終末のフラワーショップ
晴風クマのすけ
序章 フィールドX
吊り下げられた七十年代レトロなポータブルラジオから、ノリの良いポップな歌が流れていた。
緩めの三つ編みひとつで束ねられた栗色の後ろ髪が、動物の尾のように揺れていた。
「深いふか~い愛のような~私のタンネトゥ~ウ~♪」
歌のサビでハモりながらクルクルと回り、店の入り口まで移動した。
お客目線で花で埋め尽くされた店全体を見渡す。
「よし! 完璧だ」
チャカポコしたデフォルトのまま変えていない着信音が鳴る。
エプロンのポケットからスマホを取り出した。
「はいはーい。ありがとー! うん、そう、明日オープン初日。アハハ、そうそう決戦前夜って感じ。うっさい、店の名前はダサくないからぁ、逆にいーのよ! こういうのが」
店の中にしまってある立て看板をちらりと見る。【フラワーショップふじさき】と黄色の丸文字のロゴが立て看板に書かれてある。
「あ、いーのいーの、ほんとに。うん、ありがとね、うんじゃね」
電話を切ってカウンターの丸椅子にどっかりと座り、ぬるくなったコーヒーを飲む。
「はぁー、夢の脱サラ花屋さんかぁー」
そう大きめの独り言を吐き出して、これまでの苦労を思い返した。
ダメ出ししかしない上司の皮肉に耐え続け、休日も返上してバイト三昧。それでも軍資金足りなくて、親に土下座もしたっけなー、結局貸してくれなかったけど。
ネチネチしたパワハラに耐え続けた屈辱の日々……。
「思い出したら腹立ってきた。やっぱあのクソ上司、辞める前に一発ぶん殴っておけば良かったな」
初美はドンと力を込めてコーヒーカップを置く。
【藤崎初実さまへ 祝オープン 後輩一同より】と書かれたカードが差し込まれた鉢植えの胡蝶蘭が目に入る。
「ホント、色々あったなぁ」
初美は天井を見上げて思い出に浸った後に、パンッと自分の両頬を叩く。
「やるぞ初実、気合入れろよ。これからがあたしの人生の本番だ」
ラジオから流れていた曲が終わってメインパーソナリティの男が喋り始める。
「カムイランドで恋のタンネトゥでした。時刻は二十時丁度をお知らせします。さて今日は、去年前から始まったポールシフトの話をしておりますが」
「北と南がひっくり返るって話でしょ?」
もう一人のパーソナリティが返す。
「そうそう、それでね、前回のポールシフトがなんと約80万年前」
「えええ! そんな昔なの!?」
窓から見える夜の街の人通りはまばらだ。
週末とはいえ、田舎の地方都市は大都会程賑わっていない。自分なりに必死に働いてかき集めたお金だったが、結局田舎の、それも街外れのテナントしか借りることができなかった。
ラジオトークは続いている。
「しかもですね、南北が入れ替わるのに二万年もかかっているんです」
「二万年!?」
「そうなんです。だから一年に0.009度ずつしか回転していないんですって」
「そりゃあ、わかんないよねえ」
「一部界隈では世界が終わるなんて大騒ぎしておりますが」
「いやコレ、何も起こらないでしょ、あはは」
初実の店がある街から数十キロ離れた暗い夜道。老人が日課の犬の散歩をしていた。
不意に犬が吠え始め、老人は怪訝な表情を浮かべる。普段滅多に吠えない大人しい犬だ。その犬が唸り声まで上げて吠えていた。
「どうしたどうした?」
藍色の空に黒いシルエットで浮かび上がる山に向かって、犬は吠え続けている。
山の中腹辺りで何かがポッと光り、そこから青白い光の柱が天高く上がった。
光の柱は空で枝分かれていき大樹の様相を形作っていった。同時に光の樹の周囲を取り囲むように濃霧が立ち込める。
カタカタと飲みかけのコーヒーカップが震え始める。
カウンターに突っ伏して眠ってしまっていた初実は揺れを感じて目を覚ます。
「……なぁに? ……じ…しん……?」
収まる気配のない弱めの揺れの中、まどろみながら長いなぁと、ぼんやり思っていた。
再び意識が遠のきそうになった時、遠くでメキメキと何かが軋むような音が聞こえる。
ドンッ、という音と共に世界がひっくり返ったと思えるほどの揺れが襲った。
初実は跳ね起きて周囲を見回す。
「地震!」
吊り下げられていたラジオは床に落ち、苦労して並べた鉢植えが次々と倒れて色とりどりの花びらが宙に舞った。
強い縦揺れに立っていられない。
床に固定されたカウンターにしがみついて耐えていたが、真後ろの棚が倒れ、初実の後頭部に直撃した。
「……う……」
意識が戻り、瞼を開く。
物が倒れ、滅茶苦茶になった店内が見える。
店の中が明るい……、ということは夜が明けているのだろうか。
折れ曲がったシャッターの隙間から外の光が店内に差し込んでいた。
身体にのしかかっている重い棚から這い出て、ゆっくりと立ち上がった。
頭が痛い。ズキズキする。
店の中を青く光る粒子が舞っている。
なんだろう……?
