つしかない。しかし、中年は見透かしたように告げる。
「仲間たちは来ないよ。この森は我々の庭だ。数日の経験でたどり着ける領域じゃない」
「……はったりだ」
「どちらにせよ、君は我々に従うしかない。これ以上、二人を傷つけてほしくなければね」
「――――」
だらりと、両腕を下げ……地面に膝をつく。
「いい子だ」
マーガが近づき、がしっと側頭部の髪を掴む。
そして――――銀四郎の頬骨に勢いよく頭突きをかました。
クラヴマガ、フォワード・ヘッドバット。脳を揺さぶる一撃に意識が飛びそうになる。
そのまま押し倒された。彼はポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、銀四郎のブレザーに刃を立てる。
マーガはステーキを切るような手つきで、巻かれた包帯ごと引き裂き、上半身の肌を暴く。
「ずいぶん綺麗な体をしているじゃないか。顔も悪くない。きちんと女装をさせれば、高く売れそうだ」
「み、見るな……」
「ああ、実はもっと男らしい体がよかったとか? がっしりしていれば、二人を守れたかもしれないのにねえ」
次はうつ伏せに転がされ、上の衣類を全部はぎ取られた。
露わになった『紅桜』と背中に、気色悪い視線が走る。
「首輪は着けておくよ。今の君にこそふさわしい。ほら、手首を後ろに回すんだ。屈服した意思を示してもらう」
……布石は打っておくべきだ。中年が期待する挙動を演じ、言われた通りにする。
さりげなく左右の親指をくっつけて、手のひらを離して広げた。これで筋肉が収縮し、手首の直径が実際より大きくなる。
勘づかれないように会話を持ちかけた。
「副來は、何を企んでいる?」
「知らない。我々は雇われの『傭兵』だ。クライアントの願いなんて、どうでもいい」
「教団の幹部じゃなかったのか?」
「我々が忠誠を誓ったのは――――君のお父さん、鉄矢さんだよ」
別段、驚かなかった。実の息子に虐待まがいの教育を施すような男だ。
しかも、鉄矢は『エージェント殺し』と恐れられていた。各国の諜報機関から情報を抜き取ることに成功している。八咫烏についても掴んでいたのだろう。
マーガは手首を縄で縛りながら、昔語りを始めた。
「三十年ほど前……就職に悩む若者たちが、奇妙な仕事に吸い寄せられた。今でいう闇バイトだろうね。給料と食事もある良い条件だった」
やがて、峠の山荘に連れていかれ――――鉄矢が率いる犯罪組織の指導でトレーニングと教育と洗脳を受ける、合宿に参加させられた。
「ここが、その跡地だ。もうわかっただろう? 鉄矢さんの目的は兵士を育てること。今回もそうだ。素行の悪い子供たちを集めて、八咫烏にぶつける駒にした」
「あいつらは、お前たちとは違う……扇動されただけだ。洗脳はうまくいかなかった」
バチンッ! と背中を叩かれる。ビリビリと皮膚が痺れた。
「我々はそこで出会った。共に切磋琢磨し、いずれは磨き上げた強さを発揮できる時が――――『事変』が来ると信じていた」
「事件の間違いだろ。女子のブルマをシノギにする、変態どもとゆかいな仲間たち」
バチンッ! とまたしても叩かれる。
「事件なんて警察や探偵に任せておけばいい。だが鉄矢さんは逃亡し、組織もバラバラになり、肝心の『事変』は起きなかった。我々は『忘れられた
「つまり、副來は『事件』じゃなくて『事変』を起こそうとしている。だからお前たちも手を貸した。自分たちの出番が欲しくて」
「理解が早くて助かるよ」
バチンッ! と最後にも暴力を振るった。締めくくるように、ぎゅっと縄の拘束を結ぶ。
マーガに引き立てられ、しばらく歩く。アリスと貞乃、老人と巨漢はいなかった。
マーガがすばやく補足した。
