兵庫県北部の某所で発生した狼憑きの事象について

卯月 絢華

令和×年12月3日

1

「――それで、例の件はどうなっているんでしょうか?」

 そんなこと言われても分からないし。私は「分かりません」と返すしかなかった。


 学生時代に京極夏彦きょうごくなつひこの小説に色んな意味で頭を殴られた私は、その将来を小説家に定め、そして――本当に小説家になった。とはいえ、自分の小説は全くと言って良いほど売れていない。印税よりも暇つぶしとして「大人の球遊びパチンコ」で勝ったときの収益の方が多いのが現状である。


 そんな現状を打破すべく、私は丸川書店まるかわしょてんからある「小説」のオファーを快諾かいだくしたのだが……やはり、私程度の文才じゃまともなモノが書けないと自覚せざるを得なかった。


 そもそも、丸川書店から受け取ったオファーとは「兵庫県北部のとある村で発生したとされる一家鏖殺おうさつ事件を元にモキュメンタリーホラーを書いて欲しい」というものだった。確かに、私が小説を執筆するジャンルは怪奇小説寄りのミステリが多いが、流石にホラーは門外漢もんがいかんというか、書いたことがない。


 とはいえ、京極夏彦はミステリにホラーを組み込んだモノを執筆することが多く、「それなら私でも執筆できます」と担当者に対してうっかり口を滑らせてしまった。だからこそ、こうやってダイナブックの前で頭を抱えているのだが。


 私の丸川書店における担当者――名前は矢野幸三やのこうぞうという――は、ダイナブックの画面越しに話を続ける。


「卯月先生、いい加減にしてもらえないでしょうか? 丸川書店の将来は、卯月先生の新作にかっていると言っても過言じゃないんですよ。だからこそ、来年の一月頃を目処にして原稿を仕上げて欲しいんですが……」


 私は、彼の話に反論した。


「矢野さん、私は今執筆に悩んでいるんですよ。それは分かっていますよね。そうやってあなたがかすことによって、私はますます追い詰められているんです。それは分かっていますよね?」


「そうですか。――それじゃあ、来年の一月を目標として小説を仕上げる。その約束、確かに承りましたよ?」


「はい。――執筆出来るように努力しますから、私はこれで失礼します」


 そう言って、私は内心怒りながらビデオチャットの終話ボタンをクリックした。――ダイナブックの画面越しに、自分の不健康で醜いブサイクな顔が映っていた。


 不健康で醜い顔を持つ私は「卯月絢華うづきあやか」というペンネームのしがない小説家である。本名は――どうでもいい。そんなこと、ここで書いても仕方がない。ただ、小説家としては未熟な部分が多く、正直言って「小説家」という看板を降ろそうと思っていたぐらいである。まあ、今更看板を降ろしたところで――まともな仕事があるかと思えばそうでもなく、せいぜいコンビニかスーパーでレジ打ちすることしか出来ないだろう。それなら、まだ小説家として細々と食べていく方がマシだ。


 頬杖をつきながら、私はダイナブックの画面と向き合う。兵庫県北部で発生したとされる一家鏖殺事件をどうやってモキュメンタリーとして執筆していけば良いのだろうか。そんなことばかり考えていると、スマホが鳴った。


 仕方ないので、私はスマホのロックを解除していく。私は友人がいないから、どうせメッセージアプリにメッセージが入ってきたとしてもお得なクーポンか広告だろうと思っていたが、その目論みは見事に崩れた。


 ――卯月先生……じゃなかった。ヒロロン、調子はどう? アタシはそれなり。


 ――最近、ヒロロンから新作小説が出てないから、ちょっと心配してんのよね。


 ――それはともかく、ヒロロンが気になるかもしれないネタを提供しようと思ってね。


 ――唐突で申し訳ないけど、ヒロロンは「大神家おおがみけ」っていう名家は知ってる?


 ――ああ、「犬神家いぬがみけ」じゃないわよ? 「大神家」よ? 別に「湖に息子の遺体が逆さの状態で沈んでたアレ」じゃないから。


 ――それはともかく、「大神家」自体は兵庫県北部……まあ、豊岡とかあの辺って言えばいいのかな。とにかくそこに大きな家を構えているって訳。


 ――でも、最近その一家の間で不穏な噂があるらしくてさ、当主である大神清二おおがみせいじは頭を抱えているらしいのよ。


 ――なんでも、「満月の夜になると自分の息子が『人間じゃない何か』になって人の血肉を喰らっている」って話でさ、アタシはこの件に関して「狼憑き」だと考えたって訳。ほら、京極夏彦の小説でもあったじゃん、そういうの。


 ――それはともかく、小説のネタにはなるかもしれないんじゃないのかな。アタシ、ヒロロン……というより、卯月先生のことを応援してるから。


 ――ちなみに、大神家の所在地はここだから。あとはヨロシク。


 どうやら、メッセージの主は私の友人だったようだ。友人の名前は「志村沙織しむらさおり」と言い、その付き合いは中学生の頃まで遡る。まあ、いわゆる「腐れ縁」と言ってしまえばそれまでだ。現在では普通にそれなりの会社で働きつつ、オカルト系の動画配信者として活動しているらしい。本人曰く「チャンネル登録者数は微妙」だそうだ。


 そんな志村沙織からもたらされた情報――兵庫県北部の「大神家」という名家で発生しているという狼憑きの事象――は、確かに丸川書店から提示された小説の題材である「兵庫県北部のとある村で発生したとされる一家鏖殺事件」と合致する部分が多少あるかもしれない。ならば、この噂をベースとして小説を執筆すべきだろうか?


 そうと決まれば、私がやることはただ一つである。――小説を書くのだ。

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