第五話 晨練

 朝の聚香(ジュコウ)は、薄い霧に包まれていた。

 陽はまだ昇りきっておらず、城壁の文様だけが朝の光を受けて、ほのかに艶を帯びている。遠くに広がる万花林(ばんかりん)は輪郭を霞ませ、一面の枝葉が波のようにうねっていた。ときおり林のほうから花の香りを含んだ風が吹き抜け、城郭をかすめ、街路を抜けて、北王府(ほくおうふ)の内側へと流れ込んでいく。

 聚香という都は、もともと戦のために築かれた場所ではない。

 「香」のために生まれた都だ。

 最初は、香料や薬草を育てるのに適した小さな盆地にすぎなかった。そこへ数人の香師と薬師が根をおろし、貴族たちに求められる香膏や薫香、薬香を練り上げていたのだ。やがてその名が広まると、南北から商人が集い、町はやがて城へと姿を変える。そして北王が王府を移したことで、ここは北国(ほっこく)における権力と富の集まる中心地となった。

 その北王府の内院。

 朝の冷気がまだ色濃く残るなか、ただ一ヶ所──練武場だけが、すでに人の声と武器の音に目を覚ましていた。

 澄んだ棍(こん)の音が、冷たい空気を裂く。

「はぁっ──!」

 少女の気合いに、ほんの少し力みと焦りが混ざる。

 李剣蘭(リ・けんらん)は両手で練武用の長棍を握りしめ、型どおりに振り下ろすたび、わずかに呼吸が乱れていく。額には汗が滲み、頬に貼りついた黒髪が、その狼狽を隠しきれない。もともと華やかな顔立ちだけに、その必死さはどこか愛嬌にも見えた。

 彼女の相手をしているのは、父であり北王府の総管でもある李鎮厳(リ・ちんげん)だ。

 鎮厳の棍は派手さも妙技もない、一見すると極めて平凡な動きに見える。だが、一度棍が動けば、そのすべてが要を抑え、相手の呼吸と気の流れを正確に突いてくる。一歩踏みこむだけで、地に根を張ったように足が動かない。棍を片手に持っているだけなのに、その一線を越えることすら難しい。

「もう一度だ。」

 娘がまたじりじりと後退すると、鎮厳は冷たく言い放つ。

 剣蘭は唇を引き結び、もう一度踏み込んだ。

 下段から上へと払う棍は、それなりの勁もあり、筋も通っている。腰は柔らかく、腕もある程度鍛えているのがわかる。ただ、心が焦り、呼吸が整わない。

「足下だ。」

 鎮厳が低く一喝し、棍をわずかにひねった。

 棍の先が、軽く剣蘭の足首をすくい上げたように見えた、次の瞬間──

「きゃっ──!?」

 重心があっさりと消える。

 剣蘭はくるりと宙を回り、そのまま尻もちをついて四肢を投げ出し、手から離れた棍はごろごろと転がって練武場の端で止まった。

 ほんの一拍、状況が理解できずに固まったあと、自分の格好がどれほどみっともないかを悟り、彼女の顔は一気に湯気が上がるほど真っ赤になる。

「い、いたたた……! 父上、手加減ってものを……! 女の子にこんなことしていいと思ってるの!?」

 練武場の周りに控えていた小間使いたちは、互いに目を見合わせ、こっそりと笑いを飲み込んだ。

 誰もが知っているのだ。総管の一人娘は性根が悪いわけではないが、口が軽く、度胸だけは一人前だということを。

 李鎮厳は、娘の不満など意に介さない様子で、さらに眉根を寄せた。

「今のは棍の先でお前の重心を軽く突いただけだ。」

 その声は硬い。「それすら支えられずに転ぶようでは、総管の娘とはとても呼べん。」

 剣蘭は唇を尖らせながら立ち上がり、服についた砂を払いつつ、しぶしぶ棍を拾う。

「だって、もともと私は女の子なんだし……。」

 小声でぶつぶつ言う。「こういう殴ったり叩いたりするのより、裁縫とか、香袋作りとかのほうが向いてると思うの。将来お嫁に行くときだって、誰も“棍術が上手いから”ってお嫁さんにするわけじゃないでしょ。」

