第27話 覚醒する『構造解析』。概念すらも修復する力

光の階段を駆け上がった果てに辿り着いた場所。

そこは、色も音もない、完全なる「白」の世界だった。


「ここが……『天上の管理室』……」


フィオが息を呑む声だけが、虚無の空間に響く。

俺たちが立っているのは、ガラスのように透き通った床の上だ。その遥か下には、黒いノイズに侵食されつつある世界――俺たちが暮らしていた大地が、箱庭のように広がっている。


「よく来たな、バグ(異物)どもよ」


空間の中央に、光の粒子が凝縮する。

現れたのは、地下で見た時よりも遥かに鮮明で、そして圧倒的な存在感を放つ女神の姿だった。

背中の六枚の翼は虹色に輝き、その瞳には感情のない冷徹な光が宿っている。


「余計な真似をしてくれたものだ。あのまま大人しく消去されていれば、苦しまずに済んだものを」


女神が指先を振るう。

すると、俺たちの足元にウィンドウが展開された。

そこには、世界の崩壊率を示すグラフや、赤く点滅するエラーログが羅列されている。


「貴様が作ったあの塔……『つっかえ棒』としては悪くない。だが、無意味だ。この世界のシステム寿命はすでに尽きている。OS(基本構造)そのものが腐っているのだからな」


「腐らせたのはあんただろ、管理者」


俺は一歩前に出た。

「メンテナンスをサボり、エラーを魔王に押し付け、挙げ句の果てにリセットか? 職務怠慢もいいところだ」


「口を慎め。人間ごときが、神の視座を理解できるはずもない」


女神の目が細められた。

瞬間、強烈な圧力が俺たちを襲った。重力魔法ではない。存在そのものを「不要」と定義され、排除されようとする拒絶の力。


「ぐっ……!」

「タクミさん!」


フィオが俺を庇うように前に出る。

彼女が弓を構え、矢を放つ。

光の矢は女神に向かって一直線に飛んだ。

だが、女神に届く直前で、矢は「パチン」と音もなく消滅した。


「物理攻撃も魔法も通じぬ。ここは『概念』の世界だ」


女神が静かに宣告する。

「消去(デリート)」


女神がフィオを見た。ただ、それだけ。

次の瞬間、フィオの持っていた弓が、そして弓を持っていた彼女の右腕が、肘から先ごと消失した。


「え……?」


フィオが自分の腕を見る。

血は出ていない。痛みもないようだ。

ただ、最初からそこに何もなかったかのように、空間ごと切り取られている。


「フィオッ!?」


俺は慌てて彼女に駆け寄り、その腕を掴んだ。

「『修復』! 戻れ!」


俺は魔力を注ぎ込んだ。

いつものように、細胞を再構築し、元の形に戻そうとする。

だが、反応がない。

【エラー:対象の部位データが存在しません】

【修復不能:定義が見つかりません】


「な……直せない?」


俺の背筋に冷たいものが走った。

今まで、どんな壊れた物も、どんな大怪我も直してきた。

だが、今回は違う。

「壊れた」のではない。「無かったこと」にされているのだ。

設計図そのものから「フィオの右腕」という項目が削除されている。


「無駄だ。私はその個体のデータを書き換えた。腕など最初から存在しない」


女神が冷酷に告げる。

「次は足か? それとも頭部か? 貴様の目の前で、その愛しいバグを少しずつ『修正』してやろう」


「やめろォォォッ!!」


俺は叫んだ。

だが、女神は止まらない。

再び視線が動き、フィオの左足が膝から下を失い、彼女はバランスを崩して倒れ込んだ。


「あ、あぁ……タクミさん……私、どうなって……」

フィオの瞳に恐怖が浮かぶ。

自分の体が消えていく恐怖。


俺は震える手でフィオを抱きしめた。

何もできないのか?

俺の『構造解析』は、物理的なモノしか直せないのか?

所詮は大工仕事の延長でしかなく、神の領域には届かないのか?


