第7話 交戦

 ノース・エンドラ地区、その中心にある広場の入口まで二人を案内したマルコは、足早にそこから立ち去った。


「こりゃひでえな……」


 広場に人の姿はなく、周囲を巡る家屋のほとんどが多かれ少なかれ損壊していた。 

 銃痕が地面や周囲の建物に散見され、中央にある《大精霊ルナド》像に至っては頭部がもげて台座の傍らに転がっている始末。


 ジークとチアヤは広場を進み、目的の通りを探す。《司法省》のインテリジェンス《特務課第二分室》から入手した情報によれば、広場から延びる通りの一つで十数名の《ロッソ》構成員が氷漬けにされたという。


 その氷は現在に至るまで融けることなく、故に遺体もそのままの状態となっていて、いわゆる《ノース・エンドラの惨劇》の象徴として市民の間で語られている……とのことだった。


「――あれだ」


 いくつかある通りの一つ、北東へと延びる通りの少し先。車三台が通れるくらいの幅の車道の両脇に歩道がずっと延びているのだが、その内左にある道のちょうど中間辺りで、青白い氷塊が鎮座していた。


 ジークは逸る気持ちを抑えて、その前までゆっくり歩み寄る。


「これは……ひどいですね」


 大きなアパートメントの壁際に、その氷塊はあった。


「仮にあいつが相手だとすると……抵抗らしい抵抗はできなかっただろうな」


 銃を構えて闘志を覗かせている者も二、三人ほどいたが、ほとんどが戦意喪失といった様子で怯え切っている。中には地面に四つん這いになってその場から逃れようとしている者もいて、見るも無惨だった。


「こうして見ると、まだ生きてるみたいですけど……」

「お前もよく知ってるだろ。みんな死んでるよ」


 ジークはその氷の墓標をしばし眺めてから、ふと手を伸ばして触れようとする。

彼の指先が氷塊に触れようとした――瞬間だった。


 耳をつんざくような銃声が響き渡る。銃弾がジークの左のこめかみを捉えるが、貫通することはない。ただし、衝撃がその小柄な体に伝わり、少しよろめく。


 何者かによる狙撃。ジークとチアヤは臨戦態勢に入る。


「待て!」


 チアヤが《魔剣カグヤ》を抜きかけているのに気づき、ジークは制止する。広場から何者かが猛スピードで駆けてきているのを受け、彼は指抜きグローブをはめた両拳を握って身構える。


 突然の襲撃者――漆黒のロングコートを身に纏った男は、一気に距離を詰めると、ジークの腹部目がけて大振りのナイフを突き出した。ジークはそれを拳で叩き落そうとするが、直前で判断を変える。右足を後ろに下げ、身を反らして攻撃をかわした。


 判断を変えたのには理由がある。向かってくるナイフの刀身、その根元に刻まれた複雑な紋様に見覚えがあったのだ。桜の花弁を模したその紋様は、当該の武器が皇国最高の武器工房を経営するサテライト家当主によって制作された《有銘魔装刀》であることを保証していた。


 初撃をかわされた男は続けざまにナイフを横一文字に振り払うが、ジークはまたもかわす。それから数回ナイフを振り、そのうちの一回がジークの頬を掠めた。微かな切り傷が左頬に走り、一筋の鮮血が流れる。


 そこでジークは攻撃に転じる。それに気づいた男は瞬間、両腕を胸の前で交差させて防御姿勢を取る。ちょうど両腕がクロスした箇所にジークの拳が入ったが、男は地面を蹴って後方へ跳んだ。結果その体は後方へ吹き飛んだが、両足で着地して彼は無傷だった。


 殴った時の感触でジークは気づく。男はコートの下に《魔装アーマー》を着込んでいる。


 ジークは両拳を握って構えの姿勢を取り、改めて目前の襲撃者を観察する。


 右手に握られているナイフは《魔術毒》こそないものの、《上級魔術師》に傷をつけ得る《有銘》サテライト作品。そして恐らく中に着込んでいる《魔装アーマー》も一級品である。


 (こいつが……)


 短い銀髪と右目周りの《狼》のタトゥーを見て、ジークはようやく男の正体に思い当たる。


 (マルセル・アーゼット。《ロッソ》最強の実働部隊《空腹の狼ベオウルフ》のトップか)


 相手の素性を把握したジークは、手加減なしで次なる一手を叩き込む。マルセルはそれを間一髪かわすが、ジークはさらに追撃。二手、三手、四手と拳を振るい続け、対する男はそれを避け、あるいは腕につけた籠手で受ける。


 しかし、ジークの猛攻は止まず、次第に速度を増す。


「っ!」


 やがて隙を突かれ、男は腹部に強烈な蹴りを叩き込まれた。《魔装アーマー》のおかげで致命傷にはならないが、十メートル近く吹き飛ばされ、今度こそ地面に背中から打ち付けられる。


 ジークは追い打ちをかけるべく動こうとする。が、今度は眉間を狙撃される。


「くっ……チアヤ! 広場奥、赤い屋根の五階!」


 その指示を受け、チアヤは即座に《魔剣カグヤ》を抜き、数十メートル前方にある広場の奥の建物に向かって突いた。


 瞬間――建物の五階が吹き飛ぶ。


 そこに非戦闘員がいないことを前提とした、無慈悲なまでの強襲。《魔剣カグヤ》は使い手の魔力を斬撃として飛ばすことができ、近接戦闘から遠距離攻撃まで幅広くこなせる強力な《魔剣》であり――チアヤ・ローズエンデはそんな《魔剣カグヤ》に選ばれたたった一人の適合者である。


