第三章:転・世界を揺るがす脅威

第16話 魔王軍の侵攻開始。辺境都市への総攻撃

「警報。警報。大規模な魔力反応を感知。これは訓練ではありません」


サンクチュアリの管制塔から、無機質な合成音声のアナウンスが響き渡った。

平和な朝の空気は一変した。

俺、相沢匠(タクミ)は、手に持っていたトーストを皿に戻し、リビングのモニターに駆け寄った。


「タクミさん! レーダーが真っ赤です! こんな反応、見たことありません!」


フィオが青ざめた顔で叫ぶ。

水晶板に映し出されたマップ。そこには、バルガスの街がある北の方角から、巨大な赤い染みが津波のように押し寄せてくる様子が描かれていた。

個体識別数、測定不能(エラー)。

推定魔力量、Sランクダンジョンの崩壊時(スタンピード)の十倍以上。


「……スタンピードじゃないな。これは『軍隊』だ」


俺は冷静に分析した。

魔物の暴走なら、動きは無秩序だ。だが、この赤い反応は整然とした隊列を組んでいる。

前衛、中衛、後衛、そして指揮官がいる本陣。

完全に統率された、戦争をするための布陣だ。


その時、壁の通信機が激しく明滅した。

バルガス城との直通回線だ。


『タクミ! 聞こえるか! 緊急事態だ!』


ノイズ交じりの音声と共に、グラハム辺境伯の悲痛な叫びが聞こえてきた。

モニターを切り替えると、城の司令室の映像が映る。

背後では怒号が飛び交い、伝令が走り回っている。


「聞こえてますよ、グラハムさん。そっちの状況は?」

『最悪だ! 魔王軍だ! 奴らがついに動き出した! 先鋒だけで五万はいるぞ!』


「五万……」

このバルガス領の総人口に匹敵する数だ。守備兵はせいぜい三千。

いくら俺が城壁を強化したとはいえ、数の暴力で押し潰されればひとたまりもない。


『現在、北壁で防衛戦を展開中だが、敵の攻城兵器が厄介だ! それに空からの爆撃も激しい! ……すまん、貴様の作ったサンクチュアリに民を避難させたいところだが、包囲されていて脱出もままならん!』


辺境伯の声には、死を覚悟した響きがあった。

彼は俺に助けを求めているわけではない。ただ、最期の報告として現状を伝えているのだ。

『タクミ、貴様は逃げろ。貴様の街の防衛力なら、籠城すれば助かるかもしれん。……今まで世話になったな』


通信が切れそうになる。

俺はマイクに向かって声を張り上げた。


「勝手に殺さないでくださいよ。まだ追加工事の請求書、渡してないでしょうが」

『なに……?』

「今からそっちに行きます。五万程度なら、俺の『解体』作業の範囲内です」


俺は通信を切ると、フィオに向き直った。

「フィオ、留守番を頼めるか? ここの防衛指揮を」

フィオは首を横に振った。その目は、かつてないほど強い意志に満ちていた。

「嫌です。私も行きます。バルガスは、私を、私たちエルフを受け入れてくれた大切な場所です。それに……タクミさんの背中を守るのは、私の役目ですから」


彼女の手には、俺が強化改造したコンパウンドボウが握られている。

俺は少し驚き、そして苦笑した。

「分かった。じゃあ、サンクチュアリは自動防衛モード(レベル最大)に設定して、出発だ」


俺たちは地下室へと走り、転移ゲートに飛び乗った。


          ◇


バルガス城の地下倉庫に転移すると、そこは野戦病院の様相を呈していた。

運び込まれる負傷兵たち。血と焦げた肉の臭い。

治療師たちが走り回っているが、明らかに手が足りていない。


「酷い……」

フィオが息を呑む。

俺は彼女の肩を叩いた。

「フィオはここで治療の援護と、避難誘導を頼む。俺は壁へ行く」

「はい! 気をつけて!」


俺は階段を駆け上がり、城の外へと出た。

空が暗い。

太陽が雲に隠れているのではない。無数のガーゴイルと、敵が放った魔法の噴煙が空を覆っているのだ。


ドォォォォォン!!


