第六話 沐浴

 爆音のあとに残された試験場は、まだ濃い煙が立ちこめていた。

 灰白と淡い紫が入り混じった煙霧は、空中で渦を描き、ときおり風にかき乱されながらも、再び地面へ押し寄せるように沈み込み、演武台ほどの広さをまるごと呑み込んでいた。

 砕け散った石台の縁には、爆ぜて黒焦げになった金属片がいくつも転がり、かすかに火花を散らしながら、鼻につく焦げた匂いを放っている。

 夏侯昴(カコウ・すばる)、窣莪(ソア)、白蓮(ハクレン)の三人は、その煙を逆行するようにして柵内へ足を踏み入れた。

 「……今日の煙、昨日よりさらに色鮮やかですね。」

 窣莪が鼻を覆いながら、苦笑まじりに呟いた。

 白蓮は慣れた様子で昴の前に身を寄せ、飛散する破片から彼を守るように立つ。彼女にとって夏侯瓊(カコウ・けい)の試験場は、“危険区域”というより──「いつ爆音が鳴っても不思議ではない場所」にすぎなかった。

 煙の最も濃い中央に、ひときわ目を引く細い影があった。

 白い羽根を縁取った金細工の扇をぱたぱたと忙しなく揺らし、煙を追い払おうとしている。だが風向きが悪いのか、扇ぐほどに煙は逆流し、入口へ向かって流れ──ちょうど歩み寄ってきた昴の顔に、もこっとぶつかった。

 「げほっ、げほ……」

 昴は思わず顔を背け、咳を二つ。

 その影はようやく来客に気づいたようで、扇を振るのをやめ、手を翻して煙の流れを軽く変えた。

 すると、まるで指示を受けたかのように煙の渦が上へと巻き上がり、頭上にぽっかりとした円い空洞が開いた。

 そこから覗いたのは、やけに明るすぎる笑みだった。

 陽光のように輝く金の巻き毛は煙にまみれてもなお眩しく、宝石めいた青い瞳には、見慣れた悪戯っぽさが宿っている──夏侯瓊である。

 「やぁん、昴じゃない。こんなに早く来るなんて、偉い偉い。」

 彼女は扇を縦に構え、いかにも驚いたふりをする。

 「ちょっと煙吸っただけで咳こんじゃって。代理北王(だいりほくおう)たる者、もっと堂々としてなくちゃ。」

 「……あと一口扇が当たってたら、威厳どころか命が縮むところだ。」

 昴が呆れたように言うと、夏侯瓊はますます楽しそうに笑った。

彼女の姿は、煙まみれであっても隠しようがないほど華やかだった。

 すらりとした体つきは軽やかで、女性らしい曲線もあり、纏う雰囲気そのものがよく磨かれた宝石のように光を放っている。

 金色の髪、蒼い瞳──それはゴルディア王国(ゴルディアおうこく)の王族に特有の色彩であり、異国の血を持つ証でもあったが、夏侯家の者たちにとってはすでに「家族の一人」として馴染んだ光景でもあった。