「心配しなくていい。二人のお嬢さんは、おめかし中だ。怖い顔しなくたって大丈夫だよ。テベルとスージルも、メインディッシュは取っておく性分さ。それ以外で遊んでいるよ」
「てめえ!」
「おお、くわばらくわばら。けどまだだよ。ここからもっと面白くなるんだから」
ほら、と彼が指さした先には……撮影用の三脚。上にビデオカメラも取り付けてある。
「あの爆発で我々のシノギは台無しになった。よって、代わりの商品を
思考が追いつかない。呆然とする自分の前に――――二人の少女が現れた。
一人はアリス。半裸に剥かれた姿に目を逸らしかけたが、マーガに押さえられてしまう。
「閉じたら、もっとひどいことをやる。ちゃんと焼きつけるんだ」
ルビー色の瞳は気丈さを保っているものの、体のあちこちに鎖で絞められた跡がある。
下半身にはスカートのみ。しかも、全身に縄がきつく食い込んでいる。
体のラインを強調した屈辱的な縛り方。彼女は歩くたびに苦痛を覚え、止まりかけるが……後ろのスージルが右手に持った、『半棒十手』で背中を叩く。
もう一人は貞乃。アリスと同じく、縄で縛められた半裸姿。
彼女はすまし顔を貫いているものの、体のところどころに唾液による、べたつきがこびりついていた。こちらも歩くたびに顔をしかめる。
足がもつれると、後ろのテベルが短棒――――『
二人のエージェントは無表情を保っていた。どんな反応をしても、男を喜ばせるだけだと知っているからだ。
それが、銀四郎と視線を合わせた途端――――見ないで、と辛そうにうつむく。
これを撮りたかったのだろう。とうとう我慢が限界に達した時だった。
『銀四郎、お前は機械だ』
ズキンッ! と『紅桜』が疼き、吹き飛びかけた理性を取り戻す。
マーガも目ざとく、銀四郎の異変に気づいた。
「やはり、ストレスは『紅桜』を悪化させる。完全に発症すれば、君は父と同じ『機械』に目覚め……暴走した正義の奴隷に成り果てる」
その通りだ……しかし、今の発作はかっとなった銀四郎を押しとどめていた。
怒りに身を任せて動くことはできるが、このままでは誰も助けられない。
冷静な判断ができている。たしか、副來も理想的なタイミングではないと言った。
鉄矢と同じ『機械』とはいえ、二人を構成する『部品』が違うのなら――――
「ちなみにシナリオはスージルの脚本。罪人を半裸に剥き、縄目の恥を与える。奉行の血を引く、君に則った方式さ。捕縛法も工夫してある。ほら二人とも、見せてあげなさい」
パンパン、とマーガが誇示するように手を叩き……アリスと貞乃はしぶしぶ背中を向ける。
締められた首と左右の上腕から縄の線が伸び、うなじの部分で逆三角形を作っていた。
さらに両の手首まで垂れ下がり、後ろ手に拘束する。知っている型だった。
「……『女五方』だな。本縄縛型十八種の一つ。でも、まるで美しくない。下衆な性欲が透けて見える」
「多少の脚色は必要だろう。ロマンをわかっていない連中の需要は求めていない」
「わかっていないのは、お前たちの方だ」
「なんだと?」
「本縄とは、美しく完成された型。対象の性別・身分などを考慮し、神経障害を起こさず――――縄抜けもできない設計にしてある」
「は?」
「お前たちはそこに汚い手を加えた。まさしく名画に泥を塗る行為、その報いを受けろ」
するりと、魔法のように縛めが解かれ……二つの殺意が動きだす。
テベルとスージルは戦士としての本能を忘れ、獣に堕ちていた。
致命的な差だ。アリスは斧刃脚でスージルの脛を崩し、腹に発勁の拳を打ちこんだ。
「げぶっ⁉」
まだ終わらない。服の質量を排除した肉体を捻り――――肩、肘、腰、と三連続の発勁を叩きこむ。
カエルみたいにうめく彼の前で、赤い少女はしなやかな右足を高く上げ……振り下ろす。
ぐしゃりと、何かが潰れる音。
