おっさん魔術師と童貞の呪い
おもちさん
プロローグ
村人たちは炎に飲まれる家屋を見上げていた。放たれた火は、藁葺き屋根を踊り狂うかのように、激しく燃え広がってゆく。彼らが火消しをするでもなく、ただ呆然と眺めるのは――皆が後ろ手に縛られていたからだ。
「宴だぞ野郎ども! 根こそぎ奪いとれ!」
山奥の寒村は賊徒の襲撃に見舞われていた。家屋が炎に包まれる最中、広場には金品に食料が集められた。後ろ手に縛られた住民たちも同じく『戦利品』だった。
村のそこかしこで男たちが倒れ伏す。彼らも必死に抵抗したのだが相手が悪かった。まだ息はあるものの、死は確実に訪れるだろう。村人は縛られて、賊も略奪に夢中だ。
この降って湧いたような災厄に堪えきれず、囚われた1人の少女が強く祈った。
「あぁ精霊神様、ルミナス様。どうか皆を救い、悪党どもを滅ぼしてください……!」
その祈りは囚人たちを勇気づける一方、悪党の耳にも届いてしまう。
「何か言ったか? おう?」
頭目は、声の主まで歩いていった。その娘は、囚われの女の中でも特に若い。まだ子どもと言って良い年齢だった。そのあどけない顔を、薄汚れた手が掴んだ。
「もっと声を聞かせてくれや。精霊神だと? んなもん百万回唱えた所で、オレらに傷1つつけられねぇぞ?」
そう言ってせせら笑うと、手下たちもすかさず合いの手をいれた。「違ぇねぇや!」そして哄笑(こうしょう)を響かせた。
「覚えとけよガキ。この世は力が全てだ。テメェみてぇな雑魚は、オレたち強者に狩り取られるだけなんだよ!」
頭目の革靴が少女の腹にめり込んだ。息の詰まる痛みから、少女はうつ伏せに倒れ込む――さらに頭が靴底で踏みつけにされた。
「やめてくれ!」周囲の大人たちが懇願するが、それも白刃を突きつけられたことで、止まる。
「やめる? なにを? オレはただ、社会勉強を教えてやってるだけだ。この世には逆らっちゃならねぇ相手が居るって事をな」
頭を踏みつける足に力が込められていく。少女は痛みから悲鳴を上げるのだが、力が緩むことはない。頭目はむしろ瞳を細めて、かぐわしい薫りでも嗅ぐような表情をした。
「いいもんだねぇ。豊かに生い茂る森の中、香ばしく燃えるボロ屋、響き渡るクソガキの絶叫。これぞ風流ってやつだ」
ギリギリと軋む音。悲痛な叫びと、嘆き悲しむ声。それらに被せて大笑いする賊徒たち。この清らかな少女も、勇敢に戦った男たちも、間もなく命を散らすだろう。
この無法に対して精霊神が手を下す事はない。
だが鉄槌は、予期せぬ巡り合わせという形で振り下ろされた。集落の郊外で手下の1人が怒鳴った。
「そこのお前、止まれ!」
声が響くなり、抜剣する音も続いた。逃げ隠れた住民が見つかり、剣を突きつけられたのだ――当初はそう思われた。
だが違った。間もなく断末魔の叫びが響くのだが、それは手下によるものだった。その全身は激しく燃え盛ったかと思うと、その場に倒れて動かなくなる。
「なっ、何が!?」
頭目は弾かれたように顔を向けた。ちょうど森の中から何者かが現れた瞬間だった。眼深にローブを羽織る丸腰の男。何の変哲もない旅人らしき人物が、ただ平然とこちらに歩み寄ってくる。武装した賊徒が見えているはずなのに、まるで無人の野を行くようだった。
今、その男に対して、別の手下が襲いかかった――だが刃を斬りつける寸前に、炎によって迎撃された。その手下も獄炎に飲まれ、倒れ伏した。
「魔術師、あれは炎の遣い手か。なんでこんなクソ田舎に……」
ツイてないと呟いた頭目は、腰からボウガンを引き抜いた。魔術師と戦う時の鉄則は、術の射程外から戦うこと。特に弓矢が効果的だ。心を乱した魔術師は術が扱えなくなると、歴戦の猛者は心得ていた。
「そこそこの手練れかもしれねぇが、1人で乗り込んで来たのが運の尽きよ!」
頭目は引き金を引いた。勢い良く打ち出された矢。空を切り裂く音が、猛然と術師に迫る。狙いは精密で、額をまっすぐ貫くはずだった。
だが、矢は突き立つことなく、突然吹き荒れた暴風によって大きく逸れた。そして後方にそびえる木の幹に突き立った。男にはかすりもしなかった。
「今のは何だ!?」
この頃になると、残りの手下も騒ぎに気付き、自ずと広場に集結した。明らかに浮足立っていた。
「テメェら、アイツに矢を浴びせろ。ありったけ射ちまくれ!」
事情を飲み込めていないものの、ローブ姿の男の異様さはすぐに理解した。日常的に命を奪い、奪われるような連中だ。死の臭いを嗅ぎ分ける能力に長けていた。
射て――。その合図とともに弓矢が放たれた。風切り音とともに、描かれる放物線の軌跡。10本もの矢がローブの男に降り注ぐ。
だが今度も一矢として命中しなかった。突如として土塁が出現し、全ての矢を弾いてしまったのだ。
「今度は土の魔術だと……!?」
この光景を幻かと疑いたくなる。炎による攻撃、ボウガンの矢を防いだのは風で、今しがた見たのは土属性。
