銃GUN ―八咫烏VS千理の瞳VS紅き遠山桜―

シナワリ

STAGE:0 祭りの夜




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 色とりどりの光が、真っ暗な空を照らし……ドォンッ! ドォンッ! と爆音を響かせる。

 花火だ。天に大きく咲いた花は、夜に包まれた街すらも鮮やかに染め上げる。

 今日は祭りの日。歩道は屋台や人々でごった返していた。

 車道は封鎖され、車の代わりに暑苦しい男たちが巨大な神輿みこしを担ぎ、わっしょい、わっしょい! と行進している。

 ちなみに夏祭りではなく、春祭りである。

 ブレザー制服の高校生――――遠山銀四郎とおやまぎんしろうは走っていた。

 群衆をかき分け、数メートル先を走る男性を追跡中。

 左耳に着けたインカムに、ザザッ……と通信が入る。

『気をつけて、彼は路地に逃げ込もうとしてる。今日は花火の音もあるし、人目につかないところに出たら――――撃ってくるわよ』

「わかってます。にしても、銃でひと暴れして祭りを中止させたいって……どんな恨みがあるんでしょうね?」

『人間の恨みなんて、簡単に理解できるものじゃないわ。とにかく騒ぎになる前に捕らえてしまいましょう。頑張ってね……小さな『掃除屋』さん』

「小さな、は余計ですが了解」

 そこでバックアップ役――『先生』との通信が終了する。

 やがて忠告通り、男が路地に入った。少し遅れて銀四郎も身を滑り込ませる。

 だが、予想外の光景に唖然としてしまう。

 カップルだらけだった。春祭りだというのに、お盛んなことである。

 羨ましくなんかない……羨ましくなんかない……自分をなだめながら、追跡を再開した。

 銀四郎は人には言えない仕事――『掃除屋』をしている。

 訳あって表沙汰にできない、困りごとを解決する裏稼業だ。

 殺しはナシ、悪人からの依頼もいっさい受けつけない。今回は祭りの主催者に届いた、脅迫状の件で動いている。

『祭りを中止させろ。さもないと銃撃事件を起こす』

 おどしの可能性が高い。けれど万が一ということもある。かといって警察に相談すれば騒ぎが大きくなり、中止の声が強まるだろう。

 内密に解決してほしい。それが依頼人の意思だ。

 群衆に紛れていた不審者を、銀四郎が持ち前の『能力』で発見した。

 声をかけるのも自分の役目。警官ではなく高校生であれば相手も油断する。

 しかし、話しかけた途端……逃げ出してしまったのだ。

 がむしゃらな逃げ方はいかにも素人。ヤクザや薬といった、きな臭い類ではなさそうだ。

 だが、油断は禁物。あの怯えようには、人を傷つけかねない危うさがある。

 走る速度を保ちつつ、腰のウエストポーチに両手を回す。

 本当はカッコよく抜きたい。見られてしまうリスクがあるので、こういう形にしていた。

 ファニーポーチホルスター。ホルスター機能をつけたポーチである。

 右手で取り出したのは、拳銃グロック。左手はマガジンを一つ手にしていた。

 さっそくグロックに装填、ガチャリとスライドを引き、両手で握る。まだ構えない。

 路地が終わりに差し掛かる。男が裏通りに出た。銀四郎も続く。

 表通りが賑わっている分、裏通りは静まり返っていた。人や車もなく、明かりも街灯のみ。

 道端に自転車が放置されている。男は道の中央を走っていた。

「逃がすか!」

 後ろからの声に、男がビクリと振り向く。

「クソ……しつけえんだよ!」

 彼の右手にも、黒のオートマチック拳銃が握られていた。

 想定内だ。銀四郎は左側から弧を描くように走った。

 敵の右側に入り込めば脇が開き、狙いが不安定になる。

 パァンッ! と銃声。しかし照準のブレた射撃はかすりもしない。

 ちゃんと練習してないのに片手で撃ちたがる……やはり素人。冷めた気分とともに、両手でグロックを構える。

