STAGE:Ⅲ レーザー・ルール



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 潜入二日目。ゴールデンウイークの二日目でもある。

 気持ちのいい朝だった。網戸の窓からは暖かい陽射し、小鳥がチュンチュンとさえずる声、爽やかな風も吹いていた。

 できれば、こんな時に来たくなかった……。

 まさしく休養地に最適の環境といえる。しかし、現実はゆとりを与えてくれない。

 場所は本館の二階、保険室。二台のベッドとカーテンがあり、窓際の方で目を覚ました。

 そして、反対側のイスに――ルームメイトの茂木が腰かけていた。

 服装は体育着の半そで短パン、不満げに頬杖をついている。

「まったく、勝手に抜け出しやがって……さっさと終わらせるぞ」

 茂木の目的は聴取だった。銀四郎はすでに昨夜の内容を報告してある。

「これまでの話をまとめると――お前は体育館の調査中、謎の不審者に襲われた。で、抵抗しているうちに……いきなり貧血で倒れ、ここに運ばれていたって?」

「そうだ」

「ふざけんな。何を隠してやがる」

 茂木に睨まれても……黙秘をつらぬく。

『体育着』については自分の手で始末をつける。

 はあ、と茂木がしかたなさそうにため息をつき……立ち上がる。

「とにかく、おとなしくしていろ。すべてが終わるまでな」

 こちらの返事を待たずに出ていった。

 嫌われたっていい。アリスたちを、あんなろくでもない話に巻き込みたくない。



 保健室にはソファーとテーブルの応接セット、薬や消毒液などが保管された戸棚もある。

 しばらくすると、今度は例のジャージ中年がやってきた。

 いつものようにうさんくさい笑顔を浮かべ、朝食が載ったトレーをテーブルに置いた。

「見学も自由だから、好きに休むといい」

 それだけ言い残し、去っていく。昨夜の件は知らないように見えた。

 銀四郎はさっそく朝食を取ろうと、ベッドから起きてソファーに腰かけた。

 献立は和食。味噌汁をすすりながら、あのフード少女について考える。

 体育着の件で口封じに来たのか……なぜ、とどめを刺さなかったのか。

 憶測にしかならない。中断して、朝食を一気に平らげた。

「……ふう」

 食欲はちゃんとある。昨夜と比べて、体調も回復している。

 実は『体育着』の他に、茂木に黙っていたことがあった。その点を除けば万全だ。

 ふと、向かいの棚の上に――小型のテレビが置かれていることに気づく。

ニュースが見たくなってきた。リモコンもテーブルにある。

 電源をつけると、ちょうどスタジオのキャスターが喋りだすところだった。

『ゴールデンウイーク最終日に、防犯を想定した『対処訓練』が……都内の『桜美駅さくらみえき』で行われることになりました』

 ぱっと画面が切り替わり、誰もが知る駅の外観が映った。

『訓練には警察だけでなく、大手セキュリティ会社を筆頭に多くの団体も協力しています』

 再び切り替わり、様々なロゴやマークが紹介されていく。

 画面は最後にニューススタジオへと戻り、キャスターと解説者のトークが始まる。

『熊川さん、どう思います?』

『防犯の見直しは大切ですよ。駅の構内でも、物騒な事件は起きますからねえ……少し前だと、あの――――』

 消した。駅のホーム襲撃も、父の暴走の一つだった。



 シャワーを浴びることにした。

 汗をかいた体やジャージが、昨夜から変わっていないのだ。

 しかも体育館でイベント中の今なら、誰かと鉢合わせるリスクを回避できる。

 トレー一式を食堂に返し、部屋に戻り、着替えとセットを持って『混浴』に向かう。

 男湯でもいいが、教団の大人が入ってくるかもしれない。

 これ以上のトラブルは避けたい。引き続き、敬遠されがちな方を利用させてもらった。

 ところが、脱衣所に来た途端……ぎょっとする。カゴの一つに白のトートバッグと、真っ黒なパーカーが入っていたのだ。

 灰色のスポブラとショーツも一緒。パーカーは間違いなく、あのシステマ使いの服だ。

「……マジかよ」

 引き戸からシャワーの水音が聞こえる。つまり、正体を拝めるチャンス。

 しかし、銀四郎は迷っていた。襲撃者は女子、混浴とはいえ覗きはよくない。

 だったら――顔のみを確認して、すぐ脱衣所を出る。

 シャワーは後だ。着替えとセットを抱えて、ゆっくりと引き戸に忍び寄った。

 指を伸ばし、ギリギリの隙間をこっそり作る。

 後ろめたさを殺しつつ、ついに覗きこんでしまう。

 彼女は温泉のシャワーを浴びており、程よく日焼けした裸身を濡らしている。

 あいつは……昨日のバスケで活躍していた、小麦肌の『ナナ』という少女。

 確認は終わった。だが、離れようとした時に――――異様な現象が起きる。

「え?」

 どろり……と、小麦肌の色が落ちていくのだ。髪の黒色も、シャワーが流していく。

 その上から、真っ白な素肌と透き通った銀髪が露わになった。

 何もかもが、偽装。理解が追いつかないまま、少女の容姿に魅入られる。

 髪はボーイッシュなショートカット。勝ち気な瞳も銀色で、鋭く研ぎ澄まされていた。

 そして、生命力に満ちた野性的なプロポーション。

 すっかり見惚れていた。ゆえに、撤退すべきタイミングを逸した。

「あ」

 彼女がシャワーを止め、こちらに歩いてくる。脱衣所に入るつもりだ。

 慌てて後ろに下がっても、すでに手遅れ。ガラガラガラ、と引き戸が開く。

 素っ裸の銀髪少女と目が合った。

「…………」

「…………」

 無言で見つめ合う中――――銀四郎は両手を上げる。

 同時に、抱えていた着替えとセットが……どさりと落ちた。

 それを皮切りにシステマ使いが動きだす。一気に距離を詰め、得意のストライクで腹部を狙ってくる。

 やはり来るか。すかさず迎撃しようとした瞬間――――ふっ、と少女の姿が消えた。

 ストライクはフェイント。本命は滑らかなローリングからの足払い。

「ぐっ⁉」

 まったく違和感のない動作に、釣られた。

 がくん、とバランスが崩される。体が、後ろに倒れていく。

 まだだ。銀四郎は上半身を捻り、右肩から床につけ、後ろ向きに回転。

 さらに両手を、肩越しに持ってきていた。重心も同じサイドに移していく。

 回転とともに立ち上がり、ファイティングスタンスを取る。

 バックワードロール。後ろに倒された際、すばやく立て直すためのテクニック。

「こいよ、バトルジャンキー」

 しかし、少女はじっとしたまま。なぜか不機嫌そうに顔をしかめていた。

「戦闘バカ扱いすんな。あたしにも気分ってものがある」

「仕掛けてきたのはそっちだろ」

「いきなり裸を見られて、かっとしない女がこの世にいるか?」

「あー、たしかに……」

 システマ使いに常識を諭され、おとなしく背中を向ける。

 ――――数分後。

「もういいぜ」

 言われた通りに振り返った。

 そこには……白のTシャツと黒のショートパンツに着替えた銀髪少女。

 機嫌は直っていない様子で、ギロリと銀四郎を睨んでくる。

「こっちはお前のせいで大変だったんだ。少し、付き合ってもらうからな」



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 結果として、シャワーが後回しになる事態は避けられた。

 その代償にまた、面倒なトラブルに巻き込まれたわけだが。

 銀四郎は露天の浴場で汗を流しながら、離れた位置に目をやる。

 アレはいったい……Tシャツ短パンの銀髪少女が床にマットを敷き、妙なことをしていた。

 逆立ち、である。カモシカのようにほっそりとした生脚を伸ばしている。

 シャツの裾もずり落ち、へそや脇腹はもちろん下着までちらつく。

 いろいろと目に毒な奇行にたまりかねて、声をかけた。

「おい、何してるんだよ?」

「風呂上がりのストレッチ」

 無愛想に応えつつ、少女は体勢を変えていく。

 ヨガのポーズに柔軟運動と、徹底的に全身をほぐす。

 ストイックな姿勢は認めるが、そろそろ本題に入らなければならない。

「なあ、お前はいったい――――」

「とっくに察してるだろ。言ってみろよ」

 ……『金鵄』は、合宿イベント中の『紅桜』を測定すると説明していた。

 しかし、アリスたちにその素振りはなかった。

「つまり『測定係』なのか?」

「それだけじゃない。あたしの役割は『エージェントの監視』だ。任務の動向をチェックするために、八咫烏そしきから秘密裏に派遣される」

「アリスたちが『実行役』で、お前が『見張り役』……趣味が悪いな」

「そっちも、ひどい嘘つきじゃねえか」

 少女が再び、逆立ちを始めた。

 銀四郎を見上げる格好で、ニヤニヤと狡猾な笑みを浮かべる。

「『紅桜』が悪化したことを、報告しなかった」

「…………」

 彼女の言う通りだった。

 シャワーに濡れた『紅桜』は今や、二の腕を越えて肩まで侵食している。

「そう硬い顔すんなよ。チクったりはしない」

「黙っていてくれるって?」

「あたしの役割は『干渉』じゃないからな。けど、無条件はダメだ」

「……従うしかない、か。何をすればいい?」

 エージェントは逆立ちしたまま、とんでもない要求を口にしてきた。

「マッサージだ」

「――――は?」

「マッサージ。何度も言わせんな、こっちはお前のせいでヘトヘトなんだよ」

「ちょっと、待つんだ」

 いったん落ち着きたい。

まずは、引っかかっていた件を問いただす。

「さっきから出てくる『俺のせい』って、どういう意味?」

「昨夜のことだ。あたしはぶっ倒れたバカを運んで、痕跡も消して回った」

 たしかに、いろいろと迷惑をかけていた。

「それが納得いかない、と?」

「違う。ここまで来て、まだ思い出せねえのかよ?」

「うーん……」

 何かを忘れている気はするものの、具体的な形を掴めない。

 そんな姿に少女が、とうとう限界を迎えたらしい。

 ビキッ、とこめかみに青筋を浮かべ――感情を爆発させる。

「体・育・館だよ! お前、床にアレをぶちまけただろ!」

「あ」

 すっかり忘れていた。ストライクによる衝撃で、吐いてしまったのだ。

 彼女は容赦なく不満をまくしたてる。

「ふざけやがって。なんで汚れ仕事のエージェントが、汚物の掃除までしなくちゃいけねえんだよ!」

「なんというか、ごめん……ん? 最初に攻撃してきたのは、そっちだよな?」

「とにかく退屈だったんだ。エージェント同士の私闘も禁じられてるし。だから昨夜、お前と遊ぶことにした」

「え、なら被害者は俺――――」

「あたしだ! 勝手に吐いて、勝手にぶっ倒れやがったお前が悪い!」

 少女の顔が赤くなり、ヒートアップしていく。

 逆立ちをやめた方がいいのでは、と指摘する余裕もなかった。

「この白鷺吹雪しらさぎふぶきサマを汚辱した罪、その身体できっちり償ってもらうぜ」



 エージェント、白鷺吹雪しらさぎふぶきは『システマ式マッサージ』をご所望だった。

 吹雪はマットの上でうつ伏せになり、銀四郎は彼女の筋肉を足で踏み、ほぐしていく。

 最初は足の裏。軽く踏みつけながら、コミュニケーションを取る。

「どうだ?」

「もっと強く」

 ぎゅっと力を加えた途端、少女から……ふう、と満足げな吐息が漏れる。

 銀四郎はまんべんなく圧をかけつつ、不平を唱えた。

「おい、吹雪」

「あん?」

「この格好でやるのは、ちょっと……」

「うるせえ。口じゃなくて、足を動かせ」

「はいはい」

 しかたなく、マッサージを続ける。

 現在の自分は、腰にタオルを巻いただけの状態。

 こんな姿の少年がTシャツ短パンの少女を踏んでいるのだ。誰かに見られたらアウトだ。

 早く終わらせたい。とはいえ手、いや足を抜くわけにもいかない。

 次は、ふくらはぎ。緊張しやすい部位のため、慎重に踏んでいく。

 受ける側の吹雪もブリージングで、常に身体をリラックスさせる。システマ式の基本だ。

 ほぐしていると、彼女の機嫌もだいぶ良くなってきた。

「んっ……ずいぶん、慣れてるじゃねえか……」

「まあ、たまに『先生』が頼んでくるからな」

「あん?」

「いや、なんでもない」

 うっかり口を滑らせたが幸い、少女はリラクゼーションに夢中のようだった。

 そして今度は――お尻。まず丈夫な部位である太腿に、両足を乗せた。

 緊張はケガに繋がる。ゆっくりとした呼吸を心がけながら、臀部へと移った。

「んんっ……あたしが言うのも何だけど、いいのか? 『紅桜』の件を隠さなければ、元の生活に戻れるのに」

「ああ。ここで引いたら、きっと後悔する」

「例のストレス軽減?」

「それだけじゃない。教団はもちろん、アリスたちのことも放っておけないんだ」

 銀四郎は、体を横向きに切り替える。左足をお尻に乗せたまま、右足を胸の裏側に置く。

 軽めに力を加えつつ、全体にバランスよく負荷をかけていった。

 ぴくん、と吹雪の身が微動する。

「ん、くっ……甘いな。その程度の覚悟だと、いずれ地獄を見るぜ」

「まるで予言者だな。お前も、八咫烏そしきも、何らかの結末を知っているみたいだ」

「だとしたら、どうする? この場で強引に聞き出すか?」

「やらないよ」

 吹雪は強い。今の状況から攻撃される展開も、見越しているだろう。

 銀四郎は再び正面を向き、両足を肩甲骨の辺りに移した。

 周囲の筋肉をほぐしていくと、少女がくすぐったげに身じろぐ。

「ん、ふっ……テクニシャンめ、こういう搦め手で屈服させようってか……」

「おい、俺は真面目にやってるんだぞ……」

 最後に、背中から降りた。仕上げは――だらりと下がっている彼女の腕。

 肩、上腕、前腕、手の平、と順番に踏みほぐして終了。

「まあ、これで勘弁しといてやる。ただし、あたしの存在はアリスたちにも秘密だ。共犯者の立場を忘れんじゃねえぞ」

「わかったよ」

やっと、解放される……そう思った時だった。

「じゃあ、次はあたしの『システマ式マッサージ』だな」

「――――え?」

「システマでは、同志とのスキンシップも重要だ。ほら、さっさと交代しようぜ」

「いや、お、俺は……」

「よろしくな――――シロウ」



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 普通に気持ちよかった。昨夜からの疲れがすっかり取れた。

