ニートのおじさん、幼女吸血鬼になる

むろまち

第1話 雷雨の悲劇

 薄暗い部屋の中でひとりの男が、パソコンのキーボードを叩いている。

 

 絶えず回るファンの音とカタカタと鳴る固い響きが混ざり合う。

 床に散らばったゴミとよどんだ空気は、この部屋の主の性格をよく表している。

 

 辺りには異臭が漂い、もし訪れる人があれば、なぜ窓を開けないのか疑問に思うことだろう。

 ホコリの詰まったエアコンは、本来の性能を半分も発揮できずにいる。

 

 男が少しでも体を動かすと、使い古されたイスがぎしぎしと不快な音を立てた。クッションの中身は飛び出し、鉄で出来た部品は錆びており、買った当初の面影はどこにもない。


「つまんない記事だな」

 

 部屋の主――有坂滉は、ディスプレイを見つめながら吐き捨てるように言う。タイトルに釣られたが、その内容は非常にお粗末なものだった。

 

 マウスを動かし、すぐさま閉じる。

 

 まだ正午を回ったばかりだが、退屈であくびが出る。

 アニメは面白いが、今は見る気が起きない。ゲームはそもそも新しいものを買うお金がない。買ったままで放置していたソフトも、いつの間にか遊び尽くしてしまった。

 

 キーボードから手を離し、立ち上がる。

 運動不足のゆえか、少しふらつく。

 

 もう一年以上、外に出ていない。そのせいで髪は伸びきってボサボサ、肌はもやしのように白くなっている。着ているTシャツはたるんでいて、頼りない首元があらわだ。爪の手入れもしていないので、伸びて汚れがたまっている。

 

 部屋のドアを開けて、台所へ向かう。

 さきほどからしきりに腹の虫が鳴っていた。

 

 おぼつかない足取りで階段を下りる。古い家なので、踏み出すごとに軋むような音がした。

 階下に人の気配はない。照明もオフになっている。

 

 天気予報は晴れマークだったが、窓から見える空は重苦しい灰色だ。太陽の姿は厚い雲に隠されている。いつ降り出してもおかしくない。

 

 無駄に固いスイッチを押し、電気を点ける。ジジッと奇妙な音を立て、明滅を繰り返したのちに、周囲を明るく照らし出す。

 

 大量のシールが貼られた冷蔵庫を開けても、目ぼしいものは見当たらない。期限切れの調味料と中身の少ない飲料水が、わずかなスペースを占めている。

 

 ため息をつき、扉を閉じる。


「他になにかあるかな」

 

 コンロ横にある棚の引き出しを開けると、スーパーの総菜パンが二個見つかった。賞味期限を見ると、どちらも数日前に切れている。


「まあ、少しぐらいなら問題ないだろ」

 

 ぶつぶつとつぶやいて、袋を開けようとしたとき、ちょうど雨が降り始めた。雨滴がアスファルトを叩く音が、家の中まで聞こえてくる。

 

 もともと壁が薄いので、静寂は一瞬にして破られた。

 風が強まり、汚れた窓がカタカタと鳴る。

 

 激しい雷鳴が響き渡る。光と音の時間差はほとんどなかった。相当近くに落ちたのだろう。

 

 思わず背中を丸めてしまったが、気にせずにパンを食べる。

 

 やはり賞味期限が切れていたせいか、風味が落ちてしかも固い。カビは生えていないが、いつまでも味わいたいとは思わなかった。

 

 もう一個の袋も開けて、急いで飲み込もうとする。普段はここまでの早食いをしないので、一瞬ためらったが、勢いそのままで止まらなかった。

 

 再度の雷鳴。

 雨脚はさらに強くなる。

 まだ夕方にもならないが、外は夜のように暗くなっている。

 

 目を見開いて、自らの喉に手を当てる。急いで食べ過ぎたせいで、完全に詰まった。慌てて吐き出そうとしても、咳が出ない。

 

 今まで感じたことのない恐怖が、胸の奥からせり上がって来る。

 即座に、死の一文字が脳裏に浮かんだ。

 

 先の見えない人生だったとしても、とくに自殺を考えたことはなかった。生きてさえいれば、いずれなんとかなると思っていた。

 

 ここで終わりたくない、必死に吐き出そうとしながら、心の中で願い続ける。

 

 額に脂汗を浮かべながらコップを掴み、蛇口から水を汲む。しかしあまりにも焦り過ぎたせいで、口に運ぶ前に落としてしまう。

 ガラスは無残に砕け散り、冷たい水が足元に広がる。

 

 雷鳴。窓から差し込む強烈な光。

 

 救急車を呼ぶことを思い立つが、すでに意識が朦朧としている。

 足が思うように動かない。視界がかすんで物の姿が判然としない。

 

 電話機に向かう途中で、膝から崩れ落ちる。手で頭をかばうことも忘れて、顔面をそのまま強打する。真っ赤な血が流れる。痛みを感じない。

 

 脳に酸素が届かなくなり、ゆっくりと視界が閉ざされる。意識はパソコンの電源を落とすように、ぷつりと切れた。

 

 享年、三十二歳。直視するのも憚られるような、あまりにも無残な最期だった。

 

 当然だが、死体は少しも動かない。どれだけ素晴らしい名医の手にかかっても、ここから蘇ることはありえない。知っての通り、死とは不可逆的なものであるからだ。

 

 外では雨が降り続けている。人の生死のことなど天気は露にも気に掛けない。

 

 荷物を満載したトラックが、塀に向かって泥水を跳ね飛ばした。

 

 しばらくすると、死体の周りである変化が生じた。

 

 予兆もなしに、虚空から白い火の玉が現れた。強く発光していて、一回り大きな線香花火のようにも見える。

 不規則な動きを繰り返し、奇怪な音を響かせ、なにかの儀式を展開しているかのようだ。およそこの世のものとは思われない。

 

 その白い球体は、突然あとかたもなく消え去る。まるで元から存在しなかったかのように、痕跡がない。

 

 そして、不思議なことが起こった。

 

 放置されていた死体が、同じように強く輝き始めたのだ。体積が大きい分、その光はより強い。近くで見れば、危険とさえいえるだろう。

 

 だが、その光は次第に弱まっていく。

 完全に消えたとき、あとには何も残っていなかった。

 血痕とともに死体は完全に消え失せていた。

 

 雨は降り続けている。

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