第2話:師との出会い、そして狼の教え
第2話:師との出会い、そして狼の教え
中学、高校と喧嘩に明け暮れ、いつしか路上の伝説となった二人。
ケンの圧倒的な「獣の直感」と、宗治の冷徹な「戦術」。動画サイトを師に独学で技を磨き、ストリートでは敵なしだったが、二人が渇望する「本物の強さ」にはまだ決定的な何かが足りなかった。
高校卒業後も定職には就かず、ただひたすらに牙を研ぎ続けていたある夏の午後。
二人の運命を大きく変える出会いが、静かに待ち受けていた。
***
公園の隅の草地で、宗治とケンはブラジリアン柔術のスパーリングを繰り広げていた。二人の体は汗に光り、表情は高揚しているが、その動きは洗練されているとは言い難い。ケンが宗治の腕を掴み、力任せに引き倒そうとした瞬間、宗治はバランスを崩し、不格好に転がった。
「へっ! どうした、兄貴! 今日の『柔術動画』はこれでお終いか?」
ケンは、宗治が地面で体勢を立て直すより先に、得意のアーニス(ダブルナイフ術)の訓練で培った素早いフットワークで間合いを詰める。
「待てよ、ケン! 今のは足が滑っただけだ。それに、今日の課題は『相手の動きを読んでの三角絞め』だろうが!」
「俺たちの目指してるのは『本物の傭兵』だろ? 戦場にルールなんてなくない? 勝ちゃいいんだ!」
ケンはそう言いながら、力任せに宗治の首元を狙う。しかし、宗治は腕を取ることに意識が集中しすぎていて動きがぎこちない。
(くそっ、なんでケンはこんなに速いんだ? ……そうだ、このまま引き込んで、腕を極めてやる!)
宗治は無理やりケンの腕を掴もうとするが、ケンは宗治の動きを軽くいなし、わざとらしく大きく踏み込んだ。
「ほら、隙だらけだぜ、兄貴!」
宗治は再びバランスを崩し、砂埃を上げて転倒した。
「クソッ、まただ! 全然うまくいかない。動画で見た通りにやってるはずなのに」
ケンは汗を拭い、地面に仰向けになった宗治を見下ろしながら、少し得意げに言った。
「俺たちがYouTubeで学んだ『究極の傭兵育成プログラム』の項目は全部独学でクリアしたって自負がある。でも、物足りないっていうか、なんかあと一つ違う気がするな」
宗治は立ち上がり、ジャージの砂を払いながら、遠くの景色を見つめた。
「……ああ。俺たちの求めている『強さ』とかって、こんな『ぎこちない』技術じゃ、まだ手に入らないってことだよなー。海外に渡ってみたいなー」
その時、二人以外にもう一人、その「ぎこちなさ」と、腕を取ることに夢中で「足元がおろそかになっている」という決定的な「穴」に気付いて、苛立って見守っている者がいた。
近くのベンチに座っていた一人の老人が、静かに2人に近づいてきた。
「よし、もう一回だ、兄貴。今度こそ、俺のアーニスコンボを止めてみろよ!」
「望むところだ。今度こそ完璧な関節技で決める!」
二人が再びスパーリングを始めようとした次の瞬間、その老人の杖が、二人の足首を鋭く叩きつけた。
苛立ちながらベンチで2人を見ていた老人、
吉宗は、かつてグリーンベレーで活躍し、その後は国際的な傭兵の一人として世界を股にかけていた過去を持つ。吉宗は、二人のひたむきさ、しかし、その動きの決定的な「穴」を、一目で見抜いた。
「何すんだ、ジジイ!」
突然のことに、思わず口にしたケン。
吉宗は、一切動じることなく低い声で言った。
「お前たち、手ばっかりに気が取られてるようだけどな。柔術で大切なのは、周囲を見る目と、何よりその足だ。腰と繋がっていない不安定な足で、どうやって『本物』を制圧するんだ?」
二人は顔を見合わせた。
「ちょっとわしのここへきてみなさい」
吉宗はケンを引き寄せると、ケンのふくらはぎあたりを杖でポンポンと叩いてみせた。
「痛いか?」
「いや?」
「でわこれは?」
今度はその老人は
「いってー」
「じゃろ? 同じ力でも急所を狙うと全然違うのだよ」