 新しいジャージに着替えて『混浴』を出る。吹雪は『ナナ』の偽装を体に施すらしい。

 あのどろりとした迷彩だ。手伝わされそうになったので逃げてきた。

「ふう……」

 部屋に戻り、ベッドの下段に倒れこむ。

 時刻は午前の十時。アリスたちもまだ活動中だろう。

 こちらものんびりしていられない。さっそく起き上がり、見学へ向かうことにした。



 体育館では、『室内ホッケー』が行われていた。

 ネットにより区切られた二面のコートで、生徒たちはスティックを持ち、ボールを取り合う。

 銀四郎は舞台の縁に腰かけた。しばらくすると、タカキが近づいてくる。

「よう、シロウ。試合に不参加なのが残念でならないぜ」

 もう立ち直ったのか。オールバックの少年はふてぶてしい態度で、隣の縁に寄りかかった。

 むろん、話をしたい相手ではない。無愛想に先を促す。

「何の用だ?」

「これから楽しいショーが始まる。一緒に観戦しようじゃないか」

「ショー?」

 意味を聞いても、タカキは何も言わずにニヤニヤ笑うのみ。

 また、バカなことを企んでいるようだ。とりあえず放っておき、コートに目をやる。

 こちら側に立つのは貞乃のチーム。対する相手には、かなりの巨漢がいた。

 たしか、昨日はいなかった。

 肉食獣を思わせる荒々しい顔立ち、盛り上がった筋肉が暴力的な威圧感を放つ。

 半そでの名札に『ガリュウ』と記されている。

 何者だろう……銀四郎の疑問に答えるように、タカキがしゃべりだす。

「あいつはオレの懐刀ってやつさ。単細胞だが、強いパワーと広いコネを持つ。飛び入り参加で来てもらったんだ。当然、ラフプレーもできるぜ」

 見え透いた魂胆だった。

「貞乃を痛めつけるつもりか。これはホッケーだぞ。スティックで殴りかかれば、さすがに退場させられる。そんなこともわからなくなったか?」

「言ったはずだ、あいつのコネはでかい」

 タカキが体育館の壁際を指さす。

 ジャージ姿の信者たちが待機している。その一角に、異質な存在がいた。

 ガリュウと似た顔、体格は本人より一回り大きい。きっと偶然ではない。

「お察しの通り、ヤツはガリュウの親父さん。裏で不祥事を重ねてきた、元教師だ。バレてクビになったところを、教団が拾ったらしい」

 ガリュウの父は下品な笑みを浮かべながら、ブルマ姿の女子にちょっかいをかけていた。

 アリスや姫子がいくつか防いではいるものの、彼は離れた場所で何度も繰り返す。

 息子にも受け継がれた獰猛な迫力に、誰もが委縮してしまっていた。

 不祥事の内容は一目瞭然だ。タカキが得意げに語り続ける。

「利口で生意気な女は力ずくでねじ伏せる。さあ、屈辱のショーが始ま――――」

「黙ってろクソ野郎」

 怒りを通り越して、冷めきっていた。

 ピーッ! と、開始のホイッスルが鳴り響く。

 先攻はガリュウ。彼がスティックでボールを転がし、一気に突っ切る。

 パスをするタイプではないのだろう。仲間の二人は距離を取っていた。

 ガリュウはゴールに向かわず、貞乃の方へ突進していく。彼女のチームメイトも蜘 蛛の子を散らすように、逃げ去った。

 無理もない。銀四郎の時と同じだった。結局、自分の身は自分で守るしかない。

 巨漢が重戦車のごとき勢いで来ようと、黒髪の少女は後退しなかった。

 静かにスティックを構え、冷ややかな目で敵を見据える。

 そして、両者が間合いに入った。

 まず動いたのはガリュウ。シュートを打とうと、両腕を大きく振り上げる。

 そこに貞乃を巻きこんで、事故を装うつもりだろう。ブンッ! とここまで風切り音が聞こえてきた。

 しかし、少女は同じスティックでバシッ! と簡単に逸らす。

 以降もガリュウのラフプレーが続くが、貞乃は涼しげに捌いていく。

 思うような展開にならず苛立ってきたのか、タカキが声を張り上げる。

「おい、チマチマやってんじゃねえよ! さっさとぶちのめせ!」

 ガリュウも焦っていたらしい。スティック勝負を諦め、強引に右のキックを繰り出す。

 悪手だった。貞乃がスティックのグリップを右手、先端より少し下を左の逆手で握る。

 そのまま先端の付近を使い、下から相手の蹴りをすくい捕り、左手で前方に押す。

「ぬおっ⁉」

 ガリュウはバランスを取るために、貞乃に尻を向けつつ右足を着地させた。

 ――――スティックの形状はゴルフクラブのようになっている。つまり、先端を足にひっかけることが可能。

 貞乃はそこから内股に入れ、頂点まで跳ね上げる。

 頂点とは……金的。

 その瞬間――――声にならない絶叫が、体育館を震わせた。



 試合はいったん中断となった。

 白目を剥き、泡を吹いたガリュウが信者たちに運ばれていく。

 父親もいた。彼は貞乃を睨みつけながら体育館を出た。

 ……感心せざるを得ない。彼女はガリュウの巨体を巧みに利用し――審判や観客、信者のカメラから動作を隠したのだ。

 そしてガリュウの性格上、女子に負けた事実は話せない。

 まさに完全犯罪。オールバックの少年があんぐり口を開け、ぽかんとしている。

 おそらく、今の半棒術を目にできたのは彼と銀四郎だけ。そこも計算済みだろう。

 読めていた結末だった。タカキにあれこれ聞かれる前に、こちらも退散する。

 試合の再開とともに舞台から降り、体育館の出入り口へと向かう。

 その途中、もう一つの試合が気になって足を止める。

 江野だ。茶髪サイドテールの後輩は……転んでいた。いや、正確には転ばされていた。

 相手チームの男子たちがスティックで足を引っかけているのだ。

 昨日、貞乃がコテンパンにした不良グループ。パーマ、金髪、スキンヘッドの三人組。

 彼らは江野が転ぶ様子を楽しげに観察する。ブルマ姿に興奮しているのか、ひたすら鼻息を荒げていた。

 チームメイトたちは何もせず、ただバツが悪そうに距離を取るのみ。誰も逆らえずにいた。

 再び、不良たちが仕掛けた時――――ふいに、江野の動きが切り替わる。

 彼女はスティックでバシッ! バシッ! と、攻撃を捌き始めた。

 見覚えのある動作だった。スキンヘッドがしびれを切らし、右キックを繰り出す瞬間まで。

「あ」

 江野はスティックのグリップを右手で握り、先端より少し下を左の逆手で握った。

 そして――――さきほどの『金的潰し』が再現トレースされた。

 哀れな不良は絶叫すらできず、ゆっくりと前に倒れこむ。

 残る二人は顔を青ざめて後退し……逆に、江野が迫真の演技でスキンヘッドに歩み寄る。

 もう十分だった。銀四郎は背を向けて、体育館を後にした。

 身の守り方は人それぞれである。



                    4



 ホッケーも、ちょうどお昼ごろに終わった。すぐに腹をすかせた生徒たちが食堂に殺到するだろう。

 それを見越して、一足先にランチを済ませた。体の調子は良くなってきている。

 午後には復帰できる。昼の自由時間……銀四郎は暇を持て余し、本館の二階を歩いていた。

 だが、途中で足を止める。あの保健室の前だった。学校のものと同じ引き戸の窓に、人影がぼんやりと映っている。色は赤、女子のジャージである。

 顔はわからないものの、戸棚を漁っているのは間違いない。目的も察しがつく。

 迷わず開け放つ。中にいた少女――貞乃がびくりと身を震わせる。彼女は錠剤を 詰めた瓶を手にしたまま、呆然と立ち尽くしていた。

 その間に近づき、瓶を取り上げる。

 はっ、と少女が我に返った。

「ちょっと――――」

「『ニトログリセリン』だな。心臓でも悪いのか?」

 貞乃はむっとした顔で睨んでくる。

「とぼけないで。知識があるから気づけたんでしょ」

 彼女の言う通りだった。

 ニトログリセリンは心臓病の薬だけでなく火薬にも用いられる。むろん、医薬品の方は爆発しないよう厳重に加工されている。

 けれど『八咫烏』のことだ。どうせロックを解除する裏技も、細かい計算も教えている。

 教団は生徒のスマホを没収し、荷物のチェックにも目を光らせていた。

 武器は茂木や貞乃のように、工夫して作るしかない。

「戦う手段としては正しい。でも、火薬はやり過ぎだ」

「奴らが祭りで何をしようとしたのか、もう忘れたの? 生半可な火力じゃ、返り討ちにされる」

「だからって……」

「コントロールくらいできるわ。爆弾魔やテロリストと一緒にしないで」

「……信用できない」

 八咫烏は何か、重要な情報を隠している。エージェントも口止めされていた。

 彼女もこちらをじっと見つめ、返せと圧をかけるのみ。

 銀四郎も引かない。互いに視線をぶつけ合うこと数分――――根負けしたのは貞乃だった。

「じゃあ、ヒントをあげる。それなら命令に抵触しないし」

「どうしても言えないのか?」

 ええ、と少女がうなずく。

「これは、あなた自身が気づかなくちゃいけない問題よ」

「俺、が?」

 彼女はそこについては触れずに話しだした。

「まずはおさらい。シロウくんは教団の企みを暴くために、私たちと潜入している。けれど『紅桜』の都合上、暗殺を止めなければならない」