 照準は安定していた。すかさずトリガーを引く。パァンッ! と再び銃声。狙いはスライド部分。

 バチンッ! と弾が男の拳銃を弾き飛ばした。

「ぬおっ⁉」

 チェックメイト。動くな、と言いかけて止まる。男が急接近してきたからだ。

 無手になったはずの右手を振り上げている。いや、何かを持っていた。

『警棒』だ。意表を突かれ、反応が遅れる。バシッ! と右手首をしたたかに打たれた。

「があっ⁉」

 痺れるような痛みが襲い、グロックを手放してしまう。

 拳銃にこだわっていては叩きのめされる。そう判断して後ろに飛び退き、距離を取った。

 男は銀四郎のグロックを無造作に蹴り飛ばす。

「ガキが、調子に乗りやがって」

 ……その銃は父の形見だ。ふつふつと湧き上がる殺意を抑えつつ、状況を確認する。

 男の体格は自分より一回り大きいが、警棒の扱いはてんで素人。

 そこに付け込めば、勝てる。

 ただ、一つ問題がある。警棒に打たれた右手首のダメージで、利き手の右に力がしっかり入らないのだ。

 相手を戦闘不能にするには、あと一手が必要だった。

 だったら、アレを……ある一点に目を留め、瞬時に向き直る。

 敵に悟られないよう左手を手首に当てて弱ったふりをしつつ、横歩きでじりじりと距離を詰めていく。

 気づいていない男は勝利を確信したのか、優越感に浸っていた。

「お前……男のくせに意外とかわいい顔してるなあ。殺したりはしねえよ。骨の髄までいたぶって、ゴミみたいに捨ててやる」

「この顔がかわいい、か。本気で言っているのか?」

「あん?」

 銀四郎の問いに男は眉を寄せ、すぐに思い当たったような顔をする。

「お前まさか――――遠山鉄矢とおやまてつやの――――」

「死人に口なし、と言いたいところだが……殺さない。ここでお前の命を奪ったら、あのクソ親父と同じになる。それは死んでも御免だ」

「ど、どうせはったりだろ⁉ お前のようなクソガキに、何ができるってんだよ!」

 うろたえた男が力任せに警棒を振り下ろす。

 威力とスピードはあるが、軌道が単調。来ると分かっていれば避けられる。

 銀四郎は横に転がり、警棒をかわす。同時に目をつけていた一点……自転車に到達する。

 道端に放置された自転車はかなりボロボロで、チェーンも外れかけている。

 乗るつもりはない。銀四郎はチェーンを掴み、ブチッと強引に外した。

 じゃらじゃらしたそれを、右手にぐるぐると巻きつけて立ち上がる。

「なんだそりゃあ、新手のファッションか?」

 男の挑発に銀四郎は答えない。代わりに両手を肩の高さに上げ、降参のポーズをとる。

「へえ……って許すかよクソガキが!」

 相手は再び警棒を振り上げる。

 かかった。両手の指をまっすぐに伸ばし、脇も締める。頭を下げて目は正面のまま。

 踏み込みは左足から。男がスイングする手首の内側に左腕を差し入れ、頭部への直撃をブロック。

 そしてチェーンを巻いた右手で拳を作り、男の顔面にめりこませた。

「げぶっ⁉」

 まだ終わらない。左手とチェーンの緩んだ右手で肩を掴み、膝蹴りも腹に打ちこむ。

「ぐばあっ⁉」

 痛烈な二連撃に耐え切れず、男は白目を剥いてダウン。

 ばたりと倒れた男に、銀四郎は吐き捨てた。

「俺も親父もクソだけどさ……子供を許してやれない、器の小さな大人もどうなんだよ? 挙句に意味もなく暴れて、周りに迷惑をかける――――あんたも立派なクソだろ」

 クラヴマガ。銀四郎が用いた、イスラエル発祥の護身術。降参のポーズからでも、すばやく動作に移れる。

 さらに自転車のチェーンは、即席のアイアンナックルとして代用できる。パンチ力の強化にうってつけだった。



『……お疲れ様、あとはこちらでやっておくわ。寄り道せずにまっすぐ帰りなさい』

「はい、ありがとうございます。先生」