「ひっ、ぎゃあっ⁉」
テベルが絶叫する。スージルの結末を目にしたからではない。
いや、見ることすらできない。彼の視界はすでに潰されている。
滑らかな指を汚した貞乃は、短棒を奪い取り……巨漢の股を強打する。
声にならない悲鳴が響き渡る。黒髪の少女は無造作に、何度も振り下ろす。
事を終えるまでに、さほど時間はかからなかった。
マーガは凍りついている。無理もない、こんな状況で平然と動ける人間はいない。
そもそも不可能だ――――『機械』でもない限り。
銀四郎は動いていた。無防備な中年の顎を、お返しのヘッドバットで突き上げる。
怯んだ隙に距離を取った。手首の大きさをごまかしたおかげで、拘束は簡単に外せる。
自由になった両手を左右に広げた。そこに二人の少女が近づいてくる。
「『正義』は、新たな秩序の下で再配列される。遠山の正義感と、奉行としての能力もそうやって受け継がれてきた」
右に貞乃、左にアリスが並ぶ。
貞乃は『鉤無十手』を、アリスは『半棒十手』を銀四郎に手渡す。
十手にも二刀流の型が存在する。これは、
「景元……金四郎は巧みな裁判が得意だった。彼の才能もまた、時代とともに受け継がれ――――変質していった。共感覚の『銃眼』も、現代の秩序に適応した能力だ」
マーガが引きつった笑みを浮かべて、言葉を返す。
「『紅桜』の暴走は? アレも同じだっていうのか?」
「変化が、常に正しい結果をもたらすとは限らない。でもやめなかったから、俺はこうして暴走せずに済んでいる。けど、どうしても抑えられないものがある」
「今さら半裸の二人に欲情か?」
「お前への殺意だよ」
ズキズキと『紅桜』が疼き、いよいよ頬に到達した途端……カチリ、と意識が切り替わる。
完全に発症した。燃え上がる殺意を動力にして、歯車が回りだす。
「クソ親父の『機械』は手段を選ばない大量破壊兵器、部品が違う俺は――――精密誘導システム。一度決めたターゲットに
「お、面白い……『事変』の前哨戦にちょうどいい!」
「地獄でスタンバっていろ、三下」
二人が同時に踏みこんだ。
銀四郎はこめかみ狙いの右スイング、マーガは左肩を前に出したディフェンス。
読まれていた。バシッ! と受けきった彼は左手を上げ、こちらの右腕を絡めとる。
カウンターで顔面に右肘のエルボーが刺さる瞬間――――半棒による、バックハンドの左スイングが膝を打つ。
「なっ⁉」
マーガがバランスを崩し、右腕の拘束が緩む。手首と腰を回して反対のこめかみを狙う。
バシンッ! と鉤無が脳を揺さぶり、そして半棒も同じ部位を追撃する。
「があっ⁉」
さらに鉤無で膝を再び崩し、最後に半棒で逆のこめかみをバシンッ! と叩く。
フィリピン武術アーニス、ダブルスティックによる六連撃『シナワリ』だ。
マーガはすばやく後退して、忌まわしげに吐き捨てた。
「奉行の十手で、クソ親父の技を使うとは……」
「お前たちの茶番よりマシだろ」
両者の打ち合いが続く。
クラヴマガの基本的なディフェンスは、前腕を手首にぶつけることが主流。
対してアーニスは、手首の柔らかさを活かした変幻自在の軌道が強み。
マーガは攻撃を捉えきれず、徐々に追い詰められていく。
だが、彼は木を背にした途端……足元の何かを蹴り上げ、手に持った。
「あ」
テベルの改造スタンガン。ステンレス製のトゲ電極が、奇襲で突きだされる。
アーニスでは防げない。銀四郎はトゲを半棒の鉤に引っかけ、そこに鉤無を交差させた。
鉤の出口を塞ぎ、閉じ込めたのだ。ギリギリで止めて、そのまま上に持っていく。
マーガと力が均衡する中、システマのステップで重心を揺さぶり――――一気に下ろす。
バッテンの形でスタンガンを押さえながら、右足で蹴り飛ばした。
二丁十手術、