「自己責任による妨害はオッケー、だしな」

「どう考えても変でしょ」

 ばっさりと、貞乃が切り捨てる。

「『金鵄』の言い分は私たちも聞いた。教団がヨガと称してクラヴマガを教えてる、同じ使い手なら意図を見抜けるかもしれない。でも、それがシロウくんである必要は?」

「俺もおかしいとは思ったけど、他に理由なんて――――」

「私たちの邪魔まで許されてる点は? 八咫烏そしきは任務が失敗しようと構わない、そういうことになるのよ」

 たしかに、振り返ってみると違和感だらけだ。

 しかし……今の銀四郎は紅桜に抗いながら、戦っていくしかない。

 暗殺を阻止し、教団のもくろみも潰す。無血の解決こそが理想だった。

 不安定に揺れる銀四郎に、貞乃は次のヒントを突きつける。

「そして、シロウくん――――あなたは大事なことを見落としてる」

「え?」

「答えは、あなた自身の中にある。私に言えるのはここまでよ」

 ……わからない。ただ、本当に何の引っかかりも感じなければ――こうして、戸惑うことはないはず。

 あの『金鵄』との賭けまで放棄し、引き際を越えることもなかっただろう。

 つまり、心のどこかに納得できない自分がいる。

 そこをはっきりさせない限り、銀四郎は情報の差に置いていかれたままになる。

 そんな時に、思考を中断せざるを得ない事態が発生した。

 廊下からの足音や談笑の声だ。ここに近づいてくる。

 この状況を見られたら、怪しまれてしまう。さっそく身を隠すことにした。

 保健室には二つのベッドとカーテン。銀四郎は窓際の方を選び、カーテンを閉める。

 布団に潜りこむと、なぜか貞乃も入ってきた。少女が上になる格好で、二人は横になった。

「お、おい」

「ニトログリセリンの瓶、持ったままでしょ」

「後で返すよ」

「だめ。今、ここで返してもらう」

 彼女は譲らない。銀四郎がどさくさに紛れて、逃げだすことを危惧しているのだろう。

 少女が手を伸ばし、瓶を取ろうとする。

 ――――貞乃は重要なヒントをくれた。信じてもいいのではないか。

 いや……やはり火薬を渡すことなんてできない。銀四郎は瓶を遠ざけた。

 彼女は、軽蔑を込めたジト目で見下ろしてくる。

「何のつもり?」

「武器を作りたいなら、俺も一緒に考える。こんなものは使うべきじゃない」

「……前に言ったわよね? 私、偉そうに説教する男は嫌いだって」

 少女の瞳が徐々に冷たい殺気を帯びていく。

 ところが、そこで保健室の引き戸が開き……誰かが入ってきた。

 貞乃も目撃されることを好まない立場だ。息を潜め、おとなしくするしかない。

 彼女がぴたりと身を寄せてくる。赤ジャージ越しに柔らかな感触が伝わり、慌てて意識を入室した存在に集中させた。

 ずかずかと荒っぽく床を踏み鳴らす、足音が二人分。不良たちの可能性が高い。

 やがて、会話が聞こえてきた。

「なあ、タカキ。本当にあるのか?」

「ここは普通じゃないからな。どれどれ……」

 一人はオールバックの少年、もう一人はガリュウだろうか。妙に気弱な声を発している。

 どうやら、貞乃と同じく棚を漁っているらしい。

「ほら、あったぜ。ていうか、薬でどうにかなる問題じゃねえよ。さっさと病院に行け」

「ここは山奥だろ」

「自慢のコネを使えば――――」

「女の子に負けたってことで、親父はカンカンだ。他の奴らも笑ってばかり。なにもしてくれねえ」

「……クズ教師とその取り巻きだもんな。良識を求める方がおかしいか」

 体育館での振る舞いと違う、砕けた調子だった。

 今なら重要な情報を拾えるかも、そう思った矢先――ふと、瓶を持つ手に違和感を覚える。

 反射的に位置をずらす。ちっ、と悔しげな舌打ちが聞こえた。例の二人ではない。

 貞乃だ。こっそり手を伸ばしていた。鋭い目つきで瓶を狙っている。

 こんな時に……銀四郎は苛立ちながらも、必死に瓶を守る。

 一方、水面下の戦いなど知らない二人のトークは続く。

「タカキ、お前……変わったよな」

「あん?」

 盗み聞きの余裕はなかった。

 銀四郎が瓶を頭上の辺りに移すと、貞乃はよじ登ろうとする。

 その華奢な背中を、もう片方の手で押さえつけ――ぎゅっと抱きすくめた。

「前よりずっと……誰かを騙したり、陥れることにもためらいがなくなった。ブレーキが取れちまったみたいに」

「いいんだよ。あの人――――『先生』は、ズルやイカサマしか能のないオレを肯定してくれた。そもそも、お前が会わせたんじゃねえか」

「親父がうるさかったんだよ。不良のガキをとにかく集めろって」

 黒髪の少女が逃れるために腰を上下させた。ギシギシとベッドが軋み始める。

 そして二人は――はあ、はあ、と激しい息遣いとともに体をぶつけ合う。

 いつしか全身が汗ばんでいた。貞乃の額からも、透明な雫がしたたり落ちる。

「おい、あのベッド――――」

「そっとしといてやれ。保健室で盛るなんて、よくある話じゃねえか。行こうぜ」

 彼らはとんでもない誤解をしたまま、去っていった。

 戸が閉まる音と同時に、貞乃はとうとう拘束を振りほどき、大きく身を乗り出す。

 この瞬間――彼女の胸と腋の中間が、顔面を覆いつくした。

「…………」

 アリスや姫子ほどではないものの、たしかな弾力に圧迫され、甘酸っぱい柑橘系の香りが鼻をくすぐった。

 おそらく、制汗スプレーだ、ホッケーの後に吹きつけたのか。

 生々しい匂いにくらくらしてきた。脳裏に『先生』の言葉がよぎる。

『銀四郎くん、女の子は大変なのよ。汗をかくと、胸の谷間にも溜まっちゃうんだから』

 その時の彼女はえっへんと、スタイル抜群のプロポーションを誇示していた。

 そこそこの貞乃も、いろいろと気にする年頃だったらしい。

 少女は瓶を取り返し、ベッドからするりと猫のように脱出、保健室から逃げてしまった。

「ま、待て!」

 銀四郎も廊下に出たが、すでに遅い。いるのは何人かの生徒に、青ジャージを着た教団の大人だけだ。

 しかし、信者たちは妙な人物を連れていた。

 スーツ姿だ、珍しい……一目でどこかの重役とわかる、厳めしい顔つきの中年男性。

 胸元に社章のバッジをつけており、ロゴにはなんとなく見覚えがある。

 彼は物珍しそうに周囲を眺めつつ、信者たちと歩いていく。

 ……何者だろう。教団のメンバーとは思えない。疑問に囚われたまま、立ち尽くした。



                    5



 昼休みが終わると、生徒は体育館に呼び出された。

 銀四郎たちは半そで短パン、またはブルマの体操服で整列。おなじみのジャージ男がステージに立ち、説明を始める。

「今回は『座学』と『ヨガ』の時間を使って、ちょっとしたゲームを行う。テーマは、ずばりコレだ」

 彼が懐から何かを取りだす。生徒たちはそれを見た途端、ざわめきだした。

 その正体は――――『拳銃』だ。トリガー一つで命を奪える、黒い殺意の塊。

「おっと、誤解しないでくれよ。こいつはモデルガンだ」

 中年の言葉はあっさり受け入れられ、誰もが安心しきる。

 むろん嘘ではない。銃口に埋めこまれた金属板『インサート』が証明している。

 モデルガンの悪用や改造を防ぐためだ。付けることを義務づけられている。

 無理に外そうとすれば本体が壊れてしまう。アリスたちも見抜いているだろう。

 揺さぶりのつもりか。だとしたら、なめられたものだ。

 この程度でボロは出ない。冷静な思考を保ちつつ中年の話に集中する。

「知っての通り、日本(ここ)で銃を持つことは違法だ。けど、もしもの事態に備えて――――扱い方や知識を学ぶことは正しい。少なくとも、僕はそう思っている」

 あくまで自衛や護身、防犯という建前。

 多くの生徒が、敵として教えられた『八咫烏』を意識するだろう。

「とはいえ、いきなり小難しい理屈を覚えるのは苦痛だよね。まずはエアガンに触れて、実際に撃ってみよう。みんなが楽しめるミニゲームの形で」

 背後のスクリーンに、タイトルがでかでかと投射された。

 名称は『シューティング・ロワイアル』、わりとシンプルなネーミングだ。

「内容はサバゲ―とほぼ一緒。形式はバトルロイヤル、最後の一人になるまで戦ってもらう。そして会場は――――この施設の『裏側』、我々が所有する森一帯だ」

 またも生徒たちがざわめきだす。今まで立ち入りを許可されなかった区域だからだ。

 期待や不安、他にも様々な感情が渦巻く中……銀四郎も戸惑っていた。

 たしかに、サバゲ―にはうってつけのエリアかもしれない。

 しかし『裏側』は、後ろめたい部分を隠す教団の生命線でもある。

 公開すれば必ずリスクを負う。いったい何を企んでいるのか……。



 ゲームの説明が終わると、全員で本館の玄関に向かった。

 つくりは学校の昇降口とそう変わらない。靴を履き替えて外に出る。

 抜けた先は、広大な駐車場だった。

 とめてあるのは……数台のバスと大型バン、昨日はなかった黒の高級車が一台。