「そ……そんなこと……知ってるぜ」
「ほう、何で学んだ?」
「ゆ、ゆうチューブ」
「何チューブ?」
「だからYouTube だよ」
その老人は呆れ顔だった。
「まあいいや……じゃ、わしと一戦やってみるかね?」
ケンはその70半ばの老人に向かって構えた。そして、宗治の顔を伺った。
宗治は静かに頷いた。その場の空気が変わったことを感じていた。
「じゃ行くぜ爺さん」
そういうとケンは、明らかにわかる手加減で老人に襲いかかった。
しかし、その体に触れることすらできず、老人はケンの右足の付け根内側を杖の先で突いた。宗治は見逃さなかった。
「痛ってーー」
老人は息も切らさずただ杖をついてケンのそばに立っていた。
「わかるか? 若いの。力でもある程度相手は倒せるじゃろ。だがな、急所をつけば、その半分以下の力でもダメージが与えられるのさ。まぁ、わしも昔はお前らと同じだったがな」
この老人は、ただの通りすがりではない。その言葉の重みと、杖の打撃の正確さが、尋常ではないと2人は直感した。
2人が老人の過去を尋ねると、吉宗は静かに自身の経歴を語った。元グリーンベレー。傭兵としての経験。
二人は、目の前の人物が、自分たちがYouTubeで追い求めていた「本物」、つまり「生きる教材」そのものであることに気づき、驚きに目を見開いた。
そして、2人はほぼ同時に高らかに声をあげた。
「師匠を見つけた!」
興奮冷めやらぬまま、二人は吉宗に、自分たちが歩んできた独学の経緯、そして傭兵として海外に渡り、自由を賭けて自分たちの道を見つけていくという、その希望に満ちた夢を熱く語り続けた。
吉宗は、二人の真剣な眼差しを受け止め、柔らかい笑顔で言った。
「そうか。もしそこまで本気なら、俺が少し手をつけてやろう。俺はこの近くの山に住んでいて、お前ら二人ぐらいなら面倒見ることができる。俺のもとで真剣にやってみるか?」
吉宗の目が鋭く光る。
「ただし、一つ条件がある。もちろん、俺の指導は全てが実戦だ。そして、会話は英語のみ。全てがテストだ。どうだ、お前らが本気なら、その夢、俺が手伝ってやろう」
それは、二人が独学で苦労していた「英語」の壁を乗り越える、最高の機会でもあった。二人は迷わず、吉宗の弟子となることを決めた。
***
新しい生活に入る宗治とケン。吉宗の小屋において、毎日のスケジュールはこうだった。
朝5時に起きて瞑想と太極拳。簡単な朝飯の後、8時から山の中で薪集め。9時から薪割りが始まると、お昼ご飯の前にはブラジリアン柔術の特訓。
軽めのお昼を済ませ、午後1時には距離にして15kmの山道をいく川まで水汲みの往復。そしてなぜか畑仕事。
そして夕方からは、夜9時まで、今度はアーニスの特訓。
こんな毎日が続いた。
しかし、何一つ文句を言わず、2人はこの生活を楽しんだ。日々新しいことを学ぶ。その日々の向こう側にある現実の傭兵としての作戦への参加。
確実にその日が近づいていることを2人は楽しみにしていた。
しかし、そんな生活が4ヶ月も続いた頃に、ケンはある事を宗治にぼやいていた。
「兄貴さ、訓練や鍛錬は楽しくて良いんだけど、自給自足で自分の食うものは自分で作れとかさ。この畑仕事だけはなんかだるいよねー」
と、そこへ吉宗がその話を聞いていて、口を開いた。
「ケン、よく聞け。傭兵になって俺はこの畑仕事の大切さを重く感じている。もちろん俺は当時やったことはなかったが、お前たちには戦闘トレーニング以上にこの時間を大切に感じて欲しい」
宗治も作業の手を止め、静かに吉宗の話を聞いていた。
「俺達は一度戦場にでると、救出作戦などの他はほぼ間違いなく『戦闘』の日々さ。ライフルの弾一発で生死と闘う日々だ。今こうして、自分の手で物を育てること。例え相手が植物だとしても命を育てることで、そこにある暖かさを、土の匂い、命の重みを畑仕事をすることで感じて欲しい。忘れないで欲しい。生命を生み出すことの大変さと、尊さを。それを忘れなければ、俺のような戦場でモンスター化していくことはないのかなと俺は思うんだ」
