プロローグ2 ある高校生たちのVR体験

「俺さ、高校の合格祝いってことでようやく『シフター』買ってもらったんだ」

「俺も俺も! 面倒臭いよなあ、購入に保護者の許可がいるところとかさ」

「あんまり水分摂り過ぎんなよ。トイレの度にログアウトされたら冷めるからな」

「トイレ抜けたら百円罰金、漏らしたら一万円ってことで」

「ねえ、掛け声とかする? 『ダイブスタート!』とか」

「ブッ! 恥ずい恥ずい! そういうのは自分の部屋でやってくれ!」


 カラオケボックスの一室で学校帰りの男子高校生たちが歌いもせずにワチャワチャと盛り上がっている。

 スマートフォンと専用のヘッドフォン型デバイス『シフター』さえあればいつでもどこでもArcadia Shift Engineを使ってVR世界にダイブすることができる。

 ただし、現実の肉体は気絶したように無防備な状態になってしまう。

 当然、開発者は自宅にて利用することを想定していたが、普及するに連れて家の外で利用したいという声が若者を中心に高まり、カラオケボックスでVRダイブ用に部屋を貸し出すサービスが始まった。

 しかも部屋を貸し出すだけでなく、VR世界に作成したサービスを割安で利用できるというオプションも販売することで、カラオケボックスの運営会社は大きく収益を伸ばしていた。


「全員、準備OK? じゃあ行くよ、せーのっ!」

「ダイブスタート!」

「だから家でやれってば————」


 ガチャガチャと騒がしかった男子高校生たちがピタリと音を立てなくなり、ソファの上で動かなくなる。

 Arcadia Shift Engineによるダイブの仕様ではあるが、個室内で男子高校生が揃って意識を失っている光景は不気味で異様なものである。

 余談ではあるが、あるカラオケ店員がその光景を盗撮してSNSにアップし『練炭で集団自殺している高校生たち』と煽ったことで大炎上したことも記憶に新しい。

 

○  ●  ○  ●


 意識をVR世界のアバターに移し、男子高校生たちはカラオケ運営会社『サウンドパーク』が運営する架空の惑星に建てられた野外ステージに降り立った。

 ロックフェスをイメージして作られたその空間には10万人を超える観客と向かい合うように作られた巨大ステージがあり、彼らの後ろには強面の外国人で編成されたバックバンドが立っていた。

「うおおおおおお! すげえすげえ! えっ、何コレ!? ヤバすぎね!?」

「あはは、初めて来るとそうなるよなあ。カラオケ代金に500円上乗せでこんな遊びできるとかすげえ時代に生まれたよな、俺たち」

「ハイハイ! トップバッターは俺だから! お前ら舞台袖に下がって!」

 男子高校生の一人(今は金髪の美少年のアバターを纏う)がスタンドマイクを掴み、曲名を発した。

 瞬間、バックバンドは大気を震わせるような爆音で演奏を開始する。

 観客も音に乗って身体を上下させ、会場は熱気に満ちた。

「行くぜええええええ!」

 金髪の美少年が威勢よくシャウトし、歌が始まった。


『サウンドパーク』の作成した惑星には何万ものライブステージが建てられている。

 どのステージにもNPCの観客が満員状態に詰まっており、その総数は地球の人口より多いという噂もある。

 バックバンドはカラオケ運営会社が実在のミュージシャン達と契約し、その肖像権や演奏使用料を支払うことでVR世界にそっくりなアバターで出演させている。

 それだけではなく、ステージの設計はデザイナーが行い、使用される楽器類もメーカーが提供する実在のもの。

 Arcadia Shift Engineの運営会社が厳格に著作権管理をしているおかげで、実在のクリエイターたちはVR世界に新たなビジネスを興し、仕事が奪われるようなことはなく共存していた。