 コンクリートの地面が午後の強い陽射しを浴び、かなりの熱を帯びている。

 肉を焼く鉄板みたいだ……五月の時点でなかなかの暑さ。

 青年が前を歩き、彼の後を生徒たちがついていく。

 傍目には普通の授業に見えるだろう。だが、ここはカルト教団の『拠点』だ。

 正面は厳重なゲートが守り、敷地の四方は五メートルほどの壁が囲んでいる。

 そんな、得体のしれない施設。その裏側に回りこむ。

 ――――中年の言った通り、そこは私有地の森だった。

 うっそうと生い茂る木々に、手入れが行き届いた芝生……人に管理された緑の世界。

 信者たちもいた。リュックらしきものを運んでおり、一箇所にまとめて置いている。

 アレはたしか……強引に地面を転がっても、問題ないという触れこみの人気シリーズ。

 ジャージ男が足を止め、ゆっくりと振り返った。

「あの背嚢ザックを一人につき一つ、背負ってもらう。基本的な中身は同じだが、一つだけ……スペシャルアイテムがある。種類はランダム、開けてみてのお楽しみってやつさ」

 ニヤリと、彼は不吉な笑みを浮かべる。

 そして――――『シューティング・ロワイヤル』がスタートした。



                    6



 薄暗い森林の中を、慎重に進んでいく。

 木の幹や茂みだけではない、地形にも凹凸がある。自衛隊の演習場という印象が強い。

 それらを利用して……身を隠すことも怠らない。

 今の銀四郎は、ザックとともに支給されたセットを装備している。

 サバゲ―用のゴーグルをつけ、青色の布を安全ピンで胸元に固定。

 そこを撃たれたら、ゲームオーバー。戦いはもう始まっている。

 銀四郎の両手にも一丁の『拳銃』があった。腰にホルスター付きのベルトもある。

 ペイント弾を入れたエアガン。銃身が金属製だから、間違いないだろう。

 しかし質感や仕組み、重量が『本物』そっくりだった。実銃を意識した設計であることは明白。

「――――」

 ずっと鳴りを潜めていた共感覚、『銃眼』を喚起させる。

 前方、数十メートル先に……銀色の光が三つ。左右の二つとは、まだ離れている。

 おそらく交戦中だが、削り合うまで待つのは性に合わない。

 銀四郎は駆けだした。もっとも近い、中央の光との距離を詰めていく。

 標的は、右手で拳銃を持った少年。彼も気づき、こちらに銃口を向ける。

 銀四郎は左側――相手にとっては右側の方から、弧を描くように走った。

 少年の脇が開き、狙いが不安定になる。彼は構わずにトリガーを引く。

 パシュッ! と、空気が放出された音。ペイント弾は……当たらない。

 次は銀四郎。足を止め、両腕を突き出し、体との三角形を意識。

 肘をまっすぐに伸ばして、撃つ。

 パシュッ! と、再びエアガンの銃声。べちゃりと、相手の胸に赤い染みがついた。

 趣味が悪い。ペイント弾の色ではない。布に付着した途端、リトマス紙のような反応が起きるのだ。

 まずは一人目。そして、すでに二人目の気配を察知していた。

 がさがさ、と近くの茂みが揺れた瞬間――――別の少年が飛び出してきた。

 手にはリボルバー。撃鉄は落ちてないが、引き金と連動するダブルアクションなら発砲できる。その銃口が突きつけられた。

 避けることは不可能。すかさず左手を伸ばし、リボルバーのシリンダー部分を握りこむ。

 トリガーは――――動かなかった。うろたえる少年に、淡々と説明する。

「ダブルアクションのリボルバーはトリガーを引く際、同時にシリンダーも回転する。つまりここを押さえればトリガーも止まる」

 ただし、撃鉄が起きている場合は通用しない。

 そこは伏せたまま、パシュッ! と右手の『拳銃』で引導を渡す。

 三人目は、少し離れた木の幹から。銀四郎はすぐ横に転がり、相手のペイント弾を回避。

 ローリング中も、片手による照準を維持した。おかげで間髪入れずに撃ち返せる。

システマの歩法だった。パシュッ! と銃声に続いて、べちゃりと被弾の音。



「ふう……」

 脱落者たちが置いていった、スペシャルアイテムを『戦利品』として回収しつつ上を見る。

 木々に隠れて浮遊し、こちらの様子を確認する物体が一つ。

 カメラ付きのドローンである。このゲームの監視システムだ。

 ドローンは余計な羽音を立てず、静かに去っていった。なかなかの高性能と思われる。

「さて、と」

 木の幹に背を預けて座りこみ、周囲に気を配りながら考える。

 ――――ゲーム開始時、生徒たちは三分ごとに一人ずつ森へ入った。

 時間の経過からして、すでに全員が戦闘態勢についているだろう。

 気になるのは……やはりエージェント。

 アリスたちが得意分野のシューティングで手を抜くとは思えない。

 この機を逃せば、教祖への道はさらに遠のく。銀四郎も最後まで生き残るつもりだった。

 出会ったら戦うしかない……優勝者は一人だけ、『八咫烏』を踏み台にしてでも前に進む。

 決意を固めた途端、ぽつぽつと水滴が落ちてきた。

 雨だ。徐々に勢いを増していき、ざあざあ降りになった。

「……山の中だからな」

 しかし、これは天気雨。すぐに止むだろう。

 木陰でやり過ごすことにした。



 短い間とはいえ、かなりの雨量だった。木々も芝生もすっかり濡れている。

 雨は止んだが、銀四郎はじっとしていた。知り合いの気配を感じ取ったからだ。

 二人は幹を挟んで、背中合わせに立っている。

「お前か――――吹雪」

「残念だけど、戦いに来たわけじゃねえ」

 わかっている。本来なら会話を挟まずに、容赦なく仕掛けてくるはずだ。

「それがないってことは……」

「今回のあたしは『監視役』に徹する。そして、アリスたちの邪魔になる存在はすべて――――」

 その瞬間、吹雪はすばやく身を翻す。二人を隔てていた幹を回りこみ、銀四郎の前に出た。

 ポニーテールの日焼け少女『ナナ』の姿で現れた、彼女の手には――拳銃。

 銀四郎も反応していた。二つの銃口が、交差する。

 パシュッ! と重なる銃声。べちゃりと、弾は吹雪――――の後ろにいた敵に命中。

 同時に、銀四郎の後ろにいた敵も被弾。

「……排除するってことだ」

「俺を助けるのは?」

「アリスたちがお前との決着を望んでる。そこへの横やりを防ぐために、あたしは露払いをしてる」

「なるほど……って、おい! その格好どうしたんだよ⁉」

 吹雪、もとい『ナナ』は体操服を着ていなかった。

 小麦色の肌にぴったり吸い付いた、黒のスポーツウェア。

 上は短めのタンクトップで、ほっそりしたへそ周りが露わになっている。

 下はショートタイツ。包まれた臀部には、ブルマとは違う魅力がある。

「ああ、こいつは例のスペシャルアイテム」

「マジかよ……」

 種類がランダムのアレ、銀四郎はまだ使っていない。もちろんこんな服ではない。

 吹雪は苦々しい顔をして、経緯を話し始めた。

「体操服がさっきの雨で濡れちまったんだよ。そのままだと動きにくいし」

「待て、森の中で着替えたのか?」

「他にどこがある? 覗きに来たバカは全員キルした。まあ、あのドローンは射程外から撮ってやがったけど」

「――――」

 教団の中年は天気が急変しやすいことを事前に伝えなかった。

 ザックにも、手当たり次第に『服』を入れたのだろう。どこまでも下劣な連中だ。

 しかし、憤りを覚える余裕はなかった。

『銃眼』がこちらに接近する、複数の光を捉えたからだ。

「……チームを組んでるな」

 少女が忌々しげに吐き捨てた。

「くそっ! 振り切ったはずなのに、もう嗅ぎつけやがった」

「知ってるのか?」

「タカキとガリュウたちだ。こんな格好のせいで目をつけられてる」

 たしかに、吹雪のスポーツウェア姿は多くの視線を集めてしまう。

 加えて、彼女はこの先も……一人で露払いを続けていかなければならない。

 アリスたちも気づかない、裏側でずっと――――

「よし」

 覚悟を決めた。タカキたちが追いつくまで、まだ少し時間がある。

 拳銃にセーフティをかけ、ホルスターに挿す。レバーとグリップとの二段構造だった。

 銀四郎はザックを下ろし、切り札を取り出す。

 吹雪は怪訝そうに見ていたが、それを目にした途端――はっと息を呑んだ。

「おい、そいつは……」

「服じゃなくてよかった。俺はラッキーだったんだな」

 銀四郎に支給されたスペシャルアイテム――――『ペイント手榴弾』である。

 結束バンドと一束の針金もあった。倒した敵から奪った戦利品だ。

 手榴弾のクリップを外し、バンドで木の幹に固定する。位置はくるぶしほどの高さ。

 安全ピンに針金を結び、片方を向かいの幹に巻きつけると……ゴールテープみたいにピンと張られた、ブービートラップの完成。

 アマチェアのタカキたちには十分だ。ぽかんとしていた吹雪の手を引いて、走り出す。

 少女は珍しく、戸惑っている。

「いいのかよ……切り札を使っちまって」

「俺たちは共犯者、助け合うのは当然だろ。それにアイテムが『服』になる可能性が高い以上、条件もそんなに変わらない」