 通信を終え、インカムをポーチにしまう。グロックも回収済み。

 失神した男は結束バンドで手足を縛った。拳銃も、マガジンと藥室の弾を抜いてある。

 銀四郎の『仕事』は終了。特殊な事情を抱える自分は、速やかに帰らねばならない。

 表通りから、わいわいと楽しげな声が聞こえてくる。ドォンッ、ドォンッと花火も響く。

 銀四郎や拘束した男のように銃を持つことは違法だ。あの世界に入る資格はない。

 無関係な人を傷つける輩が嫌いだ。クソはクソ同士で潰し合っていればいい。

 だから『掃除屋』をやっている。同じクソでも、父みたいに死と暴力をまき散らす存在にはなりたくない。

 走ってきた道を戻り、表通りに出た。祭りの活気を背にして歩き始める。

 打たれた手首がじんじんと痛む。離れた場所で冷やしたくて、足を早めるが――――

「ん?」

 一人の少女が、前から歩いてきた。

 思わず立ち止まってしまうほどに、美しい少女。周囲の視線も釘づけにしていた。

 精巧な西洋人形を彷彿させる端正な顔立ち、吸い込まれそうになるルビー色のつぶらな瞳。髪は腰まで伸びたツインテールで……燃えるように赤い、真紅。

 服装はワインレッドのブレザー制服にチェック柄スカート。抜群のプロポーションを誇り、手足もすらりとしている。

 少女は視線など気にも留めず、凛とした表情のまま銀四郎とすれ違う。

 その時……かすかな匂いが『掃除屋』の嗅覚を刺激する。

 ――――『殺し屋』だ。女子に特有のふんわりとしたものではない。自分と同種の、硝煙の香り。

 さらに銀四郎とは縁のない、血の香りまでもが混じっていた。

 おそらく、向こうはこちらの匂いを察知できていない。仕事に集中している可能性が高い。

 しかも、銀四郎の特殊な『眼』も……決定的なものを視ていた。

少女の背が群衆の中に消えようとする。祭りに仕事を持ちこむつもりだろう。

 見過ごせない。どんな理由があろうと、無関係な人たちが楽しむ日常を……血で汚すことなどあってはならない。

 そこは『掃除屋』も『殺し屋』も同じだ。彼女の背を追いかける。

 一定の距離を保ちながら尾行していくと、少女はコンビニに入った。二階建て、下が通常の売り場、上はイートインの飲食スペース。

 声をかけるなら、ここが最適だ。銀四郎も続いた。



 二階の窓際……長テーブルの仕切られた一席に、赤いツインテールの少女が座っていた。

 窓ガラスはフィルムで覆われ、内外の視界は遮られている。

「こんなところじゃ、狙撃はおろか表通りの様子もわからないぜ――――殺し屋」

「……裏社会のはぐれ者が、私に何の用だ――――掃除屋」

 銀四郎は隣の席に腰かけた。コーナーには雑誌や週刊誌などの棚も置いてあるが、二人の他に人はいない。

「気づいてたか」

「当然だ。排除に値しない対象だったから見逃してやったというのに……なぜここに来た?」

 少女は冷ややかに拒絶の壁を立てる。

 心理戦は得意ではない。覚悟を決め、単刀直入に切りこむ。

「とぼけるなよ。銃を持ってるだろ。この祭りで何をする?」

「キサマだって持っている。それと同じことだ」

「お前は殺し屋だ。楽しい祭りで犠牲者を出すようなら……俺はお前を止めなきゃいけない」

「――――」

 彼女は真顔でじっと、銀四郎を見つめてきた。

 ルビー色の双眸に目を奪われ、逸らせなくなってしまう。

「な、なんだよ?」

「……ケガ、してる」

「へ?」

 少女の視線は、銀四郎の右手首に落ちていた。さきほどの戦闘で、警棒による腫れができている。

 弱みを見せてしまった。慌てて隠そうとするが、もう遅い。

「一人でずいぶんと、無茶をしているようだな」

 少女の手が伸び、自然な動きで手首を掴む。白く繊細な指が優しく触れる。

 さらに彼女はブレザーの懐から、テープや塗り薬といった道具を取り出す。

「何を、してるんだ?」

