第9話 精霊の試練
盗賊を退治してから二日目、僕たちは再び迷宮の入り口に立っていた。受付でお金を支払う。衛士が軽く会釈をする。立ち入り禁止は解除されている。
真っ直ぐ4層まで降りる。音、そして地面の揺れを意識する。小さな揺れを感じたとき僕はすぐに足元に向けて魔弾を放った。2発放ったところでグランドキャットフィッシュが姿を現す。地に潜っていないグランドキャットフィッシュは浜に打ち上げられた魚と一緒だ。僕たちはグランドキャットフィッシュをあっさりと斬って捨てた。
立ち止まって匂いを嗅いでみる。確かに盗賊の住処のあたりを向くと汗臭い。迷宮では風が弱い。だから感じられたのかもしれない。習ったことが実感できて何となく嬉しくなった。そして階層に降りる。泉は降りて左手の方だ。
☆
雰囲気が変わった。どことなく厳かな雰囲気だ。泉が近いからだろうか、そう思って前を見てみると綺麗な手すりで囲まれた泉が見えた。近づいてみる。泉と言えども水はない。その代わり、泉の底から立ち上る柔らかな輝きが、周囲を幻想的な光のベールで包み込んでいる。
「わぁ、きれい」
「凄いね」
隣からトワの声が聞こえた。僕も頷き返す。朝一番で潜ったためか、この光景を独占できている。二人で顔を見合わせて笑う。
「早速試してみる?」
「そのために来たんだからね。人が来る前に試しちゃおうよ」
トワの問いかけに僕は収納箱から幸運の印を2つ取り出し片方をトワに渡す。
「「せーの」」
掛け声とともに僕たちは印を泉に投げ入れた。泉の表面がゆっくりと波打つ。その波は次第に大きくなり、そして人の輪郭を取った。眩く輝く光のため姿かたちははっきりとはしないが、長い髪、通った鼻筋であることは分かる。僕たちは驚きを感じながらその精霊を見つめていた。
「印を受け取ったぞ。人の子らよ。一つ目は水と火と光か、珍しい組み合わせだな。そしてこれほど大きいものは久しぶりだ。それでは精霊の試練を受けるが良い」
精霊に挨拶する間もなくトワは試練を与えられたようだ。トワの目の焦点がブレる。心の中で精霊との相性を探るのだろうか、そう考えていると再び精霊が口を開いた。
「虹色、そしてこの大きさ。どうやって手に入れた。カーバンクルが人にこのような印を渡すとは思えん」
詰問口調でまるで怒っているようだ。怒っている人と話すのは苦手だ。だが精霊に誤解されたままではダメだ。誤解を解く必要がある。息を吸って、そして前をしっかりと見て言葉を出した。
「世界樹の葉を渡しました」
「世界樹の葉をか。それならありえない話ではないが。…確かにお主は少し変わっているな」
僕の正直な言葉に、精霊はいぶかし気な表情で目を細め僕を観察する。そして何かを納得するように頷いた。
「それでは問題なかろう。正当な対価として手に入れた幸運の印だ。試練に挑むが良い」
精霊の言葉とともに目の前が真っ暗になった。
☆
気づくと洞窟の中にいる。だが迷宮とは違う。壁が燃えている。そしてときどき火が噴き出している。ここにいても火傷しそうな熱さだ。
怖い。ただ怖いと感じる。性根が臆病なのだろう。サクヤの前、トワの前では強がっていても絶対的な力の前にはいつも逃げ出す自分がいる。自分を嫌いになりそうになった時、『観察が重要』、カイルさんの言葉が浮かんだ。
僕は薬草採取のときに周囲を気にしている。ここでも同じだ。薬草採取に逃げていた自分を好きになろう。きっと薬草採取を続けたことで成長できたこともあるはずだ。
火が噴き出すところはどこだろうか、温度の低い壁はないだろうか、観察する。目だけではない。耳だけではない。鼻も皮膚も、そして喉の渇き具合も使って観察する。
道が見えた。ここを歩けと示されている。道を歩いていも熱さは感じる。火傷しそうだ。本当に合っているだろうか、何度も迷いが過る。自分を信じて前に進むんだ。自分に言い聞かせる。道を一歩一歩進んだ先に燃えるような男が立っていた。
「虹色の極大の印を持っている奴と聞いた。難しい試練を与えたが、しっかりと打ち克ったな。これからはこのサラマンダーが力を貸そう」
男は嬉しそうに笑い、そしてその姿が徐々に火と同化していった。
☆
視界が暗転する。今度は水の中だ。顔だけが水面から出ている。どういう状況だろう。観察していると徐々に水かさが増していることが分かった。潜って様子を見る。水の流れを感じる。上流に進むべきか、下流に進むべきか、考える時間はそんなにない。
