あの世開発プロジェクト

天乃聖樹

第1話・死者と魚

 流星群が降り注ぐ。

 太陽もなく、月もなく、雲一つなく、青空でさえない真っ白な空から。山はない、海はない、川もないしどんな地形もない、ここは虚無の世界『ナルスペース』。

 あるのはただ、無限に広がる平べったい白の大地に、突然現れたかのようにぽつんと並び立つビル群の街。そして流れているのは星ではなく、魚だった。

 アジ、マグロ、ウナギ、カジキ。ありとあらゆる種類の魚が空を飛ぶ。前方を見つめて腹びれをピンと張り、ビルに体当たりを繰り返す。

 それらの魚は図鑑の見本とはどこか変わっていて、目が三つあったり手が生えていたり数十匹が繋がっていたりしたが、なにより異常なのは、大きさがどれも人間の倍以上あるということだった。

 魚群が窓を叩き割って屋内になだれ込む。ビルの正面玄関から死者たちが悲鳴を上げて逃げ出してくる。

 生きた人間よりは丈夫な死人用ボディに意識を保存してあるとはいえ、痛いのは痛いし、重傷を負えば消滅は免れない。幸い老人も若いボディを使っているから、誰もが自力で走って逃げることはできた。

『落ち着いて避難してください! 皆さん落ち着いて! 落ち着いてください!』

 こんな緊急時には無理のあるお願いをスピーカーから響かせながら、ナルスペース警察のパトカーが幾台も到着する。パトカーを降りた警官たちはただちに発砲し、魚の群れを撃ち落としていく。

 鳴り渡る無数の銃声。乱れ飛ぶ魚の肉片や目玉。空気を満たす赤い霧。魚肉ソーセージを作る工場並みに生臭そうな光景が繰り広げられた。

 魚たちは建物への攻撃をやめて警官隊に襲いかかるが、飛び道具も盾も持っていないため、抗うすべもなく討ち死にする。

 圧倒的な火力で魚群をねじ伏せ、警官隊の完勝に終わるかと思えたときだった。白の大地に大きな亀裂が走り、地面を割って巨大なクジラが浮上した。

 ジャンボジェット三機分ほどのサイズで、人間に似た四個の眼球がぎょろつき、牙の生えた口からは真っ黒な息を吐いている。

 クジラは舞い散る魚の死体を掻き分けながらビルに突き進んだ。憂いを帯びた眼球が仲間の死を悼むかのように死体を追う。にわかに勢いを増し、ビルに頭を激突させる。窓ガラスが一気に何百枚と割れた。

 クジラが体当たりする度にビルは大きく揺れ、ヒビが広がっていく。このまま続けば倒壊してしまう。警官たちに銃撃され、黒光りする体から血がほとばしるものの、クジラは攻撃の手を緩めない。

 プロペラ音が響いて武装ヘリが近づいてくる。ヘリには体格のいい男が乗っており、側面のドアを開けロケットランチャーの砲塔を突き出していた。

 砲口が火を噴きロケット弾が放たれる。ロケット弾は真っ直ぐ飛翔し、クジラの頭に直撃して爆発した。華々しい花火が生じ衝撃波が周囲をさらう。魚群の死体は一掃され、黒煙が吹き上がった。頭部をえぐり取られたクジラは断末魔の叫びを上げて墜落する。

 テレビのリポーターが興奮も露わにマイクを握り締めてまくしたてた。

『いったいなにが起こっているのか、私にも分かりません! 分かるのは、急に奇妙な魚の群れとクジラが涅槃都市を襲い始め、それを警察の部隊が鎮圧しているということだけです!』

 これは生中継だ。リポーターはついさっきまで涅槃都市の街並みを紹介していた。

 武装ヘリが降下し、クジラを仕留めた男が飛び降りる。

「そこのお前! 撮るな! すぐにやめろ!」

 彼は声を荒げて駆け寄ってきた。リポーターは構わず喋り続ける。

『これらの生き物はなんなのでしょうか! 他国からの妨害? それとも宗教組織のテロでしょうか! いずれにせよ、一ヶ月後に差し迫ったコンテストには大きな影響が――』

「撮るなと言ってるだろうが!」

 男のごつい手がカメラを覆った。ガチャン、と機械の壊れる音。画面が真っ暗になり、スタジオの映像に替わる。

 ワイドショーの司会者が鼻の穴を広げて憤慨した。

「これは検閲ですね。当局が報道の自由を侵害するなんて、あってはならないことです。日本政府は説明責任を……え?」

 表情が変わった。カメラの向こうの視聴者ではなしに、スタジオの一点を見ている目つきになり、視線が左から右に走る。

 十数秒経ってから、司会者は咳払いした。満面の営業スマイルを浮かべ、優れた滑舌で話し出す。

「……失礼いたしました。カメラはこちらのカメラマンが落としてしまっただけのようです。魚群とクジラについては、ナルスペースに作られた生物研究所の実験体が逃げ出したとのこと。では、次のニュースに行きましょう」

 涅槃都市の報道を打ち切り、芸能ニュースに移った。若手アイドルが覚醒剤に手を出しただの、誰と別れただの、新しいドラマへの意気込みを語るだのといった、他愛もないコーナーが始まる。

 僕はテレビのスイッチを切った。

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