第24話 「名前呼び」に発狂するモブ男。元プロの威圧感で、格の違いを分からせる件


 ――翌日。

 いつも通りの時間に登校した湊は、靴箱前で航平と3女神に遭遇した。


 端から見ても、航平はイライラしているようだった。彼は落ち着きなく何事か呟いている。


「……アジって何だよ、アジって。ムカつく。何なんだよ、あいつ」

「こーへーくん、ちょっと落ち着きなって。……あ」


 航平を宥めていた暦深が、湊に気付いて表情を明るくした。


「おはよう、天宮っち!」

「おはよう、ミナト」

「お、おはようございます。えっと……湊君!」

「ああ。久路刻、鋭理、福音。おはよう」


 3女神と挨拶を交わした直後、航平が目を剥いた。手にした靴を取り落とし、福音に迫る。


「おい、福音! 今のどういうことだよ。お前、さっき天宮のこと名前で」

「えっと。はい、私も親友になっちゃいました。……えへ」

「えへ、じゃねえだろ。何笑ってんだよ! よりによって天宮なんかと」


 航平が福音の両肩を掴む。


「おい、何があった。何があったんだよ」

「こ、航平君……?」

「いいから言えって! お前、俺の幼馴染だろ!? お前の正しさをわかってやれるのは俺だけだろ!? それとも何か。お前は親御さんたちに逆らって勝手なことするってことかよ!?」

「航平君、それは」

「いいんだぜ俺は。おばさんたちにそう言ったって。おばさんたちも怒るだろうな。俺じゃなく、天宮みたいな筋金入りの変人とつるんでるなんて知ったらよ! 正しくないよな、そんなこと!」

「……!」


 福音が一瞬にして顔色を悪くする。緊張で呼吸が小刻みになっていた。

 彼女の動揺を見て取った航平は、満足げに口元を緩めた。


 航平の肩を後ろから掴む。


「相沢、やめろ。福音から手を離せ」

「あ? 引っ込んでろよ天宮。これは俺と福音、幼馴染同士の問題だ」

「福音が動揺している。放っておけるか。お前が幼馴染なら、俺は福音の親友としてお前を止めるぞ、相沢」


 ぐっ、と肩を掴む手に力を込める。威勢良く言い返そうとしていた航平は、痛みで顔をしかめた。福音を拘束していた手を離す。

 クライミングでは全体重を指先で支えることもある。握力と指の力の強さは、素人の比ではない。


 湊は暦深に目配せした。ハッと我に返った暦深が、福音を航平から引き剥がした。


 歯を剥き出しにして怒りを露わにする航平に、湊は冷静に語りかける。


「いいから落ち着け。幼馴染でファンなら、福音に噛みつくのは間違ってる。ましてや、脅しなんてもってのほかだ」

「誰が脅してるって!?」

「お前だよ、相沢。福音の家庭環境を知ってて、言うこと聞かせるための武器にしただろ。最低だぞ、それ。俺にとっては特に許せない行為だ」

「ごちゃごちゃうるさいな……!」


 いきり立つ航平。

 湊は動じない。プロプレイヤー時代、好戦的な相手とフェイストゥフェイスになったこともある。それに比べれば、実力の伴わない航平の威圧など、ただ喚いているようにしか感じない。