「今できる処置をしている。後でちゃんと冷やしておけ」

 無愛想な返答とは裏腹に、少女は丁寧な手つきで処置を進める。

 痛みは気にならないものの……手と手が触れ合うたびに、くすぐったさが走る。

 不快ではなく、むしろ安心感すら覚えていた。

「終わったぞ」

 はっ、と心地よさに浸っていた意識が現実に戻される。

 手首にしっかりとテープが貼ってある。ここは素直に礼を言うべきだろう。

「ありがとな。でも、なんで?」

「ただの気まぐれだ。しかしそれも、無駄な徒労に終わるかもしれない」

「ん?」

 どういうことだと聞く前に、その答えが突きつけられる。

 少女の右手がブレザーの懐から――拳銃ベレッタを抜いていたのだ。

 彼女は銃口を向けながら席を立ち、冷たい瞳でこちらを見据える。

「命が惜しければ、指示に従うんだな。我々の――――『八咫烏やたがらす』の『任務』は誰にも邪魔させない」



 赤い少女は片手で拳銃を握っている。

 ベレッタを抜き、構えるまでの動作に一切のよどみがなかった。

「ポーチを外し、テーブルに置け。そして、ゆっくり両手を上げて席を立つんだ。少しでも妙な素振りを見せたら……」

「撃つ、だろ。正気か? 花火の音があるとはいえ、ここはコンビニだぞ」

「さきほど言ったはずだ、我々は八咫烏だと。コンビニ一つ抱きこむことくらい造作もない」

「根回し済みってわけか」

 思えば会話が始まってから、誰もこのフロアに入ってきていない。下の店内に助けを求めても無駄だろう。

 指示の通りにポーチを置き、両手を上げて、彼女と向き合う。

「で、八咫烏ってのはいったい何なんだ? 都市伝説の殺し屋組織ってことしかわからん」

「殺し屋ではない。エージェントと呼んでもらおうか。キサマは『ヘンペルのカラス』という話を知っているか?」

「いや、知らない」

「シンプルな命題だ。世界中のカラスがすべて黒いとは限らない。私たち八咫烏もあらゆる色に染まり、あらゆる日常に溶けこむ」

 彼女たちはそうやって、裏で暗殺を繰り返し……世界をコントロールしてきたらしい。

「信じがたい話だな。そもそも暗殺なんかで、どうやって世界を操る?」

「キサマも教科書で学んできたはずだ。どの国、どの時代でも、高名な人間の死によって――歴史が動いてきたことを」

「そんなの極論だ。暗殺が世界のためになったとしても、この祭りで楽しむ人々のためにはならない」

「キサマが何を考えていようと無意味だ。ここでおとなしく――――」

 エージェントが言い切る前に、銀四郎は動いた。

 左手でベレッタのサイドを押し、銃口を逸らす。肩も前に出して、体重をかける。

 そのまま銃を握り、右パンチを顔面に打ちこむが――――

「くっ⁉」

 さすがに反応され、頬をかするだけに終わる。

 構わない。拳を戻し、スライド後部を掴み……銃を90度に捻る。手首も巻きこみ、保持する力を緩ませた。

 すかさずベレッタを手元に引き寄せ、バックステップ。最後に、藥室の弾も確認。

 ベレッタを構えた。

「席に座ってくれ。手当てしてくれたお前を、撃ちたくない」

 ちっ、とエージェントが忌々しげに舌打ちする。

「クラヴマガか。手を上げさせたのは失策だった」

「そうだな。そっちは上げなくていい。下の仲間に、手出し無用と伝えるんだ。その髪に隠れた左耳のインカムで」

「――――」

 彼女は黙り込んでいたが、やがて隠していたインカムに連絡を取り始める。

「待機していろ。私が話をつける。お前に落ち度はない、すべて私の責任だ」

 言い終えてからインカムを外し、テーブルに置いた。

 そして、ふて腐れた顔で席に座り直す。仕事を妨害され、機嫌を損ねているようだった。

「何を望んでいる?」

「八咫烏の『任務』について喋ってもらう。作り話はナシだ」

「掃除屋ごときに、欺瞞を見抜く技量が?」

