第18話 正しさについて

「野宿は大丈夫かな?この状態なら下手に動かせない」


「私もその方が良いと思う。移動すると賢者様に負担をかけてしまうし、他の冒険者に見つかったら大変だもの。だけど夜は危険よね」


眠っている賢者を抱えたまま、トワと相談する。しばらく賢者は動かせない。少しずつ食事を摂らせて体力の回復を待つ。数日の野宿を覚悟する。


門番は交替もするだろうし、僕たちを見かけなくても不審に思わないはずだ。楽観的かもしれないが、もし問われたら道に迷っていたと答えれば良いだろう。


問題は夜だ。考える。ふと思った。聖女の結界のような魔法を作ることはできないだろうか。魔物が近づいたときに察知する魔法だけでも見張りの負担は減るだろう。


サクヤから貰った魔法の本を開く。結界魔法の記載はないが、魔物を察知する魔法は確かこの辺りにあった。ページを捲る。2つある。スピリットベル、風魔法が魔物の接近を知らせる。シャドウウィスパー、闇魔法で霊的な魔物の接近を察知する。前者が肉体を持つ魔物で後者が霊体向けだ。


両方の魔法をかけるとなるとそれなりに魔力を消費する。賢者を探し出すときに半分くらいの魔力を消費した感覚がある。魔力が持つだろうか。不安になる自分を鼓舞する。僕ほど忍耐力のある人間はいない。一ヶ月だろうが耐えてみせる。


察知魔法をかける。収納箱からテントを取り出す。リコが仲間になったときに少し大き目なテントを買っておいて良かった。テントに賢者を横たえ、トワに世話を任せる。身体が泥だらけだから拭いて清潔にすることも必要だ。


フォレストウルフが3頭、僕と目があった。向かってくる。闇属性の魔弾で3頭とも貫く。他の魔物が惹きつけられないように収納箱に仕舞う。


アッシュベアが現れる。土魔法で転ばせる。手足を拘束する。拘束を強くする。アッシュベアは抜け出そうと藻掻くか、城壁の修復で鍛えられている僕の土魔法からは脱出できない。アッシュベアの匂いで他の魔物が現れなければ良い。思い付きだが試す価値はあるだろう。


食事の準備をする。匂いはシルフに上に飛ばしてもらう。賢者には少量のパンをお湯に溶いたスープを準備する。それに少量の世界樹の葉を混ぜる。貴重なものだがここは使いどころだ。


眠っている。目を覚ます体力があるかも分からない。スプーン一杯ずつ口に含ませる。少しずつだがしっかりと飲んでくれる。顔色が少し良くなった気がする。この分ならきっと回復に向かうだろう。



気がつくと陽が沈み、月明かりが頼りなく届くだけだ。トワには休んでいてもらい、僕が見張りをする。耳元で闇が囁いた。霊体だろうか。闇の中、白いもやが漂っている。そして、拘束されているアッシュベアに向かっていった。アッシュベアが急に萎んだ気がした。いや実際に萎んでいた。小さなもやが徐々に大きなもやになった。


魔物の名前は分からない。だが霊体には光魔法が効くはずだ。月光の剣に闇魔法を薄く纏わせ光魔法を重ねる。白いもやを斬りつける。もやは闇の中に溶けるように散っていった。


倒せたのだろうか、霊体との戦いは初めてだ。多分大丈夫だろう。魔物の本も買って知識を得た方が良かった。森の中の野営にまだ準備が足りてなかったことを反省しつつ、警戒を続けた。



朝陽が登る。少し明るくなる。トワがテントから出てくる。スープを賢者に飲ませる。賢者と目が合う。賢者がホッとしたように目を閉じた。


「ハルト、替わるわよ。ぐっすり寝てきて。これでも光と火と水の加護を得た将来の勇者様よ」


「ありがとう」


トワと見張りを交替する。休みに入る。ぐっすり眠るべきか、浅く眠るべきか迷う。魔物がやってくる。領主や叡智の塔の私兵たちもやってくるかもしれない。賢者の回復にはどうしても時間がかかる。長丁場だ。ぐっすり眠ろう。


眠る前にできることが無いか考える。聖女の結界。城壁の補修に使った土魔法。空魔法でもブロックが作れる。あれを散らさず固定できれば、多少は安心して眠れる。空魔法の板を作りテントの周りを覆う。屋根も作る。枠を作り固定することをイメージする。