水の精霊はどこにいるのだろうか。どこにでもいるかもしれない。源は上流だろう。だが大きく集まるのは下流だ。集まって河となり海となる。自信が無く運任せにしたくなる。だが適当に選んで失敗するより、考えて選んで失敗した方が後悔はない。
流されるまま薬草を拾って生きてきた自分に言い聞かせる。サクヤの役に立つために、トワと一緒に冒険するために、自分で決めることが重要だ。
潜る。流れが背中を押す。真っ暗だ。光が射さない。どこで息継ぎできるのだろうか。息が続かない。逆だっただろうかと不安になる。だが、ここまで来たら信じるしかない。目が明るさを感じる。上昇する。顔だけが空気に触れる。
息を吸う。潜る。流れに沿って進む。今度は道が二手に分かれていた。迷う間も息が苦しくなってくる。流れの多い方だ。ブレるな。自分の仮説を信じよう。そして3度の息継ぎのあと、僕は広い湖に出た。
「持久力も判断力も十分にあるわね。上流に行っていてもしっかりと考えた末の結論であれば成功としたのだけど。まずは切迫した状況の中でしっかり考えられたから合格かしら。ウンディーネも力を貸すわ」
☆
目の前に谷がある。そして細い綱が通されている。これを渡れというのだろう。3度目になると試練の雰囲気に慣れてくる。怖いが怖くない。こうやって恐怖を克服していく。だが恐怖がないのは油断に繋がる。気を引き締め直して前を見た。
風が強い。そして風向きが変わる。綱は一本だけだ。これは分かる。感覚問題だ。そしてきっと僕と相性が良いだろう。複数の地点に目をやる。そこの風向きを推測する。変化がどう表れるかを見る。そして僕は進んだ。
「簡単すぎたか?そなたとの相性が良かっただけか。シルフは喜んで力を貸そうぞよ」
☆
迷宮だ。今は迷宮にいるから不思議はないが、違う迷宮だ。細い道だ。足場が不安定だ。慎重に進む。落石がある。走ると足を踏み外しそうだ。観察をしながら進む。足場の悪い道を落石に気を付けながら進むのはものすごく疲れる。
ぬかるんだ泥道になった。急に深くなり足を取られる。泥の中の様子は見えない。足場を確認しながら進む。一歩が重い。精神的にも肉体的にも疲労が溜まる。
今度は崖だ。これを登れというのだろう。重くなった足を曲げ伸ばししながら上を見つめる。だが、黙々と薬草採取をしてきた僕を舐めるな。蹴られてきた僕を舐めるな。疲れるくらいは平気だ。手を動かすことには慣れている。自分に言い聞かせ、崖を登った。
「お主の忍耐力を認めよう。ノームも力を貸すぞ」
風と土の試験は僕と相性が良かった。今までの自分が無駄ではなかったと褒められているようで、何となく嬉しくなり、心が少し軽くなった。
☆
眩しい。最初に感じたのはそれだ。そして自分の後ろに大きな影ができているのが分かる。弱い自分、情けない自分。影の中から僕が立ち上がってくる。心への試練は初めてだ。
ユートやアレクに蹴られて仕方がないと諦めてしまう自分。立ち直れているのはサクヤのおかげなのにサクヤに恩を返せていない自分。早くサクヤの仲間を助けに行きたいのに、力不足だと言っている卑怯な自分。影が揺らめきながら僕に囁く。影が僕の肩を掴む。
前へ進もうと思っても僕の足は地面に縫い付けられたように動かない。後ろを見るな。大切なのは今何ができるかだ。僕は今を真剣に生きている。できることをしっかりとやっている。
たかが一ヶ月だろう。それで何を分かったつもりになっているんだ。”もっとも臆病なもの”だぞ。何を勘違いしているんだ。勇気があるのであれば、もう行動に移しているだろう。フロストヘイブンの奴らはお前が変わったつもりになっているのを呆れて見ているぞ。
どんなことを言われても、これからも変わる。臆病で力不足だ。そんなことは当然だ。嘲笑されるのも受け入れよう。でも歩みを止めたら僕はずっと変わらない僕のままだ。少しずつ前に進むんだ。一歩足が前に出た。
サクヤの代わりに魔王を倒す。そのためになら陰口を叩かれても良い。二歩目を踏み出す。誰にも分かってもらえなくても良い。大切なのは自分が信じることをやり遂げることだ。三歩目を踏み出した。無謀な勇気ではなく、人のために自分を活かせる勇気を。四歩目の足が出るとともに影の力が弱まった。
「あなたのなかに真っ直ぐな勇気が育っていることが分かりました。ルクスも力を貸しましょう」
☆
