第2話・勧誘
翌日の二年A組はナルスペースの事件についての話で一日中持ち切りだった。
亡くなった祖母や祖父が怪我をした生徒たちもいて、僕の両親は無事だったかと聞かれる。僕は『うちの親は絶対安全な場所にいるから』と曖昧に答えておいた。
放課後、皆に挨拶した担任が僕に告げる。
「ああそうだ、青羽。今から職員室に来てくれ。警察の人が事情聴取したいらしい」
「また? これ以上膨らませて面白く話す才能ないよ。もうフィクションでもいいよね?」
「それは偽証だ。うちのクラスから補導生徒が出たら、最初からいなかったことにするぞ」
担任は外道なことを言い残して去った。
いつの間にか名簿から消えて学校の八番目の不思議にされては困る。僕は大人しく出頭することにした。左隣の席の女子が真面目くさって僕の肩に手を置く。
「いい? 警察に拷問されても私と空くんのことは絶対喋っちゃダメだからね」
「なにを!?」
僕は面食らって尋ねた。女子は頬を両手で挟んで照れくさそうに顔を左右に振る。
「やん、他の人がいるのに乙女の口から言わせないでよう!」
「そうか、お前らそうなんだな……」
右隣の席の男子がうんうんとうなずいた。
「いや、だからなんなの!?」
「実は私たち、ナントカ国の皇女とごにょごにょ……ふいー」
「途中でオチ考えるのめんどくさくなったんでしょ!? だよね!?」
「オチは空くんのご想像にお任せします」
「そんなやる気のない脚本家みたいな!」
僕が二人と駄弁っていると、見知らぬ女子が緊張した面持ちでつかつかと歩み寄ってきた。叩きつけるように手の平を僕の机に置き、涼しげな声で言う。
「青羽。話があります。一緒にちょっと来てください」
「えっと……、初めまして?」
「はあ? 入学してからずっと同じクラスじゃないですか」
「ごめん、知らない。人の顔と名前覚えるの苦手だし」
僕は苦笑いした。
彼女は苛ついた表情を浮かべ、鞄からペンケースを出してペンを取り出す。
「じゃあ、すぐ覚えて。私が
うわ、油性で机に書いた……。なんのためらいもなく平然と。どういう人なのこの人。
「一秒で覚えないと今度はまぶたの裏に書きますよ。早くこっちに来て」
でも、これってもしや告白タイムへのお誘い? 恋愛をしたいわけじゃないけど、告白はされてみたい。
体育館裏でヤキを入れられる可能性もあるが、腰まで伸びた黒髪ロングに狂暴な子はいないはず。多分。タンパク質不足の華奢な体つきで、殴られても痛くはなさそうだし。
僕は海崎に導かれるままに教室を出た。
廊下の床には年代を感じさせる傷がたくさん刻まれ、壁には四十年以上前の卒業生の彫刻が飾ってある。僕の通う第一高校は歴史が古く、一応、
落ち着いた校風が特徴で、廊下を歩いている生徒にもド派手な金髪やピアスはいない。逆に、参考書片手に下校していく生徒がちらほらいる。
「……顔の包帯、取れたんですね」
海崎が振り返りもせず興味なさげに言った。
「うん、昨日学校の帰りに病院寄って取ってもらった」
「そうですか。一生ミイラだったら面白かったのに」
全然面白くない。もし火傷の跡が残っていたら、就職に差し支えただろうし。
僕たちは下足室で靴を履いて校庭を進んだ。女子バレー部が元気な掛け声と共に横を走って通りすぎる。僕らは人気のない校舎裏に到着した。
気持ちの良い秋の夕方だった。ススキがそよ風に揺れ、山吹色の陽光に照らされて穂が輝いている。校舎の音楽室からは眠気を誘う吹奏楽部の練習の音が流れ、運動場からは野球部の声が聞こえる。
暑くもなく寒くもなく、まあ言ってみれば絶好の告白日和というわけで。いやおうなしに僕の期待は高まる。
海崎は真剣な顔で話し出した。
「……今からお願いをします。必ず『はい』と言いなさい。いいですね?」
「な、なんのお願い?」
僕は当惑して尋ねた。斬新な告白の仕方だ。
「青羽に知る権利はありません。私がお願いして青羽が従う、それだけの単純な話です」
「お願いじゃなくて命令のような気が……」
「命令の方が好きな変態ですか? 命令と思いたいならご自由に。どうせ男子の頭なんて汚らわしい妄想でいっぱいなのでしょう? 今回は見逃しますからとにかく従いなさい」
「ええー……」
僕は学生鞄の柄を握り締めて後じさった。この人、若干どころかだいぶ変だ。なんていうか暴君ネロだ。
海崎はため息をついて頭を垂れる。
「仕方ないですね。だったら少し目をつぶっててください」
「な、なにするの」
「いいからつぶって」
眉を寄せ、冷たい瞳で僕を見つめる。
変だけど綺麗な人だった。自分にも他人にも厳しそうな整った顔立ちで、唇は薄く、背筋はアンドロイドみたいにぴしっと伸びている。化粧はしていない。全身から凛とした冷気が放たれ、その姿は景色から浮き出て見える。たとえるなら北風の精霊とでも言うべきか。
そして、そんな人から『目をつぶれ』と要求されれば逆らえないのが男のサガで。僕は胸を高鳴らせながら目を閉じた。