一端の術師でもひとつの属性を操るのがせいぜいだ。複数属性を操るほどの熟練者は希少で、界隈では重鎮扱いとなり、王都の豪邸でふんぞり返るのが常である。しかしローブ男は護衛の1人もなければ、身なりが貧しく浮浪者のよう――本来であれば『刈り取れる弱者』そのものだった。
「何者だコイツ……!」
一転して静まり返った集落に、家屋の燃える音だけが虚しく聞こえた。それに重ねるようにして、ローブ男が短い台詞を吐いた。声質は低いが不思議なまでによく通った。
「精霊アクアリンネ、その真価を示せ」
すると、極めつけと言わんばかりに、水魔術まで飛び出した。手のひらから水柱が吹き出したかと思うと、家屋の火災を消し留めてしまう。その手並みも鮮やかだった。
「四属性を使いこなす、だと……!?」
この時ようやく頭目は思い出す。最近耳にするようになった噂話だ。
突如として謎の魔術師が現れたという。神出鬼没、戦えば百戦百勝。何にも属さず、金も女も領地も求めないという極めて異質な男。耳にした時はヨタ話だと決めつけていた。そんな奇特な人間がいるはずもない、誰もが己の利益の為に生きている。
だがその男は確かに存在して、大いなる脅威として眼前に現れた。賊徒たちは皆、息を飲みながら挙動を凝視していた。一步ずつ刻むように歩み寄る、その男を。
「何をボサッとしてやがる! 敵は1人だ、一斉にかかれ!」
轟く号令。すると手下たちは吠え声をあげるとともに、真正面から突貫していった。相手は丸腰の1人だけ。10人がかりならばと踏んだのだ。
しかし結果は散々だった。手下たちは炎で焼かれ、石つぶてに打ちのめされ、天高く風に巻き上げられては落下させられた。水柱に飲まれて溺れた者もいる。倒すどころか近づくことさえ出来ない戦況は、もはや悪夢そのものだと言えた。
「嘘だろ……こんなバケモノがいるなんて!」
戸惑う頭目に『バケモノ』が眼前にまで迫った。どう見ても平凡な男で、体つきも細い。だが至近距離で味わう威圧感――睨み合うだけで肝が縮み、震え上がってしまう。
「い、命だけは助けて……」
「さえずるなよ、人でなしどもが」魔術師は血の匂いに眉を潜めた。地面には今も、血まみれの男たちが倒れていた。「夜中にコソコソ盗みに入るだけなら、まだ可愛げがあるものの……お前らはやりすぎた」
微かな詠唱のあと、右手が淡く輝いた。何か魔術を宿した証だった。一見して神々しいが、対峙する頭目には怖気しか走らない。
「噂は本当だった、お前があの男なんだ、そうだろ?」
「噂だと?」
「我が物顔で暴れまわる全属性魔術師、四十路ドーティ……」
会話の途中でローブ男は拳を振った。その一撃は、アゴ先を正確に捉えては振り抜いた。土属性をまとう拳は威力絶大だ。大男の太い骨を散々に砕いただけでなく、滑るように地面に転がしてしまう。
「童貞で何が悪いんだコラ! ナメた事抜かすと殺すぞ!」
既に頭目は半死半生だ。それでも男の怒りは冷めやらず、手早く『処刑』が施された。荒縄できつく縛った後に、断崖絶壁の岩肌に吊り下げたのだ。
「いいか、オレの名はアーセルだ。それを覚えたら死ね! 心置きなく死ね!」
崖の方から「たひゅけへ!」と聞こえる声を無視したアーセルは、すかさず住民の方へ歩み寄った。そして皆を縄から解き放った。ただ指を1つ鳴らしただけで、全ての縛めが解かれたのだ。その魔術も胸がすくほどに鮮やかだった。
「あの、どなたか存じませんが、お助けいただき――」
住民たちが礼を述べようとする。アーセルはそれを遮って、問いかけた。
「お前らセフィラという女剣士を見なかったか? 髪が長くて銀髪で、ええと、すんげぇ美人の」
「女剣士ですか?」
住民たちは困り顔を見合わせては、首を横に振った。全く心当たりがない。
するとアーセルは両手で頭を抱え込んだ。
「こっちじゃなかった!? じゃあ別ルートを通ったのか、読みが外れた!」
「あのう、それよりも魔術師様。助けていただいたお礼に、酒席を設けようと思います。貴方様のような強者に留まっていただければ、大変心強く……」
年配の男が、周りの女たちを見つつ言った。ここに美人と呼べる程の女はいないが、童貞相手ならばと、値踏みしたのだ。それは悪意なき処世術なのだが、まったく通用しなかった。
「いらねぇ! つうかもう行く! 働き損だぞクソが!」
最後にアーセルは胸元から小袋を取り、住民たちに投げつけた。中は傷薬で、塗れば傷が塞がると言った。これには皆も大喜びで、感謝の言葉もわめき声に近くなる。
だがアーセルは駆け去った。彼の背中はみるみる遠ざかり、深い森の中に消えてゆく。
全属性魔術師、四十路ドーティーと様々なあだ名を持つアーセルは、風のように駆け抜けていった。繰り返しセフィラの名を叫びながら――。
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