轟音と共に、街のあちこちで火柱が上がる。

俺は屋根を飛び移りながら、北側の城壁を目指した。


そこは、地獄だった。

かつて俺が一晩で築き上げた白亜の城壁。

その壁面には、無数の黒い染み――梯子をかけて登ろうとするオークやゴブリンたちが群がっていた。

城壁の上では、バルガスの兵士たちが必死に剣を振るい、油を流し、石を落として応戦している。


「怯むなァッ! 一歩も通すな!」


最前線で剣を振るうグラハム辺境伯の姿があった。

全身血まみれだが、その剣筋は衰えていない。

だが、多勢に無勢だ。

敵のカタパルトから放たれた巨岩が、結界(俺が設置した簡易版)に弾かれて砕け散る。

結界のエネルギー残量はもう限界に近い。


俺は城壁の塔の上に立ち、戦場全体を見渡した。

『構造解析(アナライズ)』――戦域スキャン。


眼下の平原を埋め尽くす黒い鎧の海。

オーク重装歩兵団。

トロール攻城部隊。

後方には、巨大な移動要塞のような魔導兵器が鎮座している。


「……なるほど。ただの力押しじゃないな」


俺の目は、敵軍の「構造」を見抜いていた。

一見、無数に押し寄せているように見えるが、そこには明確な力の流れ(ロードパス)がある。

魔力の供給ライン、指揮系統の伝達網、そして兵站のルート。

それらが、後方の一点に集約されている。


あそこだ。

敵の本陣。巨大な漆黒の輿(こし)に乗った、一際強大な魔力を持つ存在。


「魔将軍か」


俺がターゲットを定めたその時。

敵陣から、不気味な低い音が響いた。

ブォォォォォ……。

角笛の音だ。


それを合図に、攻城部隊の列が割れ、巨大な鉄の塊が前に出てきた。

全長十メートルを超える、巨大な杭打ち機(パイルバンカー)を搭載した戦車。

それを引いているのは、四頭の地竜だ。


「な、なんだあれは!?」

辺境伯が叫ぶ。

「『破城槌(バタリング・ラム)』か! あんなものを直撃されたら、壁が持たんぞ!」


巨大な杭の先端には、赤黒い魔力が渦巻いている。

爆裂魔法を付与された特大の一撃。

あれを一点に受ければ、俺の作った城壁といえど、物理的な亀裂が入るかもしれない。


「撃てッ! あの戦車を止めろ!」

兵士たちが矢や魔法を放つが、戦車を覆う鉄板に弾かれる。

地竜の皮膚も硬く、傷一つ付かない。


ズシン、ズシン、と死の行軍が迫る。

兵士たちの顔に絶望が浮かぶ。

「もうだめだ……」

「あんなの、どうしようもねえ……」


「諦めるな!」

辺境伯が叫ぶが、その声も轟音にかき消されそうになる。


その時だ。


「――邪魔だよ。通行の妨げだ」


戦場の喧騒を切り裂くように、冷ややかな声が響いた。

次の瞬間。

突進していた巨大戦車の直前で、地面が生き物のように盛り上がった。


ズガァァァン!!


隆起した地面は鋭利な「槍」の形となり、戦車を下から突き上げた。

分厚い装甲板ではなく、地竜たちが踏みしめている地面そのものを隆起させたのだ。


「ギョエェェッ!?」

地竜たちが転倒し、牽引されていた戦車が横倒しになる。

そこへ、俺は城壁の上から飛び降りた。


ヒュンッ。

着地音もなく、俺は横転した戦車の上に立つ。


「誰だ!?」

「味方か!?」

城壁の上の兵士たちがざわめく。


俺は戦車の装甲に手を触れた。

『構造解析』。

内部構造をスキャン。魔力エンジンの位置、爆裂魔法の信管、エネルギー伝導パイプ。


「設計が甘いな。振動対策がなされていない。こんな不安定な状態で魔力を溜めれば……」


俺は指先から、特定の周波数の魔力波を送り込んだ。

共振(レゾナンス)。

物体が持つ固有振動数に合わせて振動を与えることで、内部から崩壊させる技術。


キィィィィン……!


戦車全体が不快な音を立てて震え始める。

「自壊するぞ」


俺は軽くバックステップで離脱した。

直後。


ドゴォォォォォォン!!!


