18

 刑事部の扉が開き、小綺麗なスーツに身を包んだ三人組が現れた。その手には分厚いファイルとビニールの保存袋が抱えられている。日曜日だが、休日なんて事件を解決するまでやって来ない。それが刑事だ。松井は今朝も六時から資料を貪るように渉猟していた。


 先日は現場にも赴き、怨念たっぷりの個人的な宿題を片づけてきた。形だけ同行した岡本は、表情がもう、終始困っていた。「あー、えら。しんどいわほんま」松井は廃車になったレガシィの後釜のスズキ・キザシのドアにもたれかかった。彼の上着とスポーツドリンクを持ちながら、岡本は少し強い口調で言った。

「松井さん、本当に控えた方がいいですよ」

「いんやぁ、やめたらしまい、やめたらしまい。うん、うん」

「私……心配なんです。松井さんの気持ちはわかりますけど、このままだとどんどん悪い方へいっている気がして、そのうちとんでもない事になるんじゃないかって」

「あのなあ、岡ちゃん。ええか。人として生きていく上で一番恥ずかしい事はな、良くも悪くも早合点する事なんや。ほとんどすべての失敗はここからくる。頭や足や、身体使って何でもやれる事やらないかんのや。五体満足なんやでさ。そーゆーこっちゃでよろしく」

「そう言って手遅れになる事が怖いんです、私は」

「はっはっは。ノンキャリを舐めるなって。伊達に29年もやっとらんっちゅーに」

 キザシの車体をベコベコと叩いた松井の虚勢を、岡本はしっかり見抜いていた。


 午後三時五十分。まだ昼食も摂っていない。胃が受け付けない。三人は部屋の中を見回していたが、松井を認めるとまっすぐ彼の元へ向かった。待ちくたびれた松井は即座に椅子を引いて「すんませんな、わざわざ」と労った。

「お疲れ様です。わたくし主任の木戸川と、こちらが小寺、そして大滝です。画像の解析が終わりましたので、お持ちしました」

 彼らの正体は科捜研の物理学分野鑑定を担当した技師だ。「おおお、どんなんですかな」待ってましたと身を乗り出す。「いやぁ、驚かれるかと。ちょっと流しますね」梅宮辰夫に似ている木戸きどかわ純一じゅんいちという初老の技師が薄型ノートPCを取り出し、動画ファイルを開いて見せた。

「当日にテレビクルー達が撮影したモノですね。照明などもしっかりしていて、こうして見ている限りでは異常なんて無いですよね。だけれど、午後八時四十二分頃からです。いきますよ」

 木戸川はとても小さい声で話す人物だ。画像を早送りにする。一行が階段を登っている場面で再生に戻す。突如鳴り響くドォンという音に伴って、視点が百八十度振り返る。後続のスタッフ達も後ろを振り返っていた。そこにはなんと大きな壁が――「うんぬぅ?」松井は思わず唸る。「これは火災が起きた時なんかに閉める防火扉です。それが閉まっただけですが、このドア、彼ら側の取っ手が外されていまして、中から開ける事が出来なかったんです」

「……取っ手が無いドア。開ける事が出来へんドア」

 どこの国のなぞなぞだ、と笑いそうになる。

「言ってみれば、犯人が自分の作った籠に獲物を閉じ込めてしまえば、そこは外からはとても窺い知る事が出来ない都合の良い箱庭な訳です。ここで被害者らは別の出口を探そうとしますが、これが墓穴を掘る結果に繋がります」

 別のファイルをクリックした。舞台は暗く長い廊下に変わる。松井はしばらく画面に見入っていたが、急に弾かれたように顔を離した。画面にノイズが走り、鋭い悲鳴が上がる。カメラが振り向くと、四人の男女が床に倒れて激しく痙攣している。「な、なんじゃこりゃあ」

「分かり辛いでしょうけど、感電してます。現場の壁にワイヤーが残っていたことと、四人が失神していることからスタンガンの使用が有力だと考えます」

「いやあ……普通、護身用のスタンガンってのぁ良くて一五mAとか、とにかく電流が弱くて、痛みで一瞬だけ相手を怯ます事は出来たとしても失神っちゅう事は如何なモンですやろ」

