第2章 五十回忌 二話 定例ミーティング
センター三階の廊下を歩きながら、一衛はスマホを取り出した。
『午前九時 E3会議室 定例ミーティング』と表示されており、タップするとセンター内マップにルートが示される。
スマホから顔を上げると、廊下を歩く茶屋の後ろ姿が見えた。
「チャーヤさん、おはようございます」
一衛が後ろから声を掛けると、茶屋が無言で振り返る。
元気よく挨拶を返してくることを想像していたが、振り返った茶屋の顔に生気が無い。姿勢もなんだか猫背気味で、様子がおかしい。
「イッチン……?」じろりとした目で一衛を見て、ボソリと呟くように言った。
どうしたのだろうと、小首をかしげた一衛に向かって、茶屋が滑らかな早歩きで近づいてくる。
「ど、どうしたんですか?」
「……ん喫したの?」
「え?」よく聞き取れない程の小声だ。
「……充実したホリデイライフだったの?」
「ホリ……、え?」
茶屋が目を剥いて一衛の顔を見上げる。
「バーベキューステーキ食べたの? タマゴタケのせのせでミディアムレアで焼いたの? 美味美味うまうまって!」
「うまうま?」
「そんでそんで、ウグイとかヤマメなんか釣っちゃってキャッチアンドリリースしたんでしょ! 吊り上げちゃってごめんね、でもキミはもう自由だよベイベーって! そんでその後カブクワ探しで樹液ポイント行って八〇ミリオーバーのミヤマクワガタ見つけちゃったりなんかしちゃったりして! なんで! なんでなんでなんでなんでなんで! チャーヤは結局休み貰えなかったのにぃいいいいい!!」
「えっと……、一体なんの話ですか」
茶屋の恨みがましい目には涙が溜まっていた。
「ええー? そうなのぉ? ジムとかにしか行ってないのぉー?」
一衛の過ごした退屈そうな休日の内容を聞いて溜飲が下がったらしく、いつもの茶屋のテンションに戻っていた。
「ルーチン崩すと気持ちが悪くて。でも充分リフレッシュできましたよ」
「せっかくの休みだったんだから、もっと満喫すれば良かったのにぃー」
茶屋はニコニコ笑いながら、会議室入口に並べられたお茶が入ったカップを手に取った。
三十人キャパの会議室には、コの字に配置された長机があり、中央にプロジェクターとパッド型PCが置かれていた。前方のプロジェクターの先にスクリーンがあり、その前に小さなデスクとマイクが置かれている。
既に十数人が席についていた。
「おーい、こっちこっち」
笹村が後ろの席で手を振っていた。
笹村の隣で、机に突っ伏して眠っているのはアイマンだろう。
「おはようございます」「おはよー、ササヤン」挨拶をしながら、笹村の隣に茶屋と並んで座る。
「こないだはスマンかったな一衛。家の前まで運んでくれたんだろ?」
「アーッ! 聞いたぁー! ササヤン、お姫様抱っこで運ばれたんでしょ!」
一衛より先に茶屋が反応した。
「や、やめろぉ!」
顔を真っ赤にして茶屋に返す笹村の奥で、
一衛が軽い会釈をすると、空風は微笑みながら小さく手を振った。
「バーサーカーおやびーん! 久しぶりぃ!」
茶屋の声に振り返ると、犬山が会議室に入ってきたところだった。それにしてもバーサーカーっていうのは、あだ名だろうか。
「よお、チャーヤ。アイマンは……また寝てんのか」
「おはようございます」「おはよっす、旦那」
挨拶する笹村に、犬山はニヤっとした顔を向けながら茶屋の隣に座る。
「笹村ァ、この前は災難だったな」
「旦那が飲ませたんですよ!」
「聞いたぜ、一衛に抱っこされて帰ったってな」
「もうやめてー! だから村社会は嫌なんだ!」笹村は乙女の様に自分の顔を両手で覆った。
会議室の前方のドアが開き、渡辺と穂高が入ってくる。
二人はコの字に並んだ机の先頭、左右の端の席に、狛犬のような配置で座った。
続いて入ってきた米倉が、スクリーン前のデスクの上に置かれたワイヤレスマイクを手にする。
「アーアー、全員いるな」
