第1話 孤児おっさん出会う

――僕には精霊が視えるんだ。


 片田舎のロックヒル村にはかつて、不思議な少年がいた。名をアーセルという孤児だ。彼はかがり火に近づけば大火を生み出し、家屋をたびたび焦がした。いずれもボヤに留まったので大事にはいたらなかったが、あわや大惨事という事態に、村の大人たちはアーセルに激しく詰め寄った。


――僕のせいじゃない、精霊が勝手に暴れるんだ!


 アーセルは自己弁護するものの、大人たちは耳を貸さなかった。それどころか、ふん縛って追い出してしまえと憤った。この身寄りのない少年を庇い、真摯に向き合うものは1人も居なかった――孤児院に務める司祭を除いては。


 その司祭は養父となり、アーセルを育てようと決めた。精霊神ルミナスの加護もあってか、アーセルはたちまち異変から解放された。以降はごく平凡でありふれた暮らしを送ることになる。


 穏やかな時間が流れること30年余。かつての少年は立派な大人に成長した。立派の定義にもよるが、ともかく育ちはした。


「はぁ……暇すぎんよ」


 ロックヒルの村市場に、ゴザを広げただけの店。木彫りの民芸品を並べてみたものの、1つも売れなかった。それどころか客の目にも止まらず、足を止める人さえ居ない。閑古鳥の鳴き声で合唱できそうな程には、暇を持て余していた。


 そこで店番を務めるのは、四十路を迎えたばかりのアーセルだ。伸び晒しの黒髪をボリボリと引っ掻き、衣服の方も古びたチュニックとシミのついた麻ズボン姿。ひどく風采が悪いが、普段通りである。


 精霊視という特殊技能を持った少年も、今やありふれた中年男だ。孤児院預かりという身分も変わっていない。


「今日も売上ゼロかよ。ウチの連中が騒ぎそうだな」


 危機感もなく、呼び込みもせず、ただゴザに座るばかり。忙しなく行き交う人々をジットリ眺めては、思う――。


(おっぱいってどんな味がするのかな。やっぱ甘いんだろうな)


 アーセルの勤務態度は不真面目だった。はりきった所で無意味だという事は経験から理解しているし、物が売れずとも困る訳でもない。衣食住なら『養父』が保証してくれるので、彼が励む理由など皆無に等しかった。こうして市場まで売りに来たのも、仕事として頼まれたからで、自発的ではなかった。


「じいさんのヤツ、たまには汗水を垂らしなさいとか言うけどさ。こんな事して何になるってんだ」


 結局は退屈に堪えきれず、道行く人々を観察するようになる。特に女――チュニックスカートごしに体型を読み取る作業。しかしそれも新鮮味に欠けていた。なぜならアーセルの脳内には、既に村の女全員のボディラインが精密に記録されていたからだ。


(普乳が来た、いまいち。連れの方はそこそこデカ乳。下から覗き込みたい)


 舐め回すように女たちを凝視するので、アーセルの店から更に人が遠ざかる。睨み返す村人も珍しくない。彼は堪えるでもなく、どこ吹く風だ。仮に客足が増えたとしても、売れないものは売れない。


 やがては観察行為にも飽きてしまい、爪の垢をほじくり出した頃のこと。誰かが木彫りの商品を手に取った。「面倒だな」とボヤきながらアーセルは目を向けた。が、思わず両目を見開いてしまった。


「へぇ、可愛い置物ですね。ちょっとだけ歪(いびつ)だけど、味わいがあって」


 商品を持つ手は指が細く、肌も滑らか。しげしげと見つめる瞳は大きく、鼻筋も通っており端正な顔立ちをしていた。銀色の長い髪は宝珠を散りばめたかのように輝き、思わず目が眩みそうになる。


 アーセルは全身が鉛のように硬直したのを感じた。それでも、かろうじて声を発した。


「ゆ、ゆっくり見ていって……」


 その女は腰に細身の剣を差していた。旅の剣士――おそらくは冒険者――だろうと思うし、間違いなく初対面だ。これほどの美貌ならば、一度でも見かけたら忘れない。


「へぇ、色々ある。お花に子犬、家をモチーフにしたのもある。あなたって、随分器用なのね」


 褒められて舞い上がるアーセルは「いや、それはウチのやつが作ったもので」と、顔面を赤くしながら答えた。その言葉も、自分が発したとは思えないほど絡みつく響きだった。


 この降って湧いたような出会いには、全身が震えるようだった。このまま時が止まれば良いとさえ思う。しかし幸福なひとときも長くは続かない。鉄の擦れる音。グリーブが砂を噛む音が、2人の空間を壊した。