 鎮厳のこめかみがぴくりと震えた。

「『女の子』を盾にするな。」

 低い叱責が落ちる。

「お前は李家の娘であり、夏侯家の旁支でもある。幼いころから王府で育ち、衣食に不自由なく過ごしてきた。いざというときに立つ力もなく、誰かに守られてばかりでは、恥をかくのは誰だと思う?」

 剣蘭は少しだけ肩をすくめ、目を泳がせた。

 そして、ふと思いついたように口を開く。

「じゃ、じゃあさ。いっそ私を歓哥(かんに)のお嫁さんにしちゃえばいいじゃない。」

「そうすれば、ずっと北王府に残って、夏侯家のために“貢献”できるでしょ?」

 言いながら、彼女の脳裏には、現北王・夏侯歓(カコウ・かん)の顔が鮮やかに浮かぶ。

 軽く笑えば場の空気が一変するような、あの奔放な笑み。

 どんな状況でも、「まあどうにかなるさ」とでも言いたげに肩の力を抜いていながら、肝心なときにはすべてを背負って立つ背中。

 それは、剣蘭が幼いころから抱き続けてきた「理想の男」の姿そのものだった。

「お前というやつは……!」

 鎮厳は一瞬言葉を失い、次いで、ひくりと頬を引きつらせながら娘の頭を軽く小突いた。

「歓若様(わかさま)がどれほどの御方か、わかっていて言っているのか。今や名目上とはいえ北王であり、先代北王が床の上で直々に託された御身だぞ。それに──」

 声を落とし、きつく言う。

「歓若様が本当に想っている相手が誰なのか、王府の下働きですらみな察している。お前自身も知らぬわけではあるまい。」

 剣蘭は、その一言に、ぐっと言葉を詰まらせた。

「……知ってるよ。」

 俯いたまま呟く。「でも、それでも……仰慕するくらい、いいでしょ? あんな男の人、好きにならないほうが難しいってば……。」

 そこまで言ったところで、自然と口調が柔らぐ。

「強くて、かっこよくて、何もかも気にしてないような顔しながら、肝心なところでは全部背負ってくれて……。」

 幼いころから、彼女の胸の中で「英雄」として形づくられてきた影。

 鎮厳は、もう一度、今度は少しだけ力を抜いて息を吐いた。

「強さは大事だ。」

「だが、歓若様の今の振る舞いを見てみろ。北王としての責を負った身でありながら、勝手に黄金大陸(おうごんたいりく)へと出立し、北国の政のほとんどを昴若様(わかさま)に委ねきりだ。」

 剣蘭は、何も言い返せずに黙り込んだ。

 彼女にとって、夏侯歓はあくまで「憧れの人」だ。

 しかし「北王」という器を思い描くとき、真っ先に浮かぶ顔は別にある。

「昴哥(すばに)だって、十分すごい人だよ。」

 しばらくしてから、もごもごと言う。「頼りになるし、優しいし、誰に対してもきちんとしてるし……。」

 そして、正直すぎるひと言を付け足した。

「……ただ、真面目過ぎて、たまに話してると眠くなるのが難点なんだよね。」

「こら。」

 鎮厳は容赦なく、もう一度こん、と棍で娘の頭を軽く叩いた。

「それ以上余計なことを言うなら、水桶を担いで立禅でもさせるぞ。」

「わ、わかったから! それだけは勘弁して!」

 剣蘭はあわてて頭を押さえ、ぴょこぴょこと父の周りを逃げ回る。その最中、ふと視線を横へ向けた瞬間、動きがぴたりと止まった。

 練武場の一角。

 そこには、夏侯昴(カコウ・すばる)の姿があった。

 そこだけ、地面には余計なものが何も置かれていない。

 広くとられた空間の周囲には、重厚な機関弩がいくつも据えつけられていた。鉄の弩腕は朝日に鈍く光り、今にも矢を吐き出そうとする獣の顎のようだ。

 夏侯昴の着ているのは、特製の武練服だった。

 一見すると布地の少ない、動きやすさ重視の軽装に見える。しかし、その内側には、薄く加工された合金の板が何重にも縫い込まれている。全体の負重は三百斤に達していた。

 それでも、彼の背筋は真っ直ぐに伸びている。肩は前にも後ろにも傾かず、無理な力みもない。それは、長年にわたり重いものを背負う者にしか身に付かない姿勢だった──どれほどの重みを一身に受けようとも、他人の目にはなるべく悟らせないという、静かな矜持。

