第2話『最強のバグヒロインと、泣き虫な日本刀』

 高級車の革張りシートの座り心地は、最悪だった。

 物理的な意味ではない。シート自体は、俺のアパートの家賃が三年分くらい払えそうな最高級のレザーだだろう。問題は、隣に座っている「バグ」の存在と、俺が現在進行形で誘拐されているという状況にある。


「……あの。質問していいでしょうか、お嬢様」

「許可しますわ。なんでも聞いてよろしくてよ、我が下僕」

「誰が下僕だーーッッ! 俺をどこに連れて行く気だ!」


 俺――白井しらい兎和とわは、抗議の声を上げた。

 だが、隣で優雅に紅茶を啜っている少女――九条院くじょういんアリスは、どこ吹く風だ。いや、なぜか車内にポットが完備されている……。


「決まっていますわ。私の実家、『九条院家』の本邸です」

「だから、なんで俺が! 俺はデバッガーであって、お前の専属鑑定士じゃないんだぞ!」

「あら? 命の恩人になんて口の利き方ですの?」

「恩人!? 壁をぶっ壊して大家への賠償金を払っていった上に成仏しかけてた霊を滅しただけだろ!」


 アリスは、きょとんとした顔で首を傾げる。


 窓の外を流れる都心の風景。夕暮れの首都高を、黒塗りのリムジンが滑るように走っていく。

 俺はこめかみを揉みながら、運転席に視線を向けた。

 無言でハンドルを握る初老の運転手。彼の頭上には、整然としたタグが浮かんでいる。


 #運転歴30年

 #元SP

 #お嬢様命

 #今のコース取りは完璧だ


 完璧なプロフェッショナルだ。逃げ出す隙なんてありゃしない。

 俺は視線をアリスに戻した。


 ……やはり、異様だ。


 彼女の輝くようなプラチナブロンドにも、陶器のように滑らかな肌にも、身につけた豪奢なドレスにも。

 世界を構成するあらゆる事象に付与されているはずの「属性情報タグ」が、一つとして存在しない。

 俺の眼は、常に情報の洪水を浴び続けている。人の本音、物の価格、建物の耐久年数。それらがノイズのように視界を埋め尽くす日常において、彼女の存在だけが「空白」だった。


 まるで、世界のレンダリング処理から抜け落ちたエラー・オブジェクト。

 美しい。けれど、底知れない不気味さがある。

 先入観を持とうにも、情報がない。だからこそ、彼女が何を考え、次に何をしでかすのか、俺の【絶対検索タグ・アイ】では予測がつかないのだ。


「……到着しましたわ」


 アリスの声で、俺は我に返った。

 車が減速し、砂利を踏む音が聞こえる。

 窓の外を見て、俺は絶句した。


「……城かよ」


 そこは、都内の一等地とは思えないほどの広大な敷地だった。

 鬱蒼とした森に囲まれた、純和風の屋敷。いや、屋敷というレベルではない。時代劇のセットか、あるいは忍者屋敷か。

 巨大な門には、古めかしい注連縄しめなわが張られ、そこら中に厳重なセキュリティ……ではなく、お札がベタベタと貼られている。


 #結界強度:A

 #重要文化財(自称)

 #一見さんお断り

 #魔除けセキュリティ稼働中


 タグの圧が凄い。

 門をくぐり、車寄せに止まると、着物姿の使用人たちがズラリと並んで頭を下げた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ええ。お客様をお連れしましたわ。丁重にもてなしなさい」


 アリスが降り立つと、使用人たちの頭上のタグが一斉に揺れた。



 #恐怖

 #今日のご機嫌は?

 #お嬢様のお部屋の壁は壊れてないか?


 ……どうやらこのお嬢様、家の中でも相当な暴君として恐れられているらしい。


 通されたのは、屋敷の離れにある一室だった。

 床の間には掛け軸、生け花、そして妙に生々しい熊の剥製。

 俺は出された羊羹(#一棹5000円)をもぐもぐと食べながら、アリスの説明を聞いていた。


「単刀直入に言いますわ。貴方のその『眼』で、鑑定していただきたいものがありますの」

「鑑定? 俺は古物商じゃないぞ」

「古物ではありません。……我が家に代々伝わる、封印されし『妖刀』です」


 アリスの声のトーンが、少しだけ下がった。

 彼女の双眸が、真剣な光を帯びる。タグがない分、その表情の変化がダイレクトに伝わってきて、少しドキリとする。


「最近、蔵の奥で妙な音がするのです。夜な夜な『シクシク』と泣くような声が聞こえたり、勝手に振動したり……。父上は『ついに封印が解けかかっている』と怯えていますの」

「なるほど。で、俺にその原因を特定しろと?」

「ええ。普通の霊能者に見せても『祟りだ』『呪いだ』と騒ぐばかりで、役に立ちませんの。貴方なら、その『タグ』とやらで真実が見えるのでしょう?」


 買い被りすぎだ、と言いたかったが、羊羹が美味かったので飲み込んだ。

 それに、少し興味もあった。

 タグが見えない彼女が、俺の能力を必要としている。情報の空白地帯である彼女から頼られるというのは、悪い気分ではない。


「……分かった。見るだけならな。ただし、危険だと判断したら即座に逃げるぞ。俺は戦闘職じゃない」

「構いませんわ。戦闘は私の管轄ですから」


 アリスは不敵に笑うと、巨大なハンマーをどこからともなく取り出した


(ドレスの裏に四次元ポケットでもあるのか?)


