宅配便は殺人犯のサイン

呂望

第1章 薄暮の部屋の探偵

第1話 ゴブリンと宅配便

 佐藤タクミ、二十八歳、無職。今日も彼の世界は、薄暗い部屋のモニターの中に広がっていた。午前十時。カーテンは閉め切られ、わずかな隙間から差し込む光が、埃の舞う空気の中で細い筋を描く。床には積み重なったカップ麺の空容器と、エナジードリンクの空き缶が転がり、その異臭はもはやタクミの嗅覚には届かない。

 彼の指は、ゲームパッドの上を華麗に舞っていた。オンラインRPG『ファンタジー・クロニクル・オンライン』の期間限定イベント「深淵の迷宮」の攻略に、全神経を集中させている。

「ちっ、またゴブリンかよ。雑魚は引っ込んでろ」

 モニターの中で、タクミのアバターが巨大なゴブリンロードを両断する。経験値とアイテムが画面に表示され、彼の口元がわずかに緩んだ。

 その時、部屋の静寂を切り裂くように、インターホンが鳴った。

 不快な音。タクミは眉をひそめる。この時間帯に訪れるのは、宅配便くらいなものだ。とはいえ、最近は何も注文していない。

 二度、三度と執拗に鳴り続けるそれに、タクミは舌打ちをして渋々ゲームを一時停止した。

「……はい」

 ドアスコープを覗くと、見慣れない宅配業者の制服が見えた。手に持っているのは、そこそこ大きな段ボール箱。

「佐藤様でいらっしゃいますか? お荷物お届けに上がりました」

「俺、何も頼んでないんですけど」

「確認しましたが、こちらの住所宛てになっております。差出人様は匿名となっておりまして……」

 匿名。胡散臭い。だが、宅配業者は困った顔で立ち尽くしている。面倒だ。どうせ誤配だろう。受け取って、再配達の手続きでもすればいい。そう判断し、タクミはドアチェーンを外した。

 ドアを開けると、宅配業者はぺこりと頭を下げ、段ボール箱を差し出した。

「お手数をおかけしますが、お受け取りいただけますでしょうか」

「あー、はい」

 受け取った瞬間、ずしりとした重みが腕に伝わった。見た目よりもはるかに重い。まるで石でも入っているかのようだ。中身は何だ? ゲーム関連グッズのサンプルか? いや、匿名というのも引っかかる。

 適当にサインを済ませ、ドアを閉める。タクミは箱を床に置き、再びゲームに戻ろうとした。しかし、そのずっしりとした重さと、どこか不気味な存在感が、彼の意識を離さない。

 箱には特に何も書かれていない。差出人の情報も、品名も。ただ、黒いマジックで乱暴に書き殴られたような「S.T」というイニシャルだけが、妙に目を引いた。

 これは、いわゆる「レアドロップ」というやつか? ゲームなら、こういう得体の知れないアイテムには、とんでもない能力が秘められているものだ。

 タクミは好奇心に抗えず、カッターナイフでガムテープを剥がした。ベリベリと音を立てて開いた段ボール箱の口から、まず目に飛び込んできたのは、新聞紙と緩衝材の山だった。それらを掻き分け、さらに奥へと手を伸ばす。

 ひんやりとした感触。そして、硬い。

 取り出したのは、奇妙なオブジェだった。鉄と、何か得体の知れない素材が組み合わさったような、無骨で歪んだ形状。表面には、鈍い光沢を放つ黒い塗料のようなものがベッタリと付着しており、それがまるで乾いた血痕のように見えた。

 タクミは息を呑んだ。

 これは……。

 彼の脳裏に、数日前にネットニュースで見た記事がフラッシュバックする。世間を騒がせている猟奇殺人事件。被害者の身体を損壊し、謎のメッセージを残す犯行。そして、記事に掲載されていた「凶器に酷似した刃物」の写真。

 その写真に写っていたものと、今、タクミの掌にあるそれは、あまりにも似ていた。

「まさか……」

 タクミは自分の掌にある物を凝視した。ゲームの世界なら、これは明らかに「呪われたアイテム」だ。装備すればとんでもないバフを得られるが、同時に恐ろしいデバフも付与される。

 しかし、これは現実だ。

 彼の部屋の薄暗さの中、その物体は鈍く光り、まるでそこから現実の闇が滲み出ているかのようだった。

 その時、彼の耳に、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 それは徐々に、そして確実に、彼の住むアパートへと近づいてくる。

 タクミは、手に持った不気味な物を凝視したまま、固まっていた。

 これは、本当にレアドロップなのか?

 それとも――殺人犯からの、サイン?

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