(――いいや、違うな)


脳裏に、あの男の声が響いた気がした。

最期まで不敵に笑っていた、魔王ゼノスの声が。

『貴様はイレギュラーだ。世界の理の外側にいる』

『これを使え。世界の設計図だ』


俺はポケットに入っていた、七色の結晶を握りしめた。

ゼノスが命がけで託してくれた、世界のソースコードの断片。


「……そうだ。俺は建築士だ」


俺は立ち上がった。

フィオを背に庇い、女神を睨みつける。


「建築士ってのはな、現実に建っている建物を見るだけじゃない。その裏にある『設計図』を読み、設計者の『意図』を理解する仕事だ」


俺は結晶を胸に押し当てた。

「アクセス開始(ログイン)。権限、管理者代行」


キィィィィン!!


結晶が俺の体の中に溶け込んだ。

視界が弾ける。

白い空間が、色彩の洪流に変わる。


「……見えた」


俺の『構造解析』が、新たな次元へと進化した。

今までは、物質の密度や魔力の流れといった「表面的な構造」を見ていた。

だが今は違う。

女神の姿も、この空間も、そしてフィオの体も。

すべてが「情報(コード)」の集合体として見えている。


【対象:フィオ・ウィンドル】

【状態:構成データ欠損(右腕、左足)】

【原因:管理者による定義書き換え】


「なるほど。ただの記述(テキスト)の変更か。なら、書き直せばいい」


俺は空中に指を走らせた。

そこには何も無いように見えるが、俺の指先は確かに「世界を構成する光の糸」に触れていた。


「『概念修復(コンセプト・リペア)』――再定義」


俺はフィオのデータにアクセスした。

削除された「右腕あり」「左足あり」の項目を、バックアップ(俺の記憶にある彼女の姿)から復元。

さらに、管理者による干渉を弾くプロテクトコードを追記する。


「確定(エンター)!」


パァァァッ!


光がフィオを包んだ。

消滅していたはずの右腕と左足が、デジタルノイズのような光の粒と共に再構成される。

一瞬の後。

そこには、五体満足で、傷一つないフィオの姿があった。


「え……? 腕が……ある?」

フィオが信じられないといった様子で、自分の手を握りしめる。


「な……に……?」


女神の表情が、初めて凍りついた。

「バカな……。消去したはずのデータを復元しただと? 貴様、一体何をした?」


「言っただろ。リノベーションだ」


俺は自分の手を見た。

青白い光が脈打っている。

物理法則を超え、因果律すらも操作する力。

覚醒したユニークスキル『構造解析・改』。


「あんたのやり方は古臭いんだよ。データを消して無かったことにするなんて、三流プログラマーのやることだ」


俺は一歩、また一歩と女神に近づいていく。

女神が焦りを露わにして手を掲げる。


「近づくな! 消去! 消去! 消去!!」


女神が連呼するたびに、俺の体に「消滅」の命令が飛んでくる。

右手が、左足が、心臓が、存在ごと消されそうになる。

だが。


「『修復』『修復』『修復』。……無駄だ。消す端から直してる」


俺は歩みを止めない。

消された瞬間に、より強固な定義で上書きする。

イタチごっこ?

