第4話 選択と結果
彼方の国の神アクパラがおさめる霧で覆われた青と白の街。
タブラは、祖母ヴィヴィに導かれて中央にいる巨大な亀に近接した。
亀の顔は、見上げないと全貌が観測できない。顎には山の様な形の貝殻がビッシリと蔓延っていた。
大小はまばらだ。
「貝殻?」
「そうさ、これを砕くのがお前の仕事だよ、タブラ……まぁ見てておくれ」
ヴィヴィはそう言うと、ほんの小さな貝をシワシワの手で摘み、反対の手でヘラを構えた。
「う、よいしょっ!」
体重をかけて貝を刮ぎ、近くの水路に放り込んだ。
貝の行方をなんとなく眺めていると、水路を泳いでいた小さな亀がバリバリと食べていた。
「あ、食べてる」
「取らないと、大亀様が苦しむ。お前の力なら、簡単に取れるはずだよ」
ヴィヴィはそう言って、タブラの分のヘラを渡して来た。
「わかった」
タブラはヘラを受け取ると、力強く握り込む。滑らかな柄が手に馴染む。
「……『いつまでやるの?』とかは聞かないのかい? タブラ」
ヴィヴィはシワシワの顔を哀しそうに少しだけ歪めた。
「……ヴィヴィ、教えて」
タブラは口をへの字に曲げた。
「期限はアクパラ様に言われるまで、さ。その後は分からない。アクパラ様がお決めになること……さ、一緒にやろうか」
「わかった」
タブラは剛力で貝をドンドンとこそぎ取って行く。
「えぇーえーえーえぇ、早いねぇ」
ヴィヴィは目を見張り、嬉しそうに驚きながらも息を吐く。
近くにいた修道服の者達も口をあんぐりと開けていた。
「父さんのところでやっていた仕事と似てるから、得意だよ」
「そりゃ良かったよ」
水路を埋め尽くさんばかりなので、一時受け様に籠を拵え、そこに放り込むことにした。
いつの間にか、ヴィヴィは自ら貝を刮ぐことはやめ、タブラの手伝いをする様になっていた。
---
どのぐらい、貝を刮いだか分からない。
千を超えたあたりから数えるのが億劫になっていた。
休む間もとらず、無心で貝を刮ぎ続けた。不思議と身体に疲れはなかった。
「ニ億飛んで百八個だよ、タブラ」
ヴィヴィは律儀にも数えていた。
「そんなになるんだ……」
タブラはヴィヴィの顔を見て、目を見張る。
手を止めて振り返ると、貝が大量に入った籠がいくつもあった。
「沢山、徳を積めたね。よかったよかった」
ヴィヴィは満面の微笑みをタブラに向けた。その顔を見て、タブラは心の底が暖かくなっていく。
その時、ヴィヴィの足元から青白い光が立ち上る。
彼女の足元を見ると、足がなかった。
「ヴィヴィ!?」
「……やっと、私の番が来たみたいだねぇ。長かったよ……えぇーえーえーえぇ」
ヴィヴィは安堵の笑みを浮かべ、嬉しそうに言葉と息を吐き切る。
青白い光が胸元まで登って来た。
「あ、ヴィヴィはどうなるの?」
「アクパラ様の御心次第さ。希望は言えるけど、私では選べないんだよ……私は、何にもしたくないんだけどねぇ」
光は顔元まで。
「ヴィヴィ……」
光は、タブラの大きな手をすり抜け、街を覆う空の彼方へ。
「何もしたくないねぇ。ただ」
「ただ?」
「もし、人になってしまうのなら、またお前の祖母がいいかもね。ひひひひ」
ヴィヴィは頭の先まで光の粒に。
霧を抜けて、高く登っていく。
「…………」
タブラの身体には力が入らず、思わずしゃがみ込んでしまう。
ーーウォオオオオオン
大亀が泣いた。
顎を見ると、またビッシリと貝が増えてきていた。
「……自分が取ってあげないと」
タブラはヘラを力強く握り、立ち上がった。
---
ヴィヴィとの二度目の別れ。
あれから、どれほどの時が流れたのか。
「……」
タブラは黙々と貝を刮ぐ。
ヘラは何度も壊れ、その度に予備と交換した。神アクパラが奇蹟によって作っているらしい。
「タブラ、お前が来てくれて本当に良かったよ」
左隣から男の冷たい声。
気配が全くなかった。
「うわっ」
タブラは思わず身をすくめ、そちらを見やると神アクパラが腕組みをして満足そうに頷いていた。
「……アクパラ様、何か御用ですか?」
「褒美をやろうと思ってな。俺に何を望むのだ?」
タブラは考え込んだ。
望みはない。
貝を刮ぎ続け、この亀を救い続けることがいつの間にか、自己の存在意義となっていた。
無心。
不安を感じることが一時もなかった。
「……特に思いつかないです」