「どれくらい保つか分からないけど、周りに壁を作ってみたよ」


「えっ。これね。ありがとう。これでいきなり魔物に襲われなくて済むわ」


「おやすみ。何かあったら大声で呼んでね。たぶんぐっすり眠るから」


「分かったわ」


トワに声をかけて眠りに落ちた。




ドンドン、何かが壁を叩く音がして目が覚めた。テントの外を覗くと、アッシュベアが壁を叩いていて、トワが警戒している。アッシュベアだ。ちょうど良い。昨日と同じようにアッシュベアの手足を土魔法で拘束した。



「拍子抜けするほど何もなかったわ。賢者様もずっと寝ている。呼吸が楽になっているから回復しているんだと思う」


「ありがとう。魔物はどうにかなりそうだね。あとは人かな。賢者の体調が回復するまで気づかれないと良いのだけど」


目覚めると、陽が沈みかかっていた。トワが作ってくれた夕食を一緒に食べながら雑談する。アッシュベアのような魔物の脅威は減った。だが夜は霊体を昼は人を気にして動く必要がある。



「ここは?」

「森の中です。移動していません。もっとも臆病なものです」


3日目の朝、賢者が目を覚ました。幸いなことに霊体は空魔法の障壁を超えられなかった。そしてまだ人にも見つかっていない。


「美味しい。それに元気が出る気がする」


「世界樹の葉が入っていますから、食べ過ぎてもきっと世界樹が治してくれます。まずはたくさん食べて体力を取り戻してください」


「それは贅沢だね」


僕の言葉に賢者が微笑んだ。まだ痩せているが、生気が肌に戻ってきている。微笑んだ表情は可愛らしい。ユイが言っていたように小柄で明るい茶色の髪をしている。目は大きくパッチリしており、綺麗というより可愛いといった方が合っているだろう。


「きみたちは?」


「僕はハルト、もっとも臆病なもので、サクヤとの入れ替わりを体験しました」


「私はトワ。ハルトの仲間です」


「サクヤは助かったんだね。それは良かった。ここへはサクヤが来てくれると思っていたのだけど、あの子はちょっと抜けたところがあるから迷っているかな。コホッ」


自己紹介をしていると賢者が咳き込んだ。心配そうに覗き込む僕たちへ賢者は微笑んだ。


「大丈夫だよ。世界樹の葉を食べているんだ。体調は少しずつ良くなっている。私はリン。リンと呼んでくれ。サクヤとパーティを組む賢者だ。ところで君がサクヤと入れ替わってどれくらい経つかな」


「2カ月とちょっとです」


「そうか、私もぎりぎりだったんだな。改めて、助けてくれてありがとう」


「いえ。したくてやっていることですから」


「それでも助かった。ところでユイは、聖女はどうなったか知っているかな」


「サンライトリッジで事態の収拾を図っています。入れ替わりで裏町がごたごたして。落ち着いたらこちらに向かってくると思います」


「そうか、ユイも助かったんだ。魔王を倒して3人とも助かるなんて奇跡だね」


リンが固くなった体を解すように伸びをする。小柄で華奢な身体は表情と合っていてとても可愛らしい。そう思っていると、リンと目があった。


「そういえば、賢者は人見知りだって聞いていたんですが」


「そうか。そういうことにしていたな。私は人見知りというより、人と関わることを好まないんだ。人と話をしていても退屈になってしまう。だから人と距離を置いていた。サクヤは私の性格を分かってくれて、必要な時に必要なことを話してくれる。ユイはときどきちょっかいをかけてくるのが煩わしかった。


今は私は無力で君たちの世話を必要としている。それに君たちと協力して賢者の力を取り戻さないといけない。感謝もあるし打算もある。だから人見知りである必要はないんだ」


僕の質問にリンはいたずらっ子のように笑った。やっぱり可愛い。


「それにしても2カ月ちょっとか。私の力を悪い目的で使っていたら街は酷いことになっているだろう」


「そうですね。ルミナリアの街は叡智の塔と名乗る組織に乗っ取られて、そしてアストラルナに逃げた領主はリンの命を狙っているそうです」


「予想の範疇だけど、予想の中でも悪い方だね。じゃあここは引き払った方が良いわ。私の身体もなんとか動かせそうだ。3日も同じ場所にいると腕利きの冒険者には嗅ぎつけられるだろう」


「移動はお昼くらいにしましょう。ハルトは少し寝た方が良いわよ。それに賢者様も身だしなみを整える必要があるわ。ハルトは昼まで休んで賢者様の世話は私がするわ。昼食を食べながら今後の相談をしましょう」


