3.ソールとキナナ


 季節は巡り、ソールとキナナは成長した。冬が来て、二人は十六歳になっていた。キナナは大人しやかで、美しい少女に成長した。少々幼くつたない部分はあるものの、仕事などは不足なくこなすので、かえって口うるさくなく、また口ごたえもないのがいいと、女を粗雑に扱いがちな粗野で年長の男共に目をつけられるようになっていた。

 両親、特に母親は、持参金の多い男ならばよしと、早々にキナナの嫁ぎ先を決めようとしていた。これにソールが口をはさむので、最近ではソールを遠方の出稼ぎに出すべく画策する始末だった。

 ソールは、バーソルの森の男の常として、森の仕事に従事し、キナナはファンラワの糸紡ぎやパン焼きをして暮らしている。森の他の若者達のように、次々と恋の相手を変えたり遊んだりすることもなく、休みの日には相変わらず二人で森の散策などして過ごすので、どことなく浮いた兄妹として捉えられるようになっていた。

 そんな声をわずかには気に止めつつ、ソールはそれでもキナナの手をとり、森を歩く。両親が勝手に決めようとしているキナナの結婚をなんとかして止めたいが、それでキナナが本当に幸福なのだろうかと、そんな迷いもあったりする。

 茶色く枯れた下草を踏み固めつつ進む獣道で、ソールは振り返る。キナナは、頬と鼻の頭を赤く染めて、ぱっちりとした目を瞬かせると、にっこりと微笑む。ソールはもう、それだけで十分に幸せだと思うのだ。

 ソールは「ほぅ」と溜め息を吐いた。白い息が吐きだされたそばから、きらきらと氷の粒になって煌めく。このままもう、二人だけで生きていけたら、どんなにいいだろうか。余計なものに煩わされず、ソールが木を切って売り、キナナが糸を紡いで売り、そのお金で粉を買って、パンを焼いて畑を耕して、そうしてただ静かに暮らしてゆけたらいい。キナナに悪いことをしようとするやつや、キナナを大事にしない父さん母さんとなんか、離れて暮らせばいい。


「なぁに、ソール?」


 あまり抑揚のない声で、小首を傾げながら問うキナナに、ソールは首を横に振った。


「なんでもない。さ、早く行こう。急がないと、ファンラワの種を取りそびれる」

「うん」


 キナナは嬉しそうに笑うと、頷いた。


「リークルロッズの鐘が鳴ったよ」

「ホーリキホー、リキリキ」

「リークルロッズの川が赤く枯れたよ」

「ホーリキホー、リキリキ」


 小さい頃と変わらず、二人はリークルロッズの詩を口にしながら森の奥深くへと進んでゆく。曇天の下、今にも雪が降り出しそうだ。

 今も昔も、ソールのコートは灰色で、キナナのコートは黄色だ。もちろん物は変わっている。それが、吐く息の作りだす氷の粒で、銀色と金色に見えるのが不思議だった。


「なぁ、キナナ」

「なぁに? ソール」

「いっそ、このまま」


 二人で遠くへ逃げないか?

 ソールがそう言いかけたその時だった。


「ねぇソール。あなたのコートは銀色で、わたしのコートは金色みたいね?」


 ソールははっとして振り向いた。キナナはまた、ぱちくりと瞬いて、にっこりと微笑んだ。ソールは泣き出しそうだった。やっぱりキナナとずっと一緒にいたい。だってこんなに同じことを感じている。ずっと一緒にいたのに、離れられるわけがない。

 キナナの目が、ふっと細められた。


「ソール。こっち」


 ふわりとキナナがソールの前に出た。ソールの中に、ざわりと小さな違和感が湧いた。つないだ手は変わらない。なのに、これは違う。絶対に違う。

 だって、手をつないで、引っ張るのはソールのやることだ。これではあべこべだ。

 いつだって、道を行くなら、先頭に立つのはソールで、キナナはその後からついてこなくちゃいけないんだ。ソールは黒髪のおどるキナナの背中を見て、焦りの声を上げた。


「キナナ待ってよ、これじゃおかしいよ。キナナは俺が守るんだから、俺にちゃんとついてこなきゃいけないじゃないか――」

「昔もそう言ったわね、あなた。お前は俺に黙って従えって」



 さらり、しゃなりと鈴の音が響いた。



「え」


 キナナは振り返らない。ソールの手をしっかりとにぎったまま、どんどんと先へ進んでゆく。曇天が更に暗くなる。冷える。寒い。肌が痛い。喉が痛い。ソールのまなじりに涙が浮かぶ。

 いやだ。行きたくない。この先には行きたくないんだ、キナナ、止まって。嫌だ。


「嫌だキナナ!」


 くるりと振り返るキナナの黒髪が、ぬるりと蠢く。ソールの手首に――からみついた。



「やっと捕まえたのよ、もう逃がさないわ、あなた」



 さらさらさらさらしゃらしゃーらしゃらしゃら。

 鈴が鳴る。いや森の精霊が嗤う。バーソルの森の樹間には、数多の黒い影が蠢いている。

 キナナは進む。ソールは知っている。この先には決して近付いてはいけない沼がある。大昔、リークルロッズに隠れ里があった頃、そこには山小屋があった。暴力を奮う夫から逃げた、一人の女がひっそりと隠れて住んでいた山小屋だ。そこで穏やかな男と出会い、二人で静かに暮らそうとしていた矢先、追ってきた夫とその一味に、女は愛する男を殺された。

 黄金の髪を持つ女、バーソルは、憎悪の炎をたぎらせた夫に首を刎ねられ殺された。

 許さない。決してあなたを許さない。

 首が落とされると同時に、切り刻まれたバーソルの金髪が、男達を切り刻み、瞬く間に惨殺した。恐れた夫は悲鳴を上げて逃げ出した。

 バーソルは知っていた。隠れ里の人間達が自分達を売ったのだと。許さない、許せない。


 全員必ず、この森に沈めてやる。


 バーソルの切り落とされた髪は、リークルロッズに広がった。里の夫達から大切な物を切り落とし、里の妻達から大切なものを切り落として暖炉の火に放り込んだ。子供達は全員井戸に詰めた。人々は恐れてリークルロッズに近付かなくなり、やがて隠れ里は森の底に沈んだ。

 増えた黄金の髪は、やがてとろけて沼となった。

 キナナは進む。ソールの手を取って。

 ソールは知っている。

 この先に黄金の沼があることを。

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