「嘘の依頼で嵌められたことだってある。何度も騙されるうちに、すっかり鼻が鋭くなったよ」

 さらに、はったりをかけることも上手くなっていた。

 銀四郎に人を殺す意思はない。相手が殺し屋だろうとエージェントだろうと同じだ。

 見抜かれたらアウト。ゆえに、殺気を出し続ける必要があった。

「……しかたない。我々の目的を話そう」

 ようやく観念した少女は――――さらりと、とんでもない内容を口にした。

「この祭りに、危険なカルト教団『千理せんりひとみ』が暗躍している。奴らは死のウイルスをばら撒くつもりだ。私たち『八咫烏』の『任務』は、それを止めること」

「…………はい?」

 訳がわからなかった。

 カルト教団。一般的な見方は過激な教えに魅了された、頭のおかしい連中。

 妄信する教祖や神のためなら、バイオテロも平気でやる……かもしれない。

「いやいやいや、さすがに信じられねえ! 怪しい秘密結社の次はいかれたカルト教団⁉ 俺を煙に巻こうとしてるだろ!」

 彼女はむっとした表情で、銀四郎を睨んできた。

「事実だ。すでに仲間たちが教団の者をマークしている。けれど肝心のウイルスが見つかっていない」

「それで?」

「私は仲間たちを監督する『元締め』の立場だ。一刻も早く情報をまとめて、ウイルスの位置を特定しなければならない。こんなことをしている場合ではないのだ」

「……信じられるかよ」

 だが、エージェントは切実なまなざしで訴えてくる。

 嘘つきには、けっしてできない目だ。ひとまず探りを入れてみる。

「お前たちは祭りで、教団のメンバーを殺すのか?」

 少女はゆっくりと首を横に振った。

「祭りとは関係ない場所に誘導し、静かに始末する。しかしウイルスが見つかなければ、強引な手段に踏み切るしかなくなる」

「お前自身は、どっちの結末を望んでいる?」

 すると彼女は悲しげにうつむき、消え入るような声でつぶやいた。

「……私だって、祭りを血で汚したくない。それでも教団の計画を許したら、大勢の命が失われる。誰かがやらなくてはならないのだ」

「…………」

 少女は元締めの立場にある。つまり強引な作戦に踏み切った時も、実際に手を下すのは現場にいる仲間たち。彼女はただ、命令するだけでいい。

 だというのに、楽な方に逃げたりしない。最後まで現実に抗おうとしている。

「わかった。まだ半信半疑だけど、その願う気持ちは『掃除屋』として信じられる」

 下を向いていた少女が、顔を上げる。

「なんだと?」

 言葉の意味を理解できず、きょとんとしていた。そんな彼女にはっきり告げる。

「だから、お前の依頼ねがい――――俺が引き受けてやる」

 そしてベレッタの銃口を下げ、セーフティもかけた。

 驚くエージェントを横目に、銀四郎は通りに面した窓を見る。

 窓ガラスの視界はフィルムに遮られているが、構わなかった。

「まず状況を知りたい。お前の仲間がマークした教団のメンバーに、ウイルスを持っている奴はいなかったんだな?」

 少女はインカムを着け直して確認を終えてから、うなずいた。

「ああ。しかしここの表通りに一人、不審な人物が逃げ込んだらしい。それで私も  このコンビニに、いや待て。掃除屋のキサマが我々の現場に――――」

「『こんなことをしている場合ではない』、だろ?」

「……むう」

 彼女は不満そうに口を尖らせたものの、しぶしぶ矛を収める。

「じゃあウイルスは、どういう形でばら撒かれる?」

「設計図を入手してある。爆弾のように時限式で、箱型。密封されている間は素手で触れても問題ない。バッグにもすっぽり入る大きさで、なかなか発見できないのだ」

「あと、教団のメンバー全員……『銃』を持ってるか?」

「奴らも立場を自覚している以上、少なくとも拳銃は持ってきているだろう」

「よし」

 アレが使える。銀四郎は窓ガラスから表通りをじっくりと眺めた。