いいや、こっちの処理速度の方が速い。なぜなら、俺には「現場の経験」があるからだ。

どうすれば効率よく直せるか、どこを補強すれば壊れなくなるか。

そのノウハウの蓄積が、神の単純な暴力(コマンド)を凌駕している。


「貴様……何者だ! ただの人間ではない! その権限、その演算能力……!」


「相沢匠。バルガスの街で工務店を営んでる、ただの建築士だ」


俺は女神の目の前まで辿り着いた。

そして、その顔に向かって指を突きつけた。


「あんたがこの世界の設計者なら、俺は施工業者だ。現場からのクレーム対応に来た」


「ふざけるなッ!!」


女神が激昂し、背中の翼を大きく広げた。

空間全体が振動し、白い世界に黒い亀裂が走り始める。

自らの領域ごと、俺たちを圧殺しようとしているのだ。

「神に逆らう大罪人め! この管理領域ごと消え去れ!」


「暴れるなよ。せっかくの綺麗な内装が台無しだ」


俺は両手を広げた。

インベントリから、今まで集めた全ての資材データを展開する。

ミスリル、オリハルコン、世界樹、黒魔鋼。

それらの「概念」を、この空間に混ぜ合わせる。


「『領域再構築(ゾーン・リノベーション)』――発動」


俺の魔力が、白一色の世界を侵食していく。

冷たい無機質な空間に、温かみのある木目が走り、堅牢な石材が床を埋め尽くす。

女神の支配していた「無」の空間が、俺のイメージする「家」へと書き換えられていく。


「な、何をしている!? 私の世界が……書き換わる!?」


「あんたの管理室、居心地が悪いんだよ。もっと住みやすくしてやる」


俺は女神の座っていた光の玉座を指差した。

「あんな硬そうな椅子じゃ、腰も痛くなるだろ。もっと人間工学に基づいたデザインに変えてやるよ」


『解体』。


女神の玉座が粒子となって崩れ去る。

その代わりに、最高級のクッションを備えた、ふかふかのソファが出現した。


「……は?」

女神が呆気に取られている。


「さあ、座って話し合おうか。この世界の『今後』について」


俺はソファの向かい側に、自分用の椅子とテーブルを出現させ、どっかと腰を下ろした。

フィオも恐る恐る近づいてくる。俺は彼女のために、温かい紅茶の入ったカップをテーブルに出現させた。


「な、舐めるな! 私は神だぞ! このような屈辱……!」

女神が震えている。

だが、攻撃してこない。いや、できないのだ。

この空間の主導権(ホスト権限)は、すでに俺が握っている。

俺が「ここでは暴力禁止」とルールを書き込んだからだ。


「屈辱じゃない。相談だ」


俺は紅茶を一口啜り、女神を真っ直ぐに見据えた。

「あんた、本当は限界だったんだろ? 一人でこの複雑怪奇な世界を管理し続けることに」


女神の動きが止まった。

「……何?」


「見てれば分かるよ。あの『世界の礎』の継ぎ接ぎだらけの補修跡。あれは、あんたが必死に世界を維持しようとした痕跡だ。魔王システムなんて残酷な仕組みを作ったのも、それしか方法が思いつかなかったからだろ?」


俺の『構造解析・改』には見えていた。

女神という存在の内部にある、疲労と孤独のデータが。

彼女もまた、ブラック企業でたった一人、サーバー管理を押し付けられた社畜のようなものだったのだ。


「……私は……私はただ、完全な世界を作りたかっただけだ」

女神の声が小さくなる。

「だが、うまくいかなかった。人間たちは争い、世界は歪み、私の手には負えなくなった。だから……リセットして、最初から……」


「リセットしても同じことの繰り返しだ。完璧な設計なんて存在しない」


俺はテーブルの上に、ゼノスから貰った結晶――設計図の断片を置いた。

「必要なのは、一人で抱え込むことじゃない。メンテナンスできる人間を増やすことだ」


俺は女神に手を差し出した。

「手伝ってやるよ。俺だけじゃない。ゼノスも、勇者も、この世界に生きる連中はみんな、自分の家(世界)を良くしたいと思ってる」


「……人間如きに、神の代行が務まるとでも?」

「務まるさ。現に俺は、あんたの攻撃を防いで、この部屋をリフォームした」


女神は俺の手と、変貌した部屋を見回した。

そして、深いため息をついた。

その表情から、険しい神の威厳が消え、どこか疲れた、等身大の女性のような顔つきになった。


「……全く。とんだ施工業者が入り込んだものだ」


女神は俺の手を取らなかったが、代わりに俺が作ったソファに、ドサリと背中を預けた。

「……悪くない座り心地だ」


「だろ? 俺の自信作だ」


空間の揺れが収まる。

世界の崩壊(デリート)プロセスが停止した。

空の亀裂が塞がり、黒いノイズが消えていく。


「タクミさん……! 世界が……!」

フィオが窓(俺が勝手に作った)の外を見て歓声を上げる。

下の世界では、再び青空が戻り始めていた。


「勝負あり、だな」


俺はニヤリと笑った。

物理的な戦いは終わった。

だが、ここからが本当の大仕事だ。

基礎が腐ったこの世界を、神様と一緒に一から見直す「大規模改修会議」の始まりだ。


「さて、女神様。まずはあの『魔王システム』の廃止と、地脈の配管工事から始めましょうか。見積もりは出しますんで」


「……好きにしろ。ただし、予算(魔力リソース)は有限だぞ」

「任せろ。コストカットは得意分野だ」


最強の建築士と、疲れ切った女神。

奇妙なタッグによる、世界のリノベーションが本格的にスタートした。

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