 木戸川は松井の猛禽類のように鋭い目に見上げられ、二秒ほど硬直した。

「ええ、確かにそうですね。一般人が所有出来るスタンガンと言えば、ごく限られた安物だけですね。出力もありません。でも四人はご覧の通り――これはあくまで私の憶測になりますが、この時の彼らは極度の緊張と恐怖に晒されています。そのせいで血圧と心拍数が異常に上昇していて、肉体に掛かる負担が通常よりも大きかったからではないか、と踏んでいます」

 木戸川は愛用のレイメイ藤井の手帳をあてもなく捲りながら淡々と陳述する。

「ふむ。スタンガン以外の何かが一緒に併せて使用された可能性とかは無いですやろか?」

「そうですね、道具がどうこうって言うのとは話が逸れますけど、仮説をもう一つ立てるなら、この時彼らの皮膚が濡れていたのではないかという事ですね。この状況でしょう、相当発汗も激しかった事だろうと。人体は水に濡れると電気抵抗が低下します。心拍数と血圧の上昇、電気抵抗の低下。この三つの相乗効果で以って四人の大人が同時に気を失った。そう考えると、可能性が見えてきませんか?」

「ほうほう。一理あるかも」

 実に的を射た分析だと思う。それらを踏まえ、止まっていた動画が再度流れ出す。暫くすると足音が近付いてきて、カメラをひょいと飛び越えた。ライトで照らし出されたその人物の服装に妙な既視感を覚えて、目を見張る。映像を止められた。

「これ今、人が通りましたよね。よーく見てて下さい」

 刃物を持ったセミロングの女。流行りのカーディガン。明るいギンガムチェックのスカート。

「このコが身につけている制服、御神山高等学校のものです」

 松井の腹の中で何かがグッと隆起した。強い感情の波が押し寄せる。

 ――やっぱり、睨んだ通りでしたね――

 脳裏で残響する中谷の声。松井は胸一杯に息を吸い込み、煙草を味わうように吐き出した。

「――その通りやな」

 その後も凶器を持った男性が二、三人通過した。そして映像が終わる。

「はい、ここまでです。この通り、映像だけで個人を特定するのには正直難しい所があった訳ですが、運良く個人を特定できた人物が四人います」

 ここで技官達がいくつかのビニール袋を取り出した。中身は炭酸飲料のペットボトル。

 木戸川がその中の一つを手に取り、自分の目の高さに持ち上げて振ってみせる。

「まず、こちらのボトル。一階の医局に転がっていた物ですが、これらをDNA鑑定にかけてみました。大半は四日市市内の不良少年のものだったのですが、その中で御神山高校の生徒三名のものが検出されています」

「ペットボトルで三人もですか」

「はい。いずれも二年生の子です。学校の方にも伺ってきましたが、どうやら三人とも教員間で噂の札付きだったようですね。都合よく全員が同じクラスだったので、担任の先生に話を聞いてデータを取ると、共通点がありました」

「ほうほう」

 松井は完全に聞き入っていた。小寺という中年技官が二枚のプリントを差し出す。

「四人の学生証のコピーです。この女の子、彼女は吉川未来といって先ほど映像に映り込んだ生徒です。担任教師によると成績優秀で運動も出来るそうですが、やや支配的で攻撃的な面も持ち合わせています。女子のリーダー格という感じでしょうか」

 今風の目鼻立ちのはっきりした可愛らしい子で、事件を起こすようには見えない。

「まぁ俗に言う自己顕示性の高い性分だそうです。二人目はこの男子、芝浦竜司。先の吉川未来と同じで成績、運動ともに優秀です。彼も内面に欠点があるようで、校則や学級の決まりも平気で破るし、教師に対しても反抗するしの問題児だそうです」

「十七といえば、そういうのは少なくないと思いますがね」と鼻を鳴らす。

「ええ、もちろん軽弾みな行動をとる少年少女はそこかしこにいます。ですが話を聞く限り彼らの場合はどうも普通ではない……何と言いますか、もっとまずいものがある」

「もっと、まずいもの?」その部分が、妙に深い含蓄がある。

「ええ。行動や性格について突っ込んでみたところ、反社会性人格障害や精神病質者サイコパスの疑いが強いという結果が出ました。因みにこの少年と吉川未来、恋人同士だとか」