 幼い頃、外交人質として百鳳帝国へ送られたゴルディアの王女。

 その後、夏侯家の庇護を受け、機関術と天鍛神治(てんたんしんじ)の才を開花させ、今や“夏侯家の天才機関師”とまで呼ばれる少女──それが夏侯瓊である。

 白蓮(ハクレン)は一歩前に出て、礼を取った。

 「瓊お嬢様(けいおじょうさま)、ただいまの爆音……北王府(ほくおうふ)全域が揺れました。

  若様(わかさま)もご心配になり、直ちに確認に参りました。」

 「まぁ、白蓮も来てくれたのね。」

 夏侯瓊はぱちんと扇を閉じ、目を細める。

 「そんな怖い顔して。北王府が丸ごと吹き飛ぶんじゃないかって思った? それとも──わたしの身が心配だった?」

 白蓮は返答に迷ったが、その横から窣莪が淡い笑みを浮かべて口を挟んだ。

 「どちらも、でございますよ。

  北王府が吹き飛べば若様の執務場所がなくなりますし……

  瓊に何かあれば、若様の新しい聖鎧(せいがい)を作れる方がいなくなってしまいますから。」

 この絶妙な受け流しで、会話は自然に本題へ戻る。

 夏侯昴は軽く息を整え、静かに問いかけた。

 「で……今回は何を試していて、どうしてこの色の煙が出た?」

 「さすが昴、話が早い。」

 夏侯瓊は満足そうに頷き、扇を“ぱん”と打ち鳴らす。

 「安心しなさい、敵の毒煙じゃないわ。

  あなたの“第二の皮膚(スキン)”が、ちょ~~っとだけ暴れただけ。」

 「……第二の皮膚?」

 昴が眉を寄せる。

 「そう──聖鎧よ。」

 夏侯瓊は扇をくるりと回し、指先で空中を軽くなぞった。

 「あなた用に造ってる新しい仿製型(ぼうせいがた)聖鎧。その核心部──“鎧魂萃(がいこんすい)”が、ちょ~~っとだけ機嫌を損ねたの。」

 白蓮はその“ちょっと”を信じていないように眉を動かしたが、夏侯瓊は気にせず話を続けた。

右手の虎口に巻かれた白布──本来なら白く滑らかな指が、いまは黒煙に燻され、滲んだ血が薄く染み出している。

 「鎧魂萃(がいこんすい)……」

 昴(すばる)の表情が引き締まる。「仿製型(ぼうせいがた)聖鎧(せいがい)の核心部か?」

 夏侯瓊(カコウ・けい)は満足げに頷き、眼差しに誇らしさを宿らせた。

 「その通り。仿製型の聖鎧は、ただの金属甲冑とは違うわ。適当に鉄板を貼りつけて戦場に出たら、即死するだけ。」

 彼女は授業をするように扇を持ち上げ、空にすっと線を描く。

 「本物の仿製聖鎧には、まず二つの石が必要──“缚魂石(ばくこんせき)”と“萃魂石(すいこんせき)”。」

 「缚魂石は鎧の“骨”。持ち主の魂を鎧と結びつける基礎。

  萃魂石は“心”。持ち主の気と意志を圧縮し、核に変える。」

 「そこへ、“輝烬血(きじんけつ)”という特殊な液体金属を注ぎ、全体を鋳固める。」

 ひと呼吸おいて、彼女はぱちりと片目をつむり、昴へ悪戯めいて微笑んだ。

 「そして最後に──“昴本人の精血”が、ほんの少しだけ必要なの。」

 扇が彼の胸元を軽く指す。

 「主の血がなければ、鎧魂萃は主を認めない。

  認めていない鎧魂萃なんて……ただの、いつ爆発するかわからない金属塊よ?」

 窣莪(ソア)は横で小さく息を呑み、薄く震える指を握りしめた。

 この話を聞くのは初めてではない。だが、何度聞いても、まるで禁じられた秘術を覗き込んでいるような背筋のざわめきがあった。

 夏侯昴は黙考し、ゆっくりと視線を落とす。

 「つまり……今回の爆発は、主の血を得ていない鎧魂萃が暴走した結果か?」

 「半分正解。」

 夏侯瓊は口元を緩め、扇で“扇打ち”しながら笑う。

 「もう半分は──わたしが欲張ったから。」

 彼女は横に転がった、歪んだ金属フレームを軽く叩いた。

 「このロットの鎧魂萃の基材は、師匠・夢瑜(ムーユ)から譲り受けた最新素材“無式拾式改(むしきじゅうしき・かい)”。

  前の世代より安定してて、しかも軽い。東皇(とうこう)の帝国鳳翎隊(ほうれいたい)も、いまはこの配合を使ってる。」

 「鳳翎(ほうれい)……」

 昴は小さく名を繰り返し、何かを思い返すように眉を寄せる。

 横で白蓮が補足した。

 「“金雀(キンジャク)”殿率いる、帝国の精鋭部隊でございます。」

 「ええ。」

 夏侯瓊の目がふっと和らぎ、少し誇らしく、少し懐かしげに細められた。

 「わたしの旧友──あのカナリー。

  今じゃ帝国最強クラスの副隊長よ。彼女の鎧も、師匠が直々に改造した特注品。」

 「……だからと言って、東皇に“カナリー”なんて呼び名が伝わったら揉め事になりますよ。」

 窣莪(ソア)が苦笑混じりにツッコむ。

「はいはい、窣莪の言うとおり。」

 瓊はぱちんと扇を閉じ、話を戻す。

「とにかくね、鳳翎隊と同じ最高素材、それに、この前テスト済みの《紫霞(しか)》も白蓮が実戦で確認してくれた。だから――昴に作るなら、もっと凄いものじゃないとダメでしょ?」