「機関弩、準備!」

 操弩役の兵が号令をかけると、暗がりに隠された歯車が一斉に回りだした。

 弩弦が引き絞られ、きしむ不穏な音が練武場の一角に積もっていく。

 夏侯昴は、ふぅ、とひとつ息を吐いた。

 足をほんの少しだけずらし、構えを固定する。その立ち姿に、遊びや迷いはなかった。

「始めろ。」

 短く告げた声と同時に、矢が放たれる。

 一秒に三十六射。

 十秒間途切れることなく続く矢の雨が、狭い空間を完全に覆った。矢羽と空気が擦れ合い、鋭い悲鳴のような音があたりに満ちる。それは、耳をつんざく雷鳴を押しつぶして詰め込んだかのような、密度の高い殺意だった。

 剣蘭は思わず息を呑む。

 ──自分なら、一瞬で串刺しだ。

 そう思わずにはいられなかった。

 だが、夏侯昴はただ目を上げるだけだった。

 その瞳には、派手な炎のような色はない。

 だが、その奥底には、長年積み上げた鍛錬と、北国の政務と夏侯家の名を背負い続けてきた者だけが持つ、静かな鋭さがあった。

「神我心意流(しんがしんいりゅう)──」

 低く、しかしはっきりとした声が漏れる。

「王龍式奥義(おうりゅうしきおうぎ)……王龍連弾(おうりゅうれんだん)。」

 次の瞬間、彼の全身に纏う気が一気に爆ぜるように膨れ上がった。

 力は足裏から立ち上がり、脚へ、腰へ、背へ、腕へと連なっていく。

 それは、何度も何度も繰り返して磨かれた「ひとつながりの流れ」だった。余計なものをそぎ落とし、ただ「撃つ」ためだけに研ぎ澄ませた線。

 一撃目の拳が、正面から迫る矢の束へと突き出される。

 ドン──ッ!

 音が鳴った。

 空気が爆じたような低い衝撃音とともに、矢がまとめてへし折られる。

 二撃、三撃、四撃──。

 拳が次々に繰り出されるたび、矢の束が砕け、弾かれ、絡み合いながら地に落ちていく。拳の軌跡は目で追えるか追えないかのぎりぎりで、残像だけがいくつも重なって見える。

 十秒は、短いようで長い。

 命のやりとりの場ではなおさらだ。

 全ての矢が撃ち尽くされ、機関弩が「カチリ」と乾いた音を立てて停止したとき。

 夏侯昴は、その場から一歩たりとも動いていなかった。

 胸の上下は先ほどよりもわずかに大きい。

 だが、その周囲三尺の地面には、一本たりとも矢が突き立っていない。

 矢は、すべて折られて、足元に散らばっていた。

 その散乱した破片の輪が、まるで「ここから先へは一歩も通さない」という意志の線を描いているかのようだった。

 李鎮厳は、思わず感嘆の息を漏らす。

「……四天の力、完全に自家薬籠中というわけか。」

 老練な武人の目には、それがはっきりと映っていた。

 これは、もはや「若くして有望」という程度で語れる領域ではない。ひとつ上の段へ足をかけた「強者」の姿だ。

 あとは、その先──五天へ到るだけ。

 剣蘭は、ただぽかんと口を開けていた。

 さっきまで、父に転がされて尻を打っていた自分と同じ「夏侯家の人間」が、こうして矢の乱舞を前にして一歩も退かずに立っている。

(……そりゃあ、昴哥が“退屈”に見えるのも、ある意味贅沢な悩みだよね。)

 ふと、そんなことを思ってしまう。

 歓の放埒さに憧れながらも、

 「王」という字を思い浮かべたときに、自然と浮かんでくるのがどちらの背中なのか。

 その答えに、彼女自身も気づいていた。

 夏侯昴は、ゆっくりと息を吐き出し、拳をおろす。

 肩の力をほんの少し抜いた、そのタイミングで。

「若様、お疲れ様でございます。」

 柔らかな声が、そっと近づいてきた。

 糟糠(そうこう)の侍女・窣莪(ソア)が、きちんと畳まれた手拭いを盆に載せて歩み寄ってくる。彼女の動きはいつも静かで、決して主の視線を遮らない。それでいて、必要なときには必ずそこにいる。

