ヘモグロビン

上手ジョウズ

第1話 仕事よさらば

 ―この世にはこんなにも美しく深みのある血が存在してくれるだろうな。あぁミハイル、なぜだと思う―


 ピピピッ


 懐かしい悪魔のような声と目覚まし時計とともにボロボロの棺桶から出る。そろそろ買い換えなければならない。


 我が名はミハイル・ホワイト。白とは名ばかりの血塗れたヴァンパイア一族だ。


「さて、朝食にしよう」


 小鳥が囀り、温かい日差しが身を照らす。朝は決まってこのコーヒーと…


 チンッ


 ちょうど焼き上がった食パンに自家製トマトジャムを塗る。

 もう日本に来て20年ほどだろうか、ずいぶん慣れてしまったな。


 よし、仕事を辞めよう。


 ○○○


「え!ミハイルさん辞めちゃうんですか!?」


「はい、来月に退職させていただきます」


 店のバックヤードに慌てて同期の京平が入ってきた。


 ここは日本でも有数の三ツ星レストラン。日本に来て長いこと世話になった店だが、必要な分の金は入手した。もう居続ける必要はない。


「いや~、でもそっか~。ミハイルさんめちゃくちゃ料理うまいですもんね」


「痛み入ります」


「本当ですよ。ここにいる人たちは当たり前に一流の料理人たちですけど、そのなかでもとりわけ、来た当初から目立ってましたから。来て早々、新人料理試食会でシェフがあんなに驚いてたのは今でも忘れませんよ。ミハイルさんのせいで同期の俺ら、結構肩身狭かったんですよ」


 京平が懐かしむような、目でこちらを覗く。


 そんなこともあったな。思い返してみるとここには思い出と言えるものが数多くあった。懐かしい。

 あの頃はまだ古い日本語を使っていて会話が理解できなかったな。


「次はどこのレストランですか?俺食べに行きますよ」


「まだ決まってないです。しばらくはブラブラして過ごしたいと考えてます」


 嘘は言っていない。レストランに勤めるのはもうここが最後かもしれないが。


「そうですか。ま、ミハイルさんのことですし大丈夫ですよね。でも一つ心残りがあります」


「なんでしょうか?」


「ミハイルさんとご飯食べに行けてない!同期でミハイルさんだけですよ! 一緒に飲みに行ってないの!」


 キラキラと目を輝かせて言う


 そういえばそうだった。なんて返せばいいだろう。もう言い訳は言い尽くした。

 まずい、冷や汗も出てきた。


「えっと、お早めに帰らなくても良いのですか?お子さんとか」


「いつの話をしてるんですか!もうとっくにそんな年じゃないですよ!今日同期みんなで行きましょうよ!」


 グイグイと来られる。毎回辞めるときはこうなる。そしてだいたい我は…


「いや、今日は…遠り…行きます」


「よっしゃー!みんなに伝えてきますね!絶対に逃げないでくださいよ!」


 はぁ~。勝てるわけないだろうあんな目で見られたら。


 そう、だいたい押し負けてしまう。


 ○○○


 ワイワイ、ガヤガヤ


 久々に飲んだな。少し顔が熱い。ワインの方が好きだが、こういう雰囲気では断然ビームの方が良い。

 さて、無事にこいつらは家に帰りつけるのだろうか。


「ミハイルさんお酒強すぎですよ~みんなもう潰れちゃいましたよ」


「皆さんが張り切って飲むからですよ。途中から踊ったり、泣いたり、もう誰が主役か忘れてしまいましたよ」


「ははは、確かに!ミハイルさんでもそんな皮肉言えたんですね。でもみんなミハイルさんに感謝してるんですよ。あの店はミハイルさんのアドバイスや手助けで三ツ星になったようなもんですもん。先に出ていった人たちも残ってる人もホントに世話になったんですよ。ミハイルさんは…そう!店のご意見番的な!」


 笑いながら京平は残っているビールを飲み干す。

 京平とももう別れか、昔も今もあまり馴染めていない我に話しかけてくれていたな。以前と比べ、ずいぶん老いている。やはり、哀しい。


「そんな大層なものじゃないですよ。皆さん伸びしろがあってそれを最大限出してくださったおかげです。でも、そう言っていただけると有り難いですね」


 京平がニンマリと笑い他の同期に呼びかける


「おら〜お前ら〜そろそろ帰るぞ〜タクシー使いたいやつはいるか〜」


 京平のヘナヘナな号令にそれぞれゆっくりと店を出る

 皆が帰る前にお礼を先に言っておこう


「今日は誘ってもらいありがとうございました。あと残り少ない期間ですが、よろしくお願いします」


 この距離感のある喋り方も最初こそ、怪訝な目を向けられたが、いつの間にか皆受け入れてくれた。

 今ではなんてことのないように、言葉を返してくれる。


「じゃあまた〜」

「ありがとな〜」

「またいこうね~」

「ミハイルさんもまた明日〜」

「お気をつけて〜」

 

 それぞれの方法で分かれる。

 皆とは運良く、反対方向だ。ゆっくりと余韻に浸りながら帰ろう。


 人と関わるのは楽しい。だからこそ深入りしたくない。厄介なことに我らは長寿。どう我が努力しようと、人が先に死ぬ。おそらくそれらのことを無視し続ければいつかは人の死にも慣れるのだろう。だが、我は慣れたくない。出来るだけ覚えておきたい。


 そういえば、もう長年、同族とも会っていない。すでに滅んでいるのか、どこかに潜んでいるのか。たまには会いたいものだ。


 ザクッザク


「そこの吸血鬼止まれ!!」


 吸血鬼! 我の正体がそれがわかるのは! まさか!

 

 後ろにいたやつは嫌な記憶のある白い装束にギラギラと光る銀の器具を持った同族殺しだった。


「ここであったが100年目!その命神に返させてもらう!」


 そっちか〜。たしかに長年会ってはなかったけれども。せっかくのいい日だったのだが

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