その話は意味は重かったが、暖かった。
「なんか難しいけど、わかりました。この時間の大切さ。ありがとうございます。師匠」
と目を輝かせるケンだった。
「ケン。その師匠っていうのやめないか? なんか俺もその言葉を聞くたびに恥ずかしい」
3人は笑ってみせた。その笑いはやがて記憶に長く留まるものになる事を、その時点ではケンも宗治も知る由もなかった。
***
ある日、吉宗は小屋の裏手にある急斜面の竹林へケンを連れて行った。その竹林は所狭しと生い茂り、まっすぐに進むことはできない、鬱蒼とした状態だった。
吉宗は急斜面の上から、杖を頼りに下を覗き込んだ。
「ケン。もしここ、足を滑らして駆け下りれば、下まで行っちゃうよな」
「師匠。これは結構な急斜面ですよ。いつもの山道鍛錬フットワークも使えそうにありません。竹の密度がすごすぎる」
「うむ。だからこそじゃ」
吉宗は言う。
「ケン。ここにお前の道を作って欲しい。アーニスダブルナイフだけでな」
ケンは一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「えー? どういうことですか?」
「今言った通りじゃ。お前が持つアーニスナイフだけを使って、この急斜面を下まで駆け降りる。その間に、左右に出てくる竹をアーニスナイフで切りつけて、竹を切ればいいんじゃよ」
吉宗は優しい諭し顔で続けた。
「下から上、何度も往復してる間に深く竹は切りつけられ、やがてその竹は倒れて道ができるじゃろう。だが、毎回同じところに切りつけないことには竹は倒れんぞ。お前のナイフの精度と、不安定な足場での体幹が試される」
「めちゃくちゃしんどい練習じゃないですか」
吉宗は静かに笑っていた。
「いいか、ケン。柔術で大切なのは『腰と繋がっていない不安定な足』を排することだ。お前のアーニスは俊敏だが、開けた場所の『直線的な動き』に慣れすぎている。この鬱蒼とした急斜面を、竹を避けて『曲線的な動き』で駆け抜け、さらにナイフで正確に一打一打同じ場所に打ち込むのだ」
そして、吉宗はさらに重要な教えを付け加えた。
「いいか。これだけは言っておくぞ。手元と足元を交互に見ていてはおそらく、お前はここを転げ落ちてしまうだろう。その二つを同時に視界に入れて自分をコントロールしてみなさい。それができれば、竹の動き、ナイフの間合い、そして不安定な足元の全てを同時に認識できるようになる。お前の求めている『強さ』とは、無駄な力を排することにある」
「まあ、時間はかかるだろうが、お前のパワーならできるはずだ。道ができたら呼んでくれ」
ケンは、その途方もない課題に対し、胸の奥底で炎が燃えるのを感じた。彼は深く一礼し、腰のナイフに手をかけた。
「承知しました、師匠。すぐに道、作ってやりますよ!」
ケンは竹林の急斜面へ身を投じ、鋭い刃音が山中に響き始めた。それは、集中力と空間認識能力を極限まで鍛える修行の始まりだった。
一方宗治は、吉宗の部屋に飾ってある1丁のライフルに目をやっていた。
そんな宗治の後ろ姿を見ていた吉宗は言った。
「撃ってみたいか?」
「あ、いやその、本物のライフルなんて今まで見たことがなかったので」
そう言うと、吉宗は優しい顔で
「持ってみるか?」
「いいんですか?」
何も言わず、吉宗は壁からそれを取り、ずっしりと重いそのライフルを宗治に手渡した。
「重い」
宗治はライフルスコープを覗きながら、興味津々にその初めて持つライフルの重みを感じていた。
「このライフルは、わしが戦場で共にしたM1ガーランドと言ってな、セミオートマチックのライフルじゃ。1番長い私の友達だ。いろんな作戦をこなしてきたよ。生死を共にして来た俺の生きた証だよ」