米倉の声にざわめきが収まる。
「それでは今月の定期ミーティングを始めます。まず、二か月後に迫った五十回忌の事から」
米倉が手に持ったクリップで閉じられた紙をめくる。
「先々月に話した通り、本来は比良坂の寺で行うことではあるが、そういう訳にもいかないのでフィールド内にて、式典形式で行うという事に変更はありません。式典会場は先月見つけた高校跡の体育館なら問題なく開催できるということで、とりあえず清掃の方は……研究部の天田、どうなりましたか?」
「はい。ガード部の方々にもお手伝いいただき、あらかた片付いております」
前方の席にいた、白衣姿の天田と云われた男が答えた。確か、比良坂の繁華街で空風と一緒にいた頼りなさそうな男だ。
しかし、それにしても五十回忌とは一体何の話をしているのか。
「五十回忌って誰のなんです?」小声で隣の笹村に聞いてみる。
「あー、そうか、お前知らなかったな」
「えーとね、五十回忌ってのはね――」一衛の声が聞こえていた茶屋が答えようとする。
「コラそこ、私語をするな」
米倉がそう言ってこちらを見ていた。米倉は、慌てて口を閉じる一衛たちを確認してから話を続ける。
「それでだ、ご遺体なんだが。翼果さんと話をした結果、フィールド内で土葬にして墓を作るということになりました。それでその場所については……」
五十回忌ということは、死後四十九年経っているということだ。それなのにこれから埋葬する? いやそんなことより……。
「ご遺体が残っているんですか?」小声で茶屋に聞く。
それに答えようと茶屋が口を開いたが、米倉が話を止めてこちらを睨んでいるのに気づき、口を閉じた。
「あとで説明するね」茶屋が小声で言った。
「式典会場の具体的なセッティングについてもこれから翼果さんと打合せするので、花屋に行く同行者が欲しい。研究部でフィールドの花に詳しい人物がいいんだが……」
無言で手を上げる穂高。
「穂高主任以外で」
穂高を見ずに米倉が言う。舌打ちして穂高は手を下ろした。
「つーことは、コイツはおいらの出番ってヤツかな……」
ティアドロップメガネにオールバック、胸元が過剰に開いたワイシャツにヒマワリのネックレスをした全体的に濃いめの男が、両手で横髪を撫でつけながら喋り始めた。
「フィールドXの貴公子! 天才植物学者であるこの、
そう言って、柿崎が自信たっぷりのギラギラした笑顔を米倉に向ける。
米倉は表情を変えずに、しばし沈黙した後、口を開いた。
「………他の植物学者はいないか?」
「なんで!?」柿崎は心の底から驚いた声を出した。
「他にもいるが、そいつが一番優秀だ」
目を閉じ腕組みをしたままの穂高が米倉に提言した。
「さすが主任、わかっていらっしゃる」無駄に張りのある声で柿崎が言った。
「不本意だが」穂高がボソリと言った。
「不本意!?」
米倉が残念そうな溜息を吐く。
「では、仕方が無いが柿崎で」
「お任せください! この柿崎がっ、史上最高のフィールド植物知識をご提供いたしましょう!」
柿崎が舞台役者のように、右手を広げながら立ち上がった。なんというか、一言でいうと、ウザい。
「と、まあ五十回忌については以上です」
米倉は柿崎の大袈裟な動きをスルーして進行を続けた。
「それで、つづいては次回のフィールドワークについてなのですが、まず、穂高主任から何かあるとのことで、よろしくお願いします」米倉がマイクを穂高に手渡す。受け取った穂高が立ち上がり前に出た。
「穂高だ。あー、基本的には通常通り、開拓済みのエリアで私が許可を出した研究を各々が行うことに変わりはないが、フィールドワーク中に、ある特殊なタイプのモリノユメを発見したら私、またはアイマンに報告をお願いしたい。そのモリノユメの詳細についてだが、アイマンの方から説明してもらう。アイマン」
「……………」
アイマンからの反応はもちろん無い。