 白蓮は静かに頭を下げる。

 紫霞の力を思い返し、わずかな敬意が瞳に浮かんだ。

 

「……で、結局なぜ爆ぜた?」

 昴が問い直す。

 瓊は扇の先で自分の頬をとん、と突き、得意げに言った。

「実は――あなたの鎧に、追加で“もうひとつ”機能をつけたのよ。」

「追加……?」

「これ。」

 瓊は扇を背後で大きく広げる動作をし、

「飛翼(ひよく)。」

 と告げた。

「飛翼……!?」

 昴と白蓮が声をそろえる。

「そう。字のまんま。“飛ぶ翼”。」

 瓊の瞳がぱっと輝いた。

「身体強化の軽い跳躍じゃなく、本当に空を滑空し、ある程度の高度で方向転換までできる――“空戦補助翼”よ。」

「……それ、夢瑜聖者ですら完成させていないはず。」

 白蓮が驚きを隠さず言う。

「もちろん。」

 瓊は胸を張る。

「師匠は東皇で帝国大学士、忙しくてこういう“遊び”に時間を割けないの。わたしみたいに試験場に引きこもってるわけじゃないから。」

 軽口めいているが、その右手の包帯にはまた新しい血が滲む。

「飛翼のエネルギーが、受け皿を壊した……?」

 昴が問う。

「まあ、そういうこと。」

 瓊は包帯の手をわずかに上げるが、傷が痛んだらしく扇で素早く隠した。

「飛翼を展開させるには、まず“主(あるじ)”を決めて鎧魂萃を落ち着かせないといけない。主がいない状態だと、力が暴れて当然よ。」

 そして、にやりと昴を見つめる。

「せっかく来たんだし――今日、血をもらっていくわよ。」

「……さっきの爆発、やっぱり僕のためだったのか。」

「当たり前でしょ。」

 瓊は肩をすくめた。

「代理北王(だいりほくおう)なのに、専用聖鎧(せんようせいがい)の一つもないなんて聞いたら、国中の笑い者よ?

