バグった令嬢と俺の怪異☆白書――世界の全てに「#ハッシュタグ」が視える俺、最強武力のお嬢様に拾われて「神」退魔師になる。――

いぬがみとうま

第1話『その幽霊、#地縛霊ではありません』


 世界は、クソみたいな情報タグで溢れかえっている。


 俺の視界は、いつだってスクリプトエラーを起こしたブラウザみたいに騒がしい。

 たとえば、目の前で脂汗を垂らしている小太りの中年男性。彼のみすぼらしい頭上には、半透明のウィンドウがポップアップし、そこに無慈悲な文字列が羅列されている。


[#家族と別居8年] [#事故物件隠蔽中] [#家賃滞納だめ] [#尿酸値危険域]


 最後の一つは病院に行けよ、と思いながら、俺――白井しらい兎和とわは、ため息を噛み殺してラムネ菓子を口に放り込んだ。カリリ、と湿気った音が脳内のノイズを少しかき消してくれる。


「で、どうなんです? 霊能者先生。この部屋、やっぱり……出るんですか?」


 大家の男が、不安げに両手を揉み合わせている。

 場所は東京都北区の外れ。古びたアパートの二階、角部屋の204号室。

 西日が差し込む六畳一間は、カビと線香の入り混じった妙な臭いが充満していた。畳には、前の住人が残していったと思われる染みが点々と黒ずんでいる。


「訂正していいですか、大家さん。俺は霊能者じゃありません」


 俺は視界の端で点滅し続ける[#システム警告:霊的干渉あり]という赤いアラートを手で払いのける仕草をした。もちろん、他人には俺が虚空を薙いだようにしか見えない。


「『オカルト・デバッガー』。そう名乗ったはずですが」

「で、でば……? よく分かりませんが、とにかく祓えるんでしょうね? 先週頼んだ祈祷師なんて、入った瞬間に白目剥いて泡吹いて倒れたんですよ!」


 そりゃそうだろう。

 俺は部屋の中央に視線を向けた。

 そこには、天井まで届きそうなほど巨大な「黒いモヤ」が渦巻いている。

 人の形ですらない。ただのドス黒い憎悪の塊に見えるだろう、普通の人には。

 だが、俺の「眼」には違って見えていた。


 その黒い塊の周りには、まるで動画サイトのコメントみたいに、無数のタグがびっしりと張り付いているのだ。


[#怨念] [#殺意] [#人間許さない] [#出ていけ] [#地縛霊] [#レベル:53]……


 なるほど、こりゃ普通の霊能者なら裸足で逃げ出すレベルだ。情報の圧が強すぎて、直視すると眼球の奥がズキズキと痛む。

 だが、俺はポケットからスマホを取り出すと、慣れた手つきで「検索」をかけた。


「……ふん」


 俺の特殊能力――【絶対検索タグ・アイ】。

 俺には、森羅万象あらゆる事物に付与された「属性(タグ)」が視える。それだけじゃない。この世界を構成するソースコードにアクセスし、バグを特定することができるのだ。


 俺はスマホの画面越しに、その悪霊を拡大表示(ズーム)した。

 表面に浮かんでいる[#地縛霊]や[#怨念]といったタグは、どれもこれも色が薄い。これは「偽装タグ」だ。人間たちが勝手に「ここは事故物件だ」「恐ろしい霊がいる」と思い込むことで、後天的に貼り付けられたレッテルに過ぎない。

 集合的無意識ってやつは質が悪い。大勢が「怖い」と思えば、無害な霊もモンスターに育っちまう。


 俺はその奥。

 黒いモヤの深層に埋もれている、たった一つの「真実ルートタグ」を探す。

 ノイズまみれの文字列をスクロールし、フィルタリングをし、不要な情報を脳内でゴミ箱へダンクシュート。


 ……見つけた。


 [#迷子]


