第二部、第四章:高級ムードと“生態調査”
それからディアの行動力は彼女が経営する会社の株価上昇スピードよりも速かった。
「まずは腹ごしらえですわ」
そう宣言した彼女に連れてこられたのはなぜか都心に戻った先にある、とあるラーメン屋だった。
『九角屋』と書かれた看板。
ここは……確か、ディアの会社が最近買収した、老舗のラーメンチェーンだったか。
あれ、ここのチェーンって閉店したはずじゃ……まあいいか。
「なんでまたラーメン……いや、さっき食っただろ!?」
「違いますわ。“調査”。これは“儀式”のための腹ごしらえですの」
意味が分からない。
だがディアは「ムードの第一段階は互いの胃袋の価値観を共有することから」とかいう謎理論を展開し、俺の前に「チャーシューメン+まかない飯」を置いた。
もちろん、彼女も同じものを注文している。
数時間前に食べた家系ラーメンの脂がまだ胃に残っているのに、この仕打ちは拷問に近い。
俺は半分泣きながら、その麺をすすった。
~~~
そして、その数時間後。
俺は自分が今どこにいるのか本気で分からなくなっていた。
「……すげえ」
目の前に広がるのは宝石をぶちまけたような東京の夜景。
俺たちがいるのは高層ビルの最上階、おそらく一晩で俺のバイト代の数年分に相当するであろう、超高級なペントハウスだ。
広いフロアには俺とディアの二人だけ。
部屋の隅ではタキシードを着たバイオリニストが静かに優雅なメロディを奏でている。
テーブルの上には俺が人生で一度も見たことのない、きらびやかな料理の数々。
たぶん、皿の縁に散らしてる金粉だけで、九角屋のラーメンが百杯は食える。
「いかがですの?」
ディアが満足げに微笑んだ。
彼女はいつの間にかあの「家系」Tシャツを脱ぎ捨て、真っ白なシルクのドレスに着替えていた。
美しかった。
非現実的なまでに。ラーメン屋で大盛りマシマシすすっていた女と同一人物とは到底思えない。
「これこそが“ムード”ですわ」
彼女はシャンパングラスを軽く掲げる。
「最高の夜景、最高のディナー、そして最高の音楽。
わたくしが導き出した、コウノトリを呼ぶための完璧な方程式。これこそが“儀式”ですわ」
「ぎ、儀式……」
「ええ。これほど完璧な環境であれば、コウノトリも“価値”を認め、現れざるを得ないはず」
ディアはそう言うと窓の外の夜空を、真剣な眼差しで見つめ始めた。
まさか本気で探してるのか?あの夜空を飛んでくる、絶滅危惧種のシュバシコウとやらを。
つーかその理論だと全国のパパママはどうやって子ども作るんだよ。
全国のパパママはこんなことしなきゃ子ども授かれないと本気で信じているのか、この女は。
俺は目の前に置かれたフォアグラをナイフで突きながら、心の中で盛大にため息をついた。
ムードは最高だ。
こんな夜景、こんなディナー、一生に一度経験できるかどうかだ。
……だが絶対に、来ねえよ。コウノトリは。
バイオリンの音色が切なく部屋に響く。
ディアは時折フォークを口に運びながらもその意識のほとんどを窓の外に向けている。
「……おかしいですわね。
データによれば、この時間帯、この高度は渡り鳥の飛行ルートとしては最適のはず……」
「いや、渡り鳥じゃねえだろ、コウノトリは……」
「何かおっしゃいました?」
「いえ、なんでも」
俺はこの世で最も高価で、最も胃に優しそうなスープを口に運んだ。
さっき食べたW玉のせいか、あまり味がしない。
~~~
食事は奇妙な沈黙の中で進んだ。
バイオリンの演奏が終わり、デザートの皿が運ばれ、そしてそれが片付けられても。
当然ながら、巨大な鳥の影など現れるはずもなかった。
夜景は相変わらずきらめいている。
だがディアの表情は徐々に、あからさまな不機嫌さへと変わっていった。
「……来ませんわ」
「……そうだな」
「なぜですの!?これほど完璧な“ムード”を演出したというのに!わたくしの分析に、何か間違いが……?」
タブレットを取り出し、何かの飛行ルート図と、夜景を睨みつけるディア。
その姿はもはやギャグを通り越して、少しだけ哀れだった。
いや、哀れなのはこのとんでもない勘違いに付き合わされている俺の胃袋か。
俺はこの最高級のディナーと、彼女の純粋すぎる(?)勘違いの板挟みになりながら、ただひたすらに、この奇妙な「儀式」が終わるのを待つしかなかった。
もちろん、その夜、跡継ぎ候補が現れることはなかった。
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