リンの提案にトワが口を挟んだ。たぶんそれが良いだろう。僕もトワの提案に頷いた。


「ずいぶんと魔法をぜいたくに使うんだね。この魔法は初めてかな」


魔法で出したお湯を見て、そして障壁を触りながら意外そうな顔をするリンを後ろに僕はテントの中で横になった。



「敬語は止めて良いよ。賢者って言っても只の人だからね。冒険者はその方が良い」


「分かった。そうさせてもらう」


「それにしても、この障壁といい収納箱といい、君は興味深いね。話を聞きたいがそんな時間は無いだろう。今回のお礼も合わせて終わったらじっくり話をさせてくれ」


「お礼はいらないよ。すでにサクヤに貰っているから。臆病な僕に勇気をくれたんだ」


「サクヤに貰ってるっていうからびっくりしたじゃないか。サクヤが私を置いて大人になっちゃたんじゃないかと勘違いしちゃうじゃないか。これが終わったら私が先に大人になるから」


昼食にアイテムボックスから兎を取り出す。それを見て賢者が興味深そうに僕を見る。世界樹の葉はもう良いだろう。十分に賢者は元気になった。


「リンはこの展開までは予想していただろう。その後の作戦は何か考えている?賢者の意見を聞きたい」


「正直に言うと助かる確率はほとんどないと思っていたんだ。それに”もっとも愚かなもの”がどう行動するかを予測するのは無理だから、何も考えていないんだ。ただ、サクヤに助けられていたら森の奥まで進んでいたかな。領主や叡智の塔の私兵たちは、森の奥まで来ることは無理だからね」


「それが正解かな。まず森の奥まで行って、そして街の様子を伺ってから考えようか」


状況が分かるまで作戦の立てようが無い。そう思いテントを畳んでいると、たくさんの魔物が追い立てられるようにこちらへ向かってきた。そうだ。障壁魔法は風も匂いも遮断してしまう。賢者が助かってホッとしていたのだろう。大切な観察を怠っていた。



「風の精霊たちよ。魔物たちを追い立てているものの正体を教えてくれ」


リンを見つけた魔法の応用だ。風の精霊たちが魔物のそしてその奥にいる人の呼吸を捉える。10人くらいだろう。何か話し合っている。


「そろそろ想定の場所につくんじゃないのか」「賢者を殺せ」「魔王なんて倒すから、いい迷惑だぜ」「小さくて可愛いって聞くぜ。ちょっとくらい楽しもうぜ」「それも良いが、叡智の塔の奴らがルミナリアで勝手できないように早く殺した方が良い」


風の精霊が声を運んでくる。その声を聴いて僕は訳が分からなかった。領主が賢者を殺したい。止む無くなら分かる。だけど兵士たちは賢者を殺すことを楽しみにしているように見える。


そもそも賢者を殺すことに正しさはあるのだろうか。魔王を倒して人々を救っているんだ。なぜ領主が賢者を殺そうとするんだ。なぜ叡智の塔が賢者を確保しようとするんだ。


正しさはどういったものだろう。魔王の脅威を払う。人々が勇者や賢者に期待する。それが終わったら用済みなのだろうか。多くの人の幸せ、その人々の幸せのために戦ってきた賢者が人々の幸せのために殺されなければならないのだろうか。


立場によって正しさは違うのだろう。そう思ったときに、ふと腑に落ちた。魔王に対抗するためには勇者たちの活躍は正義だろう。だが倒し終わった後は人々にとって勇者は正義だろうか。そう思っている人もいる。しかし為政者たちにとってはそうではない。


叡智の塔の奴らにとってはどうだろうか。勇者の正しさなどに興味はないだろう。そして彼らの組織を維持するためには賢者が生きていることが正しい姿だ。


僕たちにとってはどうだろう。何が大切なのだろう。空っぽな僕だけど、サクヤやトワ、仲間たちが大切だ。サクヤの仲間のリンを殺そうとする領主は僕にとっては正しくない。兵士たちは僕にとっては敵だ。


正しさについて考えたときに、僕が為政者たちに期待していたことがひっくり返ったような気がした。裏町のみんなにとってはレオンは正義だったのかもしれない。たくさんの人がたくさんの組織がある中で、既存の組織の人たちが得になることを正義と呼ぶのだろう。


そんな危うい正しさに僕はどれくらいこだわる必要があるのだろうか。あの兵士たちは僕にとっては魔物と一緒だ。領主は魔王と一緒だ。そう思ったとき、リンが肩を叩いた。


「怖い顔をしているね。私もそう感じたことがあるわ。だけど生きづらくなっちゃう。人として人の中で生きるためには、既存のルールの枠内で生きるしかないのよ。だから叡智の塔から賢者の力を返してもらうしかないの」


理不尽に感じるが、リンの言葉は僕を納得させるのに十分だった。トワが心配そうに僕を見ている。冒険者ギルドとの約束をふと思い出した。ここは逃げるしかないだろう。

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