「すっげーな。普通のカラオケレベルなのに観客がバカみたいに盛り上がってるじゃん」

「そこらへんをリアルにされたら素人じゃ楽しめないだろ。ま、カラオケ採点装置のド派手版みたいなもんよ」

「こないだバラード歌ったら前の席の女の子が泣きながら見つめてくれたよ」

「マジで!? じゃ、バラード歌おっと!」


 舞台袖の男子高校生達は仲間の歌は聞き流しながら雑談に耽っていた。

 カラオケボックスでやられたら冷める行為であるが、10万の大歓声を浴びているステージ上では数人の雑談など毛ほども気にならない。

 マイクを持つ彼は全身全霊を叩きつけるように大声で歌い続けた。


 

「うは〜〜〜、これストレス解消どころじゃねえわ。他の遊びが全部つまんなくなりそう」

「とはいえ、疲れたぁ……ステージ走り回って歌うってアホみたいに体力使うわ。VRだから体は疲れないんだけど」

「俺ら五人でかわりばんこにやってコレだもんな。ミュージシャンってやっぱすげえよ」

「いやほんとにそれな。で、どうするよ。まだ一時間くらい残ってるんだろ」


 2時間ほど歌い続けた高校生達は疲労困憊といった様子でステージの裏で休んでいた。

 観客のアンコールを求める声が空に響き渡っている。


「なあなあ、ここらで上手い人のステージ観に行かねえ。

 現在開催中のステージで評価値が上位10位以内のプレイヤーのステージはあのボックスから観に行けるんだって」

 と、一見簡易トイレにしか見えないボックスを指差す。

 たしかに扉のところには「1位」から「10位」のプレートがそれぞれ貼られていた。

「いいじゃん、いいじゃん。今後の勉強にもなりそうだし」

「お前、勉強なんて難しい言葉よく知ってたな」

「せっかくだから可愛い女の子だといいなあ」


『歌』は人間にとって原始より共にあった娯楽であり、文化の極みである。

 近代になってもその魅力は褪せることなく、機械に歌わせることができるようになっても、AIに生成させることができるようになっても、歌が上手く人を魅了できるパフォーマーは依然カリスマ的な人気を誇り、莫大な富を得ることができる。

 それはVRの世界においても変わらない。

 彼らは目撃する。

 歌による圧倒的な支配力がもたらす光景を。



 

 彼らが「1位」のボックスに入った次の瞬間、ライブステージに程近いアリーナ席に転送された。

 そこには彼らと同じ、NPCではないプレイヤーと思われる人間が数百と集まっていた。

 

「おお、すっげーな。さすが一位……って、あら残念、男か」

 

 ステージ上に立っていたのは小柄でピンク色の髪をした少年だった。

 原色で揃えられた派手な服装と大きなブーツを履いたその姿はレトロなサイバーパンクのコミックから飛び出してきたような風貌で流行ではないアバターだった。

 

「こういうのって一位には美少女が来るもんじゃないの?」

「別の部屋行かね?」

 などと、彼らが大声で雑談してると、

「うるせえ! 喋んなクソが!」

「MCも含めてのライブだろうが!」

「ぶっ殺されたいの!?」

 

 と周囲から総スカンをくらった。

 すると、ピンク色の髪の少年が彼らを見て笑った。

 マイクを通して彼の声が響く。

 

『どうやらリアルの観客も増えてきたみたいだね。でもケンカはしないでよ。次が最後の曲なんだからさ』

 

 その言葉にNPCの観客が嘆く声を上げた。

 続いてプレイヤーの観客も阿鼻叫喚の様相を見せた。

 

「い、いったい何なの? 何が行われているのココ?」

「…………このステージってさ、採点が滅茶苦茶厳しくって普通にカラオケしてたらNPCからブーイングされてゴミ投げ込まれたりするし、バックバンドがギターで殴りかかってきたりするんだよ」

「その鬼畜仕様この手のゲームに必要か!?」

 