真っ暗だ。何をしたら良いか分からない。ふと嫌な考えが頭に浮かぶ。ユートやアレクに蹴られる。だから蹴り返しても良いだろう。僕が強くなったらちょっとくらい仕返ししても当然だろう。僕を嘲ってきた奴らは報いを受けて当然だ。みんな僕の辛さを体験してみれば良いんだ。暗い考えが浮かぶ。
『想像するだけなら何も悪いことはないぞ』影が僕に囁きかける。『今まで受けた仕打ちだ。仕返ししたって罰も当たるまい』別の影が僕に囁きかける。
肯定したくなる自分がいる。だが隣にトワがいることを思い出した。どんな時でも真っ直ぐな少女。自分より人のことを思う少女。そして指輪を見る。サクヤとお揃いの指輪、サクヤと並んで戦った。
過去に囚われてはダメだ。嫌なことは嫌だった。それは事実だ。だがそれを相手に返して時間を無駄にするのか。そうじゃない。前に進むこと、僕が幸せになること、サクヤやトワが幸せになること。僕と良い関係を持とうとしてくれる人たちが幸せになることが何より大切だ。
忘れることはできない。捨て去ることはできないかもしれない。だけど自分の向きを変えることはできるだろう。前を向くんだ。人の幸せのために自分を活かそう。
そう自分に言い聞かせたときに、未来が見えた。サクヤが僕に失望する未来。トワに愛想を尽かされる未来。街の人々に後ろ指を差される未来が見えた。現実のように非難する声まで聞こえる。
でも非難されるのは構わない。サクヤに嫌われてもサクヤの役に立つと誓ったんだ。しっかりと前を向いている。僕は大丈夫だ。そう思ったときに闇が晴れた。
「ずるいや。もう克服済みかあ。まあでも信頼に足る人間ぽいし、シャドウも力を貸すよ」
☆
突然、地面が消えた。だが僕は落ちていない。浮かんでもいない。これは何だろう。手足の感覚が消える。怖いと感じる。何も危ないことはないのに、怖いと感じるのは僕のクセだろうか。水の中を漂っていると思えば怖くない。そう言い聞かせる。目を閉じてみる。身体に何も負担がかかっておらず気持ち良いくらいだ。
ゆったりとしていると四方八方から急に圧力が加わった。痛い。必死で潰されないように耐える。しばらく耐えていると今度は僕の体が引き延ばされるような感じを受けた。手も足も飛んでいきそうだ。必死で自分の体を留める。そしてまた何も感じない。
何回か繰り返す。これは何の試練なんだろう。なぜ押し潰されそして引き延ばされるのだろうか。何もないように見えて何かがある。それが空間だ。だから僕の体が押しつぶされ、拡げられる。ふと思い至ったときに答えが見えたような気がした。
手足を動かす。確かに何かがあるのを感じる。押す力、引く力のバランスを感じる。そして僕は自分の身体の感覚を取り戻した。
「空間を感じ取ることができたようだな。我まで呼び出されることは少ないのだが。よかろう空間を司るこのヴォルシスも力を貸そうぞ」
☆
視界が暗転するとともに、僕は泉の前に立っていた。表情は分からないが精霊は微笑んでいるように見えた。隣を見るとトワも意識を取り戻している。
「ハルト。私やったわ。火と水と光の精霊に応援してもらえることになったの。イグニス、アクアリス、ルーミナが力を貸してくれるって。3人とも格の高い中位精霊よ」
「良かったね。トワ。精霊様、ありがとうございました」
「そうだったわ。精霊様、ありがとうございました」
興奮するトワを落ち着かせて僕たちは精霊にお礼を言った。
「無事、祝福が得られたようだな。何よりだ。そして一つ提案がある。世界樹の葉を半分くれぬか。残りの半分を持って6層へ降りてみるが良い」
精霊は微笑みながら僕たちに祝福の言葉をくれる。そして不思議な提案をした。必要な時には使う、アウウレアの言葉の意味を考える。きっと今は必要な時だろう。僕は精霊に世界樹の葉を渡した。精霊はそれを半分に折り、そして半分を僕に戻した。
「それと、これは我からのプレゼントだ。二人同時にこれほどの幸運の印を捧げてくれた記念だ。対となる指輪でこちらが太陽の指輪、そしてこちらが月の指輪だ。勇者となりたいものは太陽の指輪を、賢者となりたいものは月の指輪を選ぶと良い。それぞれ剣と魔法に必要な力を強くしてくれる」
僕たちが礼を言い立ち去ろうとしたとき、大精霊が声をかけてきた。そして僕たちに2つの指輪を渡し、その姿は泉の中へと溶けていった。
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