 いろいろと建前を並べてはいるが、奥底にあるのはたった一つの真理。

 一人で戦う女の子を、放っておけなかった。

「…………」

「…………」

 吹雪は何も言わず、銀四郎も黙りこんだ。

 しばらく進んでいくと、背後で――――バシャッ! と、巨大な水風船が破裂したような音が響いた。

 音が止み、静寂が戻ってくる中――少女がぽつりとこぼす。

「お人好しの甘ったれが……頭にくるぜ」

 乱暴な言葉とは裏腹に、その手はぎゅっと握り返していた。



                    7



 温もりを名残惜しくも離し、二人はそれぞれの戦いに向かう。

 吹雪と別れた後、銀四郎は歩いていた。右手は拳銃を握っている。

 周囲が異様な静けさに包まれている。敵の気配もゼロだった。

 迷うことはない。作り込まれたルートが案内してくれる。

 まさしく獣道。その道に生きる人間にしか、判別できない。

 そして待っていたのは――――

「ごきげんよう、一匹オオカミの掃除屋さん」

 妖艶に微笑む、金髪の少女。

 姫子だ。豪奢な縦ロールと碧眼の輝きは、薄暗い森でも異彩を放つ。

 彼女も吹雪と同じく、スペシャルアイテムの『服』に着替えていた。

 真っ白なライダースーツが、豊満な胸からしなやかな脚までぴっちりと強調する。

 その上には、怪しい黒のベルト。ハーネス型で全身に巻きつけるタイプ。

 胸の部分はバストを縁どるように、太腿はガーターベルトのように締めつけていた。

 腰の辺りはホルスターになっており――右に拳銃、左にマガジンを挿している。

「す、すごい格好だな…………」

「断っておきますが、わたくしの趣味じゃありませんわよ。ホルスター付きという実用性を優先した結果ですの」

 姫子は堂々としているものの、頬が赤く染まっている。さすがに恥ずかしいのだろう。

 銀四郎も妙な気持ちを覚えていた。露出は吹雪より少ないはずなのに、何かが自分の心を掴んで離さない。

 機能美を追求したライダースーツを、ホルスター付きのベルトで束縛する矛盾。

 自由スーツ秩序ベルトをもたらし、武装ホルスターを与える。そんな、三位一体のアンバランスさが――――

「シロウさん」

「ん?」

「そろそろ怒りますわよ」

「…………ごめんなさい」

 姫子がこほん、とせき払いして話し始める。

「とにかく一番手はわたくし。ようやく、あなたと踊れる時が来ました」

「そう、だったな」

 校舎でのやり取りを思い出す。

 こうして向かい合った彼女は、狡猾なハニートラップの姿より……ずっと眩しい。

 もう言葉はいらない。銀四郎は拳銃を握り締め、姫子もホルスターから拳銃を抜く。

「――――」

「――――」

 二人の間には数メートルほどの距離がある。撃てば十分に届く。

 しかし、互いに銃口は下げたままだった。向けること自体が『攻撃』になるからだ。

 銃弾はまっすぐに発射される。つまり、銃口の延長線上に標的がいなければならない。

 ただ向けるだけでは、避けられてしまう。この法則を『銃口管理レーザールール』と呼ぶ。

 そして、正確な射撃にも……精密な呼吸のコントロールが求められる。

 照準を合わせる時、トリガーを引く時、ぴたりと息を止める。

 これを戦闘中のストレスに耐えつつ、繰り返さなければならない。

 その呼吸サイクルを崩す方法こそが――――肉体への打撃。

 とはいえ、拳銃を持った手で殴り合いなんてできない。

 なら、どうするか。

 ――――来る。最初に動いたのは姫子だった。

 右足を前に出し、左足のかかとを軽く浮かせ、すばやいフットワークを開始。

 ステップ、スライド、シャッフルと焦らすように……踊るように、少しずつ距離を詰めてくる。先読みできない複雑な足さばき。

 利き足を前にしており、クラヴマガとは違う……答えはすぐにやってきた。

 予想外の範囲からヒュン、と風を切る音。

 膝のタメを活かした左のサイドキック。鋭い槍を思わせる蹴りが一直線に放たれた。

「くっ⁉」

 目測を誤った。すらりとした脚の長さに惑わされたのだ。

 ギリギリの反応で、左の前腕を割りこませて逸らす……が、威力を往なしきれない。

 蹴りの外側に逃れようとした体が――ぐらりと揺れる。

「あ」

 転んでしまった。下が芝生とはいえ油断は禁物。

 とっさに体を回し、ディフェンスに利用した左腕を持ってくる。

 地面に衝突する瞬間、手のひらを叩きつけ……受け身を取った。

 そこに、姫子が銃口を突きつける。同時に銀四郎は左手を支えにして、右足を伸ばす。

 腰も入れて威力を強化し、かかとで一直線に蹴りこんだ――意趣返しのサイドキック。

「あらあら……」

 姫子は残念そうに後退して回避。けれど、どこか楽しそうでもある。

 その間に立ち上がり、右手で銃口を向けるが、彼女はひらりと逃れて木に隠れた。

 弾の無駄撃ちはできない。拳銃を下げ、姫子に語りかける。

「利き足を前にした構え、軽快なフットワーク、最速のキック――――『截拳道ジークンドー』か」

「ふふ、このテクニックを生み出した彼は、わたくしの『推し』ですの」

 今は亡きジークンドーの始祖、かの映画スターに心酔しているようだ。

 金髪の少女がいつになく饒舌になる。

「ずっと一人でしたわ……マフィアの家族ファミリーとは相容れず、八咫烏こっちに来てからも孤立して……そんな時、彼の強さに惚れたのです」

「あの人の得意技はサイドキックだったよな?」

「ええ、よくご存じで。わたくし程度では足元にも及びませんけど」

「いや、姫子だって負けてない。すさまじい蹴りだよ」

校舎で戦っていたら、きっと手も足も出なかった。

「ありがとうございます。では……あなたの賞賛に全身全霊で応じましょう」

「ああ、遠慮はいらない」

「勢い余って壊してしまうかもしれませんが、責任はきちんと取りますので」

「おう――――あれ?」

 不吉な言葉を耳にした気がする。

 思い返す余裕はなかった。さっそく姫子が仕掛けてきたからだ。

 手が銃でふさがっている以上、メインは足を主体とした打撃。

 これで相手の呼吸を乱し、射撃の精度を鈍らせ、銃口の延長線上に追いこんでいく。

 現代のガンファイトが始まった。

 姫子は長い足を活かし、多彩な蹴り技を繰り出してくる。

 スピーディな右フロントを左手で払い、股間狙いのグローインを脛で逸らす。

 膝へのストンプはふくらはぎを用いて防ぐ。

本当に強い。一つ一つがかなりの威力を秘めており、守るたびに全身が悲鳴を上げた。

 カウンターに移ろうにも彼女のフットワークを捉えられない。

 このままだとまずい。銀四郎はわずかな隙を衝き、ディフェンシヴフロントを放つ。

 防御的なキック。姫子は膝でブロックしたが、後ろへと押し出される。

 銀四郎はすばやく足を戻し、近くの木に転がりこむ。

 すると、少女の挑発が聞こえてきた。

「野ウサギみたいに隠れちゃって……可愛いですわねえ」

「幻滅したか?」

「まさか。もっといじめたくなってしまいます」

八咫烏そしきには変態しかいないのか……」

 がくりとうなだれながらも、思考を回し続ける。

 現状は、強烈な蹴りで防戦一方。呼吸も荒くなっていた。いずれは銃口の射程に捕まる。

 足による打ち合いは無理、銃による撃ち合いに持ちこむしかない。

 しかし、彼女のフットワークもなかなかのものだ。一筋縄ではいかない。

 だったら――――動きが止まる瞬間を狙う。まずは呼吸を整える。

 休む必要はない。システマのバーストブリージングでリズムを固定すれば済む話だ。

「フッ、フッ、フッ――――」

 鼻から吸って、口から吐く……小刻みに繰り返す。酸素が体内に行き渡っていく。

 何も言わずに姫子の前に立った。彼女も真剣な表情で静かにたたずむ。

 銀四郎を観察して、悟ったのだろう。次の一手が最後になると……。

 先に動いたのは、やはり姫子。必殺のサイドキックをまっすぐに放つ。

 攻撃か、回避か、防御か。行動を取ろうとする恐怖心を抑えつけ、バーストブリージングの呼吸だけに集中する。

「フッ、フッ、フッ――――ッ!」

 息を吐いた瞬間に、蹴りを受けた。流れに逆らわず、全身の力を抜き、仰向けに倒れていく。

 吹雪も使った受け身、衝撃を分散させるシステマの応用。

 交錯の時、銀四郎は銃口を突きつけていた。もちろん失敗に終わった。

 かろうじて照準を維持しているが、今の状態でまともな射撃は不可能。

 威力を散らしても、ダメージがゼロになるわけではない。

 呼吸も乱れる以上、弾も外れる――――はずだった。

 バーストブリージングは継続的に負荷がかかる状況……激しく組み合うレスリングにも有効である。

 受け身で減らしたダメージなら、ギリギリ耐えられる。そして、もう一つの条件。

 照準を合わせる際、トリガーを引く際は呼吸を止めなければならない。

 銀四郎の息は、止まっている。吐き出した直後に蹴りを食らったからだ。

 パシュッ! と、銃声が響き……べちゃりと赤い染みが広がった。