 高校生たちが固唾を飲んで見守っていると、ステージ上の少年が突然、バックバンドの演奏もなしにアカペラで歌い出した。

 

「「「「はあっ!!??」」」」


 高校生たちは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

 伸びやかで力強く、それでいて涙を流しながら歌っているような情感たっぷりの歌声が50万人の大観衆の耳を貫く。

 長い長いロングトーンが途切れ、ドラマーがシンバルを三度強く打ち鳴らしバックバンドが演奏を開始した。

 演奏を担当しているバックバンドは英国を代表する伝説のハードロックバンド。

 世界中を魅了した華のあるパフォーマンスに卓越したテクニックを持つ彼らを従えながらも、まるで気負うことなく少年は歌い、縦横無尽にステージを駆け回る。


(やっ、やべえええええええっ!!! 歌うますぎ!!! 絶対プロじゃん!!!)

(に、日本人だよな? この曲、日本人が歌いこなせるもんなの!?)

(俺としたことが……男に惚れそうになってるかも……)

(あはは、ホント、ぼくらの歌ってカラオケレベルだったんだ)


 先程まで喋っていた高校生たちも音を立てるのを恐れるようにして心の中で叫んだ。

 しかし、少年のパフォーマンスは終わらない。

 サビを歌い終わり、間奏に入ろうとしたところでギタリストからギターを奪い取ったかと思いきや、それを弾き始めた。

 正確で目にも止まらぬ早弾きで繰り出すギターソロは火花を撒き散らすかのように上がりきっていた観客のボルテージをさらに持ち上げる。

 ギターを奪われた伝説のギタリストは苦笑いしながら解放された両手で拍手を打って少年を称えた。

 誰も見たことのない挙動をするNPCたちだが、これにはロジックがある。

 サウンドパークのVRライブ体験は通常、歌の音程や声量を指標に採点し、その点数によってNPCの観客の湧きあがり方が変わるのだが、実は追加の採点対象となる隠しパラメーターがある。

 それはプレイヤーの観客の興奮度合いである。

 観客を沸かせるライブパフォーマンスを繰り出し、プレイヤーたちを盛り上げれば盛り上げるほど周りの観客やバックバンドのようなNPCの挙動もより熱狂的なものとなる。

 ステージ上の少年にプレイヤーもNPCも、この世界さえもが魅了されているようだった。


 曲が終わるとステージに仕掛けられた花火が空を埋め尽くすほどに打ち上がり、少年は光の中に立っていた。


『みんな、楽しんでくれてありがとう。またどこかで会おうね』


 少年らしい屈託のない笑顔を見せると、彼の身体は光の粒と変わって物悲しく消えていった。

 1日の最大滞在時間は3時間。

 Arcadia Shift Engineがプレイヤーに課した絶対条件である。

 VRへのフルダイブ技術が開発され、実際の運用を始めるにあたって最大の争点となったのはフルダイブが脳に与える影響であった。

 シフターと呼ばれるイヤホン型のデバイスから発信する電気信号によって脳に働きかけることでプレイヤーはVRの世界に飛び込むことができるというお手軽な仕組みではあるが、脳にかかる負荷は完全に解明されたわけではない。

 何しろ人類史においてそのようなことをした者は今までいなかったから。

 数多の実証実験を繰り返し、安全性をある程度担保できるとされたのが3時間の壁である。

 実際は非合法な治験により、20時間以上の連続使用でも9割以上の被験者に問題が生じていないことは実証済みであるがVR依存症を避けるために開発者たちが取り付けた良心ともいえる機能である。


 分厚い遮光カーテンに閉ざされ、外の夕陽の色も分からないモノトーンの部屋の中で少年は目を覚まし、オーバーヘッド型のシフターを取り外した。


「ああ……気持ちよかったなぁ」


 自身が生み出した奇跡のようなライブステージの余韻に浸りながら、彼は恍惚の笑みを浮かべていた。

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