「セフィラ、余計なものを買う余裕はないぞ。馬車が傾きかねん」


 声のする方を見たアーセルは、思わず圧倒された。現れたのは見上げるほどの大男で、鋼鉄鎧に身を包み、背中に大きな斧を背負っていた。ゴザに座るアーセルは、踏み潰されそうな錯覚さえ覚えて、小さく縮こまった。


 女剣士セフィラは、手にした品物をそのままに肩をすくめた。


「ひとつくらい記念にいいじゃない。人助けにもなるし」


「人助け? いいや違うね。そいつはいい歳してんのに孤児院預かりのおっさんだ。オレたちが金を払わなくても、温かいスープやベッドにありつける」


 アーセルは「なぜそれを」と叫びそうになり、すぐに気づいた。近くの露天商がニヤニヤと嘲笑っていた。顔見知りの村人で、そいつの告げ口に違いなかった。


 アーセルは胸が引き裂かれる想いだった。今も孤児院で養われており、村で『孤児おっさん』と呼ばれている事も事実。弁明の余地すらない。だが今だけは、このセフィラという女剣士の前では、一端の男でありたかった。


 しかし時間は巻き戻らない。瞳の色を変えたセフィラはそっと立ち上がった。


「ごめんなさいね、またそのうちに」


 セフィラは決まりどおりの挨拶を告げて、立ち去った。その隣に仲間と思しき斧戦士を連れて。すでに彼らの脳裏にアーセルの存在はなく、別の話題で持ち切りだった。


――ギルドに案件が出てたわね。近くにゴブリンが現れたらしいけど。


――そんなもの退治しても金にならない。ここは一度王都まで戻って、実入りの良い仕事を探すべきだ。


――でも皆は困ってるって。家畜が殺されたり、稲を踏み荒らされたり。素通りするのは気が引けるわ。


 アーセルは呆然と、彼女の背中が市場から消えるまで眺めていた。それからは腑抜けたかのようになり、じっと座り込んだままで夕暮れを迎えた。やがて市場も閉まり、追い出された。


「結局、なんも売れなかった」


 ロックヒル村から出て帰路につく。郊外の孤児院へ向かう途上、正面に夕日を見た。赤々と燃えるさまが目にしみて、思わず視線をそらした。そして深く溜め息をついては、力なく歩みを止めた。


 郊外の道の左右には大きな農地が広がる。金色の稲穂が、風に揺られてさらさらと鳴った。端の一区角だけ刈り取りが進んでいるのは、ゴブリン被害のせいだ。農夫たちが数人がかりで作業する。遅くまで対応に追われている様子だった。


「めちゃくちゃ美人だったよな。セフィラって名前だっけ」


 瞳を閉じれば鮮明に蘇る。つややかで美しい銀髪、端正な顔立ち、やらわかな物腰。思い出すだけで心がざわめき始めた。

 

「何やってんだろ、オレは……」


 最後にセフィラが向けた視線。哀れみと、敬遠の入り混じったようなもの。彼女から視線を浴びただけでも嬉しい。が、同時に激しく胸を突き刺した。


 このままじゃ終われない。アーセルは拳を強く握りしめた。


「また会いたい。もっとスゲェやつになって、もう一度セフィラに会いたい!」


 再び空を見上げた。太陽は今にも沈みそうで、夜のとばりが迫る。何も珍しくはない見慣れた光景だ。しかし今だけは不思議と胸がたかぶり、心が激しく燃え上がった。


 そこで大いなる決意を口にした。意気が高揚するに任せて、誰のためでもなく、自分自身のために。


「そうだ、冒険者になろう! めちゃくちゃ強くなって、セフィラを手に入れてみせる!」


 無言の空に向かって、立て続けに叫んだ。


「彼女を手に入れたら、おっぱいを吸いまくるぞ! 朝も夜もなく永遠にだ!」


 煩悩に溢れた台詞が夕闇に響き渡る。アーセルは恥じ入るでもなく、こだまする自分の声を聞いていた。

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