第8話 邂逅
ダリアによってその場は収められた。ボスの指示であればマルセルも受け入れるしかない。
ジークとチアヤは客人として黒いセダンの後部座席に通された。
ダリアが再び助手席に乗り、車は発進する。
「一本吸わせてもらうよ」
言うや否や、ダリアはマッチを擦ってすでに咥えてある煙草に火を点ける。
使い終わったマッチを備え付けのトラッシュケースに捨てたダリアは、煙草を左指で摘まんで燻らせた。
「しかし驚いたよ。あんたらみたいな年端のいかない少年少女が《調停官》だなんて……皇政府は俺ら《ファミリー》以上にイカれてるな」
「あんたらも似たようなもんだろ。組織なんてどこも同じようなもんだ、人間様が運営してる限りな」
「人間がお嫌いなようで……
「さあね。まあ、
外の景色を眺めながら、ジークは適当な相槌を打った。
ダリアは再び煙を吹かし、こう続ける。
「ここまで話しといてなんだが、自己紹介がまだだったな」
「ダリア・ロッソ――弱冠三十歳にしてボスの相談役である《最高顧問》を務める《ロッソ》の実質ナンバー2」
先回りして、ジークは彼の素性を言ってみせた。ダリアは『お手上げ』のポーズを取って薄く笑う。
「名前を憶えられてて光栄だよ。ありがとう、ジークフリート・ローズエンデ君」
逆に自らの名前を言い当てられたが、ジークもまた驚くことなく応じる。
「さすがの情報力だな」
ダリアは、ダッシュボード上の灰皿に煙草の灰を落としつつ答える。
「《調停官》は有名人だからな。《魔術師》にとっちゃ、否が応でも気になっちまう高嶺の花みてえな存在さ」
「転職するか? うちのボスに掛け合ってやってもいいぜ」
「非常に魅力的な話だが――遠慮しとくよ。今の職場、結構気に入ってるんでな」
ダリアは肩をすくめて冗談めかすが、ジークは何気なく発せられたある一言を聞き逃さなかった。
「あんたが《魔術師》だって話……本当なんだな」
「ああ……まあな」
ダリアも真剣な顔になって頷く。
「組織で《魔術》が使えるのは俺だけだ。《精霊魔術》はこの町の人間から受けがよくてな。だが、別系統の《魔術師》だったらこうはいかなかっただろう。それこそ、今頃あんたらの同僚だったかもな」
再び軽口を叩くダリアだったが、ジークは真剣な様子のままこう口にする。
「さっき、《空間転位魔術》を使う少年に会った」
「マルコだろ? 俺があんたらを迎えに来れたのはあいつのおかげさ」
――あのガキ、俺達のこと速攻チクりやがったな……。
内心毒づくジークだが、口にはしない。
「マルコの《魔術》は確かにすごい。が、まだまだ使いこなせてない。長きに渡る修練が必要だ」
「……同い年くらいのガキに殴られてたぞ」
「そんなこと、この町じゃ日常茶飯だ」
ダリアは読めない表情で言い放つ。
「《魔術》の素質を持って生まれた人間にとって、ここエリーセほど肩身の狭い町はないだろう。だから、大抵の《魔術師》はこの町に寄りつかない……マルコも早いとこ町を出てった方がいい」
「病気の母親がいるとか言ってたが」
「ああ。だが結局な、一番の問題は本人が町を出たがってないってことなんだ」
ダリアとしても、この件についてはある種の難しさを感じていた。
「怖いんだろうよ、外の世界へ出て行くのがな。お前さんと同じ悲観主義者ってわけだ、マルコは」
「そりゃ……あんだけ周りから虐げられてたらそうなる」
「耳が痛いね」
ダリアはまた煙草を吹かして、それきり何も言わなかった。ジークも窓の景色を眺めて、その沈黙をやり過ごした。
《ロッソファミリー》の本拠地は、組織によって明確に定められているわけではないが、巷間では名家ロッソ家の本邸宅であるとされることが多い。
実際、《ロッソファミリー》のボスも兼任しているロッソ家当主は基本的に邸宅を長期間空けることがなく、《ファミリー》の重要な決め事、方針なども多く邸宅内で話し合われて決められる。時として政府の要人やいわゆる《五大ファミリー》の幹部クラスが出入りすることもあるその邸宅は、《ロッソ》を象徴する御殿としてエリーセに君臨していた。