 フィルムで覆われていても、祭りで賑わう群衆は見て取れる。

 その中に――――キラリとまたたく、銀色の光を捉えた。

 あいつだ。光は、路地の方へ移動しつつある。

『共感覚』

 一つの刺激に対して二つ以上の感覚が働く、知覚パターン。

 様々な種類が存在し、よく知られているパターンに……音に色を感じる色聴、文字に色を感じる色字などがある。銀四郎の共感覚を診断した『先生』はこう言った。

『あなたは『銃』に『色』を感じる『色銃』よ。極めて珍しいパターン――――『銃眼じゅうがん』と呼ぶべき、とんでもないケースね』

 もちろん自分にしか視えないものが視えたせいで、いろいろと苦労してきたこともある。

 けれど裏社会にとって、まさしく天敵といえる能力だった。

 なにしろ日本では、勝手な銃の所持が禁じられている。

 つまり『銃』を持つ人間は、ほぼ怪しい。

「二つ聞きたい。ウイルス拡散までの残り時間と、箱を見つけたらどうしたらいいか……だ」

「タイムリミットは十五分、箱はここに持ってきてくれれば専門班が対処する――まさか、もう特定したのか?」

「ああ、リミットまでに持ってくる。ベレッタ借りるぜ」

「ま、待て、ちゃんと事情を話せ!」

 説明している余裕はないが、代わりにもう一度……礼を言っておくことにした。

「手当てしてくれて、ありがとな。気まぐれだったとしても嬉しかった」

 改めた感謝に戸惑ったのか、少女はぷいと顔を背ける。

「気まぐれは、気まぐれだ。エージェントの私に優しさなんてない」

「それでも俺は救われた。殺しより、救護とかの方が似合ってるよ」

 彼女は救護という言葉に、ぴくりと反応して……切なげな笑みを浮かべ、弱々しくかぶりを振った。

「……私も救護係を希望したが、殺しの才能を優先させられた」

「そう、だったか……」

 エージェントにも、いろいろな苦労がある。

 その事実を噛み締めて、今度こそベレッタを手に取り――――彼女に背を向ける。

 名前を聞く勇気はなかった。自分たちがまた、生きて会えるとは限らない。

 悲報に胸を痛める繋がりは少ない方がいい。そんな世界だった。



 表通りは相変わらずの盛況に包まれている。

 コンビニを飛び出し、人混みをかいくぐり、さきほどの光を追う。

 群衆で見失うことはない。たとえ壁越しでも光は視える。

 曲がった。銀の光が、狭い路地に入っていく。銀四郎も後に続いた。

 寂れた路地だった。ゆっくりと歩きつつ、ブレザーの懐に隠していたベレッタを抜く。

 セーフティを解除、レバーも操作して撃鉄を起こす。いつでも発砲できる状態だ。

 人影は見えない。両手で銃を構えて進んでいくと……端に置かれた、白い箱に目が留まる。

 少女が言った通りの大きさだ。

「これか?」

 たしかめようとして身をかがめた時――――

「動くな」

 左側から、頭の位置に拳銃を突きつけられる。

 生気のない無機質な目が特徴的、分厚いコートを着た男だ。

「ベレッタにセーフティをかけろ。地面に置いてから、ゆっくりと立つんだ。両手も上げてもらう」

「……いいのか? コック&ロックの状態にしておいて」

「ベレッタのセーフティは撃鉄もダウンさせる仕組みだ。セーフティを解除しても、すぐに発砲できない」

「よく知ってるな。カルト教団の一員にしては」

 ふん、と男は鼻を鳴らす。

「愚かな信者どもと一緒にするな。あいつらは金づるで、使い捨ての駒に過ぎない。俺は違う」

「気づかないのか。祭りにウイルスをばら撒くとか、どう考えても都合よく使われてる。うまくいっても、追われるのは実行役のお前一人。教団はあんたを切り捨てるぜ」

「子供が大人のビジネスに口を出すんじゃない。さっさとしろ。ベレッタなんか握ったところでヒーローにはなれない」

「さっきから、こんなことばっかりだな……」

 うんざりしながらも、おとなしく指示に従う。ベレッタにセーフティをかけて地面に置く。