タブラは絞り出す様に答えた。
周りの修道服の者達は、こちらをみて目を見開き、口を押さえていた。
「ない、か。では聞き方を変えよう」
「貝にしたい者は、いるか?」
アクパラは冷たい声で述べた。
答えは決まっている。
「……母です。それと、心が変わりました。もう一つ希望を言うことをお赦しください」
「ほお、言ってみよ」
アクパラは少しだけ嬉しそうに目尻を下げた。
「いつでも良いので、父をこの地へ招きたい」
「わかった。早い方が良いか?」
「ゆっくりで良いです」
---
あれから、何千、何億と貝を刮ぎ続けた。母の貝もあったかもしれない。
疲れはするが、苦痛はない。
そんな中、父ーーベネと呼ばれている男が、海亀に乗ってきた。
知っている姿から、白髪が増えていた。
黒髪の癖毛、体格が良く、浅黒い肌。
知的かつ獰猛な眼差しは変わらず。
タブラは少しだけ、頬を緩めた。
ベネはここに来るや否や、タブラにすごい勢いで近づいてきた。
ーーバシンッ
頬に痛みが響く。
ジンジンと熱い。
「てめェ! アンヌをてめェ! ふざけんな!」
ベネは怒りと悲哀が混じった顔で、タブラへの罵倒を続けた。
修道服の人たちは、ギョッとした顔でベネを見るが、手は止めない。
貝を刮ぎ、亀の体を吹き上げ、労わる。
「……母さんが、俺を売った」
タブラは俯きながら、ポツポツと話し始めた。
ベネは、振りかぶっていた手をピタリと止めた。
「本当か?」
ベネは、タブラの肩をガッと掴み、瞳の奥を見つめる。
タブラの瞳は茶色。
悲嘆で穢れた
「本当」
「…………そんなクソ女だったのか」
ベネは俯き、拳をギュッと握りしめた。
「うん」
タブラはキッパリ答える。
「そうか……悪かった、な」
ベネは疲れた様に、その場に座り込んだ。
「うん。いいよ、もう……」
二人を沈黙が包む。
「父さん、仕事をしよう?」
タブラはヘラを差し出した。
「仕事? 死ぬほどやって来たし、死んだのにやるのか?」
ベネはタブラの顔を見て、目を細めた。
「うん、徳のため、亀のために必要なんだ」
ベネは近くをキョロキョロと、ギョロ目で見渡した。
街路樹、水路に目を止めた。
「んなモンやってらんねーよ! ヘラ貸せヘラ」
「あっ」
ベネはヘラを踏んだくる。
「おいタブラ! コイツ倒すの手伝え」
「え? あ、はい」
タブラは慌てて駆け寄ると、ベネは街路樹を握り込む。
「せーのだぞ?」
「はい!」
「お前、何をやっている!」
修道士の男が声を張り上げ、近寄って来た。タブラには見覚えがあった。
賭場であったロザリオ男だ。
「あン? んだてめーは」
「神聖なる街をなんだと心得る? 壊すな!」
「うるせーよ! 壊すんじゃなくて有効に使ってやろうってんだ……こんな貝切れ、ちみちみ手で取ってられっか?」
争いの気配にタブラは肩をすくめ、街路樹にその大きな身体を隠した。
「なァ、タブラ? お前もそう思うだろ?」
ベネはギョロリと正確に隠れたタブラの方へ振り返り、問いかけた。
「……ええ、そうっすね、ええ」
「なんでこんな不信心者が、この楽園に……」
ロザリオ男は頭を抱えた。
「俺もしらねーよ! てかテメェ、あの時に賭場にいたやつだろ? 修道士様が賭場にくるかァ? あぁ?」
「…………人違いだ」
「まぁいい。おいタブラ! こいつ縛っとくぞ。邪魔だ邪魔」
「なっ!」
「ええ、はい」
タブラとベネは二人がかかりで、ロザリオ男を縛ると、街路樹にくくり付けた。
ロザリオ男は、何やらがなりたてているが、ベネは満足そうな笑顔。
「うーん、ベネッ!」
拳を突き出して来たので、合わせた。
濁った男の友情。
---
それから、ベネは水路と街路樹を利用した水車を作り上げ、亀の貝を刮ぐのを自動的にやることにした。
神アクパラが来た時はこびへつらっており、タブラのことを褒めちぎる。
神アクパラも気を良くした様で、ベネとよく話している。
また、いつの間にかエールを下品に煽る様になっていた。
あのロザリオ男とも打ち解けた。
タブラは、産まれ変わりたくない、と強く思うようになったところだ。
「……あ」
足元に青い光が灯る。
審判の刻。
歪な楽園を去る時が来た。
タブラの頬に、銀の線が伝う。
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