 俺は思わず吹き出しそうになった。

 それに連なるサブタグも表示される。


[#帰り道不明] [#お腹すいた] [#ママどこ] [#座標バグ]


「なんだ、他愛もない。凶悪な地縛霊かと思えば……ただの迷子じゃねえか」


 俺のつぶやきに、大家が目を見開く。


「は、はい? 迷子?」

「ええ。この霊、ここに執着してるわけじゃありません。たまたま霊道の交差点でエラー起こして、この部屋に引っかかってるだけです。子供ですよ、中身は」

「こ、子供……? あの禍々しい気配が!?」


 大家が信じられないという顔で黒いモヤを指差す。

 その瞬間、モヤが反応した。


『グゥ……アアアアアッ!』


 部屋中の窓ガラスがビリビリと振動し、蛍光灯が点滅を繰り返す。ラップ音がマシンガンのように鳴り響いた。


「ひいいいいッ!」


 大家が腰を抜かしてへたり込む。

 俺は呆れて頭をかいた。


「あーあ、刺激しないでくださいよ。迷子がパニック起こして泣きわめいてるだけですから」


 俺は悪霊――いや、迷子の霊に歩み寄った。

 黒いモヤが触手のように伸びて俺を威嚇してくるが、俺は無視してスマホの画面をタップする。


「さて、デバッグ修正の時間だ」


 俺の能力の本質は、視ることじゃない。

 書き換えるエディットことだ。


 俺はスマホのコンソール画面に表示された、霊のプロパティを開く。

 そこにある[#座標固定:東京都北区〇〇アパート204号室]というバグったタグを選択。

 キーボードを高速でフリックし、新しいコードを打ち込む。


 削除(Delete)……完了。

 新規タグ作成(Create New Tag)……。


「坊や、家はどこだ? ふむ。うん。……ああ、なるほど。西の方か」


 霊のデータベースから残留思念を読み取る。

 俺は新しいタグを上書き保存オーバーライドした。


 [#帰還:浄土へ]


「よっと。これで成仏ルートへのパスが通ったはずだ」


 俺がエンターキーを押すイメージを持った、その時だった。


 ――ズドンッ!!


 突如、部屋全体が巨大な鉄球で叩かれたように揺れた。

 いや、揺れたんじゃない。

 衝撃は、隣の部屋との境目にある「壁」から来た。


「な、なんだ!?」


 俺が身構えるより速く。


 メリメリメリッ! ドゴォォォォン!!


 爆音とともに、薄い石膏ボードの壁が粉々に砕け散った。

 舞い上がる粉塵。飛び散る木片。


「あわわわ、私のアパートがぁ!」

 大家が絶叫する。


 土煙の向こうから、一つの影が飛び込んできた。

 逆光を浴びて輝く、プラチナブロンドの長い髪。

 フリルがふんだんにあしらわれた、時代錯誤なゴシックドレス。

 そして、その華奢な手には――身の丈ほどもある巨大な「鉄塊」のようなハンマーが握られていた。


「見つけましたわよおおおおおッ! 悪鬼羅刹ーーッッ!!」


 鈴を激しく転がすような、ドスの効いた咆哮。

 現れたのは、人形のように整った顔立ちの美少女だった。年齢は俺と同じくらいか、少し下か。

 だが、その可憐な容姿よりも、俺の目を釘付けにしたのは別のことだった。


(……ない?)


 俺は目を瞬かせた。

 彼女の頭上に。

 そして、彼女が握るハンマーにも。

 ドレスにも、肌にも、髪にも。


 タグが、一つもない。


 Null空っぽ

 Not Foundですらない。

 世界中のあらゆる物質にこびりついているはずの情報が、彼女だけには一切存在しなかった。まるで、この世界のバグそのものじゃないか。


「は……?」

 俺が呆気にとられている間に、少女はハンマーを軽々と振り回した。

「我が名は九条院くじょういんアリス! 九条院流退魔術・免許皆伝が推して参るッ! そこの悪霊、覚悟ォォッ!」


 ブンッ!