 顔立ちは、誰もが振り返るような絶世の美貌ではない。

 だが、見つめていると胸の底からじわりと落ち着きを呼ぶような、穏やかな美しさを持っていた。瞳は澄み、微笑は控えめで、立ち居振る舞いには大きな家に仕える侍女としての礼儀と、ひとりの女としての繊細さが同居している。

 糟糠という身分は、侍女の中でも特別だった。

 名家の若様に幼いころから付き従い、衣食の世話だけでなく、修行の相手ともなり、時には肉体の鍛錬と性の手ほどきにおいても最初の相手となる。主が栄えるときも、落ちぶれるときも、決して見捨てずに寄り添うことが求められる──いわば、「生涯を共にする」ことを約束された存在。

 窣莪は、夏侯昴がまだ王府の一隅で木剣を振っていた少年のころから、ずっと傍に仕えてきた。

「今の機関弩、矢の速度が前日よりも明らかに上がっております。」

 窣莪は手拭いを差し出しながら、わずかな不安を滲ませる。「これ以上、正面から受け続けるのは……あまり無理をなさると。」

 夏侯昴は手拭いを受け取り、額と頬の汗を軽く拭う。

「まだ、耐えられる。」

 声は低く落ち着いているが、そこに虚勢の色はない。

「兄上に比べれば、これしき大したことはないさ。」

 歓の名を出したその眼差しには、敬意と複雑さが同居している。

 剣蘭にとっての夏侯歓は、遥か遠くの憧れの的であり、

 夏侯昴にとっての夏侯歓は、少年のころから背中を追い続け、なお追いつけないまま立ち尽くすことを何度も強いられてきた「兄」そのものだった。

「できることなら、機関そのものをさらに改良してほしい。」

 昴は淡々と言う。「矢の数も、威力も、もっと上げていい。そのほうが、限界を探りやすい。」

 窣莪は、静かに頷いた。

「でしたら、後ほど瓊お嬢様に、若様ご自身からお願いしてみてはいかがでしょう。」

「瓊お嬢様なら、若様のご要望を聞けば、きっと目を輝かせて、新しい“玩具”を作ってくださるはずです。」

 夏侯瓊(カコウ・けい)。

 夏侯家きっての奇才であり、危険な発明を次々と生み出す変人でもある。

 夏侯昴は、その名を聞いて、口元にわずかな苦笑を浮かべた。

「……そうだな。」

 そう答えかけた、そのとき。

「護衛隊、帰還!」

 甲冑の触れ合う音とともに、凛とした女の声が練武場の入り口から響いた。

 白蓮(ハクレン)が隊を率いて戻ってきたのだ。

 彼女はまだ鎧を脱いでおらず、顔には夜通しの行軍と戦闘の疲労が色濃く残っている。それでも背筋は真っ直ぐで、その姿は雪原に突き立った一振りの剣のようだった。

 白蓮は夏侯昴の前まで進み出ると、片膝をついて礼を取る。

「若様(わかさま)、昨夜の巡邏の折に思わぬ事態が発生し、おおよそ原因と経緯が判明いたしましたので、ご報告に上がりました。」

 夏侯昴は小さく頷き、起立を促す。

 白蓮は立ち上がり、昨夜の出来事──暴雉獣(ぼうちじゅう)の襲撃、菖蒲(しょうぶ)の無理な合神とその反動、阿虫(あむし)と西門鼎(シモン・かなえ)の素性と逃走、そして女奴の一団をめぐる一連の顛末を、端的に、しかし漏れなく語っていった。