宗治は目を輝かせてその話を聞き入っていた。
「撃ってみたいか?」
「あ、いや、そんな大事なものを」
「なーに、こいつだってここでただ眺めていられるより、外の空気を吸いたいはずさ」
「明日の朝、いってみるか」
「え、射撃なんかまずいんじゃないですか?」
吉宗は笑って言った。
「今の俺の仕事は熊捕りだ。ちゃんと免許もある、心配するな」
「はい」
宗治の目が一層輝いた。
翌朝。いつものように朝5時に目が覚める2人。
だが、その眼の前には、肩からガーランドを吊るした吉宗の姿があった。
宗治はゆっくりと目をこすりながらベッドから身体を起こすと、
「5分で身支度をしろ、クマが出たらしい。行くぞ!」
「はい!」
2人は元気よく返事をしたが、
「ケン。悪いがお前は今日は留守番じゃ。いつもの日課を今日は一人でこなしてくれ」
「えーー、いいなー。兄貴だけですか?」
「まあそう言うな。上手く行けば今日はステーキが食えるぞ」
吉宗が笑って答えた。
宗治と吉宗は年季の入ったジムニーに乗り込み山深くに向かって行った。
その車の中で宗治は口を開いた。
「師匠、どうして俺だけ」
吉宗は言った。
「人にはな、向き、不向きって物がある。ケンに、もし銃器の扱いを教えれば、あの熱くなりやすい性格は無秩序に引き金を引くだろう。銃器を扱うには冷静さが必要だと思う。ケンにはアーニスがあっているよ。何が彼をそうさせるのかは知らんが、やつの目の奥には、『守りたい誰か』ではなく、『倒したい誰か』がいる。ケンはそんな目をしてるとわしは思う
その事は俺が語る必要もないほど、宗治、おまえが一番わかっているんじゃないのか?」
宗治はケンとの出会った時を思い出していた。
***
2時間は走っただろうか。そこには数名の猟師達がタバコを吸っていた。
「あーきたか、吉宗さんよ。待っとったよ。何じゃその連れは?」
猟師の一人が馴れ馴れしい口調で言ってきた。
「あーこいつか、気にしないでくれ。こいつには熊の目を見せたくてな。足手まといにはならんよ」
「はよ、見っけて仕事終わらせよう。今日は孫の運動会なんじゃ」
奥の方から別の猟師が笑いながら言った。
「よし行くぞ。宗治、さあついてきなさい。俺から離れないようにな」
宗治はてっきり射撃練習をさせてくれるものかと思っていたが、そうではなかった。だがここは吉宗の言葉に従うしかなかった。
猟師達は2人一組で森の中へ消えていった。
30分も経たなかった頃だろうか。
「グウォン」
何かが叫ぶ音がした。
「宗治。そこを動くな。絶対にな」
そう言うと、こともあろうに吉宗は、宗治の前に自分が背負っていたバッグから肉の塊を出し、宗治の足元に投げた。
「え?」
(これってやばいじゃん)
宗治は心のなかで呟いた。
そして吉宗は静かに宗治から離れていった。
森は静寂を極めた。
10分もした頃、ぎし、ばりと言う物音が宗治に近づいてくる。
(これってやばいじゃんか。何考えてるんだ、爺さん)
宗治は身を低く震えだした。
次の瞬間。
「グウォーーン」
宗治の眼の前に2m近くはあろうツキノワグマが、両手を広げて立ちはだかった。
「ひ――」
宗治は思わず、恐怖のあまり後ろへ倒れ、腰をつきながら熊の目を見た。
黒真珠のような、しかし鈍いその無機質な眼光は確実に宗治を捉えていた。恐怖で息もできない宗治。
ズドーン ズドーン ズドーン
3発の銃声。宗治は死んだと思った。
頭いっぱいに鳴り響く心臓の鼓動。動けなかった。
ずずず。
草を踏む音と共に吉宗が宗治の前に現れた。
「宗治、だいじょぶか?」
吉宗は笑顔だった。
「し……師匠。ひどいじゃないですか? あんまりですよ」
「ははは、悪い悪い。しかし、まだ生きてるじゃろ?」
その場の宗治にはその言葉が理解できなかった。
鳴り止まぬ鼓動。眼の前に横たわる大きなクマの遺体。