店の中をよく見ると青い光の粒子は散らばった花々から発生している。
後頭部を抑えながら、とりあえず外に出ようと重い身体を引きずるように歩いた。
ひしゃげたシャッターを両手でつかんで、外へとつづく隙間を広げる。
力の限り広げた隙間はようやく人一人通れるくらいの大きさになった。
片足から踏み出すように外に出して、身体を横に捻りながら隙間を通って全身を外に出した。
刺すような太陽の光に目を細める。
一瞬、白くとんだ視界が回復する。
いつもと同じ商店街があった。が、電柱が向かいのパン屋に倒れ掛かっていた。
道路に横倒しになった街路樹の樹もある。
近くの古びた雑貨屋の入った建物は跡形もなく崩れてしまっている。
そして、室内でも舞っていた青い粒子がそこら中を浮遊していた。
その浮遊物以外にも何か違和感があった。
一歩踏み出すと、地面に散乱したガラス片を踏みしめる音が、辺り一帯に響き渡るかのような大きな音に感じた。
そうか、無音なんだ。
車の音も、人のざわめきも、鳥のさえずりも聞こえない。街はまるで雪国の真冬の夜のような静寂に包まれていた。
静寂の中、どさりと音を立てて街路樹の大きめの枝が落ちた。
落ちた枝からも、店内でみた花と同じように青い粒子が発生している。
しかし、それ以上に異様な風景が、その落ちた枝の向こうに広がっていた。
見慣れた街の風景の奥に、見慣れない翆玉色の森が広がっている。そしてその更に向こう側に青白く光る大樹が空の彼方までそびえ立っているのが見えるのだ。
非現実的なその光景に初実の思考は停止した。
「え、何? ……これ……」
ヘルメットを被ったリポーターがけたたましい声で実況をしている様がテレビに映っている。
「突如! 一夜にして現れた青色、いや青緑色をした森がおよそ六百平方キロメートを飲み込みました!」警官が大声で人を制している。
「ここより前に出ないで! 下がって!」
チャンネルが変わり、コメンテーターが森について話している。
「あの森一帯の大気中に何らかの毒素が含まれているとのことですが……」
環境観測庁の専門家らしき男が記者会見会場で話している。
「あの森近辺に近づくことはできません。近づくことで生命活動が停止します。生命活動が停止するのは、確認されているだけで人を含むすべての動物です」
ドローンによる光の大樹が遠巻きに見える映像をバックに、アナウンサーが原稿を読み上げている。「犠牲者の数は100万人に上るとされ……」
アップで映る官房長官の映像。「そうです。すべての生命体です。動物だけでなく植物も虫も駄目です。そうです、端的に言うとすべての命あるものが死にます」
けだるそうに歩く学生二人の会話が聞こえる。
「森の毒って対放射能防護服でも防げねえらしいぞ」
「マジかよ、意味わかんねー」
深刻そうな顔をした総理大臣の映像。
「この森が発生したエリア一帯を【フィールドX】と呼称します」
ネットの書き込みが流れる。
『Xってどこぞのイーサンマスクかよw』
『ネーミングセンスどうしたw』
『おいおい、あの森広がってるらしいぞ!』
『もう終わりだよ猫の国』
『やっべー! この世の終わり来ちゃったっぽくね』
街の大型モニターで流れるニュースで環境省の男が喋っている。
「確かにフィールドXは広がっていますが、その広がりは非常にゆっくりとしたもので直ちに影響があるものではありません」
「あの光の樹ってなんなん?」「あの樹って実体ないらしいよ」「かっけー! ファンタジーじゃん! ゲームじゃん!」「そうです! あの光の大樹こそ神であり、あの蒼き森こそが人類への啓示なのです!」「事態を重く見た国際連合は至急国際調査団を設立し……」「このフィールドX含め、周囲半径二十キロメートルの範囲は衛星観測もできないんです。映らないんですよ、何も」「ホントだー、グングルMAP真っ黒じゃん」「ミサイルなんかで破壊したりできないんですか?」「これはどういった仕組みでそうなっているのか不明なんですが、フィールドX内では一定以上のエネルギー量が維持できないんです」「と、いいますと?」「あそこでは電子機器が動かないし、火すらつかないんです」
「それにしても何なのでしょうね、このフィールドXって……」
72年後
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