 一向に表情を変えない湊に、逆に航平は呑まれていった。


 周囲が騒がしくなる。朝の登校時間まっただ中に、靴箱の前で大声を上げたのだから、視線を集めて当然だった。

 湊は慣れている。だが航平は違う。


 辺りを見回した彼は、小さく舌打ちをした。湊の手を振り払い、幼馴染たちをその場に残して足早に教室へ向かってしまう。

 湊は呆れた。


「小学生か……」

「ごめん、天宮っち。後はあたしに任せて。ねねっちをお願い」


 そう言うと、暦深は航平を追いかけていった。


「福音。大丈夫か?」

「……ごめんなさい」

「謝る必要はない。あれはどう見ても相沢が悪い」


 湊は慰めたが、福音の顔色は優れないままだった。


「やっぱり……リアルは苦手です。あんな風に航平君に責められるの、久しぶり。最近はうまくあしらえるようになってきたと思ったのに」

「福音の両親にバラすとか言ってたな……。そんなことすれば、配信に影響が出て相沢も困るだろうに。久路刻がうまく宥めて冷静にさせてくれればいいが」

「すみません、湊君。それに鋭理さんも。私のせいで嫌な思いをさせてしまって」

「気にするな。親友だろ」


 湊が言うと、福音はほんのかすかに笑った。


 そのとき、鋭理が福音の前に立った。そっと彼女の首元に指先を当てる。


「脈が速い。精神的緊張で身体に悪影響が強く出ているようだ。しばらく休んだ方がいい」

「鋭理さん……」

「今のあいつと顔を合わせるべきではないぞ、ネネ」


 鋭理の言葉に、福音は頷いた。


「それじゃあ、1限目だけ保健室で休んできますね……。あの、湊君。もしよかったら、保健室まで付き添っていただけますか?」

「もちろんだ。一緒に行こう」


 福音の表情がぱぁっと和らぐ。

「私も行こう」と鋭理が言い、福音の身体を両サイドから支えながら保健室へ向かった。


 あいにく養護教諭は不在だったので、空いたベッドに福音を寝かせた。カーテンを閉めた湊は、机の上にあった付箋にメモを残した。


「ネネがリアルで、しかも自分から誰かを頼るのは珍しいぞ」


 ふと、鋭理が言った。じっと湊を見つめる。


「本当にネネと親友になったのだな。私と親友になってから、まだ日も経っていないというのに。手が早いものだ」

「鋭理? 怒ってるのか?」

「怒る? 私が?」


 きょとんとした様子の鋭理の首元に、湊は手を当てる。


「お前も脈が速いぞ。それに少し体温も上がってるんじゃないか」

「私が? そんな状態なのか、私の身体は?」

「気付いてなかったのか? それこそ珍しいな」


 鋭理は視線を外した。それから遠慮がちに、湊の手をどける。


 予鈴が鳴った。後のことは養護教諭に任せて、湊と鋭理は教室へと戻る。

 陽当たりの良い廊下は、すっかり人気がなくなっていた。皆、教室に入っているのだ。

 良い機会だから、と湊は前から気になっていたことを尋ねた。


「久路刻は本当に航平の面倒をよく見るな。あいつの扱い方を心得ているというか。鋭理たち3人の中で、一番航平に近い感じがする」

「私たちの中で、コウヘイと一緒にいた時間はコヨミが一番長いんだ。私は私立中学に入ったから学校が別々だったし、ネネはあのとおり、リアルで誰かと積極的につるむタイプではないし」


 ただ、と鋭理は付け加える。


「私の見たところ、コヨミとコウヘイに身体的な熱は感じないな。あくまでコヨミのお節介にコウヘイが甘えているだけだろう」

「鋭理らしい指摘だな」


 湊は苦笑した。

 すると、鋭理が身を寄せてきた。湊の二の腕を掴む。


「それで、ミナト。次はいつクライミングに出かける? 私はいつでもいいぞ。何なら今日でもいい」

「いきなりグイグイきたな」

「廊下には今、私たちだけだ。遠慮する必要はない。それに、親友とは肉体感覚の共有をしてこそ成り立つものだ。ネネとの関係はまあ……発展途上という見方でいいだろう」

「何だソレは。身体の関係だけじゃないだろ、親友は」


 呆れたように湊が言うと、鋭理は小さく頬を膨らませた。掴んでいた二の腕を軽く押す。


「じゃあいい。クライミングにはひとりで行く。まだまだお前の知らない魅力的なスポットがたくさんあるんだ。吠え面かいても知らない」

「どんな負け惜しみだよ」

「馬鹿」


 どうやら鋭理は機嫌を損ねてしまったらしい。湊は少々気まずい空気を感じながら、教室へと向かっていった。


 

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