 最後に両手を上げて、立ち上がる。

 男は片手で拳銃を構えたまま満足そうにうなずいた。

「よし、それで――――」

 銀四郎は動いた。

 頭を後ろに傾けることで照準から逃れ、左手で銃を右に押す。

 そのまま銃身を掴み、水平にしつつ、互いに向き合う位置に移る。

 体重もかけて空いた右手で、男の顎にパンチを打ちこんだ。

「ぐがっ⁉」

 負傷で威力は半減しているが、怯ませることができれば十分。

 戻した右手でスライド後部を掴み、90度に捻る。

 握る力を緩ませた瞬間、銃をもぎ取ってバックステップ。

 プレス・チェックで藥室の弾も確認、奪った拳銃を両手で構え、照準を男に定める。

 さきほどとは打って変わり、男はみっともなく取り乱した。

「ひ、ひいっ⁉」

 すかさずトリガーを引く。パァンッ! と銃声が轟いた。

「ぬおっ⁉」

 狙いはコートの男――――ではなく、その後ろに来ていたもう一人の男だった。

 おそらく実行を見届けるための見張り役だろう。片手で拳銃を握っていた。

 弾は銃身に当たり、バチンッ! と弾き飛ばす。

「俺はヒーローじゃなくて掃除屋だ。今回はボランティアみたいなものだし、大人のビジネスってのもよくわからない。でも、お前らが間違ってることくらいはわかる」

 見張り役の男が引きつった笑みを浮かべ、懐から何かを取り出そうとする。

 共感覚が反応しない。銃とは別の武器だろう。ある程度の負傷は覚悟しているのかもしれない。構わず銀四郎はしゃべり続けた。

「知ってるか? 手や足を撃たれても、着弾の衝撃でショック死するケースがあるらしいぜ。俺が銃身やスライド命中にこだわる理由だ」

 ぴたりと見張り役の手が止まる。実行役も震えていた。

 銃口を向けても止まらない馬鹿だっている。なら知識を授ければいい。

「教えに殉じる覚悟を持った奴だけ、かかってこいよ」

 とどめの一言に男二人は――――がくりと、うなだれるのだった。



 箱を見つける前、たしかに人影はなかった。しかし光が視えていたのだ。

 男は尾行に気づいており、銀四郎を嵌めるつもりだった。

 あえて、その罠に飛びこんだのである。見張り役も『銃眼』で捉えた。

 人や壁が阻んでいても、銃さえあれば光を視認できる。

「さて、と」

 結束バンドで男二人の手足を縛り、拳銃もマガジンと藥室の弾を抜いておいた。

 端に転がされた彼らはすっかり意気消沈し、逃走や抵抗の素振りもなさそうだ。

 ウイルスをばら撒くつもりの凶悪犯にしては、あっけなかった。悪党なんて案外そんなものなのかもしれない。実態は人の不幸を食い物にする害虫。

 だから掃除屋の銀四郎もまた、悪党の不幸を食い物にしている。

「同じ穴の狢、だな」

 けれど、これでいい。世の中は適材適所、こんな自分にしかできない掃除をやっていく。

 とりあえず、箱を何とかしようとした時だった。

「彼らを殺さないのは――――父の影を振り払うためか?」

「っ⁉」

 少女の声に振り向く。来た道の方からだ。いたことに驚いてはいない。彼女の言葉こそに衝撃を受けていた。

 ばさりと、足元に一冊の雑誌が投げ出される。

 コンビニに置いてあったのだろう。ページはちょうど、忌まわしい部分を開いていた。

『正義の暴走! テロリスト、遠山鉄矢とおやまてつやの逃亡から八年……『紅桜症候群べにざくらしょうこうぐん』の脅威』

 空気が、凍りつく。

 遠山鉄矢とおやまてつや――――銀四郎の父親である。

 当時の世間を恐怖に陥れた最悪のテロリスト。今は国外に逃亡している。

「もともと『遠山家』は江戸時代の警察……名奉行の家系だったな。時代が変化してからも、様々な形で正義を貫いてきた」

 少女は、哀れむように語る。

「だが、その遺伝子に変異が起きた。受け継がれてきた強い正義感の暴走……『紅桜症候群べにざくらしょうこうぐん』の誕生だ」