巨大戦車が内部から爆発四散した。

溜め込まれていた爆裂魔法が誘爆し、周囲にいたオーク兵たちを巻き込んで巨大なクレーターを作る。


土煙の中から、俺は悠然と歩み出た。

風が俺のコート(フィオ特製・耐火仕様)を揺らす。


「た、タクミ……!」

城壁の上から、辺境伯が身を乗り出して叫んだ。

「来てくれたのか!」


「遅くなりました、グラハムさん。ちょっと道が混んでたもので」

俺は城壁を見上げ、ニヤリと笑って親指を立てた。

「この程度の『解体工事』なら、俺一人で十分です。兵士たちは下がらせて、見物しててください」


「一人でだと!? 相手は五万だぞ!」

「数は関係ありませんよ。建築物と同じです。支えている柱を数本折れば、あとは勝手に崩れますから」


俺はくるりと反転し、五万の魔王軍と対峙した。

圧倒的な数の暴力。

殺意の波動。

普通なら足がすくむ光景だ。

だが、今の俺に見えているのは、敵兵ではない。

彼らが構成する「陣形」という名の巨大な構造物だ。


「貴様、何者ダ……」


煙の向こうから、低い唸り声が聞こえた。

オークたちの列が割れ、一人の巨漢が進み出てきた。

身長三メートル。全身を禍々しい真紅の鎧で覆い、手には身の丈ほどある大斧を持っている。

魔将軍の側近、オーク・ジェネラルだ。


「我ガ軍ノ兵器ヲ破壊スルトハ。タダノ人間デハナイナ」

「通りすがりの建築士だよ。お前らの陣形、隙間だらけで美しくないから直しに来た」


「建築士ダト? 巫山戯(フザケ)ルナ!」

オーク・ジェネラルが激昂し、大斧を振り上げた。

「虫ケラガ! 潰レロ!」


風を切り裂く剛撃。

だが、俺は動かない。

ポケットに手を入れたまま、その軌道を見定める。


「大振りすぎる。重心が前のめりだ」


俺は一歩踏み込み、振り下ろされる斧の柄(え)の根本――金属と木の接合部――に、下から掌底を打ち込んだ。

『解体』。


パァン!


乾いた音がして、鋼鉄の大斧が根本から砕け散った。

刃の部分が空高く舞い上がり、後方のゴブリン部隊の中に落下する。


「ナッ……!?」


武器を失い、体勢を崩したジェネラル。

俺はその懐に潜り込み、彼の胸当てに手を当てた。


「その鎧、熱を逃がす排気口がないな。中は蒸し風呂だろ? 風通しを良くしてやるよ」


『修復(リフォーム)』――モード:強制換気(エア・バースト)。


俺が魔力を流し込むと、ジェネラルの鎧の継ぎ目という継ぎ目から、圧縮された空気が爆発的に噴出した。

鎧の内圧が急上昇し、留め具が弾け飛ぶ。

バラバラバラッ!

真紅の鎧が四散し、ジェネラルは下着(腰布)一枚の無防備な姿になった。


「ハ、ハダカ……!?」

「寒いだろ? 風邪引く前に帰りな」


俺は無防備になったジェネラルの腹に、強化魔法を込めたデコピンを放った。

ドスッ!

衝撃は体表を抜け、背骨を伝わり、全身の神経を麻痺させる。


「ガ、ハッ……」

巨体が白目を剥いて、ゆっくりと後ろに倒れた。

ズシン。


静寂。

五万の軍勢が、たった一人の人間によって幹部を瞬殺された光景に、言葉を失っていた。


「さあ、次はどいつだ?」


俺は戦場に響く声で告げた。

「この先は俺の『施工管理区域』だ。許可なき立ち入りは、即座に解体処分とする」


その時、敵の本陣から、凄まじい魔力の波が放たれた。

空気が震え、俺の肌が粟立つ。

漆黒の輿の帳(とばり)が上がり、中から一人の男が立ち上がった。


青白い肌に、二本の角。

冷徹な知性を宿した紫色の瞳。

魔将軍、グレイオス。


「……面白い。人間風情が、構造(理)を語るか」


グレイオスの声は、距離を超えて俺の耳元で囁くように響いた。

「我が軍の陣形を『構造物』と見たてたか。ならば試してみよう。貴様の計算と、我が軍の質量。どちらが先に崩壊するかを」


グレイオスが指揮杖を振るう。

すると、呆然としていた魔物たちの目が赤く輝き出した。

『狂化(バーサーク)』の魔法だ。

恐怖を忘れ、痛みを感じなくなった兵士たちが、津波となって俺一人に押し寄せてくる。


「総員、突撃。あの男をすり潰せ」


五万対一。

これ以上ない絶望的な状況。

だが、俺は口元を歪めて笑った。


「上等だ。大規模解体ショーの始まりだな」


俺は地面に両手をついた。

サンクチュアリの建設で培った、地形操作の応用技。

戦場全体を俺の盤面(フィールド)に変える。


「『構造解析』――全域リンク確立。……さあ、リノベーションの時間だ!」


大地が咆哮を上げた。

戦いの行方は、物理法則と魔法が交錯する、未知の次元へと突入していく。

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