ロッソ家の邸宅は、ノース・エンドラ地区よりもさらに北に位置する高級住宅エリアのほぼ中心にある。
敷地は高い柵で覆われているが、外からでも邸宅の上部は望める。五階建てのその豪奢な建物は、高級住宅地にあってなお人目を引いた。元国王の御殿であるエリーセ宮殿を除けば、居住を目的とした建築物としては間違いなくエリーセ随一だった。
ジーク達の乗る車が近づくと、門扉が勝手に開く。そこから先は庭園となっていて、真っ直ぐ延びる道の左右には、エリーセ宮殿のものに勝るとも劣らぬ巨大な幾何学式庭園が広がっていた。
歩道を真っ直ぐ行くと大きな噴水が飛沫を上げており、その奥で巨大な玄関扉が睨みを利かせるように立ちはだかっている。車は噴水を回り、玄関前で停車した。
「さあ、着いたぞ」
ダリアの言葉を受け、ジークとチアヤは車から降りる。
ダリアも降車して、二人を邸宅の中へ案内した。
「――我らがボスの城へようこそ」
冗談めかして言うダリアだが、実際城と表現しても過言でないような荘厳さだった。
中へ入るなり巨大な玄関ホールが待ち受けていて、その空間にある全ての家具調度は当然一級品。やや年季が入ったものが多いが、それはロッソ家の財力のなさを表しているわけではなく、むしろ逆だった。その雰囲気を維持するのに決して少なくない費用を費やしているのである。
ボスの執務室は、横にも縦にも無駄に長い階段を上がって、そこから右へ左へ「ロ」の字に延びる廊下を半周歩いたところにあった。
ダリアが扉をノックすると、すぐに「どうぞ」という女性の声が聞こえる。
「待たせたなボス。《調停官》のジークフリート・ローズエンデ殿とチアヤ・ローズエンデ殿をお連れした」
「ええ、ありがとうダリア」
奥のデスクに身を収めていたのは――一人の少女である。
左右にメイド服姿の見目麗しい女性を侍らせているアンナ・ロッソは鮮やかなスカーレットの長い髪に深紅のドレスがよく合っていて、とても美しかった。それこそ、一度目にしたら中々忘れ難いほどに。
その部屋は中々に広大だったが、一つ尋常ならざる点があって、結果部屋をいささか窮屈なものに感じさせていた。
アンナの背中側一面、天井から床までびっしり窓ガラスが張られているのだが、そこに暗幕、黒いカーテンが下ろされているのだ。天井の中央と左右の計三箇所に豪勢なシャンデリアが掛かっていて充分明るかったが、カーテンのせいでその部屋の雰囲気は中々異様である。
ジークとチアヤは、その空間に対して若干の気味悪さを覚えた。
「どう、泣く子も黙る《ロッソ》のボスがこんな美少女で驚いた?」
「……新聞を読む習慣がある皇国民ならみんな知ってるよ」
ジークはそう応じてから、彼女の真正面まで歩み寄る。チアヤもそれに続いたが、腰の《魔剣カグヤ》について何も言われない。《ロッソ》のボスはそんなことを一々気にしない。
「ああ、そういえば写真撮られたことあったか。皇都の《調停官》にまで知られてるなんて光栄だわ」
彼女の関心事はただ一つ、目の前にいる『招かれざる客』の真の目的のみである。
そのためには、振りまきたくもない愛想を振りまくことも厭わない。
「知ってると思うけど、一応自己紹介させてもらうわ。アンナ・マリアンナ・アルデレーテ・ロッソよ。気軽に『アンナ』って呼んでもらってかまわないわ」
「俺はジーク、ジークフリート・ローズエンデ。こっちは妹のチアヤだ」
「よろしくねジーク。チアヤも」
にこやかに微笑みかけられ、チアヤは畏まって頭を下げる。
「それで、あなた達がこの町に来た理由についてだけど……」
アンナの性格を理解したジークは、早速本題に入る。
「政府としては、皇国の裏社会における『力の均衡』が崩れるのを望んでない。これ以上《ディアボロ》を野放しにはできないということだ」
「《ディアボロ》の壊滅が目的ってことかしら?」