穂高がカツカツ、とヒールの音を鳴らしながら一直線に歩いていき、アイマンの目の前で止まった。
アイマンは突っ伏したまま、すやすやと幸せそうな寝息を立てている。
「アイマン!」
穂高の声にアイマンが跳ね起きる。
「はい! 僕じゃないです!」
アイマンが顔を上げると、腕組みをした穂高が片目をピキピキと震わせながら見下ろしていた。
「何がだ?」
「な、なんでもないです……」アイマンはそっと穂高から目を逸らした。
「――と、いうわけで、大体160センチ以上、太さ70センチ程度で先端に他生物の形状を模した変化があるモリノユメ、
アイマンの説明を受けて穂高が話を続ける。
「そういうことだ。それで、次回のフィールドワークのエリアについてだが」
穂高の目配せで天田が低い姿勢で移動し、プロジェクターのスイッチを入れた。
エリアごとに赤いラインで区切られた黄泉森のマップがスクリーンに映し出される。
「前回、諸々あって辿り着けなかった陸サンゴの谷は、オオオカアルキの移動コースの解析やらが終わるまで、様子見するという話になっている。それでこちらのエリアから少し距離のある蛍ヶ丘マンションのある7Eエリアにしようと思う。このエリアで生息しているのは、代表的なものでハイイロキリサキグモにハナギツネなどだな。植物はキリン
マップ上に生息生物の写真がランダム配置で表示される。
「で、研究部のフィールドワーク志願者は挙手しろ」
茶屋が授業参観日の小学生のように元気よく手を上げる。
「お前は書きかけの論文を終わらせろ。四つくらい溜め込んでるだろ」
穂高の指摘に茶屋は萎れた花のように手を下ろし、捨てられたペットのような顔で下を向いた。
沈黙の中、おずおずと小さく手を上げる者がいた。
「あのぉ……」
手を上げたお団子頭の女性が消え入りそうな、か細い声を発した。
「ハイイロキリサキグモの巣の観察と、蜘蛛の糸のサンプルが欲しいので……、誰か代わりに行ってもらえると助かるんですが……」
「なんだそれは、吉野、お前が行け」
「わ、わたし、蜘蛛が苦手で……」
「ダメだ。専門家が直に観察するのが一番いい」
「は、はい……、わかりました……」
吉野と呼ばれた女性は小さな溜息をついて、隣の人間にも聞こえないくらいの小声で、嫌だなぁ、蜘蛛見るとぞわぞわするんだよなぁ、とブツブツ呟いた。
「吉野の他に誰かいるか?」
ゴトン、と机に肘をつく音を大きく立てて、人差し指を額に当てた柿崎が、自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「ふぅー、仕方がないなぁ。またまたおいらの出番……ってわけですか」
柿崎はそう言ってチラッと穂高を見た。
「他にはいないか?」
「主任!?」
「わかったわかった、では次回のフィールドワークは吉野と柿崎で。二人とも研究する内容を今月中にまとめてサーバーに提出しろ。フィールドワークの日程は決まってはいないが、五十回忌の後にはなる。研究部からは以上だ。ガード部は米倉副長の方から」
米倉が立ち上がってマイクを受け取る。
「みんなも知っての通り、渡辺隊長が負傷中です」
渡辺が面目なさそうに後頭部を掻いている。
「よって、次のフィールドワークはアタシの班で行くことになるわけですが、隊長からの要望で次のフィールドワークでは一衛グレーヌがメンバーに組み込まれます。もう一人は空風ミミで。犬山直樹は隊長に付いて、ガード訓練生の指導のフォローをしてください」
一衛が空風をちらりと見る。
彼女は退屈そうに自分の髪をいじっていたが、一衛の視線に気づくとこちらを見て、よろしくね、と声を出さずに口の動きを作った。
「色々詳細に関しては各自のスマホに資料データを送っておきます。以上で今月の定期ミーティングを終了します」
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