 空気が爆ぜる音がした。

 少女――九条院アリスは、床を強く踏み切ると、砲弾のような速度で黒いモヤへ突っ込んでいく。


「ちょ、待てバカ! そいつはもう――」


 俺の制止なんて聞こえちゃいない。

 アリスは、目にも止まらぬ速さでハンマーを横薙ぎに一閃させた。

 物理だ。純粋な質量と運動エネルギーの暴力。

 本来、実体のない霊体に物理攻撃なんて効くはずがない。すり抜けて終わるはずだ。


 だが。


 ドギャァァァンッ!!


 直撃音がした。


『ギャアアアアアッ!?』


 黒いモヤが、物理的に吹き飛ばされた。

 いや、吹き飛ばされたなんてもんじゃない。霧散した。インパクトの瞬間、衝撃波が部屋中の窓ガラスを全て割り、俺と大家は爆風で壁まで吹き飛ばされた。


「ぐえっ」


 俺は背中を強打し、呻き声を上げる。

 粉塵が晴れていく中、アリスはハンマーを肩に担ぎ、優雅にスカートの裾を払っていた。

 その足元には、黒いモヤの残骸すらない。完全に消滅している。


「……ふぅ。手応えなし、ですわね」


 彼女は涼しい顔で言い放った。

 俺は震える手でスマホを拾い上げ、先ほどの空間をスキャンする。


[Error: Target Not Found]

[#迷子] ……リンク切れ

[#浄土] ……接続失敗


 成仏させる前に、消し飛ばしやがった。

 魂ごと、物理で粉砕しやがったんだ、こいつ。


「き、君……! なんてことを……!」


 俺が立ち上がろうとすると、アリスがくるりとこちらを振り返った。

 宝石のような蒼い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。

 その瞳にも、やはり何のタグも浮かんでいない。俺の能力が通用しない、深淵のような瞳。


「あら? そこのモヤシくん。貴方、怪我はありませんこと?」

「誰がモヤシだ! 俺は……いや、それより、お前今なにやったか分かってんのか!? あの霊はもうデバッグ済みだったんだよ! あと一秒で成仏できたのに!」

「デバッグ? ジョウブツ?」


 アリスは小首を傾げた。可愛い仕草だが、持っているのは凶器だ。


「何を言っていますの? 悪霊は滅殺。これ、常識ですわよ?」


 あっけらかんと言い放つ彼女。

 そこに、隣の壁が壊された部屋から、別の住人が顔を出した。


「あ、あのー……僕の部屋の壁、どうしてくれるんですか……?」


 アリスは住人の方を向き、懐から分厚い札束を取り出した。


「修理費ですわ。釣りはいりません」


 バサッ、と札束を放り投げる。

 帯がついたままの一万円札の束。百万円。


 沈黙。


「……あ、ありがとうございます!」

 住人は札束を拾って引っ込んだ。解決したらしい。いや、してないだろ。


 俺は頭を抱えた。

 頭痛が悪化している。この訳の分からないバグヒロインのせいで、俺の平穏な「事務的除霊ライフ」は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。


「それで?」


 アリスが俺に顔を近づけてくる。良い匂いがした。高級な紅茶みたいな香り。


「貴方、さっき変な術を使っていましたわね。九条院の知識にはない術式……。興味深いですわ」

「……近いですって、お嬢さん」

「貴方、名前は?」

「……白井。白井兎和だ」


 アリスはニカッと笑った。太陽みたいに眩しい、屈託のない笑顔。


「トワ! いい名前ですわね! 気に入りましたわ!」

「は?」

「貴方、私の『目』になりなさい!」


 高らかに宣言する彼女の背後で、破壊された壁から西日が差し込み、彼女を神々しく照らし出していた。



 俺の視界にある[#平穏]というタグが、音もなく[#波乱の予感]に書き換わっていくのを、俺はただ呆然と見つめていた。

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