「今度は『肉を切らせて骨を断つ』ですか……無茶な戦い方をしますのね、あなたは」

「ここまでしないと勝てなかった。けど試合に勝って、勝負に負けたようなものだな」

 その言葉は、現在の状況を表している。

 銀四郎は仰向けに倒れたまま、姫子に――――膝枕をされていた。

 彼女の布は赤色に染まっている。制したのは銀四郎だったが、体を動かせずにいたのだ。

 さすがに負担が大きかった。しばらく休むことにしたら……いつの間にかこうなっていた。

 拒む気力もなく、健康的な太腿に頭を預けていると、姫子が話しかけてくる。

「ところで、シロウさん。あの呼吸法についてですが……」

「ん?」

「いつから、アレをできるようになりましたの? 打撃の負荷にも耐えうる呼吸なんて、聞いたことがありませんわ」

「……クソ親父といた頃に、教えてもらったんだ」

「どんなトレーニングを?」

「――――」

 あれを、トレーニングと呼んでいいのか。

 父の鉄矢は優しかったが、ときおり怖かった。

 バーストブリージングを維持しながら、何度も……何度も、暴力を受けた。

 食べたご飯を吐き出しても、やめてくれなかった。自力で受け身を覚えるしかなかった。

 暗示のごとく刷りこまれた言葉が、脳裏をよぎる。

『銀四郎、お前は機械だ。体内の血も、臓器も、いずれ視えるようになる力も、すべて部品に過ぎない。世界を回す歯車の一つ、システムだと認識しろ』

 あの頃は、それが正しいと信じていた。

 親に褒めてもらいたい、厳しくするのも愛情なんだと……本気で思っていた。

「――――失礼、いじわるな質問でしたわね」

 ぽふんっ、と頭上に二つの塊が置かれる。

 ふんわり包みこむような感触……凍っていた芯が熱を取り戻していく……。



                    8



 脱落者の少女と別れて、銀四郎は森の奥を進む。

 姫子が説明してくれた。生き残った方がこの道を通る。

 その先で待っていたのは――――茶髪サイドテールの後輩エージェント。

「お疲れ様です、シロウ先輩」

「江野か……戦う気はなさそうだな」

「はい、今回のウチはガイド役。勝者を案内するのが仕事ですから」

「なるほど。ところで江野」

「はい?」

「お前もまた、すごい格好じゃないか……」

 彼女の服装はあのスクール水着だった。藍色の生地が、未成熟の肢体を覆う。

 雨に降られたのか、それとも汗をかいたのか、全身がびっしょり濡れている。

 玉のような水滴を弾く、瑞々しい肌がまぶしかった。

 さらにホルスターはショルダータイプ。左肩から吊るし、脇に装着している。

 ハーネスのベルトが胸の谷間に食いこみ、発育途上のバストがくっきりと強調されていた。

 目のやり場に困っていると、江野がくすくすといたずらっぽく笑う。

「では先輩、ここからは『低姿勢匍匐ていしせいほふく』でウチについてきてください」

「……お、おう」

 何か企んでいる、そうわかっていても――――行くしかないのが悔しかった。

 やり方は知っている。地面に腹ばいになり、利き手で拳銃を握り、両手を前に伸ばす。

 江野も同じく姿勢を取った途端、ようやく彼女の意図が読めてきた。

 お尻だ……可愛らしい小ぶりのヒップがふりふりと揺れる。

 特に、水着で少し上がっているところが――――ダメだ。必死に煩悩を振り払い、動作に集中する。

 さっそく、江野が前進を開始した。銀四郎もついていく。

 片方の足を横に出し、体を前に蹴りだしながら両手で引き寄せる。

 足を交互に変えて繰り返せば、そのまま進むことが可能。

 しかし江野はたまに水着のズレを直しつつ、こちらに白い肌をちらつかせてくる。

 その度にどぎまぎしてしまう。別の話を持ちだし、ごまかすことにした。

「そ、そういえば、茂木は?」

「茂木センパイはジャンケンに負けたので――――銃と手榴弾を手にして、敵の大群と刺し違えました」

「は?」

 どういう意味かを聞こうとしたが、できなかった。

 いきなり周囲の状況が一変したのだ。あちこちから、べちゃべちゃ! と被弾の音。

 続いて、生き残ろうとする者たちの叫びも飛んでくる。

『やっちまえ!』

『下がれ、こいつは罠だ!』

『もう嫌! こんな争い……』

『俺、この戦いが終わったらさ――――』

 すっかり戦争の空気に染まった、阿鼻叫喚の地獄絵図。

 まさしく、ペイントでペイントを洗う激戦地。茂木もここで散ったのだろう。

 耳を塞ぎたくなる衝動を抑え、無心で悪夢のような戦場を通過した。



 再び、静かなエリアに着いた。

 江野はさきほどの戦場に戻っていった。吹雪と同じ『露払い』の役割もあるらしい。

 一人でゆっくり森を歩く。この先に彼女がいる、根拠はないのに不思議と確信できた。

 果たして黒髪の少女――――咲谷貞乃さきたにさだのは、そこにいた。

「よう」

「…………」

 彼女は何も言わず、こちらに背を向けている。

 服装はこれまでの格好とは違う、ブレザー制服。

 凛とした後ろ姿は、ただただ美しかった。学校にいれば多くの人気を集めるだろう。

 その華奢な肩に、アサルトライフルの負いスリングをかけていなかったらの話だが。

「羨ましいな。こっちは拳銃一丁、ここまで接近を許していいのか?」

「……武器の性能で勝っても全然うれしくない。あとで難癖つけられても困るし。徹底的に叩きのめしてあげる」

「そっか……ところで、これは?」

 自分の足元に妙な物があった。

 棒状の何かが、芝生の地面に突き立っている。銀四郎が来る前から存在していた。

 犯人の少女が冷淡に説明する。

「敵から奪った戦利品――――模造品レプリカの『半棒十手』よ」

「え?」

 よく見てみると、たしかにその通りだった。あの鉤もついている。

「ま、待て。こういう物もスペシャルアイテムの一つだっていうのか⁉」

「ええ、棒術使いにも優しいゲームで助かったわ」

「そんなのお前だけ――じゃなくて、棒による打撃はいろいろとヤバいだろ」

「どうして? ルールで禁止されてはいないはずよ。おそらく、ある程度は認可されてる」

 ……姫子との一対一でも、格闘をしたことに注意はなかった。

「つまりメインは射撃、サブは近接攻撃……という意識で戦えと?」

「私も何回か試したけど、おとがめは一度もなかった。それが暗黙の決まりでしょうね」

「試したって、お前なあ……」

「バカな不良をちょっといじめただけ。とにかく、これでルールの確認は終わり。その『半棒十手』を抜きなさい。あなたの動作が――――開戦の合図よ」

 銀四郎が手に取ると同時に、振り向くつもりなのだろう。

 決闘の形としては面白い。ただ、気がかりなこともある。

「後手のお前が不利になるぞ。銃口を向けたところに俺はいないかもしれない」

「私はアサルトライフルで、あなたは棒と拳銃。むしろ十分なハンデでしょ」

「そこまで言うのなら……わかった。恨みっこはナシだぜ」

 空気が、張り詰めていく。

 両者の間にある距離は数メートルほど。拳銃とライフルの撃ち合いでは勝負にならない。

 まずは銃口を避けつつ肉薄し、棒術でライフルを弾き飛ばす。

 迷いはなかった。しゃがみ込んで、右手で半棒を抜き、その反動を活かし――システマのローリングに移る。

 貞乃も振り返り、銃口を向けるがもう遅い。あと一歩、踏みこんだら半棒の間合い。

 仮に反応されても、フィリピン武術アーニスは防ぎ切れない。

 技を繰り出そうとして、ふと貞乃の行動に嫌な予感を覚える。

 彼女は発砲せずにライフルを引き戻し、槍のように先端を突きだす。

 リーチは足りていない。銃身バレるの下部、バヨネットラグに何もなければ――――

「っ⁉」

 あった。剣というよりは棒……銃棒じゅうぼうとでも呼ぶべきそれが、紙一重の差を埋めてしまう。

 防御するしかない。バチンッ! と棒がぶつかり合う。

 銃口を逸らしながら、銀四郎は吐き捨てる。

「だましたな。背を向けていたのは、そいつを隠すためか!」

「お互い様でしょ。保健室での一件、忘れたとは言わせない!」

 貞乃の猛攻が始まった。

 獲物の長さは向こうの銃棒が上、こちらの半棒では間合いに入れない。

「くそっ!」

 守ることで精一杯のまま、後方に押しやられる。

 ピンチとはいえ退くことはできない。離れれば離れるほど有利になるのはライフル側だ。

 銀四郎は前に踏みこんで十手を――――アンダースローで投げ放った。

 狙いは少女の顔面。回転する十手が、斜め下から襲いかかる。

「っ!」

 彼女が打ち払った一瞬に、銀四郎は距離を詰める。

 投げ十手の型。奉行は空いた手で捕縄術や逮捕術、袖に仕込んだ鎖の技へと繋げる。

 貞乃が反射的にライフルを構え直す。だが、そこに付け入る隙があった。

 左手をまっすぐに伸ばし、銃身を握る。右に押しつつ、左肩を前に出す。

 両足で一気に前進、左手を銃床バットストックにシフト、代わりに右手を銃身の側面に持ってくる。

 そのまま両手で掴む。銃に体重をかけ、貞乃へ押しつける。