「案内しますわ。……『開かずの蔵』へ」



       ◇ ◇ ◇



 屋敷の裏手にある土蔵は、異様な雰囲気を放っていた。

 重厚な観音開きの扉は、何重もの鎖で巻かれ、その上から無数のお札が貼り付けられている。


 #封印

 #危険物

 #閲覧注意

 #呪い拡散防止措置

 #R-18G


 タグのラインナップが物騒すぎる。特に最後の一つは何だ。スプラッターか。

 周囲の空気も冷え込んでいる。霊感のない俺でも肌が粟立つような、ピリピリとした静電気のような感覚。


「ここですわ」


 アリスは躊躇なく扉の前に立つと、鎖を引きちぎった。

 ブチブチブチッ!


「……鍵、持ってるんじゃないのか?」

「面倒ですもの」


 物理開錠パワープレイ。彼女にかかればセキュリティも形無しだ。


 ギィィィ……と重たい音を立てて、扉が開く。

 カビ臭さと、鉄錆の匂いが鼻をついた。

 暗闇の中、俺はスマホのライトを点灯させる。


 蔵の中央。

 注連縄で囲まれた祭壇の上に、それはあった。


 一振りの日本刀。


 鞘は黒漆塗りで、金色の装飾が施されている。だが、その美しさを上書きするように、刀身からはどす黒いオーラが立ち昇っていた。


『…………ぅ……ぅぅ……』


 微かな音が聞こえる。

 風の音じゃない。刀が、震えているのだ。カタカタと鞘が鳴り、台座を揺らしている。


「これですわ。近づくと、寒気がしますの」


 アリスが珍しく神妙な顔をしている。タグのない彼女でも、本能的な恐怖を感じているのか。


 俺は唾を飲み込み、スマホのカメラを向けた。

 【絶対検索タグ・アイ】、起動。


 瞬間、俺の視界が真っ赤に染まった。


 #妖刀・村雨改

 #伝説級

 #レジェンダリー

 #斬れ味:SSS

 #呪い:致死性

 #所有者を喰らうもの

 #血に飢えた狂気


 うわあ。

 これはひどい。役満だ。

 普通の鑑定士なら失禁するレベルだ。

 黒いオーラに混じって、怨嗟の声のようなノイズが脳内に響く。


『血……血をくれ……我を解き放て……』


 そんな幻聴まで聞こえてくる気がする。

 だが。

 俺は冷静にラムネを噛み砕き、糖分を脳に送った。

 騙されるな。

 この派手なタグは、周囲の人間が勝手に貼り付けた「恐怖のレッテル」だ。九条院家という歴史ある家柄、厳重な封印、そして「妖刀」という先入観が、この刀を化け物に仕立て上げている。


 俺はフィルタリングを実行する。

 偽装タグを剥がせ。

 表面的な恐怖情報をゴミ箱へ。

 深層に眠る、この刀自身の「システムログ」へアクセスしろ。


 アクセス権限、承認。

 ルートディレクトリ展開。


 そこにあったのは、驚くほどシンプルな文字列だった。


 #寂しい


「……は?」

 俺は思わず声を漏らした。


 さらに詳細情報を展開する。


 #最終使用日時:300年前

 #メンテナンス不足

 #放置プレイ反対

 #誰でもいいからかまって

 #承認欲求モンスター

 #錆びちゃうよぉ……


「っぷ……!」

 俺は吹き出した。


 なんだこれ。

 血に飢えた妖刀? 人を食らう魔剣?

 違う。これはただの――


「どうしたんですの? トワ」


 アリスが怪訝な顔で覗き込んでくる。


「いや……アリス、これ、呪われてないぞ」

「はい? ですが、こんなに禍々しい気配が……」

「禍々しく見えるのは、こいつが必死にアピールしてるからだ。300年間も蔵に放り込まれて、誰にも手入れされず、忘れ去られるのが怖くて。『僕はここにいるぞ!』って叫んでるだけだ」


 俺はスマホ越しに、刀の真実タグを指差した。

「こいつの正体は、極度の『かまってちゃん』だ。うん、メンヘラ化した名刀、と言ってもいい」


『!!!!』


 その言葉に反応したのか。

 刀が激しく振動した。


 ドンッ!


 鞘から勝手に刀身が抜け出し、空中に浮かび上がる。

 ギラリと光る刃。美しい波紋が浮かんでいるが、ところどころに赤錆のようなものが浮いている。あれは血じゃない。手入れ不足の錆だ。


 #バレた!?

