第8話

 コンコンと執務室の扉がノックされる。


「入れ」

「失礼します」


 隊服を着て入ってきたのは、九条家が率いる九条直轄青龍隊部隊長で当麻の腹心でもある、高遠伊佐木だたかとういさぎった。

 隊編成は隊長、副長、分隊長とあり、肩章の桜星は一つで分隊、二つで中隊、三つで本隊を示す。


「どうした?」


 高遠はソファでくつろぐ青龍をチラッと見たあと、当麻を真っ直ぐと見つめてきた。


「当麻様の奥様の護衛の件ですが、隊員二名を部屋の近くに配備しましたが、専属護衛の者を決めたほうがよろしいかと」


 そうだった。念のために護衛を付けると高遠から聞いていたが、すっかり忘れていた。机に肘を付け、顔を覆い当麻はどうしたものかと、当麻は頭を抱える。


「当麻様?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 あの女の為に、人員を二人も裂くのはいかがなものか。しかしスパイの疑いは晴れてはいない。それにあの女には力もなければ、動ける範囲は決めてある。


「高遠、隊員は一人でいい。八重もいるからな」

「ですが、この九条家の奥様で……」

「当麻はね、お飾りであの子をこの家に置くだけなんだよ、だから自由はないの」


 くつろいでいた青龍はゆっくりと立ち上がると、胡散臭い笑顔を浮かべながら高遠に近づく。


「だよね? 当麻」と青龍は高遠の肩に手を置き、まるで獲物を追い詰めることを楽しんでいるかのような目をしていた。

 高遠は無表情のまま、当麻の言葉を待っている。


「そうだ。行動範囲も決めてある。あと高遠、護衛ではなく監視だ」

「かしこまりました。ではそのように」


 かかとを揃え直し、敬礼をすると背筋を伸ばして部屋から出て行く。


「おい青龍、どこに行くんだ」


 一緒に出て行こうとする青龍を、当麻は引き留めるかたちで声をかける。


「いやだなあ。何か美味しいものがないか、茶請けを探しに行くんだよ。じゃあ、お仕事頑張ってね」と手を上げ着物を靡かせながら、青龍も部屋を出て行った。


 その直後、戻って来た高遠から怪異と妖が同時に違う場所で現れた報告を受け、当麻は青い隊服をはためかせながら、現場に向かった。





「奥様、昼食の用意ができました」


 障子越しに、八重の影が見える。刺繍をしていた紗月は道具を置き、身を正し直す。


「どうぞ」

「失礼します」


 膳を手に入ってきた八重は、紗月の前にそれを置くと、椀の蓋を開けて手際よく支度を整えた。味噌のいい匂いがしてきて、あまりお腹が空いていない気がしたのに、キュッと胃が縮む。


「それでは、食べ終わりましたら、声をおかけください」

「はい」


 八重が部屋から出て行き、体の力が抜ける。

 もう九条家にきて一週間は経つけど、まだ八重にもその扱いにも慣れない。


「はあ」と目の前の膳を眺めながら、思わず溜息が出る。ほとんどこの部屋で過ごすのも少しだけ飽きてはきた。もうそろそろ庭に出るくらいはいいかもしれない。庭に出ることは許されている。


 清原の家にいた時に比べれば、心穏やかに過ごせている。これほど幸せなことはない。屋敷のその外には出られないけど、刺繍をするための糸もお願いをすれば色とりどりの物で、それも高価な物で揃えてもらえる。ご飯もしっかり三食用意されて、ひもじい思いをしなくてもいい。暴力を受ける事もない。


 でも、と紗月は思う。

 自分はこんな穏やかに、恵まれた生活を送っていてもいいのだろうか。そう思うことがある。何も起こらず穏やかに過ごせている今が、これから訪れる何か悪い出来事の前触れなのではないか。そんな予感が、胸の奥で静かに揺れていた。

 そう考えると、凪いていた心にさざ波が起こり苦しくなる。でも、もしそうなってもしょうがない。


 自分みたいな人間がこんな待遇を受ける資格がないから。紗月は持箸をそっと戻す。肩が一段落ち、帯の結び目が背に少し食い込む。


「あの、奥様」

 廊下から八重の遠慮気味の声が聞こえてきた。「はい」と答える前に障子が勢いよく開いた。


「紗月ちゃーん! お散歩に行こう」

「え? 青龍様?」


 部屋にはいってきたのは、神獣の青龍だった。狩衣の裾が揺れ、ふわり香の匂いが漂ってくる。


「あ、あの。今、なんて」

「お外に行こう、買い物をしに行こうって言ったんだよ?」


 まるで紗月の質問の意味が分からないとでもいうように、青龍は首を傾げている。


「青龍様、奥様の外出は当麻様から許されておりません」


 そうよね、と紗月は八重の言葉に頷く。


「だから? この家の当主は確かに当麻だけど、それに力を貸している俺に、お前は口を出すのかい?」


 金の瞳が糸の細さになる。紗月の膝の内側に力が集まり、肩がすくむ。組んだ指の爪が手の甲に食い込む。


「も、申し訳ございません。ですが」

「お前が当麻に伝えればいいじゃないか」


 冷え冷えをした声に、清原家でのことを思い出す。青龍を怒らしてはいけない。怒らしたらきっと殺されるかもしれない。気づけば、膝の上で組んだ手に力がこもっていた。紗月は爪が手の甲に食い込む痛みで、ようやく自分の緊張に気づいた。

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