 左足も使い、蹴りを放つ。貞乃は脛でブロックしたものの、わずかに重心が崩れる。

 銃身を力ずくで上に振り、パンチのように打つと……貞乃の頬をかすめた。

 彼女が怯んだ刹那に体を戻し、銃を少女の右肩の外側へ押し下げて、ホールドをほどく。

 ――――奪った。使うために後退しようとした時、今度は貞乃が距離を詰めてきた。

 その手には、制服のスカートベルト。すかさず銃棒で迎撃するが、回避されてしまう。

 彼女はベルトを用いて銃棒を逸らしつつ、踏み込んで――――銀四郎の首に巻きつける。

「あ」

 ぎゅっと、首を絞められた。

 スカートベルト自体の殺傷力は低い。だからこそ、じわじわとくる苦痛は辛いものだった。

 ライフルも取り落としていた。少女が銀四郎の背後に回り、木の幹に押さえつける。

 そして、妖しくささやいてきた。

「このまま楽になりたい?」

「な……に?」

「もう気づいてるでしょ。本当に向き合わなければならない相手の存在に……けど、あなたはわざと答えを先送りにしてる」

「…………」

「知ってしまった以上は戻れない。いつまで鈍感な子どもでいるつもり?」

「っ!」

 体が反射的に動いた。顔の向きに合わせて右手を高く上げた。

 ベルトを持つ手首に負担をかけつつ、回転。貞乃と正対する。

 貞乃は危険を察知したのか、首のベルトを解き、すばやく下がった。

 銀四郎は追撃の掌底――パームヒールストライクを放つが、精度が落ちている。

 少女もあっさりと躱す。彼女は左右の手でベルトの両端を持ち直し、振り上げる。

 バチンッ! と顔面をしたたかに打たれた。頬に熱い痛みが走り、脳を揺さぶられる。

「……動きにキレがない。迷ってるの?」

「お前を傷つけるつもりはない、それだけだ」

 できることなら、何も知らないままでいたかった。

 だが貞乃の言う通り、許されないことだ。答えはすでに出ている。

 少女が探るような目でこちらを観察してきた。

「つまり、八咫烏わたしたちの側につく……ということ?」

「違う。俺は、どこにもつかない」

 バチンッ! と体を打たれた。胴にビリビリとした衝撃が伝わる。

 ベルトを鞭のごとくしならせた彼女は、冷たい瞳で睨みつけてくる。

「そんな中途半端な考えが通ると思う? 敵か味方か、あなたの選択肢は二つしかない」

「関係ない。俺は最後まで――――あの人と始めた『掃除屋』として戦う」

 ヒュン、と風を切る音。

 銀四郎は左手を伸ばし、蛇のように襲い来るベルトを掴んだ。

 激痛とともに血が滲み、皮膚が赤く腫れたが構わなかった。

 少女が忌々しげに吐き捨てる。

「……その在り方だって、幻想に過ぎなかった。あなたが貫いてきたのも『紅桜』を抑えるための偽善。他に何があるの?」

「まだ、最後の依頼ねがいが残っている」

 初めて会った夜、赤い少女は言った。

 誰かがやらなくてはならない、と。

「千理のヤツらを潰したい気持ちはこっちも同じだけど、八咫烏そしきの何から何まで闇に葬るやり方には……納得できない」

「あなた、まさか――――」

「俺は、俺自身がやらなくてはならないことをやる。これだけは、他の誰にも譲れない」

 気づけば、右腕がズキズキと疼きだしていた。

 二の腕、肩へと上がっていき……ついに首まで到達する。

『紅桜』の悪化。戦闘のストレスでハイになったまま、自らの『正義』に没頭したからだ。

 もう隠せない。貞乃は首に浮かんだ紅い桜を目にして、愕然とした。

「そこまで、進んでいたの?」

「悪い、どうしてもできなかった。ここでのことを忘れて、生きていくなんて……」

 八咫烏はなぜ、銀四郎を潜入させたのか。

 そして、保健室で少女が指摘した――――致命的な見落とし。

 簡単な話だった。真実にたどり着くのが怖くて、無意識に思考を鈍らせていた。

「でも、それも終わりだ。貞乃……お前を越えた先に、アリスがいるんだな?」

「ええ。そろそろ、この戦いの意味もわかってきたでしょ?」

「ああ、承知した上で――通らせてもらう!」

 戦闘が再開された。

 銀四郎は左手でベルトを引っ張る。だが貞乃は躊躇なく手放して、バックステップ。

 まだだ。右手は腰のホルスターに伸びている。グリップを握り、銃口を抜きだす。

 セーフティレバーを親指で解除、肘を九十度に曲げ、前腕を胸と垂直にした構えで牽制。

 少女は緩急をつけたフットワークで銃口から逃れる。

 ベルトを捨て、空いた左手も合わせ、まっすぐに銃を突き出しても……捉えられない。

 だったら、誘導する。システマの達人は常にさりげない動きで優位に立つ。

 昨日のバスケットボール、ナナに扮した吹雪も相手を転倒させていた。

「――――」

 自分と相手を繋ぐ糸……『動線』を意識する。銃口を向けたまま、少しずつ足を動かす。

 マリオネットを操るように、貞乃のフットワークをコントロールしていく。

 彼女はブレザーの懐に拳銃を忍ばせている。しかし、まだ抜いていない。

 迷っているのだ。射撃か近接、どちらで攻めるべきか……。

 銀四郎は絶妙な距離感を保つことで、どちらの手も五分五分という状況を作り出した。

 貞乃は一方に傾く瞬間を狙うだろう。その計算高い思考が命取りになる。

 銀四郎が足を引くと、彼女は距離を詰め……逆に踏みこむと、後ろに下がる。

 少女は攻撃のタイミングに気を取られ、足元をおろそかにしていた。

 重心が不安定になっているというのに、だ。

 銀四郎は銃口を貞乃――――ではなく、彼女の足元に向けて撃つ。

 パシュ、と銃声に続き……べちゃりと、被弾の音。

 たった一押しで体勢が崩れ、少女はあっけなく転んだ。

「――――え?」

 アンクルブレイク。貞乃は地面への着弾で、足を反射的に動かし、もつれてしまったのだ。

 ぺたんと尻もちをつき、呆然とこちらを見上げる姿は……糸の切れた人形のようだった。

 べちゃりと、二発目の被弾。



 またもや、天気雨に見舞われた。

 ざあざあ降りの中……二人は木陰で、背中合わせに座っている。

 貞乃がわなわなと身を震わせながら、切り出した。

「どうやって誘導したのよ? あんな離れ業を成立させるなんて――私のパターンやクセを熟知しているとしか……」

「昨日のバスケットボールだよ。同じチームで、俺は貞乃の動きを近くで観察できた」

「あの時から、こういう展開を予測していたの?」

「いや、お前にビシッと言われて……やれることをやろうと思ったんだ」

「じゃあ敗因は、敵に塩を送った私……」

 がっくりとうなだれる少女。らしくない姿に戸惑いを覚え、なんとか励まそうとした。

「で、でも、俺は貞乃のそういうところが好きだ。冷酷なエージェントよりずっといい」

「――――バカ」

 ぽすんっと、華奢な肩が寄りかかる。

 甘酸っぱい香りと柔らかな感触に、とくん……と心臓が高鳴る。

 どうにも落ち着かない気分だった。貞乃は黙りこんでいるが、そこには危うい何かがある。

 こちらが茶を濁そうとする前に、先手を打たれてしまった。

「雨、止みそうね」

「え、あ、そうだな……」

 平凡なやり取りから、徐々に天秤が傾いていく。

「さてと、今のうちにやってしまいましょう」

「な、なにを?」

「首の『紅桜』の隠ぺいよ。ドローンはまだしも、人目を引くのは面倒でしょ」

 彼女は立ち上がり、銀四郎と向き合う形でしゃがみこむ。

 その手には回収したスカートベルト。それを首輪のように巻きつける。

 間近に整った美貌が迫り、繊細で優しい手つきに喉をくすぐられ、思わずたじろいだ。

「い、いいのかよ? 俺は報告しなかったのに……」

「負けた私に、干渉する資格はない。勝てたあなたは、自分のやるべきことに集中しなさい」

 少女がぎゅっとベルトを結んだ。ちょうどいい締まりに、気合も入ってくる。

 貞乃に怪しい挙動は見られない。さきほどの沈黙は杞憂だったのだろう。

「……シロウくん」

「ん?」

 ほっとした途端に――――奇襲を食らった。

 彼女がそっと、唇を重ねてきたのだ。

 しっとり濡れた感触に心を奪われ、熱い吐息が肺を満たす。

 雨が止むと同時に……少女は離れた。頬を赤く染め、恥ずかしげに目を逸らしている。

「さ、貞乃――――」

「キ、キスの間に、私はあなたを何回も殺せた……だ、だから調子に乗らないこと! いいわね⁉」

 ビシッと、指を突きつける貞乃。その気迫に押され、こくりとうなずいた。



                    9



 互いに顔を合わせられないまま、二人は逃げるように別れた。

 唇に残る余韻をどうにか振り払い、早足で森を進む。

 そして、最後に待っていたのは――――

「今回もまた、苦戦してきたようだな」

 真紅のツインテールを風になびかせ、ルビー色の瞳でこちらを見据える赤い少女。

 アリスだった。抜群のプロポーションを飾るのは、情熱的なワインレッドのビキニ。

 雨水のしたたる滑らかな肌、ほどよく引き締まった腰つき、すらりとした手足。