「いや、俺達に与えられた任務は組織の実態に関する調査と、組織のトップ及び主要幹部の逮捕だ。それ以上は要求されてない」
「ボスを叩けば組織はまず間違いなく壊滅するわ」
「《ディアボロ》は壊滅するだろうな……だが、俺達の目的はその先にある」
ジークがそう言った時だった。斜め後ろに控えていたチアヤが「こほん」と咳払いする。
「――少し喋り過ぎた」
気を取り直し、ジークは続きを話す。
「とにかく、《司法省特務課第四分室》としてはあんたら《ロッソ》と敵対する理由は何一つない、むしろできるなら協力したいくらいだよ。よく言うだろ、『敵の敵は味方』ってな」
「あなた達《調停官》は我々《ロッソ》の味方だと?」
「そう振る舞おうと思えば振る舞える」
「……なるほどね」
アンナはそこで、しばし目を伏せる。
やがて目を開いた彼女は、突き刺すような視線をジークに向けた。
「残念だけど、《魔術師》であるあなた達を信用することはできないわ――現段階ではね」
「条件があるのか?」
「ええ、まずは誠意を見せてもらわないと」
アンナは組み合わせた手を口元に当て、話を続ける。
「《ディアボロ》は我々《ロッソ》と違って表舞台には中々姿を見せない。徹底的な秘密主義を貫いているせいで、誰が敵か味方かもわからないような状態がずっと続いてるの……もちろん私は
そこまで言ったところでアンナは机の引き出しを開き、中からホチキスで綴じられた書類の束を取り出す。
「やつらは我々がうかつに手出しできない場所まで根を張ってるのよ――これを見て」
アンナから書類を受け取ったジークは、内容を検める。まず目に入ったのが、右上にクリップで留めてある一枚の写真である。そこには立派な教会が写っていた。
「《精霊教会》は神聖にして不可侵。アンダーグラウンドな存在である我々でも簡単には喧嘩を売れない……そのアンデリアス教会は私の曾祖父の頃からお世話になってる由緒ある教会でね。教会主であるドリトン氏は御年七十になる大ベテランで、周辺地域からの篤い信仰を得まくってるそれはそれは徳の高い方なの」
「その徳の高い会主様が《ディアボロ》と繋がってるかもしれないと……なるほど、中々ダルい話だな」
ジークは思った感想をそのまま口にした後、すぐ本題に移る。
「で、条件ってのは?」
「ドリトン氏と《ディアボロ》との繋がりを明らかにし、彼を逮捕してほしい」
予想していた内容ではあるが、ジークは難色を示す。
「それはいくらなんでも無理だ。俺達にもできることとできないことがある」
はっきりノーを突きつけられたアンナだが、薄い笑みを浮かべてこう応じる。
「またまたご謙遜を。そんじょそこらの政府機関にはない超強力な調査権と逮捕権を持つのが《調停官》でしょ? 教会に喧嘩を売ることくらい、朝飯前じゃなくて?」
「いや……それはさすがに朝飯食ってからじゃないとキツイ」
ジークが大真面目に言うと、後ろに控えていたチアヤが「ふふっ」と笑いを零す。
瞬間、アンナの視線が彼女へと向けられた。
「……失礼」
チアヤはほんのり頬を赤くさせて謝罪する。気を取り直し、アンナは先を続けた。
「まあ、受けてくれないならくれないでいいのよ。あなた達の協力がなくっても私達《ロッソ》は独力で《ディアボロ》を潰す――ドブネズミ一匹逃さず、その悉くを《学院》の解剖室に検体として送ってやるわ」
「……交渉が決裂して損をするのは俺らの方だと?」
「それはあなたが一番わかってるんじゃなくて?」
アンナは依然として不敵な笑みを浮かべている。今回の交渉において自分らに勝ち目のないことを、ジークは重々承知していた。
「――わかった。やれるだけのことはやろう」
《五大ファミリー》の一角《ロッソ》の頂点に立つアンナの機嫌を損ねるわけにはいかない。
普段行き当たりばったりで動くことの多いジークだが、このような場において慎重になれる程度の判断力はきちんと備えていた。
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