 それは衝撃だ。「二人が二人とも精神に異常を来している、つまりそういう事ですか」

「その通りですね。朱に交われば赤くなる。付き合う人間によって、人は如何様にも変わりますから。特に若いですし、その点は顕著かと。まぁ、この二人の場合どちらかがもう一方に感化されてしまったという可能性も否めませんが、同じ価値観を持った二人が自ずと引き寄せ合い自然と恋仲になった、そういうシナリオが浮かびます」

 要はどちらかが引き金になったというよりは、どちらも最初から弾丸そのものだったと。

「ははあ。と言いますと、一連の件の主犯格はこの芝浦と吉川でほぼ確定ですな」

「はい。この二人がクロなのはまず間違いありませんね。あとの二人について――」 

 木戸川は言葉が終わらぬうち、二枚目のプリントを指差した。

「――まずは、この子。須藤修、先の二人みたいな露骨な攻撃性はないのですが、瞬間湯沸かし器のように非常に激情しやすい性格の子です。内側に爆弾を抱えるタイプですね」

「面倒臭い奴っちゃな」松井はお局と嫁を思い浮かべ、青息吐息に茶を啜る。

「ええ、まぁ。ですけど俯瞰的に見ればむしろ分かり易いタイプとも言えます。人に指示するよりも自分で動く方で、実務主義的な面も持ち合わせます。ここは良い面としての特徴でいわゆる職人気質と称されたりします。案外どこにでもいるイメージでしょう?」

「ははは、その言い方ですとな。表現の問題かな」

「まぁ彼の場合はそこがせめてもの長所であって、全体の鑑定結果によれば――最近の心理行動概論上は若干クセが有るのですが――傾向的に、軽躁者に振り分けられます」

 軽躁者とは字の通り浅薄・自己中心的な性格形状を呈し、軽犯罪を繰り返す人間がここに該当する。かつてセイアンに居た事のある松井は熟知していた。脱法ハーブに万引き、援交に速度違反――ちょっとだけならいいや、と軽くそれらに手を染めるのだ。一方で、自分が決めた事や自分が敬意を示すものには、まるで信者のように異様に忠実だったりもする。

「それと、こちらをちょっと」

 次に出されたのは丸めたティッシュペーパーだった。点々と赤黒い染みがある。

「鑑識が三階の六号病室で拾いました。見ての通り血液が付着しています。これは死亡したテレビ局職員の血ですが、それとは別のDNAも検出されました」

 そういって彼が示したのは、面長で厳つい風采の少年。

「柿崎諒太。ここから彼の皮膚の角質が出ています。この子も一癖あるようで、よく人に酷い言動をみせるらしいのですが、相手が傷付いているか、それを言った事に対して自分は恥ずかしくないかは一切考えられないそうです。一年の頃に何度か問題になったそうです。彼の場合は同情や羞恥、哀れみといった感情が薄いので情性欠如の疑いがあります。情性欠如といえばまだ若い内から重犯罪を起こすタイプで、殺人や強盗等の凶悪犯罪者の大半がこの疾患を抱えていて、思春期より前に動物を殺したりして表出してきます。彼らの厄介な点は同じ行為を繰り返すところですね」

「んー、いまいち説得力に欠けますなぁ。ちゃらんぽらんな事を抜かすガキなんて、犬の糞みたいにそっこら中にゴロゴロ居ますがね。そこまで大層なもんですやろか」

「学校側が学期初めに実施する心理テストの集計を、過去の分も合わせてチェックしてあります。彼は他のそれと比べて、やはり抜きん出て顕著でした」

「って事はつまり、感情の欠損?それが異様に高いと」

「ええ。ついでに言うと、そう珍しい事でもありませんよ。社会的に立派な職業に就いている人間にも該当者がちらほらといますから」

「そうですか。そうか。そんなもんか」

 なんとなく、モノ哀しくなる。

「はい。この疾患を持つ犯罪者は相当な数がいます。例えば平成二十三年度の日本の再犯率は約四十四%。同じ行為を繰り返す、万引き犯は万引魔に、痴漢犯は痴漢魔になっていきます」