「いいか、宗治。それが生きるってことだ。そしてそれが本物の恐怖だ。そして今からお前たちの目指していく戦場とは、今おまえが感じている恐怖。それが毎晩のように続く世界じゃ。これがおまえの今目指してる世界なんじゃ」
そう言うと手を伸ばし、吉宗は宗治を立たせた。
「吉宗ーやったか?」
別れた猟師達が集まってきた。
「こりゃでかいぞー。今日は全員腹一杯に食えるな――」
吉宗と猟師達は大笑いしていた。
宗治はそれどころじゃなかった。地面を揺るがすような、まだ止まらない心臓の鼓動が宗治を支配していた。
「さ、帰るぞ」
そう言うと吉宗と宗治は再びケンの待つ小屋を目指すのだった。
***
ある日の昼食時。ケンと宗治はいつものように昼食をとっていた。
そこに吉宗が現れた。吉宗は2人の顔を見ながらテーブルの横に座り話し始めた。
「そろそろお前たちここに来て4年目を迎えようとしている。あの夏に出会ってからずいぶん早いもんだよな。今のお前たちの体つきを見る限り、そして訓練の様子を見る限り、そろそろお前たちも実践に出ていいのかなと俺は思う」
吉宗は続けた。
「そこで友達のツテを使ってお前達にできそうな仕事は無いかと話を聞いてみたところ、今年の夏にダマスカスの難民キャンプへ日本人1人の女性を奪還する作戦があると言う話を聞いてな。どうだ。興味あるか?」
ケンも、宗治も目も輝かし言った。
「いよいよ実践に出れるんですね」
「まぁ俺の目に見ても、お前たちはもうそこまでの成長は遂げているとは思う。ただ最初からあまり大きな戦場には出るのはきついと思うので、まずはこういう小さいとこから実績を積み重ねていくのがいいんじゃないかと思うんだ。俺も、まるで孫ができたかのように、お前たちとは楽しい生活を過ごさしてもらった。どうだやってみるか?」
「はい!」
2人は迷わず目をキラキラさせながら、その話に喜びを隠せなかった。
「でだ。今月末にポーランドで、俺の傭兵時代の俺の部下の結婚式がある。その部下の住む山の中に、お前たちの『最後の試験』にふさわしい場所がある。そこでここで学んだ一つ一つのことを思い出しながら、お前たちにそのそこで最後の試験をしてみたいと思う。無理にとは言わんがどうだ。一緒にポーランドに行ってみないか?」
この話にもまた2人は目を輝かせながら
「行きます」
そう答えた。
「よし、じゃあ、すべて手続きを取っていいな?」
いよいよケンと宗治のデビュー戦が決まった。
そして日は流れ、いよいよ3人はポーランドへ出かけることになった。
出発の朝、今まで1度も見せなかった、吉宗の軍服姿を2人は見た。
「かっこいい。ほんとに軍人だったんですね」
とケン。
「今更かよ」
宗治は笑った。吉宗も、恥ずかしそうに笑っていた。
出発は横田米軍基地。傭兵の登録がある3人はここからポーランドに向かうことになった。初めて軍用機に乗る、宗治もケンも心を踊らせていた。
「まさか、こんな軍用機に乗れるなんて、師匠ほんとにありがとうございます」
「軍用機? ハハハ、これは物資輸送機だよ。まぁ、軍用機は間違いないがな」
吉宗は笑ってみせた。
そして3人はポーランドへ降り立った。そこには今回結婚式を挙げると言う吉宗の戦友、そして部下だったシュナイダーがいた。
「吉宗さん、元気そうで」
「シュナイダー。久しぶりだな。きれいな奥さんをつかんだんだって。よかったな」
そのシュナイダーと言う人物は吉宗が、まだ若き頃一緒に傭兵部隊として働き、吉宗の下でいくつもの作戦を共にしていた男の1人だった。
シュナイダーが「その2人は?」と吉宗に問いかけると、
「この2人は今の俺の弟子で、例の小屋に1日宿泊させようと思って連れてきた」
吉宗は目を光らせながら言った。
「よろしく。俺はシュナイダー。吉宗じいさんには、何度も命を助けられたんだ。吉宗の下で、修行ができるなんて、お前たちはラッキーだと思うよ」