 遺伝子はまれに変化する。

 そして、鉄矢が最初の発症者であった。

「公衆の面前での爆破、狙撃、毒殺……銃の密造に化学兵器の製作。標的ターゲットの排除に手段を選ばなかった。周りに無関係な人がいようと、だ」

 たった一つの標的を殺す過程で、多くの人間が巻き込まれた。

 鉄矢はすべてを敵に回して、誰も寄りつかない山奥に潜伏。

 そこで一人の女性と仲を深め、遠山銀四郎とおやまぎんしろうが生まれた。

「女性は病弱で、出産後にこの世を去った。キサマは八歳まで父と暮らしていた……」

 やがて警察が居場所を突き止めると、彼は一人で逃走してしまった。

 置いていかれた銀四郎は、突入した警察に保護される。

「しかし、キサマは『紅桜』を発症した遠山鉄矢の息子。発症の可能性ありと判断され、現在も監視下に置かれているはずだ。それが、どうして――――」

 銀四郎は答える代わりに、右の袖をまくって腕を見せた。

 はっ、と少女が息を呑む。銀四郎の腕には『紅色の桜吹雪』が浮き上がっていたのだ。

「これは入れ墨じゃない。発症すると、体の一部の血管がこういう形で浮かび上がる。『紅桜』という名前の由来でもある」

「すでに発症していた、と……原因は掃除屋か?」

「逆だよ。これができたから、俺はこの裏稼業をしている」

 彼女は信じられないとばかりに目を見張った。

「バカな! 発症のトリガーは強いストレスだと聞いている。危険な掃除屋をやる方がリスキーではないのか⁉」

「いや、掃除屋になる前から――強いストレスに晒されてきた。わかるだろ? 世間にとって俺は凶悪テロリストの子供。未知の病気に対する偏見だってある」

『紅桜』は遺伝性。他者にうつるタイプの病気ではないと、しっかり証明されている。

 だが周囲が好き勝手に騒げば、都合のいい方が真実として扱われる。

 当たり前の尊厳は、地べたのアリを踏むように無視された。

「あとは、お前の言う通りだ。俺は『殺さない掃除屋』になることでクソ親父を否定して、ストレス軽減に努めている。おかげで、『紅桜』の進行も遅れているんだ」

「父親を、どう思っている?」

「いろいろあるんだよ。発症していても優しかったけど――最後には俺を捨てて逃げた。好きじゃないが、嫌いにもなれない」

 今も形見のグロックは大切な物だ。

 さらにクラヴマガの基本といった、生きるための知恵も父が授けてくれた。

 感謝はしているものの、受け入れられない複雑な存在でもあった。

「で、お前はどうするつもりだ? 八咫烏のエージェントさん」

「決まっている。上に報告して、指示に従う。『紅桜』を発症したキサマはすでに、父親と同等の脅威になりつつあるからな」

 少女が冷徹な無表情で、一切の迷いなく言い放つ。

 しかし両の手を血がにじむほどに強く、握り締めていた。

 エージェントもまた、葛藤や矛盾を抱える一人の人間なのだ。

「とはいえ、今はテロの阻止を優先すべきだ。よってこの場は見逃してやる」

「ずいぶんと甘い対応じゃないか」

「勘違いするな。『八咫烏』はあらゆる色に染まり、あらゆる日常に溶け込む――――どこに逃げても無駄だぞ。もっとも、この場で降参するのなら話は別だが」

 エージェントの底冷えした宣告に、銀四郎は毅然と言い返した。

「断る。俺は逃げない。『八咫烏』からも……『紅桜』からも……」

 体は最悪の病魔に蝕まれている。自ら終わらせようと考えたのも、一度や二度じゃない。

 けどできなかった。どうしても諦められなかったのだ。

 こんなところで終わるわけにはいかない。

 祭りの賑わいや花火の光や音が、はるか遠くに感じる。

 けっして表に出ることのない――――戦争の火ぶたが切られた。

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