 北王家の伝家“火の無極鎧(むきょくがい)”は歓(かん)が持っていったし……なら、わたしが作るしかないじゃない。」

 昴は短く息を呑み、深く一礼した。

「……瓊。ありがとう。」

 一瞬、瓊の表情が止まる。

 次の瞬間、わざと大げさに扇をぱっとかざし、照れ隠しのように笑った。

「ちょ、ちょっと! そんなに真面目に言われると逆に困るじゃない……!」

 そして、扇の先で昴の肩を軽くつつく。

「お礼がしたいなら――」

「『瓊(けい)お姉ちゃん』って呼んで?」

 直後、窣莪が

「瓊お嬢様。」

 と柔らかい声音で割り込む。

「若様の公的呼称を急に変えると、朝臣が混乱いたしますわ。」

「……また窣莪に止められた。」

 瓊は頬をふくらませるが、本気で怒ってはいない。

「まあいいわ。ほら、血だけさっさと取らせて。」

昴が指先を差し出す。

 細い針が皮膚を破る瞬間、

 窣莪は思わず小さく息を呑み、そっと彼の手首に触れて支える。

 赤い血が数滴、輝烬血(きくんけつ)の入った金属杯に落ち、

 瞬時に暗紅へと溶け合った。

「これでよし。」

 瓊は杯を錬成炉へ入れ、ぱちんと扉を閉じた。

「鎧魂萃の定型が終わったら、次は契約に合う“霊獣(れいじゅう)”探しね。

 昴、次に来るときは――」

 にこりと笑う。

「あなたの鎧を『着せる日』よ。」

 昴は黙って頷いた。

二人と別れたあと、昴は窣莪に促され、北王府(ほくおうふ)奥の温泉へ向かった。

 そこは 夏侯家の血を引く者だけが使える浴場 で、

 地脈に沿って湧く湯には独特の硫香がある。

 重負の訓練服を脱ぎ、合金の板を外してもらうたび、

 からだがわずかに軽くなる。

「指、まだ痛みますか?」

「……もう大丈夫だ。」

 昴が答えると、窣莪は何も言わず薬膏を塗り、

 そのまま――ほんの一瞬迷ったのち、

彼の指先を唇にふれて、そっと舐め取った。

 薬膏を広げるためか、

 それとも “糟糠(そうこう)としての親密な奉仕” か――

 どちらともつかない、静かな仕草。

 湯へ入ると、蒸気がゆらぎ、世界の輪郭がほどけていく。

 窣莪は背後に膝をつき、

 昴の肩、首筋、背中を丁寧に指でほぐしながら言った。

「若様……今日は、いつもよりお疲れに見えます。」

 昴は長い沈黙のすえ、低く呟いた。

「女奴(じょぬ)たちの処遇……聞いていたな。」

「ええ。」

「どの決断も、誰かに責められる。

 北国(ほっこく)の情勢も揺れている。

 南国(なんごく)は浊潮(だくちょう)で援助を求め、

 東皇はいつ口実を作って介入してくるかわからない。」

 彼は湯を掬い、こぼれる水滴を見つめながら言う。

「――僕で、本当に支えきれるのか?」

 窣莪はそっと身体を寄せた。

「……歓(かん)様と比べる必要はありません。」

「……」

「歓様は、烈火のようなお方。

 けれど烈火は、危機を焼き払うと同時に、

 すべてを灰にもしてしまうことがあります。」

 窣莪は湯面をそっと撫で、波紋を広げる。

「若様は……水のようなお方です。」

「水?」

「はい。

 目立たなくても、静かでも――

 血も、痛みも、じわじわと洗い流し、

 時間をかけて癒していく。」

 昴は、小さく息を飲んだ。

「……窣莪がいなければ、

 僕はこんなこと、誰にも話さなかった。」

 窣莪は微笑み、彼の肩をそっと抱いた。

 二人の距離は、限りなく近かった。

 そのとき――

「やっぱりここにいたのね!」

 ぱたぱたと軽い足音。

 そして何のためらいもなく浴場の戸が開いた。

 金色の髪をざっくり結い、

 浴衣の上から大判のタオルを羽織った 夏侯瓊 が入ってくる。

「ちょ、ちょっと瓊……!」

 昴は湯に沈みこむように身を縮めた。

「なに照れてるの。ゴルディアでは家族みんなで入るものよ?」

 瓊は当然のようにタオルをゆるく体に巻き、

 ざぶんと湯へ沈む。

「それに、浴場ってね、身分も肩書きも脱ぎ捨てて、

 本音で話す場所なのよ。

 ――ね、昴?」

 昴は返事に困り、視線をそらす。

 窣莪はすぐ表情を整え、穏やかに言った。

「瓊お嬢様も、お身体に煤がついていましたし……

 温泉に浸かるのは良いことです。」

「でしょ?」

 瓊は肩まで湯に沈み、満足げに息をついた。

「そうそう昴、さっき血を取ったときは堂々としてたのに……

 どうして今になって恥ずかしがるのよ?」

「それは“仕事”だったからだ……!」

「今だって仕事よ?

 将来の鎧主(よろいぬし)を、最高の状態にしておく大事な工程なんだから。」

 瓊はどこから持ってきたのか、

 薬湯粉の瓶をしゃらんと振った。

 薬粉が湯に溶け、薬香がふわりと広がる。

 三人の間に、いつものような賑やかな空気が戻っていった。

やがて湯から上がるころには、

 東の空はすっかり明るくなっていた。

 万花林(ばんかりん)の香風が浴場に流れこみ、

 薬湯と混じり合って爽やかな香りを作る。

 瓊はタオルを巻き直し、ぐっと伸びをした。

「よし、今日の爆発はこれで終わり!

 飛翼(ひよく)の調整が片づいたら、昴――

 あなたに“試飛(テストフライト)”してもらうからね。」

 昴は静かに頷く。

 窣莪はそっと時間を確認した。

「若様……そろそろ日朝(にっちょう)のお時間です。」

 新しい一日が、聚香(ジュコウ)に昇る光の中で幕を開けた。

 どんな風波が待っているのかは、まだ誰にもわからない。

 しかし――

 この短いひととき、

 夏侯昴は確かに 安らぎと支え に包まれていた。

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