そう言うと、シュナイダーとケン、シュナイダーと宗治は固く握手を交わした。
***
ポーランドの山の中の小屋。
そこはとても小さい小屋だったが、中はきれいに掃除されており、ほんとに宿泊が目的の小さな山小屋だった。
「さて、ここがお前たちの傭兵へのデビュー戦前の最後の試験の場所になる。試験のルールは至ってシンプル。明日の朝、俺がまた迎えに来るまで無事に生きてることだ」
「無事に生きてること?」
ケンは尋ねた。
「そうだ。それだけだ、簡単だろう。ここに1本のワインと、一晩お前たちが食べても食べ切れない肉の塊を置いておく。ただし武器は一切なしだ。肉を切るためのペティナイフはここに置いておく。まぁゆっくりこのポーランドの夜を楽しむといい」
そしてここから吉宗は、意味ありげな不敵な笑みに変わり、
「宗治、1つだけこれは覚えとけ。もしここを戦場に変えたら、お前らの命は無いからな」
その言葉を残し、吉宗とシュナイダーは、車で山を下っていった。
「どういうことだろう? 兄貴」
「さぁ、俺にもわからんなぁ。今ここにあるのは、俺たちのための肉の塊。ペティナイフが1個。それにこの綺麗な景色の山の中。しかし、ここを戦場にしたら、俺たちは生きていけないってどういう意味なんだろう?」
「まぁいか、このおいしそうなワインがあるし」
ケンはテーブルのワインを手にしていた。
「楽しんでくれって言われたんだから、楽しもうよ」
ケンは、そう言いながら、2人で乾杯をし、肉を焼くための準備をしていた。
辺りを見回すと、暖炉の上の壁には、いろいろな写真が貼られていて、その写真の中には軍服を着た吉宗の姿、シュナイダーと肩を組む写真、その他吉宗が当時活躍していた頃だろう、傭兵達の面々が肩を組んで写っている写真が飾られていた。
そして夕暮れ時。2人はすっかりワインで楽しくなり、この4年間過ごしてきた、数々の思い出を語り合いながら、日本人の奪還作戦がどんな仕事になるのだろうかと思いを巡らせていた。
「ダマスカスなんて、どんなところかも想像もつかない。今からいろいろ調べておかなきゃな」
宗治がそう言うと、
「あぁ兄貴はほんとに準備とか好きですよね。まだ行くかどうかもわからないのに」
ケンは相変わらず楽天的な言葉を、だいぶ眠そうな口調でそう言った。
「うぉおーん」
聞き慣れない動物の鳴き声がこだました。
「もしかして今のは狼?」
ポーランドにはまだ野生の狼が多く生息していると言う話は聞いたことがある。だが2人はまだ野生の狼をテレビやYouTubeでしか見たことがない。
小屋の明かりが届くか届かない位の距離のところには、1メートル60センチはあろうかという1匹の黒い狼が、じっとこちらをにらみつけていた。その周りには、小柄ではあっても、5匹ほどの狼が腹を空かした様子でこちらを見ていた。
2人は、そっと、ガラス越しに、身を低くして窓の外を見ていた。
「兄貴、これってやばくないですか?」
「これが卒業試験?」
ケンは目を丸くして、宗治に聞いた。
「武器なんか何一つないですよ。ペティナイフであいつらを倒すなんてとてもじゃないけど、無理だし、最終試験って事は素手で、やれって言うこと? いや、いや、いや、無理でしょう」
ケンは、慌てながら、囁く声で宗治の耳元で言った。
宗治はじっと外を見ていた。そして、吉宗が言っていた「ここを戦場にしたら、お前たちの命はない」その言葉をもう一度思い出していた。
「これ、まずいって、狼、こんなにいっぱいいるじゃん。何か武器になるもの。探さなきゃ」
宗治もその言葉に誘発されたのか、部屋の中を見渡してみた。
しかし、宗治は1つ不思議なことに気づいた。
「なあケン、おかしいと思わないか? この部屋、こんな狼がすぐに出るような場所なのに、あの用意周到な吉宗さんなら、ライフルの1つも置いておくはず。ライフルがないにしても、どこかにナイフを隠してるはず。なのに、この部屋には、実を守るものが何一つない。なぜだろう?」