 #恥ずかしい

 #でも見て!

 #僕を見て!

 #錆びてるけど切れ味はまだあるもん!


 タグが高速で書き換わっていく。

 こいつ、自分の恥ずかしい本音タグを読まれてパニックになってやがる。


「き、危険ですわ!」

 アリスがハンマーを構えて俺の前に出る。


「下がっていて! 物理的に鎮圧します!」

「待て待て! 壊すなよ! こいつはただ、手入れをして欲しいだけなんだ!」


 だが、パニックになった刀は止まらない。


 ヒュンッ!


 刃が空を切り、鎌鼬かまいたちのような衝撃波が飛ぶ。

 蔵の柱が一本、スパンと切断された。


「ひぇっ」

 俺は情けなく悲鳴を上げてしゃがみ込む。


 おいおい、寂しがり屋のくせに殺傷能力が高すぎるだろ! メンヘラ彼女が包丁振り回してるのと訳が違うぞ!


「問答無用ッ!」

 アリスが跳躍する。


 重力を無視したような身軽さで宙を舞い、ハンマーを振りかぶる。

 刀も負けじと切っ先をアリスに向ける。


 #構ってくれるの!?

 #殺り合い(チャンバラ)ごっこ!?

 #嬉しい!

 #死ねぇぇぇ(大好き)!


 タグが矛盾している! 愛が重い! そして物理的に痛い!


「アリス、受けるな! そいつのタグは[#ガード不能]だ!」

 俺は叫んだ。


 腐っても、いや錆びても伝説級の妖刀。いくらアリスのハンマーでも、まともに受ければ切断される可能性がある。


 俺はスマホを操作した。

 刀の攻撃判定を書き換えデバッグする必要がある。

 だが、相手は高速で飛び回っている。ターゲットが定まらない。


「くそっ、止まってろよこの駄剣!」


 俺はポケットからありったけのラムネを取り出すと、刀に向かって投げつけた。


「餌だ! 食らえ!」


 バラバラと散らばるラムネ。

 刀が一瞬、ピタリと止まる。


 #これは何?

 #供物?

 #砂糖菓子?

 #糖分?


 その一瞬の隙。

 俺はエンターキーを叩き込んだ。


 対象:妖刀・村雨改。

 タグ編集実行。

 


 #攻撃属性:切断 → 削除。

 #攻撃属性:打撃(峰打ち) → 追加。

 


「アリス、今だ!」

「応ッ!」


 アリスのハンマーが、刀の側面を捉えた。


 ガギィィィン!!


 甲高い金属音が響き渡り、刀が壁まで弾き飛ばされる。

 刀はクルクルと回転し、床に突き刺さった。


『……きゅ……』


 なんか情けない音が聞こえた気がした。

 刀身から黒いオーラが消え、代わりにピンク色の淡い光が漏れ出している。


 #痛い

 #でも悪くない

 #もっと叱って


 ……なんかM属性まで追加しちゃったかもしれない。まあいいか。

 俺は肩で息をしながら、突き刺さった刀に歩み寄った。


「……はぁ。まったく、手のかかる刀だ」


 俺が手を伸ばすと、刀は抵抗することなく、すんなりと鞘に収まった。

 手の中で、刀が微かに温かく脈打っているのを感じる。


「解決……ですの?」

 アリスがハンマーを下ろし、不思議そうに首を傾げる。


「ああ。こいつはもう人を襲わないよ。これから毎日ちゃんと手入れをして、話しかけてやればな」

 俺は鞘を撫でた。


 タグが変化している。


 #アリス様の愛刀(仮)

 #忠犬

 #忠剣

 #お手入れ待ち


「ふふっ。貴方、やっぱり凄いですわね」

 アリスが俺に近づいてくる。


 埃まみれの蔵の中で、彼女だけが一点の曇りもなく輝いて見えた。

 タグのない、無垢な存在。

 彼女が俺の手を取り、刀ごと包み込むように握る。

 柔らかくて、熱い手だった。


「トワ。貴方を九条院家の専属デバッガーとして正式に雇用しますわ。拒否権はありません」

「……給料は弾むんだろうな?」

「ええ。言い値で買い取って差し上げますわ。貴方のその『眼』も、その才能も」


 その笑顔には、抗えない引力があった。

 俺は諦めたように息を吐く。


 どうやら俺は、とんでもないバグヒロインと、面倒くさいメンヘラ刀という、二つの厄介ごとを抱え込んでしまったらしい。


 だが。

 視界の端に点滅する、新しいタグ。

 アリスの手を握った俺自身に付与された、小さなタグ。


 #居場所:ここかもしれない


 それを見たとき、俺の口元は自然と緩んでいた。



 ま、悪くないか。少なくとも、退屈だけはしなさそうだ。





――


お楽しみいただけたでしょうか?

率直なご評価をいただければ幸いです。

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★★  まぁまぁだった

★   つまらなかった

☆   読む価値なし


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