 とりわけ、「本来なら律に従って国境の外へ追放すべき女奴たちを、菖蒲の命で一時的に北王府預かりとした」場面を話すとき、彼女は一拍だけ言葉を選ぶように間を置いた。

 夏侯昴は黙って聞き、眉間の皺も大きくは動かさなかった。

 ただ、その瞳の奥に、何かを量るような静かな光が宿る。

「……もともとの規定では、不法越境者はすべて国境の外へ送り返す、だな。」

 確認するように呟く。

「はい。」

 白蓮は頷く。「火種になりうる者を極力抱えこまず、東皇側に言いがかりの口実を与えないための措置です。」

「だが、今はもう……。」

 昴は、ゆっくりと言葉を続けた。「彼女たちはすでに聚香の中にいる。その出自も、背負っている罪も、その後の生死も──もはや『追放』の二文字だけで片づけることはできない。」

 昴は結論を焦らず、静かに息を吐いた。

「この件は律の問題であると同時に、人心の問題でもある。」

「本日の日朝(にっちょう)で一度すべての事情を明かし、朝臣たちと共に議した上で、正式な処し方を決めよう。」

「承知いたしました。」

 白蓮は深く頭を下げる。

 彼女にはわかっていた。

 若様が優柔不断な性格ではないということは。

 だからこそ、簡単に「規定通りに処せ」と言い捨てることもできたはずなのだ。にもかかわらず、一群れの、何の後ろ盾もない女奴たちのために、あえて朝堂にひとつ新しい議題を持ちこもうとしている。

 それは、決して軽い選択ではない。

 練武場の鍛錬は、ひとまずひと区切りとなった。

 兵たちは順に場を離れ、李鎮厳も剣蘭を連れて、朝の授業の準備のために退いていく。剣蘭は連れられていきながらも、何度も振り返って、昴の背中をちらちらと盗み見た。

 窣莪は、報告が済んだのを見計らって一歩前に出る。

「若様、そろそろご入浴とお着替えをなさいますか?」

「日朝のお時間も近づいております。」

 夏侯昴は頷き、口を開こうとした──その瞬間。

 ドゴォォン──ッ!!

 地面が小さく震えるほどの轟音が、王府の奥のほうから響きわたった。

 続いて、空高く灰色の煙柱が立ちのぼる。その中には、目が痛くなるような紫と青の火花が混じっていた。

 白蓮は、ほんの一瞬だけ眉をひそめる。

 あの色で、どの区画の、どの試薬が暴れたのか、おおよその見当がつく。

 近くにいた下働きの者たちは、あからさまに顔色を変えた。

「ま、また……! あの、瓊お嬢様の試験場のほうから……!」

「き、きょうは何が爆ぜたんだ……?」

 中には、その場で膝をつきそうになる者までいる。

 窣莪は小さくため息をついた。

 その吐息には諦めと慣れと、少しばかりの親しみが入り混じっている。

「……どうやら、瓊お嬢様の研究に、また新しい“進展”があったようですね。」

 あえて「爆発」という言葉を使わないあたりに、彼女なりの優しさがあった。だが、北王府の事情を知る者たちは皆、理解している。

 王府の実験場で、三日続けて違う色の煙を上げられる人物は、夏侯瓊ただ一人であるということを。

 夏侯昴はこめかみに手を当て、わずかに眉をもむ。

「……今日も、何かの限界に挑んでいるのだろう。」

 誰も、その「何か」が具体的に何なのかはわからない。

 だが、ひとつだけ確かなことがある。

 ──あの実験場から煙が上がる限り、北王府に退屈は訪れない。

 夏侯昴は、ほんの一瞬だけ考えこんだあと、結局こう言った。

「先に様子を見に行こう。」

 その声には、責める色はなく、ただ少しだけ、兄弟を見守る者ならではの苦笑が混ざっている。

 白蓮はすぐさま拱手し、同行の準備を整える。

 窣莪は、自然な仕草で昴の横に並んだ。

 そして、練武場の隅で様子を窺っていた小者たちは、揃って息を飲む。

 北王府で、鉄の塊を「花の形」に爆散させることができる才媛はただ一人。

 それが、才貌兼ね備えた危険な天才にして、若様にとっては「少し手のかかる姉」のような存在──夏侯瓊(カコウ・けい)だった。

 この日もまた、聚香の空には、瓊お嬢様の研究成果を告げる煙がのぼる。

 そして、その煙の向こうで、北王府の者たちの一日が、いつものように騒がしく幕を開けていった。

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