目の前にあるのは、肉の塊とペティナイフ。そして吉宗が残した言葉。
『もし、ここを戦場に変えたら、お前たちの命は無い』
ガルルガルル。
もうそこまで数匹の狼たちは迫っていた。
外の物々しさに急かされながら、あの言葉の意味を2人は深く考え始めた。焦るケン。
宗治は何かヒントになるものがないかと部屋中をもう一度慎重に見回した。その時、壁の一番端っこに、少し古さに赤茶けた1枚の写真が目に飛び込んできた。
「ひょっとしてこれって。そうか、多分これだ!」
狼の鳴き声はどんどん大きくなっていく。中には、小屋の壁を掻きむしるような狼もいた。完全に2人は囲まれていた。
「ケン。俺の解釈が間違ってたらごめんって話だが、多分間違ってないと思う」
「要は、ここ戦場にしなきゃいいわけだ!」
そう言うと、おもむろに宗治は、なぜか肉の塊とペティナイフを持って表へ出た。
「兄貴! まずいって!」
そう言いながら、ケンはそっとガラス越しに外に出た宗治を、緊張で張り付く喉を押し殺しながら、細目にしながら宗治をガラスごしに探した。
すると宗治は玄関扉の外のテラスに四つん這いになって、口に肉を加え、狼の方をじっとにらみつけていた。
「あああ、兄貴おかしくなっちゃった。ヤバいって、あいつら絶対腹すかしてるって。俺たち餌になっちゃうよ」
ケンはそう震える唇で言う。
だが次の瞬間、自分の言葉の中に宗治の考えを見出した。
そして、ケンも恐る恐る外に出て行った。
静かに、小屋のドアは閉まり、そのままその夜は更けていった。
***
翌朝、吉宗とシュナイダーはケンと宗治を見に小屋へ向かった。シュナイダーは言う。
「あいつら大丈夫ですかね?」
「あぁ大丈夫だと思うよ。あの宗治って男はなかなか頭も感も働く男だ。きっと俺の言葉の意味に気づけるはずだ」
「それに、あそこはグレッグの縄張りだし、問題はないさ」
2人は目を見合わせて、静かに微笑んだ。
2人の車が小屋に差し掛かった頃、その小屋のテラスには、数匹の狼とケンと宗治が戯れていた。
吉宗は、確信していたことが当たったと、満足げな笑顔を浮かべていた。
そう、その最終試験と言うのは、傭兵だからといって戦うことでしか物事が解決できないのであれば、そう長くは生きていられないことを2人に教えたいと思った。大抵の争いは心がつくるものだと。
「師匠、ほんとに意地が悪いよなぁ」
宗治はかたわらの狼の喉元を弄りながら笑ってみせた。
「お前なら、きっと俺の言葉がわかってくれると思ったよ。俺たちは傭兵部隊なのだから目的を遂行する事は大切だ。が、軍人と違って人を殺すことが第一任務ではない。狼は腹を空かしていると、そのことに気づけることができれば、その腹を満たしてやればいいだけの話だ。誰かを見るたびに敵だ、なんだと決めつけていたら、精神的にこっちの身がもたないよ。お前なら、きっとそれを気づいてくれると思ったんだ。戦わずとも手にできる勝利もあると言うことだ。相手と共にな」
「はい、師匠」
「さあ、まだ結婚式二次会の途中だ。当時の部隊の後輩たちがたくさんいる紹介するよ。行こう」
こうしてケンと宗治は晴れやかで気持ちのいい空気を胸いっぱいに感じながら、後ろに小さくなっていく小屋をじっと見送って行った。
あの小屋の壁の端にあった、赤茶けた1枚の写真。
軍服を身にまとった吉宗とシュナイダーのテラスに腰を下ろした姿と、その真ん中で、背筋をぴんと伸ばした、あの黒い大柄の狼『グレッグ』の誇らしげな姿。
宗治は心で呟いた。
「またいつか会おうね。グレッグ」
静かにポーランドのその森は2人の行方を見守っていた。
(第2話 完)
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