「いや~詳しい調査をありがとうございます。ところで儂の方からも一つ、ええですか」

「はい、なんなりと」

「捜査していく中で、儂はこいつらの肩を持つモンが居るんちゃうかと睨んでましてねぇ。個人的にこの四人が何かのグループとかのケツを持ってる可能性っちゅうのも考慮してる訳ですが、どないやろうかと」

「それは、言うところの暴走族とか、そういった連中の事でしょうか?」

「いや、それよりももっとタチの悪い奴らですわ。言うなればホンマもんの〝不良〟やと思われます。統計的にこういった異常者は自分らの組を作るから」

 彼は絵を描いていた。

●実行役の能動派アクティビズムの四人を中枢に、感化された受動派パッシビティが興味半分で組織を作り、事件に加担。

◆しかし羊達は次第にただの構成員(後援者)から狼と同じ思考回路、同じ価値観を持ち合わせる仲間(協力者)へと進化を遂げ、行為に対する規模が上がる。

▲彼らは知らず知らずのうちに首謀者の域を超えており、尻尾を見せるまでになった。

 流行がつくられる原理と似通っている。アメリカの普及学の父・エヴェリット・ロジャースの唱える『普及過程の法則』のテンプレートを引用して考察すれば、これまでにない全く新しい事を始める革新者にあたるのが今紹介された四人ないしこのカップル。それを自ら波となって広げていくのが、あるいは二人の男子。そして後援者たる前期追随者と後期追随者が共鳴シンパを呼びエネルギーを具現化させた……少々理屈っぽくなってしまった。

 実は松井はかつて、会議でこの旨を言った事があるのだが、誰にも響かなかったのだ。

「まあ、これは構成員らを狂信者とした考察に基づくんで、解釈が難しいかな」

「いえいえ、的を射ていますよ。続きを聞かせて下さい」

「この場合はな、慣れ合い性も視野に入れつつ、組の中で上下関係が発生しとる事も考えていかななりません。下請けみたいなんが陰に居るかもしれんのです」

「下請け。下請けですか……?」木戸川は思わずといったように笑みを零す。

「若いのってすぐ自分より強い奴や派手な奴を崇拝したり信じたりし易いから」

 へろへろのチンピラが無頼漢をアニキだのボスだのと呼ぶ感覚だ。

「ふむ」

「この場合ケースで面倒なんは、相手がどれだけおるかって事です。不特定多数の信者がそこかしこに散らばってるとすれば、それこそ根絶やしにするのは難儀しますわな」

「この瞬間にも悪事を働いているかもしれませんね。となれば科捜研も全力で――」

 課の電話がけたたましく鳴り響いた。すかさず部下の男性刑事が受話器を取る。

表情が覿面に険しくなる。「うそ、本当ですかっ」

 やがて刑事は受話器を置くと、松井に向き直って静かに、然しきっぱりと告げた。

「松井さん。中谷君の仇……討つチャンスかもです……」


          *


「おい美幸!!大丈夫か!!」「頸動脈が破れちまってる。修、こりゃもう無理だ」

 美幸は真っ赤に濡れそぼり、修の腕の中で動かなくなった。あまりにも、あっけない。

「……っくしょお!!クソッおいヤツを追っかけろ!!潰せえ!!」

 修の目は怒りと狂気で真っ赤に濁った。美幸の血で足を滑らせ、案山子の如く倒れる。

「辻方君、パスッ」

 達也はダットサンのキーを投げ渡すと、自身は丸目に乗り込み、エンジンを始動した。

「おい。ワシらも乗せてけや」

 発進しようとした折、鉄パイプを持った寺島と柿崎、どこから引っぱり出してきたのか釘抜きを掴んだ翼が荷台に飛び乗ってきた。

「こうなったら逃がすなよ、絶対だ。ベンセレーモス!」

 ダットサンの荷台で竜司が叫ぶ。まるで戦車チャリオットに乗る古代の戦士のようだ。彼は背中に何か細長い物を背負っているのが見えた。二台は狂騒的な旋風を上げて駆け出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る