無防備になり、愕然とするマーガの懐に……銀四郎が入った。
「ふさわしいオチを
「く、くっ……」
「俺たちの『事変』は――――これからだ」
「クソがあああっ!」
切り下ろし、振り上げ、突き、頭を打ち、腹も叩き……目にも留まらぬ十四連撃が、嵐のごとく吹き荒れる。
銀四郎のオリジナル、フォーティーンストライク。人に向けて使うのは、初めてだった。
うっそうとした森の中に、一筋の陽射しが差しこんだ。
教団の呪いを払った三人を祝福してくれている、と思いたいところだが――――
「ここにいるのは人殺し三人、か」
「シロウ……こんなことになって、本当にすまなかった」
銀四郎たちは芝生の地面に寝転がっていた。
三人は引き裂かれた布をかき集め、体を隠している。
「どうして、アリスが謝るんだ? 紅桜があったとはいえ、マーガを手にかけたのは俺自身の殺意だ」
「そうじゃない。副來と対面した時、お前を一人にしてしまった。私たちも優しい結末を見たい、同じ望みを持つ仲間がいると……素直に言えなかった私を、許してほしい……」
ぐすっ、ぐすっ、と赤い少女が泣きだす。
あのアリスが、だ。慌てて励ます方法を考えていると、貞乃が助け舟を出した。
「部下の私たちも同罪よ。江野、姫子、茂木くんだって……きっと自分を責めてる。八咫烏の『しきたり』について、誰も言いだせなかった……」
彼女は疲れ切った声音で、自らに非難の刃を突き立てる。
「やっぱり、私が止めるべきだった。都合のいいハッピーエンドなんて、しょせんは子供の幻想。アリスたちやシロウくんに嫌われてでも『悪役』を――――」
「貞乃、それは違う」
気づけば、口を挟んでいた。
「たしかに、俺たちは失敗した。けど、優しい結末を見たい……という気持ちまで否定しちゃダメだ」
「わかっているわ……副來のように今と過去に執着していれば、未来を信じられなくなる。なのに、頑張ってもこんなことばっかり。シロウくん、あなたは平気でいられるの?」
答える代わりに両腕を伸ばし、アリスと貞乃の手をそっと握る。
二人の肌は冷え切っていた。もちろん銀四郎も同じ状態だ。
しかし、握り合ううちに――――少しずつ温まっていく。
「寒くなってきたら、こうして思い出せばいい。自分は一人じゃない、少なくともここに……
この熱がある限り、銀四郎の『機械』は動き続ける。
鉄矢のように、凍てついた『機械』にはならない。
アリスが……ふう、と大きな吐息を漏らす。
「私は一人じゃない、か。シンプルだが、不思議と勇気がわいてくる言葉だ」
貞乃も照れ隠しに……ぷい、とそっぽを向く。
「いいわ、騙されてあげる。何もかも悟ったつもりになるのは、おばあさんになってからで十分。それまで思うままに生きてやる」
三人はぎゅっと、絆を固めた。
アリスがさっそく、作戦会議を始める。
「八咫烏は裏切り者を許さない。ここもまもなく包囲されてしまうだろう。そろそろ姫子たちと合流して、方針を決めなければならない」
「アリス、ボスの『金鵄』は俺たちの前に来るか?」
「ああ、間違いなくヤツは……事の顛末を自分の目で確認しようとするだろう。それが、どうかしたのか?」
「まだ、希望はある」
貞乃がじっとこちらを見つめた。
「自分を犠牲に、なんて展開は認めない」
「わかっているよ。俺はただ、金鵄の疑問に答えてやるだけだ」
黒髪の少女が首を傾げる。
「疑問?」
「あいつが聞いてきたんだ。どうして『千理の瞳』はクラヴマガを教えているのか、ってな。今なら断言できる」
銀四郎は二人と一緒に、立ち上がった。
「さあ、クソッたれな結末を……ぶっ壊しに行こうぜ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます