第21話 奇妙な風

ギルド庁舎の掲示板は、朝からにぎわっていた。 冒険者たちが依頼札を取り合い、報酬額や危険度をめぐって小競り合いが起きるのも、いつもの風景だ。


「うーん……どれも似たり寄ったりだな」 しろまるが腕を組み、掲示板を見上げる。


「パン1個が1NkQでしょ? この依頼、石貨50NkQってことは……初心者向けね」 アリシアが札を一枚抜き取り、内容を読み上げた。


【依頼名】畑に現れる“影の戦士” 【内容】夜明け前、セルナティア外縁の畑にて、作物が踏み荒らされる被害が続いています。 鎧を着た大男の影が目撃されており、調査と対処を依頼します。 【報酬】石貨50NkQ 【備考】戦闘の可能性あり。夜間行動に慣れた者を推奨。


「……なんか、妙に曖昧な依頼ね」 エマが眉をひそめる。


「でも、こういうのって、だいたいイノシシとかでしょ?」 バンデが笑いながら言った。


「いや、依頼者が“鎧を着た大男”って言ってるんだ。 それが本当なら、ただの獣じゃない」 アリシアの声が少し低くなる。


「行ってみよう。こういうの、放っておくと面倒なことになる」 しろまるが札を掲示板から外し、受付へと向かった。



夜。 セルナティアの外縁、畑地帯。


霧が濃く、月も雲に隠れていた。 風は止み、あたりはまるで息をひそめているかのようだった。


「……来る」 アリシアが低くつぶやいた。


その瞬間、霧の向こうに“それ”は現れた。


重厚な鎧に包まれた、巨躯の戦士。 緑灰色の肌に、深い傷跡。 片方の牙は途中で折れ、手にした斧は刃こぼれしながらもなお鋭く光を放っていた。


「……オークだ」 しろまるが息を呑む。


グルザンは、ただ畑の中をゆっくりと歩いていた。 作物を踏み荒らすでもなく、何かを探すように、静かに、確かに。


「……何してるの?」 エマが弓に手をかけながら、声をひそめる。


「わからない。でも、あれは“敵”の動きじゃない」 アリシアが一歩、前に出た。


その気配に気づいたのか、グルザンがゆっくりと顔を上げた。 その目は、獣のような鋭さではなく、どこか深い静けさを湛えていた。


「……名を、名乗れ」 低く、重い声が霧の中に響いた。


しろまるたちは、思わず足を止めた。


「……話す、のか」 バンデが驚いたように言う。


「名乗るのは、戦士の礼儀」 グルザンは斧を地に突き立て、動かない。


「……俺は、グルザン。 この地に、かつての“誓い”がある。 それを、忘れぬために来た」


「誓い……?」 アリシアが眉をひそめる。


「それ以上は、語らぬ」 グルザンはそう言うと、霧の中へと再び歩き出した。 その背中は、まるで風に溶けるように、静かに消えていった。


しばらく、誰も言葉を発せなかった。


「……どうする?」 エマがぽつりとつぶやく。


「依頼は“対処”だったけど……あれは、ただの怪物じゃない」 アリシアが札を見つめる。


「報告しよう。あれは、戦う相手じゃない」 しろまるが静かに言った。



朝のギルド庁舎は、いつも通りの喧騒に包まれていた。 冒険者たちの声、依頼者の相談、紙のめくれる音、笑い声と怒号。 そのすべてが、街の“日常”を形作っていた。


「おう、帰ってきたか! どうだった、畑の依頼は!」 カウンターの奥から、ギルドマスター・オグマの声が響いた。


「……報告します」 しろまるが一歩前に出て、依頼札を差し出す。


「対象は確認しました。オークの戦士と思われる存在が、畑に現れていました。 ただし、敵対行動はなく、作物を荒らす様子も見られませんでした。 我々は交戦を避け、状況を観察した上で撤退しました」


「……オーク、だと?」 オグマの眉がぴくりと動いた。


「そう。緑灰色の肌に、重い鎧。斧を持っていたわ」 アリシアが続ける。


「ただの野盗じゃねぇな……」 オグマは腕を組み、しばらく黙り込んだ。


「報酬は出す。石貨50NkQ、きっちり受け取っていけ。 ……だが、あの畑、もう少し様子を見た方がよさそうだな」


「はい。必要なら、再調査も引き受けます」 しろまるがうなずいた。


そのとき、庁舎の奥――札場の方から、静かな足音が響いた。


白い衣をまとった少女が、ゆっくりと近づいてくる。 札主・美琴。 その手には、まだ誰にも渡されていない札が一枚、静かに揺れていた。


「……風が、少し乱れていますね」 彼女はそう言って、しろまるたちの方を見つめた。


「あなた方が見たもの。 それは、ただの“影”ではないのかもしれません」


「……どういう意味だ?」 バンデが眉をひそめる。


美琴は答えず、静かに微笑んだ。 そして、札を胸に抱き、再び奥へと戻っていった。


「……なんなんだ、あの巫女さんは」 バンデがぼそりとつぶやく。


「さあね。でも、あの人が動くってことは―― この街の“風向き”が、少し変わるってことよ」 アリシアが札を見つめながら、静かに言った。


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