 厄介な狙撃手を無力化し、状況は一気にジークら有利に傾いたかに思われた……が、《ロッソ》最強の実働部隊である《空腹の狼ベオウルフ》はそう甘くない。


「!」


 背後に嫌なものを感じたチアヤは、とっさに振り返る。


 そこには、今まさに拳を振り上げている大男の姿があった。


 赤い甲冑を着込んだ大巨漢が、思い切り拳を振り下ろす。チアヤは寸前で後方へ跳んで回避した。が、彼女がいた地面にその拳が食い込み、瞬間そこを中心として半径数メートルに及び亀裂が走る。


 その一撃を回避したチアヤはすぐに態勢を整える。息を大きく吸って刀を振り上げながら、彼女は目の前に佇む巨漢を改めて見やった。


 (ドルネイ族……)


 二メートルを優に超えるその巨体と褐色の肌、首周りの白い刺青は、十年前に皇国によって征服された《東部八州》の一つドルネイ州に住まう民族の特徴としてあまりに有名である。


 確かに彼はドルネイ族だったが、ただし、その中においても一際目立つほどの巨躯だった。


 チアヤはすかさず《魔剣カグヤ》を振り下ろし、魔力で生成した斬撃を巨体目がけて放つ。だが、ドルネイ族の男は防御姿勢を取り、その斬撃を受け切った。チアヤは間髪容れず、刀を横一文字に振り払う。が、これも鎧に阻まれ大したダメージにはならず、お返しとばかりに男の正拳突きが向かってきた。チアヤは屈んで避ける。


 ――その間に、ジークとマルセルの戦闘も再開される。


 頬に一筋の傷をつけて以来マルセルの攻撃がジークを捉えることはなく、むしろ隙を突いて叩き込まれるカウンターを度々受けていた。いくら最高級の《魔装具》で武装しているとはいえ、相手は《調停官》である。《魔術》を扱えないただの《新人類》が単独で《司法省》麾下最強の《魔術師》を撃破できるはずもない。


 普通に考えれば、ジークの勝利は揺るぎないものである。しかし、ジークは目の前の男に対してかなりのやりにくさを感じていた。


 (問題はどうやって決定打をぶちかますか、だが……)


 実際のところ、マルセルの戦術は対《魔術師》戦闘においての最適解だった。連続攻撃を加えることで相手の大技を封じ、そのまま膠着が続けば《魔術師》の魔力が枯渇していって、いわゆる魔力切れ状態に陥らせることができる。


「――おい。お前、さっきからこそこそ立ち回って、魔力切れ狙ってるんだろ」


 構えを解かないまま、ジークはあからさまな挑発をしてみせる。


「残念だがな、俺の体内魔力量は一般的な《魔術師》の十倍を優に超える。俺相手に魔力切れを狙うのは悪手だぜ?」


 十倍は明らかなハッタリだったが平均より大きく上回っているのは確かで、そのことは対峙しているマルセルも想定していた。


「……抜かせ、政府の犬野郎になんざ魔力切れを狙うまでもねえ」

「――やれるもんならやってみろよ」


 言葉の応酬で余計火が点いた二人は、しばし睨み合う。お互い相手の隙を窺いながら、ほぼ同時に一歩を踏み出そうとした、が――その瞬間のこと。


 少し離れたところから車のエンジン音が聞こえた。エンジン音は段々と自分達の方に近づいてくる。それを受け、チアヤとドルネイ族の男との戦闘も中断される。

ジークは両拳を構えながらも音のする方、首のもげた《大精霊ルナド》像がある広場をマルセルの肩越しにちらっと見やる。


 広場では、一台の黒いセダンが《大精霊ルナド》の像をぐるっと避けて半円を描いていた。


 セダンはやがてジークのいる通りへ入り、段々とスピードを落として停車する。


「……ちっ」


 助手席から降りた男を横目で見て、マルセルが舌打ちする。


「どこから嗅ぎつけたか知らねえが……テメエの助けはいらねえよ、ダリア」


 黒いスーツに黒いロングコート、ここまではマルセルと似たような格好だが、ハットを被っている点が異なっていた。

 背丈もマルセルより高く年嵩で、明らかに只者でない風格を纏っている。


「お前を助けに来たわけではないマルセル。俺はただ、二人の客人を迎えに来ただけだ」

「なに……客人、だと?」


 呆然としているマルセルをよそに、ダリアと呼ばれた男はジークの方へ向き直り、少しだけ頭を下げて脱帽する。


「うちの若いのが失礼した《調停官》殿。《ロッソ》はあなた方に危害を加えるつもりはない、むしろ我らがボスにはあなた方を客人としてもてなす用意がある」


 そこで男は顔を上げ、ジークに向けて微笑みかけた。


「ぜひあなた方をボスのところまで案内したいのだが――どうだろう?」


 この申し出を断る理由など、ジークにはなかった。


「もちろん構わない。チンピラのお遊戯に付き合うよりよっぽど有意義な時間が過ごせそうだ」


 ジークが当てつけじみたことを口にすると、マルセルは再び舌打ちして視線を逸らすのだった。

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