 暗殺に用いられることが悲しくてならない、完成された肉体。

 ホルスターはウエストポーチ型のファニーポーチ。右手に握る拳銃は、ガバメント。

 銀四郎も同じように持っている。

「おかげさまでな。けど文句は後だ。とりあえず質問させてほしい」

「いいだろう」

「どうして、こんな方法を取ったんだ? 校舎のテストとそっくりじゃないか」

「そうだ。この戦いも、シロウ――――お前を試すものだった。その様子だと、自らの本心に気づけたようだな」

 つまり、銀四郎の立ち位置を明確にすることが目的。

 たしかに貞乃も、敵か味方かをはっきりさせようとしていた。

「でも……俺が望む結末は、アリスたちと違う」

「ああ。だからこそ、ここで決める。どちらの依頼ねがいが優先されるべきか」

 八咫烏は、誰かがやらなくてはならないことをやる。

 銀四郎は、銀四郎がやらなくてはならないことをやる。

 二つの正義は相容れない。こうなってしまう展開は簡単に予想できたはずだ。

「アリス、俺を待っていてくれたんだな……」

 彼女は照れくさそうに、ぷいっと顔を背ける。

「……あの夜の借りを返しただけだ。お前は出会ったばかりの私を信じてくれた。とはいえ、こちらにも意地がある。わざと負けることはできないぞ」

「それで十分だ」

 もう、言葉はいらない。最後の戦いが始まった。

 アリスの動きは、持ち前の足腰を活かした俊敏なフットワーク。

 同足と逆足を合わせ、効率よく勁力を発生――合理的な打撃へと繋げる、八極拳の歩法。

 予想よりずっと速い。おそらく、水着姿で服の無駄な質量を排除している。

 ただし、重さが減れば攻撃力が低下する。まさにスピード重視の戦法だ。

 彼女はまたたく間に距離を詰め、肘打ちの頂肘を繰り出す。

「うおっ⁉」

 横に転がり、ギリギリで回避。ブンッ! とスイングが空を切る。

 銀四郎はすぐに立ち、肘を九十度に曲げ、銃口を向けようとした。

 だがアリスは上半身を外から内に振り、がつん! と肩をぶつけてきた。

「ぐっ!」

 まさかの体当たりにのけぞってしまう。そこにガバメントも突きつけられる。

 まだだ。銀四郎はすかさず左手を伸ばし、手のひらで銃口をぐいと押した。

 スライドと銃身を後退させた。アリスがトリガーを引くが――――無反応。

 ガバメントはショート・リコイル式。スライドが後退すると、発砲できない。

 取った。確信とともに銃口を向けた瞬間、今度はアリスの左手が伸びる。

 鏡合わせのように、スライドが後退させられた。これでは発砲できない。

 銀四郎の拳銃もガバメントだった。互いに銃を押さえつける、こう着状態に突入。

 彼女が話しかけてきた。

「どうするシロウ? いったん仕切り直すか?」

「じゃあそれで―――」

「甘いな」

 アリスは容赦なく腹部にかかとを叩きこんだ。

「があっ⁉」

 ガバメントを落とし、相手の銃口からも手が離れ……後ろに倒れていく。少女が拳銃を突きつける。

 しかし銀四郎は、直前にシステマの受け身を取っていた。姫子の時にも使った衝撃分散だ。

 体が地面に着く刹那、クラヴマガにスイッチ、受け身の姿勢でサイドキックを放つ。

 蹴りはアリスのガバメントを弾き飛ばした。

「っ!」

 銀四郎は支えの足を地面に着けつつ、蹴り足を浮かせ、キックの構えを維持する。

 左手で顔をガード、右手を地面に着けて腰を起こし、蹴り足を後ろに引く。

 一気に立ち上がった。すると、アリスは自らの胸元に手を伸ばす。

 あるのはビキニと青い布のみ……だが銀四郎も迷わず、そこに手を伸ばした。

 基本的に、ブラジャー型ホルスターはバストの下側に留める。よって、銃を抜く際は上着の下から取り出す。

 とはいえ仕込みがないことは、ビキニ姿を見れば一目瞭然。

 しかし、アリスが触れた途端……ぺろん、と皮膚の一部が剥がれ落ちる。

 それは肌色のシリコンだった。バストの大きさを偽装するための道具。

 そして露わになったのは、やはりブラホルスター。小型拳銃デリンジャーを挿している。

 もともと少女の胸は大きい。だから、使うわけがないという先入観を持たせたのだ。

 銀四郎は、デリンジャーを抜いたアリスの手首を掴むことに成功。

 はっ、と少女が驚きの表情を浮かべる。

「気づいていたのか⁉」

「思春期の男子をなめるなよ。昨日の混浴で、本来のボディラインは目に焼きつけてある。多少の違和感だって、こうして発見できる」

 ……タネを明かすと『銃眼』で捉えたのだが、あえて伏せておく。

 挑発を含んだ発言に、彼女の顔は……かあっと赤くなった。

「このっ、スケベ男が!」

 アリスは冷静さを失い、力任せに右の蹴りを繰り出そうとする。

 読めていた。すかさず左の膝を軽く上げ、つま先で少女の脛をぴたりと押さえつける。

 ストップキック。さらにアリスの手と手首を捕まえたまま、技に入った。

 両手の人差し指から小指までの八本で引き、二本の親指で少女の手を手首に向けて押し下げる。

 アリスの手が徐々に開いていき、デリンジャーが落ちそうになった。

 キャヴァリエ、クラヴマガにおけるリストロック。騎士を意味する言葉でもある。

 あと少しのところで、彼女も動いた。腰を水平に振り、どんっ! と内側をぶつけてきた。

「うっ⁉」

 勁力を込めた的確な一撃、またしても後ろに倒されてしまう。

 その勢いでアリスが馬乗りになり、右手のデリンジャーを向ける。

 銀四郎は腰を跳ね上げた。すると、マウントを取ったアリスがバランスを崩す。

 彼女は体を支えようとして、左手を地面に着ける。

 それを狙っていた。片腕を伸ばし、少女の左腕を捕まえる。

 同じように片足で左足も押さえ、再び腰を使って、アリスを頭の方へ跳ね上げる。

 最後、右に回転。体勢を入れ替え、上になると同時にすばやく離れた。

 少女が立て直す前に、落ちていたガバメントを拾い、銃口を突きつける。

 アリスは――――静かに苦笑して、自らの運命を受け入れた。

 べちゃりと、決着の音。



 戦いが終わった。

 ゲームの優勝者は、銀四郎。

 他の連中はドロドロの潰し合いや、エージェントの奮闘で全滅していた。

 もちろん吹雪たちも脱落した。あの露払いのおかげで掴み取れた結果である。

「ふう……」

 いろいろなことが過ぎ、ようやく自由になれた銀四郎は――――温泉に浸かっていた。

 ライトアップされた夜の露天風呂。お湯が体の傷にしみる痛みも、どこか心地よい。

 疲れを癒していると、洗い場からアリスの声が飛んでくる。

「来たぞ、シロウ」

 振り向いた先には――裸にバスタオルを巻き、髪をアップにまとめた赤い少女。

 つい、まじまじと見てしまう。彼女にマウントを取られ、抜け出そうとした時……二人は密着していた。

 戦闘中は気にならなかったが、記憶は五感に焼きついている。

 男女の肉体が重なり……互いの吐息、汗、匂い、体温も交わり……どこまでも溶け合っていくような――――

「シロウ」

「え?」

 はっ、と我に返る。

 アリスも思い出したのか顔を赤らめ、ボディラインを隠すように自分の肩を抱く。

「そんなにじろじろ見られると、困る」

「お、おう……悪かった」

 慌てて背を向ける。どうやら彼女は恥じらいを覚えたらしい。

 良いことだった。昨日みたいに堂々としていたら、こっちがまいってしまう。

 シャワーの水音が聞こえてくる。ぎこちない空気がリセットされていく。

 銀四郎はさっそく話しかけた。

「えーと、要件は?」

「忘れたのか? あの戦いの後、お前が提案したはずだ。まずはミーティングで内容をまとめよう、と」

「そ、そうだったな……」

 プロポーションに心を奪われて、すっかり失念していた。

 やれやれ、と少女が呆れて苦言を呈する。

「もっと気を引き締めるべきだ。場所のセッティングも任せたのは間違いだったな」

「い、いいだろこれくらい! 俺も大変だったんだ――女の子に蹴られたり、ベルトでびしばし叩かれたりで!」

「ん? 男にとってはご褒美だろう?」

「どういう嗜好してんだよ⁉」

 危険な考えである。いずれ、きちんと説得しなければならない。

 しかし今は、現実と向き合う時間だ。

「アリス、ミーティングの前に一つ……確認したいことがある」

「――――」

 シャワーの水音が、ぴたりと止まる。

 銀四郎が聞きたいのは――貞乃に指摘された、見落としのことだ。

 アリスは仲間をまとめる『元締め』のエージェント。彼女なら答えを知っているはず。

「……本当に、いいんだな?」

「ああ、もう覚悟は決まっている」

 八咫烏にすべてを任せて、撤退するという選択肢もあった。

 けどできなかった。元の日常に帰る意味を、失ってしまったから……。

 拾った『鍵』を手にして、真実への『扉』を開く。

「あの祭りの夜、教団は――――何のウイルスをばら撒こうとしたんだ?」

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