海崎はゴソゴソとなにかをしている。え、まさか、服を脱いでる? いやいや、あり得ないって。潔癖そうな顔してるし、スカートの裾もやたら長くて、なんかいいとこのお嬢様みたいだし。
なんて考えていると、乾いた物体が頬に叩きつけられた。僕が驚いて目を開けると、海崎は一万円札の束で僕の頬をはたいていた。
「ほら、まずは十八万。一ヶ月の報酬としては妥当でしょう。了承しなさい」
「ええーと、なにがなにやら……」
「十八万じゃ足らないんですか? ごうつくばり。守銭奴。二十五万でどうです?」
封筒から追加の紙幣を取り出し、まとめて僕に投げつける。風で飛んでいきそうになる万札を僕は慌てて拾い集めた。海崎に押しつけるようにして返す。
「とにかく、なにを頼みたいか教えて」
「これです」
海崎は折り畳まれたパンフレットを差し出した。僕はそれを広げて読む。
『涅槃都市開発コンテスト』
【課題】 日本人死者が楽しく暮らせる理想の都市・施設・住居の設計データ
【主催】 ナルスペース開発庁
【応募要項】 GAD形式の立体設計図ファイルで提出のこと。なお、予選段階では外形データのみでも可。本選は山道アリーナでプレゼンテーションをしていただきます。
【応募資格】年齢、経歴不問。ただし生きた日本人に限ります。
【期限】 第一回予選……六月末日 第二回予選……八月末日 第三回予選……十月末日 本選……十二月十日
【賞金】 大賞(一作)……一千万円 優秀賞(三作)……五百万円 入賞(十作)……百万円
「あー、これ知ってる。よくニュースでもあってるよね」
告白じゃなかったのか。僕はがっかりしてパンフレットを返した。
現代では、死んだ人間の意識を人工のボディに移動させる技術が普及している。
劣化しない特殊なカルシウムのフレームとタンパク質を組み合わせた死人用ボディ。栄養摂取の必要はなく、排泄物も出ない。動力源は空気と光だけだ。
食事を楽しむことはできるが消化されず、食べた物は体内の超小型転送機によってゴミ処理場に転送される。たいていの死者は、自分の二十代頃の外見を再現したボディを選ぶ。
とまあ、昔の人間からすれば夢のような技術なのだけれど、死者がいつまでも居続ければ地球はすぐにパンクしてしまう。
その問題に世間が頭を悩ませていたところ、十五年前、地形や生物が存在しない『ナルスペース《null space》』という広漠とした世界を日本の国立研究所が発見した。
死んだ日本人はナルスペースに移住するようになったが、まだ開発はほとんど進んでいない。それで政府は広く一般に都市の設計図を募集して、最高のあの世を創ることにしたのだ。
「このコンテストに出す作品を一緒に作って欲しいんです」
海崎はパンフレットを元通り折り畳んだ。
「でもこれって、高校生じゃ勝てないんじゃない? 企業とかも参加してるし」
「青羽がアイディアを出して私が設計すれば勝てます。青羽は半年前の涅槃都市イメージアートコンクールで優勝したでしょう。月二十五万で私のために働きなさい」
今は十月二日だから、本選までの二ヶ月で五十万か。バイトとしては悪くないけど、同級生から報酬を受け取るのには抵抗がある。
海崎の突き出してくる紙幣を僕は押し返した。
「共同制作するとしても、お金なんか要らないってば。賞金もらったら山分けでしょ」
「賞金は私が全部もらいますよ?」
「えぇ!?」
「当たり前です。青羽の幼稚園児以下の絵には五十万でも高すぎます。そもそも、私は男と共同制作するのは嫌なんです。青羽は男に見えないから我慢して声かけてやってるんですよ」
腹立つなあ。絵については事実だけど、僕が男に見えないってのは言い過ぎだ。
そりゃ、中性的……、ではあるかもしれない。睫毛長くて、すね毛はなくて、郵便受けに手を突っ込んで家の鍵を開けられるほど腕も細い。でも身長は普通だ。小学生の頃と違って、もう道端で変質者に襲われることもない。
海崎は蔑むような目をして鼻で笑う。
「どうせ青羽は、私に告白されると思ってついてきたんでしょう? そして今は、共同制作してるうちに仲良くなってモノにできるかも、と思ってるんでしょう? 男って最低ですよね」
「お、思ってないよ!」
僕は顔が熱くなるのを感じながら全力で否定した。邪推の半分が当たっているのが、恥ずかしくて悔しい。
「残念でした、私は男なんか大っ嫌いなんです! 体を期待されてもあげるつもりはありません。代わりにお金あげますから、その辺で安い女でも買えって言ってるんですよ! 了解?」 ……最悪だこいつ。そこまで言わなくてもいいのに。
僕が怒りをこらえて立ち去ろうとすると、海崎は焦ったように叫んだ。
「ど、どこに行くんですか! もっと報酬欲しいんですか? いくら!」
「忙しいから無理なの。じゃーね」
僕はその場を駆け出した。
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